二十三話 ゼクスの異変
最近、ゼクスの様子がおかしい。
夏休みも近い、七月十三日木曜日。僕は隣でくちゅんっと可愛らしいくしゃみをするゼクスを見て、最近あったことを思い出していた。
最初に異変に気付いたのは、二週間くらい前だったと思う。
まだ梅雨明け宣言が出ない空は、どんよりと曇っていた。今にも降り出しそうなのに降らないってのは、意外とイライラする。いっそのことバーッと降ってカラッと晴れてくれればいいのに。
ジメジメした不快な湿気と、無駄に上がり始めた気温にため息を吐きつつ窓の外を見ると、授業中だと言うのに校庭をうろつく影が一つ。
僕の席は転校初日からずっと窓際の一番後ろの、よく二次元で主人公が座っている席だ。転校生だから座ってるだけで、席替えでもすればあっさり変わっちゃうんだけど。
外を歩くその人影は、あろうことかゼクスだった。あの目立つツインテの後ろ姿は、間違いようがない。さっきからあっちこっちうろちょろとして、何かを探しているように見える。
授業中に何探してるんだろ?
僕の記憶が正しければ、隣のクラスは今音楽だか美術だかの芸術科目をやっていたはず。どっちみち移動教室なので、ゼクスが校庭にいるのは明らかにおかしい。しかも、こんな天気がいつ崩れるかわからない時に。
それに、他に人がいないことからもゼクスが授業をサボっていることは確実だ。ゼクスは、授業を理由も無くサボるような子じゃない。
話してみればわかるが、行動がちょいちょい妙なだけで、根は良い子だ。現実世界に対してはともかく、誰か特定の人に関しての悪口を言っていることを聞いたことがない。仲が良くないらしい村上さんに対しても、頑張っていいところを話してくれたし。
だからそれが、すごく気になった。
後で訊いてみると
「あー……ちょっとね」
と言われただけで、それ以上訊いても答えなかった。
その次は、多分十日くらい前。
昼休みにすれ違ったゼクスが、一目見てわかるほどに妙だったのだ。
その日の朝、校門で挨拶した時はいつも通りのツインテだったのに、その時はなぜかボサボサの髪を後頭部で雑に一つに括っていたのだ。
声をかけようとしたのだが、呼び止める前にゼクスは消えてしまったので何も訊けなかった。後で訊いてもやっぱり
「……イメチェン?」
って明らかに誤魔化されたし。どう見てもイメチェンだなんて、ポジティブな響きは一切ない変わり方だったのに。しかも、疑問形なのが余計に不穏だ。
そして、極めつけは今日今現在この時。
七月も半ばになったと言うのに、ぐずついた天気が続いていた。雨こそ降っていないが、陽が出てないせいで気温はそれほど高くない。夏服に衣替えもとっくの昔に終わったと言うのに、長袖でもワイシャツだけじゃ少々肌寒いくらいだ。
雨降らないといいなーと、空を見上げて願っていた放課後のこと。文芸部の活動を終え忘れていた日直の仕事をこなしてから昇降口に行くと、傘立ての傘は僕のものを除き空っぽで、もう誰もいないことを示している。これだけ半端な天気で傘を持ってない人は中々いないだろうから、多分僕が最後だろう。
そう考えていた時に、視界の端を奇妙なものが横切ったのだ。
艶やかに光る黒髪から大量の滴を零し、俯いて歩く人。服装はうちの学校指定の制服で、夏服であるスカートと長袖のワイシャツという、服装だけは平凡なものだ。だが、雨も降っていないのにびしょ濡れというのがおかしい。
その姿はまるで、プールから這い出ては生者を引きずり込む幽霊のようで。その存在を認識した瞬間、僕の蚤の心臓は凍りついた。
え、うそ、マジモン!? ゆ、幽霊ってマジでいたの!? じゃああの時の男の子もってことで僕って霊感あったんだ!?
一周回ってもはや謎の感動すら覚えるなか、幽霊がふと顔を上げた。
濡れて顔に貼り付く黒髪の隙間から見えるのは、真っ赤に血走り腫れぼったくなった、この世の全てを呪うかのような昏い瞳で――
「ん?」
すでに誰もいなくなったはずの、学校の廊下の真ん中に佇むその存在。よく見ればしっかり足も付いていて、いつもとは違い過ぎる姿に混乱したが、見覚えのある顔だった。
と言うか、ゼクスだった。
「って、えぇっ!? ゼ、ゼクス!?」
それはそれで問題だろう。雨も降っていないのにびしょ濡れで廊下を歩いているのは、とてつもなく異様だ。
「……違います。私はこの学校の七不思議の一つ、プール底の異界へ引きずり込む水子さんです」
「……いやゼクスだよね!? どうしたのさ!?」
あまりにもいつもの声と違う声を出されたので一瞬悩んだが、顔を見ればゼクスだ。紛うこと無きゼクスである。というか器用だな!! どこから出た今の不気味な声!!
半分叫ぶようにして放たれた質問に、ゼクスは鬱陶しそうに一言だけ答えた。
「納涼……?」
「十分涼しいのに何言ってんの!!」
おかしい。絶対におかしい。
駆け寄って見れば、おかしいのはそれだけじゃない。足元は裸足で靴下すら履いていないし、荷物も持っていない。学校から帰るのなら、絶対に荷物を持っているはずだ。
一番おかしいのは、今日はゼクスがすごく楽しみにしていたラノベのフラゲ日だってことだ。発売日はまだだが、隣町の本屋なら午後に文庫本の入荷があるから今日の午後に発売している。そんな日に早く帰らず、学校で時間を潰していたってのがもうあり得ない。
ゼクスの性格からして、LHRが終わるや否や本気ダッシュで本屋に向かうはずである。




