26.さいごの願い
本日二回目の投稿です。
「アスダール軍のみなさん! 聞いてください!」
私の声なんて届かないんじゃないか、次に矢が放たれたら妖精ちゃんたちの力では防ぎきれないかも――
不安ではちきれそうな私の目の前で、兵士たちが再び矢をつがえる。
(やっぱり、だめなの?)
絶望がこみ上げたとき、兵士たちの先頭にいる男性がさけんだ。
「待て! 女性がいる!」
意外と声が若い。立派な鎧を身に着けているから、きっと指揮官だ。
(気づいてもらえた!)
驚きに目を見開いている彼に向かって、声を振り絞る。
「お願いです、聞いてください! 彼は危険な竜ではありません!」
指揮官の様子に気づいた他の兵士たちも、驚愕の声をあげはじめる。
「女だ! 竜の足元に女がいるぞ」
「ニセ聖女のミリアか?」
「違う。誰だ、あれは!?」
指揮官が震える手で私を指さした。
「き、きみは……まさか、あのときの生贄か? ミリアと一緒に異世界から来た……」
「あっ、おつかれさまです!」
思わず会社員挨拶がでたのは、指揮官が前にも見た顔だったから。
私が召喚されたとき、魔法陣の近くにいた男性に間違いないと思う。
今度は邪竜討伐に駆り出されてるんだ。これはブラック労働ですね、他人事と思えなくて涙が出そう。
それはそうと彼、ラスティン国王が「いい考えがある」って言ったとき(私を生贄に使うって意味ね)、「いくらなんでも可哀想」みたいに抗議してくれてた人よね?
少しは話が通じるかもしれない!
「そうです、聖女のおまけの異世界人です! 生贄に差し出されたけど生きてます! 竜は人間を食べません。私がその証拠です!」
「生きているのは、きみ一人か? ミリアや今までの生贄はどこへ行ったんだ」
訝しげに指揮官が尋ねる。
「みんな元いた世界に帰っていきました。イオが……あなたたちが邪竜と呼ぶ彼が、みりあさんや、ほかの生贄の女の子たちを家に返してくれたんです」
「それが本当なら、何故きみは帰らない? 脅されているのか?」
指揮官の目に、声に、同情するような色が見え隠れしていた。
この人も、本当は優しいのかな。だったら、きっとイオともわかりあえるはずだ。
「私は、自分の意思でここに残りました。帰る場所がなかったからです。その私に、イオはここにいていいと言ってくれました。命を助けて、居場所をくれました」
いつのまにか兵士たちが足を止め、耳を傾けている。
びっくりしてるだけかもしれないけど、それでもいい。聞いてほしい。話したい。
「彼は優しいひと……優しい竜です。人間を食べたりしないし、王国に害をなすこともありません。ここで静かに暮らすことだけが私たちの望みです。だからもう、攻撃するのはやめてください。お願いしま」
「信じられるわけないだろう! こ、こんなことをするやつを!」
私の台詞に被せて兵士の一人が叫んだ。
彼が指さす先には、ひしゃげた砲台が転がっている。イオが踏みつぶしたものだ。
「そうだ、邪竜のおかげで俺たちは苦しんできたんだ」
「害がないなんて嘘を言うな!」
他の人たちも、我に返ったように声を上げはじめた。
「下がれ、チカ。俺の言った通りだろう。話し合いなんて無駄なんだよ」
背後でイオが低く唸った。
自らの血で汚れた上体を必死で起こし、前を睨んでいる。片方だけの翼さえも消え失せ、すっかり人間の姿になってしまっていた。
「皆、静かに!」
兵士たちを手で制して、指揮官が厳しい声で言う。
「異世界の乙女よ。きみは助けられたというが、我々アスダールの民と邪竜は長いこと敵対関係にあった。見るがいい、まさに今もこの惨状だ」
「襲ってきたのはお前たちのほうだ! 俺は……俺は、黙って殺されるのは嫌だ!」
イオの目が、また憤怒の赤い光を帯びた。腕の鱗が盛り上がり、翼を形づくろうとする。
「落ち着いて、イオ」
抱きしめて、宥めるように囁いた。
イオの身体からは、とめどなく血が流れ続けている。彼の体力も限界に近いのだ。
「過去のことは私から謝ります。本当にごめんなさい。イオは二度と皆さんにご迷惑をおかけすることはありません。私が約束します。彼と私が、ここで静かに生きていくことを認めてください」
「残念だが、きみたちが敵でないと判断する根拠がない」
指揮官は頑なだった。
そのとき、
「あの……そ、その女の人、信じていいと思いますっ!」
遠慮がちな声が響いた。
兜もない若い兵士が、おずおずと前に進み出る。
誰だろう。赤い巻毛が印象的な、まだ少年みたいな……
「あなた、もしかして!」
そうだ、彼。
以前、この森に入ってきて、私に石を投げた男の子!
「は、はい! あなたが生きててよかった。隣にいるのは、あの時いっしょにいた男の人……ですよね?」
「ええ、そうよ」
少年は頷き、指揮官へと向き直った。
「ぼ、僕、この人に命を助けてもらいました。邪竜……様だって悪い人……悪い竜じゃないです。いま僕と、僕の家族が生きてるのは邪竜様の森の恵みを分けてもらったからです。殺し合うことなんて、ないと思いますっ」
「命を助けられた? この女性と、邪竜に?」
指揮官の表情には複雑な表情が浮かんでいた。迷っているようだ。
どうか、信じてもらえますように。
「だが……邪竜は、存在するだけで災厄をもたらすのだ。太陽を翳らせ嵐を呼び、作物も花も枯らしてしまう。そんなものを生かしておくわけにはいかないのだ」
「誤解です! 生きてるだけで害があるなんて……!」
淡い期待が崩れていく。長いこと人間たちの意識に刷り込まれた「竜=悪」の方程式は、すぐには消せないのだ。
たしかにイオは、人間とは違う、異質な存在。でも、化け物でも悪者でもないのに。
どうしたらわかってもらえるだろう。私が見ているイオを。こんな状況で……。それとも「わかってもらえる」なんて思ったこと自体が、間違いだったの?
指揮官の右手が、ゆっくり上がる。
兵士たちが、戸惑いながら武器を構えた。――指揮官が手を振り下ろしたら、襲ってくる。
「……チカ。もう、いい」
腕の中のイオが、苦しそうに私を呼んだ。
「人間に何を言っても無駄なんだ。俺が今から軍隊を吹き飛ばす。……それで終わりだ」
「終わりって?」
「次に力を使ったら、俺はもう動けなくなる……たぶんな。今度こそ、お前だけ逃げてくれ」
「嫌だってば、イオ!」
傷だらけの体を、強く抱きしめる。
イオに、幸せに生きてほしいと思った。誰も傷つけないで生きてほしいと思った。でも、叶わなかった。
わかりあうって、簡単じゃなかったんだね。
こんな事態を招いてしまった自分の愚かさが情けなくて、涙がこみあげる。
ごめんね、イオ。守ってあげるって言ったのに。
だけど……私は彼に、もうひとつ約束したことがある。その約束だけは果たしたい。
「ねえ、イオ。私、どこへも行かない。ここにいる」
「は? それじゃあ、お前も死んじまう……」
「一緒にいるって、言ったでしょう。ずっとずっと、何があっても離れない」
「チカ……!」
「お願い、イオ。力を使うなら、アスダール軍を吹き飛ばす代わりに、お花を見せて。さいごに、千の花を」
イオが子供みたいな眼差しで私を見上げた。
深紅だった双眸が、澄んだ紫色へと戻っていく。大好きな、アイオライトみたいな綺麗な瞳。
「……やっぱり馬鹿だな、お前」
悲しそうに、同時に少しだけ嬉しそうに目元を歪めて、イオが抱き返してくれた。
『ダメダヨ、チカ―!』
『逃ゲテー、イオー!』
縋りつく妖精ちゃんたちを、イオがいつものように片手で引き剥がす。そして、
「元気で暮らせよ」
優しく声をかけ、空へ向かってポイポイと投げあげた。
キャーキャー悲鳴を上げながら、風に巻き上げられて妖精ちゃんたちが遠ざかっていく。
次にイオは、私の後頭部に手を伸ばし、自分の顔の方へと引き寄せた。
イオに促されるまま、彼の額に自分の額を重ねる。
彼を守れなかった悔しさ、死の恐怖――それらを凌駕する強い想いが、触れ合った肌から流れ込んでくるような気がした。
「お前、やっぱり馬鹿だな」
イオが囁いた。
「だけど、最高だ。チカ……愛してる」
ふわり。風が渦を巻く。
空気の渦はイオと私を包み込み、たちまち大きな流れになった。




