幕間 魔法の鏡にまつわる物語
「アンネマリー姫と二歳違いの兄王子の名前はウィルフリード殿下。生まれつき身体が弱く、自室に籠って魔法具開発に明け暮れていたようです。……鏡に魔法をかけたのは、この兄王子のようですね」
「魔法具開発は年々進歩しているけれど、百年前でこれだけ複雑な魔法をかけてそれが今も残っているなんて、ウィルフリード王子は天才だったのね」
フローラはため息を吐いて、複雑な気持ちで鏡の装飾を撫でる。
地下の物置部屋から引っ張り出してきたのは、埃を被っていてもなお、この鏡が美しかったからだ。
対になっているもう一つの鏡も、きっと同じように美しいに違いない。
全身がすっぽりと映りこむほどの巨大な鏡は、今の時代でも十分に貴重である。
生まれ育った国からも、大好きな兄とも離れ、異国の地へ赴く妹のために、精一杯用意した贈り物。
これがあれば、いつでも逢えると。
そのために花嫁道具に忍ばせて、人知れず兄妹は顔を合わせ、言葉を交わし続けたのだろう。
フローラにも、妹が一人いる。
彼女も、母親代わりだったフローラにべったりと張り付いて離れなかった時期がある。
今でこそ兄離れして、一人でも立派に王族の務めを果たしているけれど。
だけどもし彼女が、あのころのように不安定な状態で嫁ぐことになっていたら……きっとウィルフリード王子と同じように、自作した魔法具をコッソリと持たせるだろう。
妹が、婚家に馴染むまで。
兄の支援を不要に思うまで。
当然、そのような真似を父や兄がするはずもないし、その場合は魔法具どころかフローラ自身が小舅として乗り込む可能性の方が大きいけれど。
「――ウィルフリード王子は早世だったようで、二十三歳の若さで病によって亡くなったようです。アンネマリー姫が嫁いで七年後のことですね」
「そう……。当時はまだ治癒魔法が確立されていないし、効果の高いポーションも発明されていないものね」
「今のこの国からすれば、民間療法レベルだったでしょうね。勿論、今ある治癒魔法やポーションが万能というわけでもないですが……えぇっ!?」
急に大声を上げたライナーを、フローラが睨みつける。
「何よ、うるさいわね」
「ちょちょちょ、うわぁ……、そう来るかー」
額に手を当て天井を仰ぐ副団長から本をひったくって読み進めると、フローラも同じように額に手を当てて俯く。
「兄王子が亡くなった翌年に、妹姫も……って、死因が気鬱による衰弱なんて、どんだけ兄妹愛が強いのよ」
アンネマリーは、シュヴァルツ王国に馴染めなかったのだろうか。
兄であるウィルフリードだけが、心の支えだったのだろうか。
失ってしまえば、精神が安定しないほど……。
『またね、お兄様』と言った後、二度と繋がることのない鏡の前で、彼女は何を想ったのだろうか。
「鏡が、地下室の奥深くにしまい込まれるはずだわ。とんだ曰く付きじゃない」
この鏡と悲劇の兄妹の物語は、クライノート王室の知られてはならない暗部と言っても良いだろう。
百年前と言えば、近隣の国家間で争いが絶えなかった時代だ。
数多の国と同盟を結んだり、裏切ったり裏切られたりして生き残ってきた。
今でこそクライノートは魔法国家として一目置かれる存在となり、どの国とも同盟も協定も結んでいないけれど、アンネマリー姫を嫁がせてシュヴァルツと同盟を結んでいた時代に鏡の存在が公になってしまえば、大変なことになっていたはずだ。
当時残されたクライノート王室の者たちが必死に隠して、しまい込んで、無かったことにしたので、もう一つの鏡はその秘密を知られることなく、今なおシュヴァルツにある王妃の寝室に飾られているのだろう。
フローラが趣味の鏡集めのために倉庫からこの鏡を引っ張り出さなければ、シュヴァルツの現王妃であるヒルデガルトが鏡に妙な質問をしなければ――対の鏡が繋がることもなく、今も鏡の秘密は守られたままだったかもしれない。
「今見ても凄い発明なのに、隠されていたなんて勿体ないですね」
心底残念そうなライナーの言葉に、フローラは肩をすくめる。
「凄い発明だから、妹のための魔法だから、隠していたのよ。あの時代、戦争に使われることはわかりきっていたでしょうから」
部屋に籠り切りだった、魔法具開発の天才。
きっと、妹を楽しませるためのものをたくさん作ったに違いない。
それなのに、時代のせいで本来の用途から転用されたものが、どれほどあったのだろうか。
今も伝わる魔法具の中にも、彼が作り出したものがまだ残っているはずだ。
「言うまでもないけど、このことは絶対に他言無用よ。鏡の存在も、かけられた魔法についても、誰かに話すことを禁ずるわ」
「えぇっ!?」
厳しい表情で断ずるフローラに、ライナーは酷くガッカリした。
これだけ画期的な発明を秘密にしておくなんて!
『反射』ではなく『映す』特性を利用した魔法なんて、物凄い発想の転換だ。
ライナーは、このフローラの部屋に無数の鏡が飾られているのが単なる趣味というだけではないことを、よく知っている。
鏡は『反射』――すなわち『向けられた魔法を返す』という反魔の魔法の媒体に向いている。
最強の魔法使いとはいえ第二王子でもあるフローラは、命を狙うものを含めそれ以外にも数々の魔法に晒されるので、こうした対策が必須だった。
ただ飾っているだけのダミーもあるが、そうでない鏡には届いた魔法を何倍にも増幅させて跳ね返したり、自動追尾したりと、それ以外にも数々のえげつない魔法が幾重にもかけられている。
国一番の魔法使いの部屋は『趣味の鏡集め』を口実に、いつしか堅牢な要塞と成り果てていた。
裏を返せば、それだけ防衛本能の強いフローラが禁じたのだから、本当に危険な魔法なのだろう。
ライナーは自分にそう言い聞かせて、諦めようと涙を呑んだ。
「……だけど、試してみたい気持ちは止められないでしょうから、コッソリ作るのは仕方ないわ。当然、悪用厳禁よ! 片割れを誰かに渡す前に、必ずアタシに報告すること!」
「えぇぇぇっ!」
ライナーのガッカリしていた気持ちは、急浮上した。
秘密にしていれば試しに作っても良いなんて、なんて素晴らしい上司だろう!
ウキウキしながら魔法をかけるのに丁度良い鏡を手に入れるための算段を立てていると、再びフローラが口を開く。
「そうそう、休暇は予定通り取ることにするわ。もしかすると延長するかもしれないから、そのつもりでね」
「予定通りって……一週間以上も、何をするんですか?」
働き過ぎて強制的に取らされた休みですら、何食わぬ顔で出勤し続けた人間が何を言い出すのか。
今日だって、職場にやって来たところを昼前にどうにか返したところだったのに。
「やることができたのよ。時間をかけて、集中的に取り組みたいの。だから食事も部屋に運ぶように手配して頂戴」
「本格的なヤツじゃないですか! まぁ、今まで働き過ぎでしたし、良いんじゃないですか」
「勿論、何かあれば呼んでくれて構わないわ。連絡は取れるようにしておくから、緊急時には遠慮しないように」
つまり、緊急時以外は呼ぶなということだろうか?
「ちょ、まさかその鏡を使うつもりじゃ――」
「用事は済んだから、もう戻って良いわよ」
「いや、ちょっ、だんちょ――」
薄っすらと嫌な予感がしたライナーはフローラを問いただそうと試みたものの、ヒラヒラと手を振ったフローラに部屋の外へ転移させられて肩を落とした。
まぁ……連絡は取れるはずだし、問題ないか。
再び自分に言い聞かせたライナーは、気持ちを切り替えて鏡の調達に向かったのだった。
「さぁて、これから忙しくなるわよ!」
妖しい笑みを浮かべたフローラを止められる者は、誰もいなかった。




