その14:天野手鞠、釈放
学校近くのコンビニで、四方木礼祀はシュークリームを1つ、買った。
なんの変哲もない、定番の一品。また欲しくなった時、いつでも手に入るように、と彼女はそれを望んだ。
「美味いか?」
「あまいー」
満面の笑みで答える天野手鞠。イートインコーナーに並んだ中学生の男女は、傍目にもさぞかし微笑ましく映ったことだろう。
まさか、少女を見て微笑む少年が、こんなささやかな甘味すら満足に与えられず過酷な修行の果てに死なされた兄弟姉妹を想いながら父親に憎悪を募らせていようとは、夢にも思うまい。
「まんぞくー」
小動物のように食べ終えた天野手鞠は、童女のように微笑むと、礼祀に体を預けるように凭れ掛かった。
そして、眠るように目を閉じ、じゃあね、と一言呟く。
次の瞬間、
ずるり、と。
泥酔した酔っぱらいのように、天野手鞠は力なく礼祀の体を滑り落ちた。そのまま椅子からも滑り落ち、クラゲのように床にうずくまる。
「……あ? あ…… あっ……」
ひゅー、ひゅーっ、と浅い息を繰り返しながら、目を開ける。怖々と手を見つめ、にぎったり開いたりを繰り返す。
そんな天野に、礼祀は声も掛けずに席を立ち、背を向ける。ついさっきまであんなに仲睦まじい様子だったのに。
店内に小さな騒めきが走る。
訝しむような視線がちらちらと集まる中、天野はがばっと立ち上がり…… ふらついて椅子にしがみつくと、改めて床に正座して礼祀の背中に向かって叫んだ。
「ごめんなさい! こんなことされなくても言うこと聞きます! 何でも言う通りにしますから! もう勘弁してください!」
額を、誰が踏んだかも分からないコンビニの床に打ち付ける。
心はとっくに折れていた。
体の自由を奪われたまま、小一時間も好き放題された。変な歌を歌わされ、クラスメイトが泣き叫ぶ中で笑わされ、親友をブン投げさせられて罵倒させられた。
パニックとヒステリーはとうに過ぎ去り、恐怖と絶望の中で無限にも思える時間、どうすればいいか必死に考え続けた。
結論は全面降伏。
プライド? 正義? 寝言は操られてから言え。四方木に都合のいい遺書を書かされて自殺でもさせられたらどうしてくれる。
あのソシオパスのサイコレズ、適当な嘘を吐きやがって! このバケモンがストーカーなんてする必要がどこにある! ……レイプならまだしも。
え、なに? 修羅場? と、視線が集まったり反らされたりする。
そんなものを気にしている余裕はない。ここで許してもらわなければ、安心して暮らせる平穏な日常は二度とやって来ない。
礼祀は、はぁ、と気怠げに溜め息を吐いて、コンビニの床で土下座するクラスメイトに背を向けたまま言った。
「何が言う通りにする、だ。手前、俺に信用されてるとでも思ってんのか? 頭も性格も悪い、軽率で何するか分からん奴に使いが頼めるか、阿呆」
言い過ぎだろ、これ痴話喧嘩じゃねぇな、と、ドン引きするギャラリー。
「す……済みませんでした……」
ああ、終わった。
天野手鞠にできた事は、後悔する事と、絶望する事と、とにかく謝る事だけだった。
「二度と俺に関わるな」
四方木礼祀は鼻を鳴らして、周囲の目を気にする素振りも見せずに去っていく。
え? 二度と関わらなくていいの? もう何もされないの? それって許されたのと同じなんじゃ……
と、床に擦り付けていた頭を勢いよく上げた天野は、
ひっ、と息を飲んだ。
立ち去る四方木礼祀の後ろ姿、その左隣から、感じた、視線。
ふわり、と宙に浮いて無邪気に笑う童女が、一瞬、見えた。確かに、見えた。
天野手鞠は、恐怖する。冷えきった脊髄で、思考する。
四方木は、二度と関わるなと言ったけど。
自分の体の自由を奪い、操ったのは、四方木だと思っていたけれど。
よく考えたら、変じゃないか? 自分をストーカー扱いした敵を操り人形にして…… それで、なんでシュークリームなんか驕る?
手鞠の体で好き放題したのは、あの童女じゃないのか?
あの子は…… 関わらずにいてくれるのか?
(もう手前らの為には、何もしねーことにするわ)
四方木とは、二度と関わりたくないと思っていたけれど。
自分は…… 何か、とんでもない考え違いをしているのではないか?




