第19話
現実味のない夜が明け、父と領地に戻って新年を迎えた日の夜。
「そうそう。明日ハンスが顔を出すよ」
「……え」
久しぶりに聞く従兄の名前に体が強張る。告白をされ、彼がうちを出てから久しぶりに会う。
ただでさえ気まずいのに、クリスマスの夜の出来事のせいでどんな顔をすればいいのか分からず、その日の夜は何度も寝返りを打ってなかなか寝つくことができなかった。
「おはようアニエス」
「……おはようハンス」
次の日の朝。寝不足な頭で遅れて食堂に向かうと、そこにはすでにハンスが来ていて父と優雅に朝食を食べていた。
「アニエス遅かったな」
「すみません。なかなか寝れなくて」
「また夜遅くまで本を読んでたからじゃないのか?」
はは、と笑う彼はいつもと変わらない。まるで告白などなかったかのように。私は彼の向かいに座って侍女が運んでくれた朝食を食べる。
「そういえばハンス、今度見合いをするんだってな」
「!!」
「ええ、そうなんです」
父の発言に思わず反応してしまう。ハンスはけこりと返事をしていて、私だけが挙動不審だ。
「さすがに相手を見つけないと叔父上のあとを継いでも意味ないですからね」
「はは。私としてはハンスがアニエスと結婚してくれるのが一番ありがたいのだがね」
「お、お父様!」
動揺して千切っていたパンをテーブルの上に落としてしまったではないか。
「だってそうだろう? お前、どれだけ相手を見つけても色々理由付けて断ってくるからもう居ないんだぞ? さすがにずっと殿下のお世話になるわけにもいかないだろう。ハンスだったらお前も気心知れているし、私もお前とずっと居れる」
「お父様……それが一番の理由じゃないんですか」
「お前は一人娘だからしょうがない。だが本当にハンスがお前と結婚してれたらと思うよ。ハンスはどう思う」
父の問いかけにハンスはこちらを見てきて心臓が跳ねる。だがハンスはすぐに目を逸らして父に微笑みかける。
「さすがに妹ととは結婚できないですよ」
父に笑うハンスの顔に嘘偽りは感じられなかった。
「そうだな。すまなかった」「いえ」と二人は笑い合って別の話題に移って朝食を再開する。
私は二人の会話に入ることができず、黙々と朝食を食べ終えた。
◇◇◇
仕事始めの日、私は城の中に入る前に騎士団へと向かっていた。それはダヴィに会うために。
早朝訓練している騎士の中に彼の姿はなくて、どこにいるんだろうと建物のほうに向かっていると前から目的の人物が歩いてくるのが分かった。
私に気づいたダヴィは離れた場所からでも分かるぐらい満面の笑みでこちらへ走ってくる。
「先輩! こんな時間にどうかしたんですか?」
「ちょっとダヴィの顔が見たくて」
「嬉しいですけど、何か企んでるんじゃないんですか?」
「……そんなことないよ?」
鋭いダヴィの言葉にギクリとして目を逸らす。ただダヴィが想像していることではないのだけれど。
それにしても、やはりダヴィもいつも通りだった。
「……あのね、ダヴィ」
「ダヴィットさーん!」
思い切って聞こうとした時、ダヴィの後ろから大声で呼ぶ声が聞こえて二人でそちらを見ると、建物のほうから可愛らしい女の子が駆けてくるのが見える。
彼女は私たちの前に着くと肩で息をしている。一生懸命さが伝わってきて可愛いのが分かる。
「どうかした?」
「渡すものがあったことを思い出して……すみません、お話中に」
「大丈夫だよ。わざわざありがとう」
「いえ! それじゃあ失礼します」
ダヴィに書類を渡した彼女は可愛らしく笑って、私にも丁寧にお辞儀をして去っていった。
その背中を見送るダヴィの顔を盗み見ると、少し頬を染めて慈しむような目に既視感を覚えた。それはずっと私に向けられていた顔だったからだ。
「……彼女は?」
「え? ああ、この間入った事務の子です。入った日に僕が建物を案内したんですけど、それから仲良くなって」
「へえ。可愛い子だね」
「そう、ですね……ちょっと気になってます」
「……そっか」
彼の表情にそれ以上言えずにいると、訓練中の騎士が遠くからダヴィを呼ぶ声が聞こえた。
「あ、そろそろ行かないと。ごめんなさい、先輩。また話しましょう」
「……うん。頑張って」
「はい」
手を振るとダヴィは笑って去っていき、私はその背中を見送って職場へと向かった。
◇◇◇
「おはようございます。明けましておめでとうございます」
「ああ、おめでとう。今年もよろしく」
書庫室に入るとすでにユーリ殿下が仕事をしていて新年を挨拶をする。
「来て早々で悪いが、この書類を持っていってくれないか?」
「分かりました……」
そう渡されたのは大量の書類に顔が引き攣るも、殿下の机の上には年末とは比べものにならないぐらいの書類のタワーがいくつも積み上がっていて、どこの世界でも新年は忙しいなぁ、と感慨深くなった。
それでもいつもどんなに忙しくても世間話をするのにそんな素振りはなく、書類を渡したら殿下はまたすぐに書類に目を落としている。
まぁ今日は忙しいからしょうがないよね、と無理やり納得させて書庫室を出ていこうとしたら後ろから殿下に呼び止められて否応なしに高鳴る。だが、
「最後に会ったときに今日夕食を一緒にしようと約束していただろう? すまない。無理そうなんだ」
「……そうですか。分かりました」
「悪いね」
用事はすんだと殿下はまた仕事に戻る。その姿にまるで初めて会ったときのような距離感を感じた。
(…………っ!)
目の前が滲み出すのが分かり、慌てて口を一文字に結ぶ。すでに殿下はこちらを見ていなかったのが幸いだった。突っ込まれたら答えられない。
「行ってきます」と声をかけて書庫室を出て足早にユーリから離れる。
廊下を歩いていると窓の外で何かが落ちるのが見えて、よく見るとチラチラと降る雪だった。その結晶は地面に落ちると溶けて消えてしまった。
それはあの日、雪のように真っ白でこの世の者とは思えない雰囲気を纏った少年を彷彿とさせた。
神と名乗った彼から言われた言葉を心のどこかであり得ないと思っていた。例えこの世界がゲームの中なのだとしても、人の心を消すことなんて出来るわけがないのだと。
だがダヴィとハンスは新しい相手を見つけた。これも彼の力なのだろう。
あの夜、私の告白に嬉しいと私のことを抱きしめて愛おしそうのキスをしてくれた彼はもう居ないのだ。私のことが好きだと言ってくれた彼はもういないのだ。
私は楽しかった時間にたった一人取り残されたようだった。