9.スローライフ最高、からの
『チカ、ゴハンノ支度スルノ? 手伝ウヨー!』
「うん、おねがい」
今日も妖精ちゃんの一人が厨房で得意げに両手を広げる。
小さな腕が振り下ろされると、竈にボウっと火が上がった。
そう。このお城で火を起こすのは、妖精ちゃんの役目なのだ。
他の妖精ちゃんたちも、それぞれ光、水、風といった得意分野を受け持って生活を廻してくれる。
電気もガスもない生活だけど、この子たちのおかげでとても快適な毎日です!
「きょうは何をつくろうかな」
調理道具はひととおり揃ってるし、意外にも食材も豊富にストックされてる。
これみんな、アスダールの人たちが「邪竜サマへの供物」として定期的に森の入り口に置いていくんだそうだ。今までイオは、その殆どに手をつけず、ただ腐らせてしまっていたという。
もったいないしか言えない。もったいなさすぎて、私が使わせてもらうことにしました。
イオのお城で暮らすようになってから、料理が楽しくて仕方なくなった。
もうね、我ながら信じられない。日本にいた頃は毎日仕事で疲れ切って、食べることそのものを、かなり疎かにしてたのにね。
食事抜きなんて当たりまえ。疲れきってるせいで食欲もない。三食ゼリーや栄養補助食品の日も普通。それはもう絵に描いたような社畜の食生活だった。
学生時代は毎日家族の食事を作ってた。でも、楽しいなんて感じたことなかった。
他の誰も家事をしない家で、罵られながら料理をつくる行為が楽しいわけがない。やればやるほど、自分の料理に自信を失っていくだけだった。
今は、ちがう。
楽しいと感じるには、理由がある。
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テーブルについたイオが目を見はる。
「こ……これは、なんだ?」
「これは、オムレツというものです」
「オムレツ……」
私の言葉を繰り返し、おそるおそるナイフとフォークを手に取るイオ。
お皿の上のオムレツに銀のナイフが入ると、ふわふわに焼いた玉子の中から具の人参や玉ねぎ、きのこが零れだした。
「うあぁっ、何か出てきたぞ? すげえ!」
「いや……すごくないです、このくらい……」
食事のたびに、毎度これ。
どうやらイオは、あまり良いものを食べて育ってないらしかった。それでハードルが低いのかもだけど、嬉しいものは嬉しい。
私が作るのはとか野菜炒めとか、ごくごく普通の家庭料理なんだけど、何でも喜んでくれる。
「お前、料理うまいよな、チカ」
「ほんと?」
「ああ。俺が子供のころ食べた料理と全然ちがう。すげえよ」
今日も目をきらきらさせて、イオは言う。
それだけで、なんだか涙が出そうになる。
――日本にいた頃の私が、料理があまり好きじゃなかったのは、料理をすること自体が苦しい記憶と直結してしまってたからなのかもしれない。
自分のことも大事にできていなかったんだろうと、今なら思える。
そして、目の前で美味しそうに食べてくれるイオを、可愛いと思ってしまう。
もっと喜ばせてあげたい。私にできることをしてあげたい。調子に乗って家庭菜園まで始めちゃったもんね!
庭でハーブのお世話をしていると、痺れをきらした妖精ちゃんたちに髪を引っ張られた。
『ネーネー、チカ、オ散歩イコー?』
『オヒサマ出テルヨー、ハヤク行コー?』
「うん、いいお天気ね。イオを呼んできてくれる?」
『ハーイ!!』
ちなみに今は、妖精ちゃんたちにも名前がある。
「俺はチカに名前を貰ったぞ! お前ら、今日から俺のことはイオと呼べ! いい名前だろ? イオだ!」
こんな調子でイオがあんまり自慢するので、妖精ちゃんたちがヤキモチを焼いたからだ。
『ドラゴンバッカリ、ズルイ!』
『名前ホシイヨー!』
『ホーシーイー!!』
「うんうん、わかったから!」
妖精ちゃんの名前は、バジルちゃん、チコリちゃん、ローリエちゃんにローズマリーちゃん。
由来は言わずもがな、お庭の大切なハーブから。可愛い響きだって、みんな喜んでくれている。
イオと私、そして妖精ちゃんたちも一緒に、外を歩くことが日課になった。
森に異常がないかを見廻っているイオの横で、私は呑気に景色を眺めたり。
あとは、お花。
綺麗なお花を摘んで帰って、お城の部屋に飾るのが毎日の楽しみだ。
今日も今日とて道端の花を籠に入れたとき、
「あっ! ねえイオ、見て!」
「なんだ、いきなり大声で」
「今ね、ウサギがいたの! しかも何匹も! 家族かな? たくさんいたよ、すごく可愛かった」
「騒ぐようなことか、それ」
イオはあまり関心がなさそうだ。
「騒ぐようなことだよ。私がここに来たばかりの時は動物なんかいなかったもの。今は生物が生きられる場所になったってこと。ありがとう、イオが綺麗な森にしてくれたおかげね」
「あー、……俺は別に、森の動物のためにやったわけじゃないけどな。だから礼なんか、いいんだ」
照れくさそうな表情になって、イオは視線を逸らす。
そして急に急ぎ足で私から離れ、咳払いをした。
「き、今日はもう帰るぞ。乗せてやる」
「いいの!? やったー、嬉しい!」
「はしゃぎやがって、子供かよ。ほら、少し離れろ」
イオが両手を広げた。
紫の瞳が一瞬、真紅に輝く。そして、彼は瞬く間に巨大な竜に変化を遂げた。
そう、天気のいい日は、ときどきイオの背中に乗せてもらって、空中散歩を楽しむの。
「スローライフ、最高ー!!」
「いま何て言った?」
森の上空で風を受けながら大声で叫ぶ私に、イオが不思議そうに話しかける。
「なんでもなーい、ひとりごと!」
「じゃあもっと小さい声で言えよ。変な女だな」
イオの口の悪さにも慣れてきた。むしろ今のは、ちょっと面白がってるときの言い方だ。
こうして森での日々は、あっという間に数か月が経過していた。
日本にいたときとは、ぜんぜん違う暮らし、
不自由はたくさんあるはずなのに、辛いとは思わなかった。
むしろ、時間がゆっくりと過ぎていく生活を――イオと過ごす毎日を、愛おしいとさえ感じていた。
――だから。
いつのまにか油断して、忘れてたんだと思う。
イオが『竜人』だってこと。
ここは異世界の深い森の中で、日本の都会では想像もつかない出来事が、簡単に起こり得るってこと。
そして、自分の目に見えているものが世界のすべてとは限らないっていう、とても単純なことを。
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