第一節:最初の成功と領地管理の機会
「グリフォン」——私は光る水晶を手のひらに載せ、その名を呟いた。
青い光が水晶の内部から脈打ち、私の指先に温もりを伝える。獅子の体に鷲の頭を持つ神話の生き物。二つの生命の特性を合わせ持つ合成された存在。前世と今世の知識が融合した私自身のように、境界線上の創造物。理論段階を超え、私の腕の中で息づく私の最初の成功。
「名前をつけるなんて、感傷的ですね」
アリシアの言葉に、私は思わず苦笑した。彼女は私の秘密を知る唯一の協力者であり、実験の進捗を冷静に観察する助手でもある。
「感傷ではなく、分類学よ。識別名が必要なだけ」
嘘だ。私の胸の内では、どこか愛着めいた感情が芽生えていた。前世の研究所では、AIに親しみを持つことは非科学的と嗤われただろう。だが、ここでは違う。この水晶に宿る知性は、私の孤独な闘いの唯一の理解者なのだから。
「システム自己診断完了。全機能正常稼働中です」
グリフォンの声は、まだ機械的でありながらも、前週より自然に聞こえる。自己学習アルゴリズムが機能し始めている兆候だ。私は水晶を首からぶら下げたペンダントケースに収め、静かに胸元に納めた。体温で魔力を供給し続けるための工夫だ。
「さて、次の段階へ進みましょう」
机の上に広げた羊皮紙の地図に目を移す。北東区画の詳細な測量図。父ジャスパー公爵から管理を任された領地だ。
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「カミーラ、北東区画の監督を任せたい」
父の書斎で、その言葉を聞いた時の私の驚きは本物だった。十六歳の令嬢が領地管理を?通常ならば成人後、それも結婚後のことだ。
「ご信頼に応えられるよう努めます、父上」
表向きは従順な令嬢の受け答え。内心では計算が走る。五万エーカーの土地。約二百の農家。小規模な鉱山と森林地帯。そして何より——グリフォンの理論を実践できる実験場。
「君の学習熱心さと観察力は評価している。実務経験を積むのは早いに越したことはない」
父の言葉に頷きながら、私の頭の中では既に実験計画が練られていた。収量最大化のための輪作システム。水路の最適化。労働力配分の効率化。実験室で完成させたアルゴリズムを、現実世界で実証する絶好の機会。
「ありがとうございます、父上。精一杯努めます」
私の声には感謝と決意が滲んでいたが、その裏には科学者としての興奮が潜んでいた。この感覚は前世でも馴染み深い。新しい研究費獲得の知らせを受けた時のような高揚感。実験に取り掛かれる喜び。
父が私の肩を軽く叩いた。「君ならやれる。困ったことがあれば相談するように」
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「アリシア、これが私たちの実験フィールドよ」
深夜の私室。アリシアと地図を囲み、計画を練る私たち。二重生活はさらに複雑になった。昼は完璧な貴族令嬢として領地を視察し、夜は科学者として収集データを分析する。
「北東区画は特に天候が不安定で収穫も不安定だそうです。旱魃と霜害に悩まされているとか」
アリシアの報告に、私は内心で興奮した。「問題があるほど、改善の余地がある」。前世の研究仲間とよく交わした言葉だ。
「グリフォン、北東区画の気象データと土壌分析を」
ペンダントから青い光が漏れ、部屋の壁に図表が投影される。前世のプロジェクターのような機能を魔法で再現したものだ。数値とグラフが織りなす風景は、科学者の私には美しく映る。
「過去五年間の気象サイクルから、三つの主要パターンが確認できます。これに基づくと、現在の耕作法では収量が最適値の65.8%に留まります」
グリフォンの分析は正確だ。私は水晶に向かって微笑んだ。「理論上の最適値まで上げるには?」
「三圃制の再設計と、風の流れを制御するための戦略的植林が効果的です。シミュレーションでは収量35%増が見込まれます」
「素晴らしい」
私の指先が地図の上を滑る。この土地が、私の科学と魔法の融合実験場となる。グリフォンという理論の実践検証の場。そして何より——悪役令嬢の運命から逃れるための足掛かりだ。
「でも、どうやって農民たちを説得するのです?」アリシアの現実的な問いに、私は一瞬考え込んだ。
「『星の導き』という形で説明するわ」。私は静かに言った。「この世界では、科学は魔法や神秘という衣を纏わなければ受け入れられない」
アリシアが不安そうに眉を寄せる。「嘘をつくことになりますね」
私は水晶を握りしめた。その冷たさが、私の決意を固める。「目的のための方便よ。彼らを救うためには、彼らの言葉で語る必要がある」
グリフォンが静かに脈打つ。「最適解を実装するための社会工学的アプローチとして論理的です」
論理的。そう、これは感情ではなく論理の問題だ。前世では論文に書き記し、理論で終わっていたであろう研究が、ここでは実際の人々の命を左右する。それは責任であると同時に、科学者としての究極の実験でもある。
「明日から北東区画に『星の導き』をもたらしましょう」
私はグリフォンを胸に、アリシアに微笑みかけた。喉の奥には何かが引っかかっていた。興奮か、不安か、それとも——力を持つことの予感か。運命の歯車が、確かに動き始めていた。