鏡の向こうのオネェ
「ちょっと……これは一体、どういうことかしら?」
眉をひそめて不信そうな表情を浮かべるオネェ口調の美人に見下ろされるのは、心臓に悪い。
ただ、足が震えて立てないので、みっともないこの状態に甘んじるしかないのだけど。
両者共に混乱する中、不躾なほどお互いをじろじろと見つめ合う。
彼……なのか、彼女なのかわからないけど、鏡の向こう側にいる人物はとても美しい男性に見える。
こんな大迫力の美人がもし女装姿で現れていたら、心臓が止まっていたかもしれない。
歳は私と同じ……二十代半ばから三十手前くらい。
長身でスラリとした体躯。
この世で一番、と言われて納得してしまうほど整った顔立ちに、緩やかにクルクルと巻いて輝く金色の髪。
長いまつ毛の下で神秘的に煌めく紫水晶の瞳。
タレ目がちな目尻には泣きボクロがあって、そこはかとない色っぽさを放っている。
メイクはしていないはずなのに、肌もきめ細やかで滑らかだし、髪の先や眉の毛一本まで計算されつくされているといった感じ。
ブランカの小動物のような愛くるしさと比べると、しなやかなネコ科の肉食獣のような気高さを感じさせる人だ。
「あ、あの……貴方は? 魔法の鏡の精……とかではないですよね?」
「はぁ!? 何言ってんのアンタ、アタマ大丈夫?」
「デスヨネー」
なんというか、想像していたのは鏡の中にいる不思議な存在なのだけど……鏡に映っているのは、明らかに別人――恐らくこのオネェの部屋。
人物だけがぼんやりと浮かび上がるというホラーなことはなくて、今いる王妃の寝室に負けないくらい豪奢な部屋に、大小様々な無数の鏡が飾られているのが見える……って、やっぱり、ホラーかも?
この人、綺麗な顔で服装もやけに派手なのを見ると、王子様っぽい印象が拭えない。
黄金色の肩章の付いた汚れ一つない純白のマントには、金糸をふんだんに使った凝った刺繍がびっしりと縫いこまれている。
大きな宝石の付いたフリフリの襟飾りに、白と金を基調としたジャケットにズボン。
目がチカチカしてきたところで、トドメに足元はよく磨き抜かれた黒のブーツ。
あまりの眩しさに目を細めていると、苛立ったようにオネェが口を開いた。
「それで、おバカな質問をしてきたアンタは、一体どこの誰? まずはそっちから名乗りなさいよね」
腕組みをして訊ねてくるけれど、床にへたり込んだ私に合わせてか、ちゃっかりと椅子を持ってきて座っている。
ふんぞり返って足を組んだ姿が、高飛車な物言いと絶妙にマッチしていた。
「私は――ヒルデガルト・フォン・シュヴァルツ。シュヴァルツ王国の国王陛下であるルシャード・フォン・シュヴァルツの妻にして、この国の王妃です。えぇと……この度は、私の部屋に飾られている鏡に話しかけたら、こんなことに」
名乗って説明をしても怪しさは薄れなかったらしく、それどころか『このしょぼくれた女が王妃?』と言わんばかりの怪訝な顔で見下ろされてしまう。
ここで前世の記憶が~と言ってしまっては、おかしいヤツ認定が確実なものになってしまうので頭を捻っていると、諦めたようなため息が降ってきた。
「まさか他国の王妃様とはね……。アタシはフロリアン・フォン・クライノート。フローラって、呼んで頂戴。クライノート王国の第二王子よ」
「ほ、本当に王子様だった……!」
納得しかない!
確かによく見れば、彼の纏う白いマントに輝く金色の刺繍でかたどられているのはクライノート王国の紋章だった。
「ちょっと、アタシの美しさを『王子だから』って決めつけないでくれるかしら。これはね、日々の弛みない努力によって磨きをかけているからこそ、ひと際輝いているのよ」
クワっと目を見開いて言われてしまい、「仰る通りで……」とヘラりと笑うと、またもや胡散臭そうな顔で見つめられる。
「それにしても、話しかけただけでこんなに離れた距離の鏡が繋がるなんて――それも、クライノートとシュヴァルツの王宮同士だなんて、只事じゃないわよ」
他に何か知っていることはないか聞かれるけれど、「ないです」と答えるしかない。
まさか鏡同士が繋がってしまうなんて思ってもみなかったのだから、嘘ではない。
「ふーむ、そっちも知らないんじゃ仕方ないわね。鏡に関しては、アタシの方で調べておくわ」
「……そんなことできるんですか?」
首を傾げると、オネェは不敵な笑みを浮かべながら手を胸に当てて更にふんぞり返った。
「これでもアタシ、魔法師団の団長なの。国一番の魔法使いに、できないことなんてないのよ」
世界一(?)美しいオネェで王子というだけでなく、優秀な魔法使いとは……このオネェ、キャラが濃過ぎる。
クライノート王国といえば有名な魔法国家だ。
その国で一番の魔法使いということは、世界で一番ということでもある。
それなのに、その部分では『この世で一番』を主張しない辺り、慎ましいものが感じられる。
高級品である魔法具を多数産出している国でもあるので、向こうで調べてもらった方が何かわかるだろう。
「わかりました。よろしくお願いいたします、フロリアン殿下」
「フローラ! 敬称も要らないわ」
「は、はい……えぇと、フローラ? 私のことはどうぞヒルデとお呼びになってください」
言われた通りに呼び直して、王宮内で誰も呼ぶことのない私のかつての愛称を伝えると、フローラはニッコリと微笑んだ。
「そう、それでヒルデ――アンタ、鏡に向かってあんな質問をするなんて、随分と自分の容姿に自信がないようね。元は良いのに、それを全く活かせていないなんて……美を信奉するこのアタシへの冒涜よ! これからみっちり指導して、アンタを生まれ変わらせてあげるわァ!」
「ええっ……!?」
「見てわかるでしょうけど、アタシ、『美しさ』に関しては一家言あるのよね。シュヴァルツ王国には『白雪姫』って呼ばれてるお姫様がいると聞いたことがあるけれど……それ、アンタの義理の娘でしょう? その子に負けないくらい――いいえ、圧倒してぎゃふんと言わせるくらい大変身させてみせるから、これから言われた通りにするのよ!」
やる気で燃え上がる瞳を前にして、「違うんです」「勘違いです」「そんなつもりじゃなかったんです」と言い募っても、信じてはもらえなかった。
それどころか「アンタ王妃でしょ!? 社交界は、生まれ持った美貌だけで勝負できるような甘い世界じゃないの。ナメるんじゃないわよ!」と恐ろしい顔で怒られた。
別に勝負したい気持ちなんて更々無かったのに、高貴な者特有の、他者を圧倒するカリスマ性を発揮しながらそんなことを言われてしまったら、私は太刀打ちできずに全面降伏するしかない。
そうして白雪姫の継母である私と鏡の向こうのオネェによる、奇妙な関係が始まった。
「――ところで、フローラの部屋が鏡だらけなのは一体どうしてですか?」
「あぁ、コレ? まぁ……鏡を集めて飾るのが好きというのが、一番の理由かしら。言うなれば、趣味ね。それにあればあるほど、この美しい姿をどの角度からもチェックできるし」
「ナルシストだぁーー!!」
その後、懇々とお説教されたのは言うまでもない。