異世界にて日本を味わう
王都から出立して約四時間が経った。
ボク達は王都に行くために朝日が昇る前に家を出て昼過ぎに王都に着いた。王都に行くためには半日程度時間がかかる為、日帰りで行き来することはできない。
その為今日は森の中にある宿で一泊することになった。
今日一日母さんはボクに付き添ってくれていたが、家の方は大丈夫だろうか。
家では基本的に母さんが家事をして、ボクが手伝う。父さんも姉さんも、もちろん最近誕生日を迎えたばかりの妹も家事はできない。
明日、家に帰った時にどうなっているかちょっと心配だ。
それはそれとして今ボクは幸福の中にいた。
まず一つ、宿がやばい。
日本人でも慣れ親しんだ旅館に泊まるとなれば興奮するだろう? 温泉旅館とか料亭とかそんな言葉を聞けば誰だって気分は上がる。
異世界に来て、日本のすばらしさを実感し始めたこのタイミングで日本の旅館に似た、と言うか旅館に泊まる事になった。
客室に入るとボクは真っ先に旅館の謎スペースに走る。
何故日本人はこの謎スペースが好きなんだろう。
部屋の中でも一段分低く設計されたスペースに椅子とテーブルが置かれているだけなのに、その椅子に座るだけで旅館に来たという満足感が得られる。友達と旅行に来ると毎回このスペースの奪い合いになっていたな。
……夜遅くに二人っきり、何も起きないわけはなく。
母さんは、ボクと一緒に温泉に入ろうかと誘ってくれたのだ。
せっかく温泉があるのだから温泉に入らないのは勿体ない。
それはもちろん分かる。この世界は魔石によって全く風呂に入れないわけではないが、元の世界に比べると不便で毎日入れるわけでもない。
温泉に入れるなんて思ってもみなかった。魔石で沸かした風呂ではなく天然温泉なのだ。天然温泉と言う言葉の響きだけで今のボクは米を食える。
……ただ、今のボクは精神年齢二十五歳の立派な男の訳で。
ボクは女風呂に入って良いものか。否。良くない。
きっと、この世界の多分八割ぐらいの男の夢、「女湯」それをこんな形で叶えていいのか? 恨まれたりしないだろうか?
……母さんはボクが実は母さんと同い年ぐらいの男だとは知らない。母さんは子供を一人に出来ないという母性だ。罪はない。
これは不可抗力だ。そう不可抗力。不可抗力なら仕方がないだろう。
さぁ、いざ往かん! 我が楽園。男の夢の世界へ‼
*
視界の先に広がるのは、楽園。
老若男女……ではなく老若女だけの楽園にこのボクは足を踏み入れた。
「ポカポカで気持ちいいね」
かけ湯で体を流し、温泉に浸かる。出来るだけ女の人を視界に入れないように俯きながら進む。温泉に入ってからも目にタオルをかけて視界を女体から遮断する。そうでもしないと心が持たん。
母さんは温泉に入り、あぁと声を漏らしている。
金髪新妻、純白の肌に滑らかなボデェライン……ムホホ
濡れた髪が額に張り付いて、まとまりのある髪束は毛先は向かうにつれて若干のウェーブがある。
おそらく、精神年齢で言えばボクとほぼ同い年の大人のお姉さん。イイゾォ!
温泉ももちろん心地よい。少し熱めの温泉が体を刺激する。
心地よい あぁ心地よい 心地よい。
夏休みの宿題で俳句を書けと言われた時にこんな俳句を書いたら教師にぶん殴られそうだな。とはいえ普通に心地いいのだから仕方ない。宿題なんてないのだが。
「あぁぁぁ……」
こっちの世界に来てから風呂のありがたみを感じて、元々大好きだった温泉はもっと好きになった。もうずっとここに居たい……。
欲を言えばサウナもあればいいのだが……。
「ねぇ! なんであんたがいんのよ!」
それは、大浴場に大きく響いた声。聞いたことのある声。というか昼間に聞いたばかりの声。出会って数分で大っっ嫌いになった奴の声。その声の主は……ノルヒナ。
「公共交通機関での大きな声はマナー違反ですぜ、姐さん」
「あんたがいるのが問題なんでしょ!」
出会う度にこいつは怒ってるよな。
こんなガキの頃から怒りっぽかったら生理来たらもう手つけられないんじゃないか? 将来こいつの旦那になる奴には同情するよ。
「今あんた失礼なこと考えてたでしょ、気持ち悪い」
考えなかった訳じゃないけど、失礼なのはどっちだ……。
昼間もいきなり喧嘩吹っ掛けてきて、今も考えなしに突っかかってきてよ。
「お前には問題ないだろ? キッズボディにボクは興味無いからね」
「そういう所が私は気に食わないんだよ!」
「事実だろ~? ボクもお前もまだ五歳のガキじゃん」
ま、ボクは精神年齢は二十五歳の爽やかイケメン青年なんですけど。
「あら、あなたはミリヤ君ね」
暴力に襲われそうになった時にノルヒナのお母さんがやってきた。
救世主。女神様。タオルで目を隠してるのにどうしてこの親子はボクだと気づいたのだろうか。
ふと、タオルの隙間からノルヒナ母の姿が一瞬見えた。それはもう素敵だった。
もし、ボクのこの物語がマンガとかアニメになったら不思議な光か煙で隠されるんだろうな。もし仮にブルーレイ版になってもこの景色だけは見せたくないな。
この目の前の景色はボクだけの特別な景色だ。
「タオルで目を隠してたら危ないわよ? 他の人にぶつかっちゃうわよ?」
タオルを外した方が危ないんだよなぁ、とは口が裂けても言えない。
「ミリヤ君のお母さんは?」
「あそこです」
ボクが指を指したのはシャワーの前。息子を放置して一人シャワーに浴びている。日本だったら問題にでもなるのだろうが、母さんはシャワーを浴びに行く前に魔法をかけていて、多分だけど溺れても死なないようになるんだろう。
とはいえ、息子を置いて一人でシャワーを浴びに行くなと思うのだが。あとでボクの体も洗ってくれるんだよな。
「よかった、ちゃんとお母さんと一緒なのね。でもいい? 男の子一人で女湯は入っては行けませんからね?」
「はい! もちろんです!」
「いい子ね」
ノルヒナのお母さんはノルヒナと違って優しいちゃんとしたお母さんだ。それに、スタイルも最高……で…………
あれ? なんか、意識が……
***
「あら、起きたの?」
目を覚ますとお母さんがいた。
ここは、宿の部屋か……。
「ノルヒナちゃんが教えてくれたのよ? ミリヤが倒れたって。あとでちゃんとありがとうって言うのよ?」
ボクはのぼせて倒れたらしい。今年二十五歳になる男が自分の身体の管理もできないとは情けない。前の体じゃあと一時間ぐらいならつかれていたのにこんな所で障害が生まれるとは……。
「うん、分かってるよ。でも、あとでってどういうこと?」
「あぁ、実はこの後一緒に夕食を食べることになったのよ。いつもみたいに礼儀良く、ノルヒナちゃんとも仲良くしてね?」
想像もしていなかった試練がボクに降りかかった。前世の記憶もあるから多少のマナーは心得ているとは思うが、前世でもそんな厳粛なお食事会なんて呼ばれたこともないし、正しいマナーなんて曖昧だ。大丈夫かな……。
「失礼します」
食事マナーを頭の中で復習しようとしたが、そんな時間は無く、すぐにノルヒナとノルヒナのお母さんがやってきた。
「あら、目が覚めたのね。良かったわぁ、いきなり眠ってしまうんだもの。魔法にかけられたのかと思ったわ」
「朝早くからの旅でしたからね、疲れてしまったんですよ。改めてありがとうございます」
「いえいえ、いいんですよ。困った時はお互い様。私の祖国の言葉なんです」
困った時はお互い様ねぇ……。こっちの世界でもそんな言葉があるのか、この建物もそうだけど、どこか日本の要素をいくつか感じるんだよな……。
考えてみれば、ボク以外にも百人近くが転生しているわけだし、ボク達より前にこの世界に転生してきた奴がいてもおかしくはないのか。
「素敵な言葉ですね。勉強になります」
母さん達は楽しそうだけれど、子供であるボクたちは違う。
楽しい食事会。そんなの建前で本当は相手に舐められないように一瞬の油断もできない戦場だ。
バチバチとボクとノルヒナの間には閃光がほとばしっている。
「ん、美味いですねこれ」
とはいえ、料理を口に運んだらつい美味しくて言葉が零れてしまった。川魚の煮つけ。魚はそこまで好きではないが、これは美味い。
「それなら良かったわ。きょうの料理はサクラギの伝統料理なのよ」
サクラギ……桜木!?
もしかして……もしかする?
「サクラギって、あの桜から来てるんですか?」
「よく知っているわね、ここサクラギは国の中央に大きな桜と呼ばれる幻想的な花を咲かす大樹があるのよ」
「ここってサクラギなんですか?」
これはあとで知ることになるのだが、ボクの故郷から王都に行くためには二つの道があるというのだが、そのうちの一つの道は一度サクラギを経由して行くコースで、そちらの方が安全性も高く途中でこの温泉地に来れるのだという。
お母さんがボクのためにとわざわざこっちの道を通ったらしいのだ。
なんとも最高の母親だ。ボクにとって一番の母親だ。
「へぇ……お母さん! その桜の木今度みんなで見たい!」
「そうだね、今度家族みんなで見に行こっか!」
桜かぁ、最後に見たのは五年前だ。心の底から楽しみでたまらない。
「あら、もう食べ終わったの? 美味しかった?」
「うん! めっちゃ美味しかった!」
温泉にも入って飯も食えて、あとやる事は寝ることだけ。この料理に温泉に……ボクの期待は最高潮。
この後は浴衣に硬い床に敷いたフカフカの布団にダイブだ!
「私たちは明日、明朝までにはここを発とうかと」
「そうなんですね、もう少しお話出来たらよかったですね」
「えぇ、全くです」
母さんたちは楽しそうに話をしていて、ボク達子供組は互いに魔法の練習をして牽制し合っている。
「ほら、あんたより私の魔法の方が大きいし」
ボクは水魔法で、ノルヒナは氷魔法で互いに相手よりデカい球体を作り出して自分の方がでかいと争う。
大人であるはずのボクでも、どうしてもノルヒナには負けたくないと対抗心を燃やしてしまう。
「では、もう遅いですしそろそろお暇させてもらいます。ノルヒナいくわよ」
結局互いに同じくらいの大きさの球を作って決着がつかず終わった。
なんか疲れたな……。
よし! 布団に飛び込むで! ふかふかのお布団や!
勢いよく寝室の襖を開ける。
……布団じゃなくてベッドなのね。
***
「やあ、五年ぶりだねミリヤ君」
ボクの目の前にいる少年が発した声は五年前に聞いたあの声にそっくりだった。




