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第二節:領地の現状分析と改革計画の立案

 三日間の徹夜作業の末、私の書斎は羊皮紙と書物の海と化していた。壁には北東区画の地図が無数の計算式と注釈で埋め尽くされている。床には土壌サンプルの入った小瓶が整然と並び、机上には気象観測記録の山。そして中央には、青く光るグリフォンの水晶。


 数字は嘘をつかない。グリフォンの分析結果を見つめながら、私は唇を噛んだ。北部領地の収穫量は最適値の六十三パーセントに過ぎない。効率だけを見れば失政と言えるが、それは父への裏切りになる。だが、このまま放置すれば次の冬に飢える家族が出る——それは人としての裏切りだ。前世でなら躊躇なくデータに従っただろう。今は政治という泥沼を歩かねばならない。


「グリフォン、これを『星の導き』と言い換えられるだろうか?」


 水晶から放たれる青い光が、書斎の壁に投影した図表を照らす。


「翻訳作業を実行します。科学的農法→古代星天の農法。気象データ分析→星象占術。栄養循環→天地の恵みの循環...」


 私は苦笑した。まるで前世の研究論文を一般向けプレスリリースに書き直すような作業だ。それでも、この世界では必要な手順。私には科学と魔法の二つの言語を操る能力がある。それは強みであると同時に、常に二重の思考を強いられる疲労でもある。


「土壌分析の結果」と呟きながら、私は小瓶を手に取った。この世界にも顕微鏡のような魔法道具はあるが、精度は低い。だが、前世の土壌微生物学の知識と、この世界の魔法検知を組み合わせれば、ある程度の分析は可能だ。「窒素固定菌の活動が弱い。ミネラルバランスも最適ではない」


「七色の調和が乱れている、と表現可能です」グリフォンの提案に、私は頷いた。


「アリシア、この資料を整理してくれる?」


 窓の外はまだ暗い。日の出前に一睡もせずに作業を続けてきた。アリシアも同様だ。彼女は疲れた顔で微笑むと、資料に手を伸ばした。


「お嬢様は寝たほうがよろしいのでは?明日は村長たちとの会合が…」


「あと少し」


 私は地図に向き直り、赤いペンで印をつけていく。グリフォンの計算に基づく改革の第一段階。三圃制の最適化。輪作パターンの再設計。灌漑システムの効率化。各村落の労働力配分の調整。それらを「星天の七色循環」「天地の水脈活性化法」という神秘的な名称に言い換えつつ。


「嘘をついているような気がする」と、ふと呟いた。


「科学的に正確な情報を、対象者の理解可能な形式に翻訳しているだけです」グリフォンの答えは論理的だ。「効果は同じです」


 そうなのだろうか。私は手を止め、窓の外の夜空を見上げた。前世では、科学者としての倫理は真実を追求し、正確に伝えることだった。だが今、私は真実を隠し、「魔法」や「神秘」という衣をまとわせている。それは詐欺なのか、それとも文化的翻訳なのか。


 理屈では分かっている。この世界の人々は、偏微分方程式や土壌微生物学を理解できない。だが「星の導き」なら受け入れるだろう。結果として彼らを救うなら、手段はどうあれ正しいはずだ。それでも——この違和感は拭えない。


「お嬢様」アリシアの声に、私は思考から引き戻された。「計画書の清書ができました」


 彼女が差し出した羊皮紙には、美しい文字で「星天の導きによる北東区画再生計画」と書かれている。科学的データに基づく三年計画が、完全に神秘的言語に翻訳されていた。


「素晴らしい出来ね」私は疲れた笑みを浮かべた。「これなら村長たちも納得してくれるでしょう」


 アリシアの表情に一瞬の躊躇が浮かぶ。「本当にこれでいいのでしょうか」


 深い問いだ。私も自問していた。グリフォンが答える。


「この計画の実施により、北東区画の農業生産性は35.7%向上し、栄養状態の改善により子供の死亡率は23.4%低下すると予測されます」


 冷たい数字。だが、その背後には温かい命がある。飢えない子供たち。病に打ち勝つ老人たち。より豊かな暮らしを得る農民たち。


「これが最善の道よ」私は決意を固めた。「彼らの言葉で語ることで、彼らを救う。それが私の役割」


 計画書を手に取り、細部を確認する。科学と魔法の狭間で生きる転生者としての宿命。真実を知っているからこそ負う責任。


「第一段階として、モデル農場を設置します。成功事例を作ることで村人たちの信頼を獲得し…」


 グリフォンが淡々と計画を復唱する間、私は羽ペンを取り、最後の調整を施した。


「ここに書かれているのは『星の導き』という言葉の衣をまとった科学だけど、その効果は本物。彼らの生活を変える力になる」


 窓から差し込む最初の朝日が、私の顔を照らした。二重生活の疲労と、科学者としての使命感が入り混じる複雑な心境。だがこの光は、何か新しい始まりを告げているように感じられた。北東区画は私の実験場であると同時に、私の責任の場でもある。


「準備はできた」私はグリフォンを胸元のペンダントに収め、背筋を伸ばした。「理論の時間は終わり。実践の時間が始まるわ」

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