■3.聖女から神扱いされた
想定していた傲慢さの欠片もない聖女。
そんな彼女の様子にヴァルディは内心で戸惑いつつも、ひとまず舐められるわけにはいかないと気を取り直す。
「紅茶の神じゃねえよ。俺は見ての通り魔族だ。この角が見えねえのか」
人間には禍々しく見えるだろう、魔族の証である角を誇示してみた。
すると、聖女は申し訳なさそうに眉を下げた。
「す、すみません。魔族の方を実際に見るのは今日が初めてで……確かに角ですね。羊みたいに、くるんとしてて可愛い……あっ、羊の神……?」
「なっ、可愛っ、だ、だから神じゃねえっつってんだろ! 羊でもないし! おい遠慮してないでちゃんと蜂蜜も使えよ喉にいいんだから」
これまた予想と異なる反応に動揺したヴァルディは、早口になりつつ蜂蜜の瓶を聖女へ押しやった。
「えっ、いいんですか……!? 蜂蜜の神……!」
嬉しそうに蜂蜜をティースプーンに垂らし、至福の表情で口に含む聖女。どうやら蜂蜜が好物らしい。ヴァルディはその隙に、まじまじと彼女を観察する。
白い肌。銀の髪。さきほどまで三日前に死んだ魚よりも鮮度を失っていたが今は紅茶と蜂蜜を前に輝きを取り戻した、深い青の瞳。
褐色の肌、黒い髪、赤い瞳をしたヴァルディとは正反対の色彩を持つ、儚い雰囲気の少女である。
ただしヴァルディは「儚い」という繊細な語彙を持っていなかったので、彼女に対し「脆そう」という感想を当てはめた。
実際、ヴァルディにとってほとんどの人間は脆いのだが、彼女は格別にそう見えたのだ。ちょっと小突いた程度で死んでしまいそうで不安で、さっきから妙に気持ちが落ち着かないのもそのせいだろう、と納得した。
聖女はそんなヴァルディの視線に気付く様子もなく、にこにこと蜂蜜を味わい、せっせと紅茶を堪能している。
ゆえにヴァルディは遠慮なく彼女の観察を続け、途中から観察という主体的な目的を忘れてぼんやりと見続け、空になったカップがお盆に置かれるまでを見届けてから、ようやく口を開いた。
「落ち着いたか?」
「はい! ありがとうございます、神……じゃなくて、魔族の、えーと、お名前は……?」
「……ヴァルディ」
「ヴァルディさん。初めまして。私はシェリネです」
人間に名前を求められたのも初めてなら、名乗り返されたのも初めてであるヴァルディは、奇妙な心地がした。
この心地をなんの感情に分類すればいいのかを考えた末、この聖女は見た目だけでなく名前まで弱そうで哀れである、という憐憫を抱いたのだと思うことにした。
「聖……シェリネ。お前、本当に聖女か?」
想像していた聖女像とは全く異なるシェリネを前に、もしやいけ好かない聖女が身代わりを立てたのではないかと疑い、本物かどうかを確認してみたのだけれど。
「あー……はは……ですよねー……聖女に見えませんよねー……」
途端、シェリネの顔が曇った。
さっきまで青い宝石のようにきらきらしていた彼女の瞳から、凄まじい勢いで輝きが失われていく。
「心身ともに清らかであることが聖女の条件なのに、あのクソ神官ども滅びろって歌っちゃった私の心が清らかなわけないし……身体の方だって、もう……二日もお風呂に入ってないし……」
あっという間に死んだ目に戻ったシェリネに、ヴァルディは絶句した。
その瞳の色自体が変わったわけではないのに、体感的には透き通った青が底の見えない墨汁色に染まったくらいの死に具合である。
「きっと明日には風呂なし三日目の不潔な身体として、聖女の資格を失うんだ……いや、いいんです。もう私なんて、用なしの存在ですから……お前には魔族に嬲られて相手の怒りを鎮める以外に使い道がないって、迅速に捕虜として送り出された粗大ゴミですから……」
「そ、粗大ゴミ」
紅茶を出した時にはしゃんと伸びていたシェリネの背が、速やかに丸まり始める。鋭角の猫背で鬱々と生気のない声を垂れ流すシェリネを前に、ヴァルディはどうすべきか分からない。
「もう王国の誰も私を聖女として求めないでしょうし……なんか私のせいで魔界に喧嘩を売ったことになってますし……」
こちらが何もしなくとも全自動で絶望していくシェリネが、さらっと重要そうなことを口走った気がして、ヴァルディは彼女の弱々しい声に必死で耳を傾けた。
「魔族の領土が欲しいって言ってさぁ……聖女のご神託ってことにして国民煽ってさぁ……いやそんなの知らんよ。言っとらんよ。神の声とか聞いたことないよ。そんなの大神官の皆さんが一番よく知ってるでしょ。そして戦争に負けたら全責任を私に押し付けて躊躇なく賠償金代わりですよ神は死んだ……」
「!」
ヴァルディは絶句した。聖女に怒りを抱く最大の理由だった「聖女が神託とか抜かして魔界に戦争を仕掛けた」が事実ではなかったと、あっさり分かってしまったからだ。
もちろんシェリネが嘘を吐いている可能性だってあるのだが、否、この粗大ゴミよりも粗大ゴミの自覚を持ち、煮干しよりも干涸らびた目をし、死霊術傀儡よりも活気のない声を漏らす彼女に、嘘を吐くほどの元気があるとは思えなかった。




