14.心の傷
「イオ? どうしたの?」
醒めた顔でイオが肩をすくめる。
「花も緑も要らない。そんなものがあるから人間が寄って来るんだ。あのガキとかな。あげくチカに怪我させられたんじゃ堪んねえ」
「あれは事故よ。あの子は仕方なく森に入ったの、食べ物をさがすために」
「その事故ってやつを起こさないために、この森には何もないほうがいいんだよ。まあ、家に飾る花くらいなら咲かせてやる。お前は花が好きだもんな」
イオが指を鳴らすと、彼の指先に大きな赤い花が一輪咲いた。
私の髪に飾り、満足そうに微笑む。
「似合うぜ、チカ」
「ええと、ありがとう……でもね、イオ」
「何だ? やっぱりもっとたくさん花が欲しいか? ああ、お前が庭で育ててた野菜とかハーブだっけ、あれも元どおりにしてやるよ。バジルだのローズマリーだの」
ハーブと同じ名前の妖精ちゃんたちを見やるイオ。口元には、あいかわらず笑みが浮かんでいた。でも、目は笑っていない。
「あのね……イオが望むなら、この森は、このままでもいい。でも……もし、もしも、ね。出来るなら森の外の世界に……回復っていうか、恵みの魔法をかけてあげてもらえないかな」
思いきって頼んでみる。
イオの顔が曇った。
「外の世界に恵みだと? 何で急にそんなことを言い出す」
「ロニー……森に入ってきた男の子ね、あの子が言ってた。畑の作物が採れなくて困ってるって。森の外では飢えに苦しんでる人が多いみたいなの。ロニーの家にも、もう食べるものがないんだって」
痩せ細ったロニーの姿を思い出す。
果実を抱えて逃げたという少年。イオに怯えながらも、あの子は必死で食糧を持ち帰ったのだ。飢えた家族が待っているから。
「興味ねえな。チカ以外の人間なんかどうでもいい」
イオは面倒そうに横を向いた。
「チカだって酷い目に遭わされてるはずだ。元いた場所から攫われて、生贄にされたこと忘れたのか」
「あれは王家のひとたちがやったことよ。ロニーには関係ない」
「そうか? 俺から見ればどっちも同じだ。聖女召喚とやらはアスダールの王家がやってることだろうが、そんな王家をのさばらせてるやつらの方も大概だぜ」
「それは、そうかもしれないけど……外の世界が変わらないと、きっとまた同じことが起きるよ」
「森に侵入する人間がいれば、その度に追い払ってやる。王国の軍隊にだって俺は何度も勝ったんだ。誰にも二度とチカを傷つけさせたりしない」
「そういうことじゃなくて」
「食べ物だって身につけるものだって、チカには充分与えてるだろう。お前のことは俺が守るって言ってる。何が不満なんだ」
振り向いたイオの眉間には、はっきりと皺が刻まれていた。
だんだん不機嫌になってきてるのがわかる。
だけど、まだ私は引き下がる気になれなかった。
「私は幸せだよ、満足してる。でも、それじゃ駄目なんだと思うの」
「何が駄目なんだ。幸せなんだろ、満足してるんだろ? あの小僧の話は、もうよせ。聞きたくない」
「森の外で苦しんでる人たちがいるんだよ。イオの力があれば助けてあげられるかもしれないでしょう? 私を助けてくれたみたいに、ロニーやアスダールの人たちも……」
「人間を助けてやる義理なんかないんだよ!」
イオが声を荒げた。
ヒャッと悲鳴をあげて、妖精ちゃんたちが木の陰に隠れる。
息を呑む私を睨みつけ、イオは怒気を孕んだ口調で続けた。
「やつら、俺を利用するだけ利用して、用済みになったら殺そうとした。殺せないとわかったら捨てた。ゴミみたいに放り出したくせに、まだ俺を利用してる。邪竜とか呼んで、この国で起こる災厄を俺のせいにしてるんだ。俺は人間の玩具じゃないぞ」
「イオ……」
「勝手に怖がって、蔑んで、忘れた頃にまた襲ってくる。そんな連中がどうなろうと知るかよ。あんなやつらに同情する暇があるなら、チカ、俺を見ろ。俺のことだけ考えろよ!」
彼が、ここまで感情を露わにしたのは初めてだった。
あまりの剣幕に黙る私を見て、気まずそうに足元に目を落とし、続ける。
「森の外のことは忘れるんだ。お前は俺といればいい」
言い捨てて、イオはふいっと背中を向けた。
そして器用に両腕だけを翼に変え、荒れた森の上空へと飛び去っていく。
「イオ! 待って!」
彼を追って走り出したけれど、閉じたままの高い城門に阻まれた。
イオがいなければ、この城門は開かない。侵入者を防ぐと同時に、外へ出て行くこともできないのだ。
「開けてよ、イオ!」
叫んでみたけど、当然なんの反応もない。
無駄と知りつつ城門を叩いたとき、そこに刻まれた紋章に改めて目が留まった。
翼を広げた竜と太陽をあしらったものだ。
かっこいい紋章だなと思うだけで、今まではあまり気に留めていなかったけど。
(……この紋章、どこかで見た?)
記憶をたどる。
そうだ。この世界に私を召還したラスティン国王のマントに、この紋章が刺繍されていた。
宮殿の神官の制服や、やたら立派だった生贄用の輿(ほとんど檻だった)にも。
「……アスダール王国の紋章!?」
思わず声に出していた。
今いるこのお城は、イオのお母さんの生家を模したもの。
と、いうことは。
(もしかしてイオは、アスダール王家の血を引いてる……!?)
あの暗い夢の中で見た、幼いイオの小さな背中を思う。
ひそひそと囁き合っていた使用人たちの声も。
『陛下の命令で、あの化け物に毒を食べさせた』
『気味が悪い』
『早く死んでほしい』
――ごめんなさい、ごめんね。
そう言いながら、この森にイオを置き去りにしたお母さん。
もしかして彼女は……アスダール王国のお姫様?
イオの体には、アスダールの王家の血が流れてるの……?
王城で暮らしていたはるか昔、子供心にイオは何を感じていただろう。
自分の死を願う人間たちに囲まれて、利用されて。
そのうえ捨てられて、ひとりぼっちになって。
今なお忌み嫌われ、あげく、さんざん命を脅かされてきたのだ。
(私……なんてことしちゃったんだろう)
私はイオに、彼を傷つけてきたアスダールの人々を助けてほしいと願ってしまった。
王家に生まれながら存在を隠され、邪竜として生きるしかなかった彼に。
人間の恐ろしさを嫌というほど知る彼は、不器用なやりかたで私を守ろうとしてくれたことに思いいたることもなく。
『チカ、ダイジョーブ……?』
『喧嘩シチャッタノー?』
イオの剣幕に怯えて隠れていた妖精ちゃんたちが、そろりそろりと姿を現した。
『イオ、ワルイネー……』
『オオキナ声ダシチャ、ダメダヨネー』
バジルちゃんとローリエちゃんが慰めてくれる。
『コワカッタネー』
『泣カナイデ……』
チコリちゃんとローズマリーちゃんが、小さな小さな手で、そっと私の頬を撫でた。
自分でも気づかないうちに、私は泣いていた。
「私……イオを傷つけちゃった……」
今すぐイオを追いかけて、謝りたかった。
私は浅はかで、あまりにも残酷な仕打ちをした。
彼の気持ちも考えないで、自分の考える正義を押しつけようとした。偽善的で傲慢な行為だった。
人は変われるはず、なんて。
心って、そんなに簡単じゃない。
この森は、イオの柔らかい心を守る要塞。
その真ん中で守られている私は、知っていたはずなのに。孤独が、どれほど深く人を傷つけるかということを。
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