フローラの事情 2
王妃である母亡き後、当時十歳だったフロリアンは急速に大人になることが求められた。
誰が強要したわけではないが……少なくとも彼はそう認識し、そのように努めた。
最愛の人を失った父王と、成人の儀すら迎えていない兄は、未だ王宮に残り命懸けで指揮を取っている。
幼い己に求められた役割は、より幼い妹と共に、辺境の地で息を潜めて安全に過ごすことである。
母親を亡くし、自身の命まで脅かされたショックから悲嘆と憔悴を繰り返す妹の面倒を見ることは、フロリアンに課せられた使命だった。
妹であるシャルロッテ姫が泣けば、自分の分も泣いてくれているのだとそれを慰めた。
彼女が護身のために別邸から外に出られぬ鬱屈から癇癪を起こせば、それを諫めた。
いつしかシャルロッテは、フロリアンの中に母の面影を見る。
強く美しい母に兄弟の中で一番よく似た容姿をしていたのが、フロリアンだった。
愛する妹は、兄ではなく母を求めた。
それは幼いシャルロッテの、ただの我儘などでは決して無かった。
心が千々に張り裂けそうな中で、彼女の正気を辛うじて保っていたのが、母の記憶だった。
フロリアンは、それに応えるため――『フローラ』として、母親代わりの身となり妹に接する日々が始まった。
「――そう……妹姫のためだったのですね」
「ロッテ……、妹のため、だけじゃなかったの。アタシも、あの頃はシャルロッテや鏡に映る自分の姿に母の面影を探したわ。今なら、おかしなことをしていたものだと思うけど、喪失感……それも幼いころに味わった喪失感というものは、きっと人をおかしくさせるのね」
愁いを帯びた瞳で遠くを見つめるフローラの脳裏には、何が映っているのだろうか。
「伸ばしていた髪を下ろして、成長期が始まる前の身体でドレスを纏えば、『フロリアン』はどこにもいなくなったわ。そこにいたのは……幼くなった母の生き写しのような、一人の女の子だった」
きっとそれは、お人形のように整った美しい少女の姿だったに違いない。
大人の男性である今のフローラの姿からも、易々と想像することができた。
「その日からアタシは、記憶にある母の言動を真似して、母のように振舞ったわ。……勿論、今のアタシみたいな、こんな喋り方じゃなかったのよ。優しいけれど、威厳に満ちている、力強い口調だった。そんな風に母の真似事をするようになったら、次第に妹も落ち着いていったわ」
フローラは懐かしそうに目を細めると、クスリと小さく笑った。
「少しずつシャルロッテは笑顔を取り戻して……ようやく元気になったかと思えば、はねっかえりなところまで戻ってきてしまったの。アタシは母の代わりとして、そんなシャルロッテを甘やかしてばかりもいられなかった。我儘を言えば叱ったし――身を寄せていた別邸で一緒に住んでいた貴族の少年を、あのお転婆が子分のように従えているのを見つけた日には、それはもう雷を落としたものよ」
思い出を語るフローラの表情は穏やかで楽しげだ。
けれど私の胸には、チクリと刺すような痛みと一抹の寂しさが広がっていく。
母親代わりでは、妹の遊び相手にはなれなかったのだろう。
年長者とはいえ、そのころのフローラもまだ十分幼かったはずなのに。
それでも……フローラにとって、これは幸せな記憶の一つみたい。
そのことが、私にとっての幸いだった。
「――アタシが本気で魔法を学び始めたのも、あのころからよ」
そう言って差し出された鏡越しの手のひらから、淡い光が溢れる。
「わぁ……! 凄いです、こんな魔法もあるのですね」
光が弾ける様子は花火のようで、キラキラと空気に溶けていく様子は静かに降る雪のような光の結晶にも見えた。
ただただ、目を奪われる美しい魔法だった。
けれど、フローラの表情は一転して暗いものとなる。
「母の真似事をして妹の笑顔を取り戻しただけでは、アタシは満足しなかった。きっと、それだけで十分だったはずなのに。けれど、母のような……いえ、母を越える魔法使いにならなければいけないと、痛切に感じていたの。当然、素晴らしい魔法使いだった母に、憧れる気持ちも強かったわ。だけど――そんな母は、大切な家族を守りこそしたけれど、その身を犠牲にして、残された家族を傷つけた。だからアタシは、大切な家族も自分の身も守れるくらい、強くならなければいけないと、そう思ったの」
それはまるで呪縛のように、私には感じられた。
フローラははじめのころ、私に対して『王妃なのだから』と強調することが多かった。
今でもたまに言われるそれは、私に王妃としての自覚が薄いという指摘以上に、フローラ自身の持つ『偉大な母のような王妃のイメージ』への過大な期待が含まれていたものなのかもしれない。
もう一度、フローラの手のひらの上で、光が弾ける。
「幼い子供が魔法を習得する前に、反乱の鎮圧は数ヵ月という速さで終息したわ。結局その間に使えるようになったのは、こんな子供だましのような魔法だけだった。大切な家族を守るどころか、何の力にもならない、ちっぽけな魔法。妹はこんな魔法でも、何度でも見せてほしいとせがんでくれたけど……それでも虚しさは消えなかった。アタシは無力感に打ちひしがれながら、王宮から来たという迎えの馬車に乗ったわ」
そしてフローラは、手のひらを固く握りしめた。
「けれど、危機は去っていなかった。反乱を起こした一派の残党が放った魔獣に、討ち漏らしがあったの。そのせいでアタシたちが戻るのは、本当ならもっと先になるはずだった。乗り込んだ迎えの馬車は……罠だったの。何とか気づけたから、周囲の者が襲撃者を打ち倒すことに成功したけれど――流れた血の匂いに引き寄せられて、魔獣がやって来た」
「!!!」
幼い兄妹の乗る馬車は、既にボロボロだった。
続く戦いの中で王子と姫を守るため、護衛や魔法使いが命懸けで応戦するも……反乱一派が秘密裏に捕え調教していたというその魔獣は、元より強い魔力耐性を持っていた上、人間の味を覚え、戦い方も身に着けていたという。
周囲の人間たちが倒れていく中、魔獣の鋭い鉤爪がとうとう馬車を破壊し、フローラとシャルロッテはその眼前に転がり出た。
フローラはその恐ろしい魔獣の姿に身体が竦み、攻撃魔法の一つも使えぬ己の未熟さを呪ったという。
「そして……恐怖と、悔しさと、憤りと――たくさんの感情がない交ぜになって混乱するさなか、アタシの魔力が……暴発したの」




