その15:そろそろ夕餉の時間だ。遊びは終わりにしよう
夕闇迫る3年2組の教室。
生徒達は皆、疲れ果てた顔で項垂れていた。もう誰も、どうすればいいのか分からない。
帰りたい。
誰もがそう思う中、慌ただしい足音が聞こえ、次いで教室の扉が開かれた。
「怪我人はどちらですか?」
来た!
マスクを付け、白衣を着た大人達。多分医療関係者だろう。これで助かった。これで終わりだ。
「こっちです! この2人です!」
生徒達は彩湖蓮由璃と十字河護里を指差して答えた。府玉田も顔に爪痕だの手形だのつけているが、そっちはまぁいいだろう。
「了解しました」
「おい、担架だ担架!」
救急隊員らしき人達は、テキパキと2人を回収していく。動かされた2人がぐうっ、と呻き声を漏らした。手足が捩れて反対を向いた状態で1時間くらいは放置されていたのだ。どれだけ苦痛だったのやら、想像もつかない。
あれよと言う間に、彩湖蓮と十字河は運び出されて教室から姿を消した。間を置かず、救急車らしき車輌が血のように紅い夕焼けの中を走り去って行く。
……救急車? 色は黄色だったし、あのドップラー効果発生機も鳴らしていなかったようだが。
まぁ、いいや。これで帰れる。
後はさっきの人たちが、きっといろいろとなんかいい感じに片付けてくれるだろう。
細かいことは、もうどうでも良かった。
生徒達は陰鬱な顔に安堵したような薄笑いを浮かべ、互いに別れの挨拶も無いまま、散り散りになるように教室を去っていった。
※※※※※※
彩湖蓮由璃の目論見は、予定と違う形ではあるが、成功したと言える。
当初の予定では、四方木礼祀を引きこもるなり自殺するなりまで追い込んで、小輪雁夏水と二度と接触できないようにしてやるつもりだったのだが…… 礼祀の反撃は、早すぎた上に、徹底的過ぎた。右足が動かないどころか、息をするだけでも右足に激痛が走って何処も彼処も碌に動かせない。ここまでやるか? バッタじゃねーんだ片足捥げても元気に跳ねると思ってんのか。
四方木がああいうタイプの人間だったとは……こっちは女の子だってのに。多分、女は風呂に沈めるモノだと思ってる反社と同じ感性で生きてるんだろう。早く少年院に隔離してくれ。夏水もまさか面会に行ったりはしないだろう。予定とは違う形だが二度と接触しないようには出来そうだ。それはいいのだが……
いくらなんでも予定と違い過ぎた。怪我の功名にも限度がある。
激痛で気絶し、激痛で目を覚ます地獄のループ。目が覚めたら病院のベッドの上だったなんてことはなく、目覚める度に冷たく硬い教室の床の上で激痛に苦しむのだ。どんな拷問だよ。
ちっくしょう。こんな時のためにカースト上位待遇で飼っといてやったのに、十字河護里の奴、役に立たねぇな!
まぁいい。この怪我は夏水に介護させよう。見た目からしてヤバい重症だ。あんなことやこんなことまでお世話させられるに違いない。全治何ヶ月かな……
あまりの激痛に脳内麻薬でラリる寸前の由璃の横で、十字河護里はギリギリと食いしばった奥歯で苦悶の呻きを噛み殺していた。
なんたる無念、なんたる屈辱。女の…… 社会の敵に後れを取るとは。
証拠が無いの一言で悪を野放しにしてなるものか。法で裁けないならこの手で裁く。そのために今日まで修行を積んで来たのだ!
……その覚悟で臨んでおきながら、不意を突かれて此の様とは。武道家の端くれとして言い訳などする気は無いが、卑劣な悪漢に憤る剰り冷静さを欠いてしまった。不覚にも程がある。彩湖蓮由璃を護ることさえ叶わぬとは、護里と名付けてくれた両親にも申し訳が立たない。
腕の状態は筆舌に尽くしがたいほど酷い。確実に靭帯までイっている。次の大会までに完治しようはずもない。優勝を誓った仲間達に、再戦を約束した好敵手達に、どんな顔で会えばいいのか……
嗚呼、この痛苦と屈辱は万倍にして返してくれる。我が道場の門下には警察関係者も多い。貴様の無法と狼藉、このままで済むと思うな、四方木礼祀!
身も心も傷付いた女子中学生達を乗せて、ワゴン車は走る。
「……え?」
女子中学生達は目を瞬かせた。
……ワゴン車、である。救急車ではない。
医療器具どころかストレッチャーすら見当たらない。倒した後部座席の上に担架ごと寝かされているだけ。苦痛に呻いているのに、処置どころか問診さえ受けていない。
「あの…… ぐぅうッ!?」
一体どういうことなのか、白衣の男たちを問い詰めようとした由璃は、車がガタンと揺れた衝撃に声にならない悲鳴を上げた。痛い痛い、死ぬ死ぬ! 痛み止めの一つくらい寄越したらどうなんだ!?
「……あ、あの」
痛みに耐えた十字河が、救急隊員もとい怪しい連中に話しかける。
「鎮痛剤を……頂け、ませんか。あと、患部の、固定、も」
怪しい連中は顔を見合わせた。
顔を見合わせ、首を傾げ、肩を竦め、そして目を逸らす。
……なんだ、こいつら。
肩と肘と手首を合わせて540度回転している右腕の痛みに耐えながら、十字河は必死に頭を巡らせる。
救急車ではない。学校は公的機関に連絡しなかった。校内暴力を隠蔽するつもりなのだろうが…… ウチの校長、闇医者にコネなんかあったんだろうか?
何にせよ、我が道場の門下にはそのスジに流れた人間も多い。十字河の名に無体は出来ないはずだ。
「あの、応急処置を…… ぐっ!?」
ガタン! と車体が大きく跳ねた。女子中学生2人はまた苦悶に呻く。
いくらなんでも揺れ過ぎだろうと運転席を睨み付ければ、フロントガラスから鬱蒼とした木々の群れと舗装もされてない山道が見えた。
こんな所に病院があるのか? 闇医者にも程があるだろう……
血のように赤い夕焼けに照らされた昏い山道を、黄色いワゴン車は登っていく。
やがて、車は停まった。廃墟と化した古い療養所の前で。




