パート1〜3
1
『トンネル抜ければ、そこは雪景色!!』を、期待していたのに……。
トンネルを抜けた俺が見た景色は、ちょっと白いものを載せた緑色の木々と、それを満載している山たちだった。空には暗雲が立ち込めていて、太陽の光のほとんどをさえぎっている。
ちょっとだけ窓を開けてみた。がたんがたんと電車が進む音の他には何も聞こえない。空気は、吐いた息がすぐに真っ白になるぐらい冷たい。
俺は急いで窓を閉めた。この電車は個室タイプなので、あまり開けているとすぐに寒くなるからだ。それでなくてもボロで暖房の力がいまいちだから、すぐに寒くなる。
と。そのわずかな寒さに反応したのか、目の前の長椅子に横になって毛布に包まっている香織が「んんぅ」という声と共に寝返りを打った。
俺は思わずドキッとした。こんな狭い個室の中で、女の子と二人っきりというのがまず生まれて初めてなのだ。これは、女の子と手をつないだ事も。ましてや会話すらロクにした事のない青少年には、とてもドキドキわくわく物ですよ!?
その瞬間俺は我に帰って、急いで鞄を開いた。そして、ふもとの村で買っておいた恐ろしく辛いガムを口の中に放り込む!!(ぐっあぁぁぁ、か、辛い!!)
落ち着け俺。紳士になれ俺っ!!
……ふぃー。
すっかり落ち着いた所で、改めて香織を見てみる。
はっきり言って、かなり可愛い方だと思う。美人……ではない。単純に『可愛い』。
記憶が確かなら、香織にはファンクラブ(非公式&非公認)が存在する。
香織は見た目だけでなく性格も良く、成績は特に秀でてはいないものの全体的に高い。スタイルも……悪くはない。むしろ……(激辛ガムを口の中に放り込む)ギャー!!
口の中には二つもガムが。どうも俺は辛いものが苦手なんだが、よく今耐えてると思う。香織は起きる様子がない。良かったと思いつつ、涙をぬぐう俺。嗚呼、男だよ俺。
そんな香織と俺が、何故二人っきりで電車に乗っているのか。それを説明するためには、まず俺が何のためにここ、イギリスに来たのかを説明しなければならないな。
俺はとある大学の三年で、西洋魔術とかヨーロッパの妖精などを主に研究している高橋教授の下で研究している。ちなみに香織は二年生で、来年から俺と同じ高橋教授の下で研究する事が決まっている。
で。俺がいつものように文献の整理をしていると、突然高橋教授から依頼を受けた。
『イギリスの、この、そうこの村に行って、ちょっと遺跡を調べてきて欲しいのだよ。どうやら、私の考えが正しければ、この村に何か魔術文化のヒントがあるハズなのだよ。そこで、だね。ちょっと冬樹君に調べてきて欲しいのだよ』という感じで。話によると、教授には古くからの研究仲間(確か、トーマスとかいう名前)がいるらしい。そして十年前、その人がこの村の近くの遺跡を調査しに入って以来、突然行方不明になって
しまったらしい。話によると、村にはちゃんと到着していて、しかもその村の近くには崖も何もないのだという。そこで、これは何かある、と思い立った高橋教授は、遺跡の調査に行こうとした所、突然高橋教授に大仕事が。冬休みの間に行こうと思っていた教授は、すでにホテルの予約や飛行機のチケットなどを入手済みだった。だけど冬休み中には終わりそうにもないから、せっかくだから(もったいないからとも言う)誰か
向かわせようと思ったらしい。
で、俺の名前が浮上した、と。
お金は教授が全額支給するらしいし、依頼という形だから給料もあるし、昔からイギリスに言ってみたかった俺は、別に深く考える事もなく了承した。
とそこで、出発寸前に思わず誤算が生まれた。
俺は、英語がどうも苦手なのだ。いや、文献のような文章の読解とか論文を作成するのは大丈夫なんだ。だけどどうも日常会話が苦手だという、典型的な日本人なんだよなぁ〜…。
そこで急遽英会話が得意な人を探そうと、高橋教授と廊下を猛烈ダッシュした所、英会話の先生とぺらぺらに会話する香織を高橋教授が発見。
同じ学科+来年配属予定+英会話が得意+同じクラブ(魔法倶楽部)で俺と仲が良い+生徒だからコストがあまりかからない。
高橋教授は『これはお得だ』と判断&香織に急遽通訳を依頼。香織は喜んでこれに承諾。
思えば、それからが大変だった。元々香織と仲が良かったために多少ファンクラブからの攻撃はあったが、それが少々エスカレート。学食で定食を頼んで食事をしていたら味噌汁に辛子を大量に投入されたり(馬鹿みたいに辛かった。そして何より、味が中途半端になって不味かった)、俺の椅子に画鋲が大量に刺さってたり(抜くのが大変だし、椅子がボロボロになるため上向きにおいてあるのより悪質。唖然としている所を高橋教授が目撃。気がついたらカウンセラー室に呼ばれたりした)、剃刀レターが机の上にあったり(幸い、手紙を空ける前に偶然気がついたため怪我は無かった。文句なしで問題に)、エトセトラエトセトラ。
ただ、出発の1週間前には騒ぎは沈静化した。なぜなら、何かある度に香織が心配して飛んでくるようになったからだ。どうやら、逆効果だと判断したらしい。
そうして静かになってから、出発(空港で感じたあの殺気は、間違いなくファンクラブ
の奴らだ)。
ロンドンに到着後、休む間もなく電車の乗換えを幾度も繰り返してやっとの事でキングス・クロス駅に到着(9番腺と10番腺の間の柱に不思議そうに何度も手を押し付ける香織を見て苦笑い)。
そして現在に至る。
ふと外を改めて見てみると、コンパートメントの窓から見える景色が少しずつ白に染まってきていた。
「雪が…」
大粒の雪が、まるで行き先の見えない未来を象徴しているかのように降り始めていた。
俺はおもむろにコートのポケットからタロットカードを取り出した。
高橋教授の助手をするようになると、必ず何かしらの占いを身に付けるように言われるのだ。そこで俺が選んだのは、この『タロットカード占い』。すでに六ヶ月も占いをしているから、ほとんどの意味はわかるようになっていた。高橋教授曰く、これが『魔法』らしい。
左手で椅子に広げ、混ぜるようにシャッフル。そして一つにまとめて、三つの山に分けて、一つの山に戻す。スプレッドを展開するのが面倒だったので、一枚だけを引いてみた。いわゆるワンオラクルだ。
カードは、『月』のカード。基本的な意味は、暗中模索。
おそらく、未来が見えない状態を意味しているのだろうと判断した。
俺は窓の外をまた見ながら思った。
ま、楽に仕事は終わらないだろうな。
雪は、ふり続けている。
2
午後四時、村に到着。周囲はすでに真っ暗だ。
イギリスの国土の真ん中らへんに存在するこの村では、緯度の関係で夜が始まるのがかなり早い。村の街灯は力強く光を放っていて、まるで自分達が太陽だと言っているようだった。ちなみに、この村の街灯の半分は太陽の明かりとほぼ同じ光を発しているらしい。科学って偉大だな。
村は、『村』と言うより『町』だった。山の中にひっそりと存在するこの村は村中石畳で、昔ながらの建物が数多く残っているため、写真家を始めイギリス文化研究者などがやってきている。さらに、この村の近くには上級者向けのスキー場も存在するため、ナイター好きのスキーヤーがチラッと大通りを見ただけでも5・6人いた。さらにさらに、パンフレットで呼んだのだが、最近温泉が作られたらしい。昔から源泉はあったのだが、それは水道などに主に使われていた。だが日本文化が外国に広がるようになって、これを温泉にすれば儲かると思った人がいるらしい。そこで開いた所、思いのほか大盛況。村の外からも訪れる人がいるぐらいだ。
まぁ要するに、それなりに観光客がいるのである。村の大きさから考えれば、多すぎるぐらいだ。
そして何より、寒いッ!!
夜になるのが早いため、気温は下がりたい放題。吐いた息がすぐに白くなって蒸気機関車の煙のようだ。香織はさっきから「ううぅ〜、さむいぃ〜…」を言い続けている。
俺は急いで駅出口でホテルの送迎スタッフを探した。大きな看板を両手に広げて寒そうに『Mr.Jhonson』さんを探す人や、大きく『Team=box of Dabun』と書いてある紙を両手で広げている人などの中に、大きく『Pr.Takahashi』と書いてあるボードを持っている人を発見。名前の変更が面倒だからって、高橋教授は人数が増える事以外何も伝えていないらしい。勝手に俺をプロフェッサー(博士)にしないでくれ。
と、その看板をじっと見つめている猫を発見した。オレンジ色の体に茶色のストライプが入っている、ちょっと太った猫だった。
俺は猫を特に気にするわけでも無く空を見上げている香織を呼んでから、ボードを持っている人に旅行用の大きなトランクを引きずって近づいた。
香織が何か言う(うーん、聞き取れない…)。
プレートを持っている人が何度か頷いた後、俺の方を見て「ニストゥミーチュープロフェソタカーシ」と言って握手を求めたので、俺もとりあえず「ナイストゥーミーチュー」と言って握手した。それを見た香織の顔が思わず歪んだのを視界の端に捉えた。うるさいっ、英会話は苦手なんだっ。
その後香織がまた何度か会話を交わした後、プレートを持った人がホテルまでスーツケースを持っていってくれることになった。
香織と俺のスーツケースを両手でごろごろ転がしていく案内人の後ろをついて行きながら、香織はくすっと笑ってから言った。
「さっき、」
「うん?」
「さっきこの案内人さんに、スーツケースを持って言ってくれるか聞いたら、笑いながら『重そうだから嫌だ』って言ったんです。だから、『もし誰かが私たちのスーツケースを部屋まで運んでくれたら、その人のチップは多くなりますね』って言ったんです。そしたら、突然『やらせてください』だって!!あはははっ」
「お前、そんな事言ってたのか…」
「だって、高橋教授のお金ですし」
そう言って、香織はくすくす笑い始めた。それを見た俺は、表面上では笑いながら心の中で、英会話勉強しよう&香織って一体何者なんだ、って思った。
香織は、本当に楽しそうな顔をしている。
そして、気がついたころには猫はいなくなっていた。
ホテルには、すぐに到着した。
大通りから『21』と書かれた看板のある道路(ガイドブックによると、村の東にある広場から始まり村の一番西にある駅まで続くこの大通りには、北側のわき道には奇数番号が、南側の道には偶数番号がそれぞれつけられているらしい)に入って少し歩くと、ホテルがあった。横幅は普通の家と同じぐらいで、二階建て。看板には、猫の足跡のような模様と、筆記体の文字があった。「猫の肉球…?」って香織が呟いた。どうやら、このホテルは『猫の肉球』という名前らしい。古いタイプの建物だけど小奇麗で、ちゃんと手入れが届いているようだった。二階の窓には植木蜂がぶら下がっているけど、一本も花は無かった。目の前にあるこの街灯は、どうやらただの電灯らしい。
大変そうにスーツケースを持ち上げて階段を上がっていく案内人の後ろをついて行きながら中に入ると、中はオレンジ色を基調とした小部屋だった。ライトの置いてあるカウンターが正面にあって、右に待合室のようなテーブルとソファーが置いてあった。どうやらここはロビーらしい。
ちょっと息が上がっている案内人は何か言うと、二つのドアのうち手前の方のドアに入った。香織に何なのか聞いてみたら、「オーナーを探してきます、だって」らしい。
少しの間椅子に座っていると、案内人ともう一人、スリムでナイスミドルなおじさんが現れた。『Christopher』と書かれた名札をつけている。クリストファーさんらしい。
クリストファーさんは香織と何度か会話して大笑いした後、今度は奥のほうのドアを開けた。そこに案内人が入って、後を追うように香織、俺、しんがりはクリスファーさん。そこは廊下で、左側には外が見える窓、右側には数字の書かれたドアがあった。廊下の奥には階段があって、それを上った。右に折り返すように進んで、一番奥の『203』というプレートのある部屋に到着した。
案内人が鍵を開けて中に入ると、そこには二つベッドが置いてあった。
「……って、同じ部屋なの!?」
「みたいですよ。他の部屋は予約で埋まっていそうです」
香織はにこにこしながら言い切った。
辛いガムを噛み締めながら案内人にちょっと多めのチップを渡していると、クリストファーさんが香織をからかっていた。そしてクリストファーが戸棚を指差しながら何かを言うと、香織は真っ赤になって何かを言った。
英会話、日本に帰ったら本気で勉強しよう。ガムの辛さで泣きながら思った。
クリストファーがこの部屋を出ると、香織も「ちょっとトイレに行ってきます」と顔を真っ赤にしたまま言って、出て行った。
俺は荷物を右のベッドに寄せてから、ふとさっき指差されていた戸棚を調べてみることにした。
一番上の戸棚を開けて…………見なかった事にしよう。
急いでスーツケースを開けて、調査用の資料を広げた。遺跡の場所が書いてある地図にメモ帳、シャーペンとボールペン内蔵ペンを揃えた頃に香織は帰ってきた。
香織は俺が道具を広げているのを見て
「あれっ、先輩。調査は明日からですよね?」
と聞いてきたから、俺は
「予習みたいなもんだよ。ちょっと遺跡に行って、行き方を覚えてくる」
と言った。
いや実際、そんな事は必要ないと思う。
でも何となく、香織と顔を合わせずらいから。本当の理由はそれだけ。
「それじゃあ、私も行きます」
と言う香織を「いや、すぐに戻ってくるから大丈夫。それより、香織はこの村の言い伝えとかをクリストファーさんから聞いておいてくれ。それと、財布も一応預けておく」と言って一人残し、俺は廊下に出た。
コート中にメモ帳とペンを入れて、慌てるように外に出る。
深呼吸すると、まるで雲のような白い息が出た。
そして、地図の遺跡のマークを見ながら思った。
まさか香織は……流石にそんな事無いか。
3
大通りを進み(車道は無い。車自体が無いから。だから、大通りなのにそれなりの大きさしかない)、広場に到着。そこから南に進む道に入って、6と書かれた小道に入る。
突然だけど、ここで一匹猫を見かけた。今度は白い体だけど鼻と足と尻尾の先が黒くなっている猫だった。猫は俺を見て一瞬驚いたように止まると、急いで駆け出していった。俺は悪人か。
しばらく進むと村はずれに出るから、そこを少しまっすぐ進む。村の喧騒が消えて、雪道を進む時特有のさくさくという音だけが聞こえてくるようになる。
「さむぅ・・・・」
俺は思わずぼやいた。これでも4枚重ね着しているのに、それでも寒い。っていうか冷たい。明日はもっと着てこないと駄目か?
それからまた少し進むと、足元が安定してきた。遺跡の石畳部分に到着したに違いない。手袋でちょっと雪をどけてみると、そこには平らに慣らされた石があった。
俺はゆっくりと周囲を見渡してみた。すると、
「あった……」
真ん中らへんで折れている柱を六本見つけた。それは正六角形の形に並んでいて、真ん中には腰ぐらいの高さの台座がある。台座には何か文字が書かれているらしく、遠目から見ても微妙な凹凸がかすかに見える。
俺はゆっくりと台座に近づいていった。読める文字ならいいんだけど。これでも、ルーン文字やヒエログリフの簡単な解読ぐらいはできるんだ。
俺は台座の横にしゃがみこんだ。雪を除けて俺は…絶句した。
よめねぇ。
それどころじゃない。今までに一度も見た事の無い文字だ。何処の文献にも書かれていない、全く新しいタイプの文字だ。楔形……に似ているけど、この区切り方は何だろう。中央に伸びる横の線が長すぎて、三つの部品を貫通している。とりあえず台座の雪を全部どけてみたが、文字のタイプは変わらない。そして不思議な事に、台座の上には円が一つ書いてあるだけで、他には何もない。
俺は思わず興奮しながら、ふと思った。何故、『何処の文献にもかかれていなかったのだろうか』と。
遺跡があること自体は分かっているはずだ。だったら、調べられてもおかしくは無いはずなのに。
そういえば、高橋教授の親友だかのトーマスという人も一度はここに来ているはずだ。なのに何故、『何処の文献にも書かれていない』のか。
俺は思わず何かを感じて、立ち上がり一歩引いた。
もしかしたら、俺は立ち入ってはならない部分に入ってしまったのではないか。ふとそう思った。
調査は明日に回して、帰ろう。
そうと決まればすぐに離れようとした。だが。
「……足が……!?」
足が動かない。それどころか、体が動かない。
少なくとも、寒さのせいではない。それだけは確かだ。
その瞬間、俺は何故動けないのか理解した。
高橋教授は、ここに魔術文化のヒントがあると言っていた。つまり、『魔法の力があってもおかしくは無い』のだ。そしてトーマスの失踪。公開されなかった文字。そして、動かない体。そこから考えられるのは……。
俺は今、魔法にかかっている!?
そんな馬鹿な……魔法は実在したのか!?
と、突然。六本の柱から青白い光の壁が延びて、円とヘキサグラム(六方星)を作り上げた。そうか、あの柱自体が魔方陣だったのか。光が少しずつ強くなっていくといきなり俺の体が宙に浮いて、六方星の中心、台座の上の空中に浮かぶ事になった。ま、まずい。このままだと……最悪死亡、良くて意識不明の重態って所か!?
だって誰も『あの文字を持ち帰っていない』んだから!!
「う、うわぁー!! まだ人生を終えたくねぇー!!」
思わず日本語で叫んだ。全く無意味だと分かっていながら。
ジェットコースターに乗って、意味も無く叫んでしまうあれと気分は同じだ。
と、視界の中に魔方陣以外の何かが映った。
魔方陣の外側でうめいているアレは……ね、猫っ!?
柱が発光を始めた。
猫は増え続けている。魔方陣の光で、猫の表情が見える。その表情は、悔しそうだった。
ふと気がついた。何処からか、懐かしいメロディーのようなものが聞こえる。これは一体……?
突然、俺の内ポケットにあったタロットカードが<パシン>という音と共に破砕した。な、何があったんだ!?
そして、
柱から俺に光が伸びた。
天使の羽で包まれるような柔らかさと、冷たい炎で焼かれているような痛さと、まるで小さいころ母親に甘えた時の安心感に似たような何かを感じた。
そして。
光は突然消えた。
ゆっくり落下していくのを感じながら、ゆっくりと目が閉まるのを感じながら、俺は思った。
いったい、何が俺の身に起こったのだろう。
そして、何故タロットカードは爆砕したのだろうか。
少なくとも言える事は、
俺はもう『何処の文献にも文字を載せる事は出来なくなった』という事だ。
背中が台座に着いたのを感じた瞬間、俺の意識は消えていった。