第26話
「落ち着いたか?」
「はい……お見苦しいところをお見せしてしまってすみません」
あれからユーリ殿下の中で思い切り泣いてしまって、落ち着いた時には目尻も鼻も赤くなってちょっとヒリヒリする。こんな状態で会場に戻れるわけもなくて、結局私たちは四阿に避難しにきた。
「そんなとこはない。可愛かったよ」
「っ! も、もう殿下! 茶化さないでください!」
「本当なんだけどね」
はは、と楽しそうに笑う殿下の横顔を盗み見る。それはまるで一年前に戻ったような気がして、涙がまた滲みそうになる。
『人間というのは本当に面白い』
「!?」
突然第三者の声が聞こえた。忘れることのない声に驚いて顔を上げると、そこには神様がいてやはり宙に浮かんでいた。
「……浮いてる? 君は誰だ」
殿下も驚いた顔をしていたがすぐに持ち直して彼に問いただしている。さすが王族は切り替えが早い。
『ワシか? ワシは神様じゃ』
「…………は?」
さすがの殿下も眉を寄せた怪訝そうに「こいつ大丈夫か?」といった顔をしている。分かる。分かりますよ。
「……殿下、彼は本当に神様なんです」
「アニエス、彼のことを知っているのか」
「はい……」
本当不本意ながら知っています。嫌々言うと神様は楽しそうにカッカッカ!と笑っている。あの、あなたのせいなんですけど?
『しかし、ほんに面白い。一度失ったにも関わらずまたこやつに惚れるとは』
「失った……?」
『そうじゃ。去年のクリスマスにワシがお前の中の恋心を取ったんじゃ』
ほれ、と彼はどこから出したのか赤い玉を見せてくる。それは一年前に見せられた忘れもしないもの。私を思ってくれていたユーリ殿下の恋心。
『これはお前のアニエスの思う恋心じゃ。綺麗じゃろ?』
「どうしてそんなことを……」
『それは言えん。機密事項じゃ』
な、と神様は私に向かってウインクを飛ばしてきた。
確かにこの世界が乙女ゲームの舞台で、私がヒロインであなたはモブキャラです。なんて言えるはずもない。信じてもらえないかもしれないけれど。
『でな、去年のクリスマスにアニエスと約束したんじゃ。今日までにお前を惚れさせることができなかったらアニエスのお前への恋心も消すとな。それでクリスとくっ付けるつもりじゃったんだがなー』
「やっぱりクリス様はあなたの仕業だったのね!」
『お膳立てじゃよ。急にクリスと親密そうになったら周りもビックリするじゃろ?』
「ぐ……」
確かにその通りだ。学生時代も親しくしていなくて、二年も疎遠でそんな雰囲気もなかった二人が急に親密になるのは不自然すぎるだろう。
『ほれ。これは返すぞ。そやつに近づければ記憶も元に戻る』
神様はそう言って私のほうに赤い玉をふわりと飛ばす。私はそれを落とさないように大事に抱えると、腕の中の玉が強く光ったような気がした。
『それじゃあワシはそろそろ行くよ』
「神様……」
『振り回してすまんかったなアニエス。幸せになるが良い』
「っ、……はい」
力強く頷くと彼はにぱっと少年のように笑って目の前から夜空に溶けるように消えた。これでもう彼と会うことはないだろう。色々振り回されたけれど寂しく感じる。
小さく息を吐いてユーリ殿下に向き合うと、彼は空を見上げて呆然とした表情をしていた。非現実的なことが起きたのだから当然だろう。いつも余裕そうな顔をしている彼のこんな顔を見るのは初めてだった。
「……大丈夫ですか殿下」
「ああ……なんだか夢を見ていたような感じだ」
「分かります……」
私も初めて彼に会ったときは今の殿下と似たような感じだった。彼は私の手元にある赤い玉に目線を落とした。それは殿下に反応するように点滅している。
「あの彼が言うことが本当なら……それは私の君への恋心なのか」
「……はい、そうです。長くなるので、どこかゆっくり話ができる場所に行きませんか」
「そうだな……ここからなら書庫室が近い。行こう」
殿下に手を引かれて私たちは四阿を後にした。
◇◇◇
「そこに座っててくれ」
ソファーを指さされて座ると殿下が紅茶を用意してくれる。いつもは私が用意しているが殿下の作る紅茶は私が作るより遥かに美味しい。
ちょうど良い温度の紅茶を口にしていると殿下が私の隣に腰掛ける。
「彼が言うにはそれを私に近づければその恋心が戻るらしいな」
「……はい」
私は横に置いていた玉を手に取る。神様が言うことが本当ならこれが戻れば殿下は一年前の記憶と恋心が戻る。
でもそれは本当にしても良いことなのだろうか。もしこれが戻った時、殿下の身に何か起きたら……。
「アニエス」
悪いことばかり考えいる内に俯いてしまっていて、足の上に乗せていた自分の手に大きな手が重なる。
「大丈夫だ。やってくれ」
「殿下……」
顔を上げると殿下が安心させてくれる笑みを浮かべていて、私の肩から力が抜けて頷く。
手に持つ玉を彼の胸に近づけると玉は力強く発光する。目を瞑ってしまい、恐る恐る目を開けると自分の手から玉は消えていて、ユーリ殿下はというと頭を抱えて項垂れていた。なんだか辛そうに見える。
「殿下! 大丈夫ですか? 医師を呼んで――」
慌てて殿下のほうに手を伸ばすとその手を強く掴まれる。驚いた隙に肩を押されて気づいたら目の前には普段見ることのない天井と、ユーリ殿下。
下から見上げる殿下の目は今まで見たことのない、鋭い光を放っていた。
「でん、んんっ!」
やはり体調に異変でも起きたのかと思って口を開いた瞬間、ユーリ殿下の唇に塞がれて呼吸を奪われる。
ぼやける視界の中で見えた彼の姿は、ようやく獲物を捕らえた飢えた獣のようだった。
「…………」
「大丈夫かアニエス」
ソファーに横になっていると頭を優しく撫でられてのろのろと顔を上げると、先ほどとは打って変わっていつもと変わらない笑みを浮かべるユーリ殿下の顔。
「……全然大丈夫じゃありません。動けません」
「……すまない」
申し訳なさそうに謝ってきたけど絶対そんなこと思ってないのが分かる。だって嬉しそうに頬を緩ませているし顔艶も良い。前世も含めて初めてだったというのにそれがまさかソファーでだなんて……
はぁ、と小さくため息を吐いていると頭を撫でていた手が頬に触れて、まだ余韻のある体が反応してしまい殿下がほくそ笑んだのが分かった。
「殿下……記憶のほうは大丈夫なんですか」
「ん? ああ、今のところは問題ないよ。戻った時に一年前までの記憶が戻ってきて混乱したけどね。それで前と今の君への恋心で想いが溢れてしまって我慢できなくなってしまった」
「……もう」
だからしょうがないんだ、とブランケットを渡してくれる殿下に呆れながらそれで胸元を隠しながら体を起こす。ソファーの下に捨てられたドレスはきっと皺だらけでもう会場には戻れそうもない。
殿下は私の頭の後ろに手を回しキスをする。啄むようなキスを何度も送ってくれて、額が合わさる距離で見つめ合う。
「愛してるよアニエス」
「……私もです。ユーリ殿下」
私たちは幸せそうに笑い合い、もう離れないように背中に手を回しあって長いキスをしあった。
◇◇◇
次の日には全身筋肉痛になっていて動けなかったけど、もう仕事納めだったので出勤がないのが幸いだった。午後に殿下からの手紙が届いて明日書庫室に来てくれという内容だった。
翌日馬車で王城に送ってもらって書庫室に入ると、そこにはユーリ殿下だけでなくクリス様もいた。
「クリス様もいらっしゃったのですか」
「ああ。君と話したくて」
「私と、ですか?」
何かあったのだろうかと首を傾げると、クリス様は優しく微笑んだ。
「ああ。直接言いたくてな。……おめでとう」
「! あ、ありがとうございます。クリス様のおかげです」
「私は何もしていない」
「いいえ。クリス様が背中を押してくださったからです。クリス様には感謝してもしきれません」
「……そうか」
クリス様は小さく笑いながら私の頭を撫でようと手を伸ばしたのだが、それをユーリ殿下が掴んだ。殿下を見れば眉間に皺を寄せて怖い顔をしている。
「クリス。私のアニエスにそう触れるものではないよ」
「!!」
「……叔父上、嫉妬は見苦しいですよ」
「何とでも言えばいい」
殿下は私からクリス様を引き剥がして私の腰に手を回してくる。クリス様は呆れるように笑うのですごく居心地が悪い。少し離れようとしたら引き寄せられるのでどうにもならない。
「それじゃあ私は失礼する」
「えっ」
「またな、アニエス」
「は、はい。ありがとうございましたクリス様」
お礼を伝えるとクリス様は手を上げて部屋を出て行った。部屋の中には私とユーリ殿下の二人きり。
「ゆ、ユーリ殿下」
「……ん?」
顔を向けると殿下は甘く蕩けそうな目で見つめてくるのでものすごく恥ずかしい。
「今日呼んだのは……」
「ああ、そうだった。新年にお前との婚約発表をしようと思ってな」
「え!?」
「ん? おかしいことではないだろう? 恋人になったのだから婚約者になるのは当然だろう」
「そ、そうです、ね……」
「それでマーティン男爵とこのあと約束をしているからお前にも事前に伝えておかないとと思ったんだよ」
「父に……ううっ!」
私は手で顔を覆って唸る。父に恋人ができましたって紹介することがものすごく恥ずかしくて死んでしまいそう。しかも相手がユーリ殿下だなんて、今度こそ父が死んでしまうかもしれない。
「嫌だったか?」
「い、いえ。嫌ではなく……嬉しいのですが恥ずかしくて……」
「はは……アニエスは本当に可愛いな」
甘い声でリップ音とともにこめかみにキスを何度もされて体の熱が上がる。それにずっと殿下がピッタリくっ付いていて恥ずかしい。
「あ、あの殿下……」
「…………」
「? 殿下?」
返事がなくて横を見ると殿下はじっと私のことを見ていた。
「私とお前はもう恋人だろう」
「は、はい……」
「それなのに他の男は名前呼びで私は敬称というのはおかしくはないかい?」
「!!」
殿下の言いたいことが分かり顔に熱が集まる。少し距離を置きたいのに殿下の手がそれを許さないというように更に引き寄せて、じっと見つめてくる。
……これは私が呼ぶまで許さないということなのだろう。私は覚悟を決めて息を吸い込む。
「……ユーリ様」
「うん」
俯きながら名前を呼んだら掠れてしまって恥ずかしい。でも殿下の嬉しそうな声が聞こえて胸が暖かかくなる。
敬称を外すだけでなんでこんなにも恥ずかしくなるのだろうか。特別感があるからだろうか。
そんなことを思っているとようやく離れたユーリ様の手が差し出される。
「そろそろ男爵が着くころだ。行こうか私のアニエス」
なんでそんな恥ずかしいことをサラッと言うのだろうかこの男は。でもそんな人を選んだのは私なのだけど。
「……はい、ユーリ様」
私はその手を取って、これから私も神様も知らない新しい未来へと歩き出した。




