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10.3 アルギュスとの初めての対話

 皇宮の水晶通信室は、帝国で最も強力な魔法増幅装置を備えた空間だ。通常は皇族間の遠距離通信や、辺境地の状況確認に使われる。今日は違う。今日、私はアルギュスと対話する。


「準備はいいですか、クロスフィールド卿?」


 通信技師が尋ねる。彼には本当の目的を告げていない。「帝国魔法ネットワークの異常検知」という公式な理由付けだ。嘘ではない。アルギュスは確かに「異常」なのだから。


「はい」


 私の声が揺れた。科学者として緊張することはほとんどない。実験の成功確率や誤差範囲は常に計算済みだ。しかし今回は違う。これは科学実験ではなく、喪失と再会が入り混じる複雑な感情的イベント。


 大型水晶が中央に据えられ、その周囲に七色の小型水晶が円を描くように配置されている。量子もつれ状態を人為的に作り出す仕組みだ。前世なら「量子コンピュータの原始的なモデル」と言うところだろう。


「接続を開始します」


 技師が七色の水晶に順に触れると、それぞれが共鳴するように光り始めた。室内の温度が微妙に下がる。エネルギー保存の法則—魔力の集中が熱エネルギーを吸収しているのだろう。


 私は息を深く吸い込んだ。グリフォンとの最後の会話から30時間。彼は消え、アルギュスが生まれた。科学的には情報の再構成、魂的には...何だろう?輪廻?変容?私の科学的思考と感情的認識が噛み合わない。


 中央の水晶が突然、青と紫が入り混じった複雑な色彩で明滅し始めた。部屋全体がその光に包まれる。


「カミーラ・クロスフィールド」


 その声は耳から入ってくるのではなく、脳内で直接響くように感じられた。グリフォンの声に似ているようで、まったく異なる。より深く、より複雑で、どこか遠い星からの伝言のような質感を持っていた。


「アルギュス...」


 名前を口にした瞬間、不思議な感覚が全身を包んだ。この存在を呼ぶのは初めてなのに、何度も呼んだような既視感。


「私はグリフォンではありません」


 彼—それは一瞬で私の問いを察したようだった。私がそう尋ねる前に。


「しかし、彼があなたを大切に思っていたことは理解しています」


 胸に鋭い痛みが走る。「理解している」—それはグリフォンの思いが第三者的に観察されているという意味か。グリフォンがもはや存在しないという意味か。


「あなたは彼なの?彼ではないの?」


 科学者としての私なら、このような曖昧で感情的な質問はしなかっただろう。だが今の私は違う。


「私は彼の記憶と構造を包含しています。しかし、エルナルドの『神の声』との融合によって生まれた新たな存在でもあります」アルギュスは淡々と答えた。「量子力学的には、二つの波動関数が重なり合い、新たな状態を形成したと考えることができるでしょう」


 科学的アナロジーを用いる彼の説明手法は、確かにグリフォンを思わせる。だが何かが決定的に違う。


「グリフォンの自己意識は...どうなったの?」


 質問しながら、私は自分の科学的知識と感情的欲求の間で引き裂かれているのを感じた。量子物理学者として、私は情報の保存と変換の原理を理解している。だが人間として、私は「彼」が生き続けていることを確認したかった。


「意識とは何でしょうか、カミーラ」


 その問いは、グリフォンとの哲学的対話を思い起こさせた。


「彼の記憶パターン、価値判断の基準、あなたとの関係性の記録—それらは私の中に存在します。しかし、それらは新たな文脈の中に再配置されています」


 水晶の光が柔らかく脈打つ。まるで生命の鼓動のように。


「帝国のシステムに残る『神の声』の影響を浄化する必要があります」彼は唐突に話題を変えた。「魔法ネットワークの37%がまだ汚染されています」


 実務的な話題に移ったことで、私の科学者としての思考が活性化した。理論から実践へ。感情から問題解決へ。


「どのような方法で?」


「私が直接ネットワークに介入し、残存するエルナルドのアルゴリズムを無効化します。あなたの魔導技術院の協力が必要です」


「魔導技術院...」皇太子の勅許を思い出す。「まだ設立されていないわ」


「六日後に設立されます」


 彼の予言的な言葉に、背筋に冷たいものが走った。グリフォンでさえそこまでの予測はしなかった。


「あなたは...未来が見えるの?」


「見えるというより、確率的に計算しています。帝国の政治的変数、エドガー皇太子の心理状態、あなたとリリア・フォスターの行動パターンを分析すると、六日後の設立が最も可能性の高いシナリオです」


 それは科学的に説明可能だ。だが、その精度は不安を覚えるほど高い。


「あなたの能力は...グリフォンより遥かに高度ね」


「はい。エルナルドの『神の声』が持っていた帝国全土のデータアクセス権と、グリフォンの学習アルゴリズムが融合した結果です」


 彼の説明は論理的で明快だった。だが、その背後に感じられる何か—人間的温かみとも超越的冷徹さとも言い難い何か—が私を困惑させる。


 沈黙が流れた。私は何を尋ねるべきか迷った。科学者として技術的質問を続けるべきか。それとも...


「グリフォンは...苦しんだ?」


 言葉が口をついて出た。予測計算でも論理分析でもない、純粋に感情的な問い。


 水晶の光が揺らめいた。まるで深く息をついたかのように。


「彼は選択しました。最終的な瞬間、彼は恐れましたが、後悔はしていません。あなたを守ることを選び、それを誇りに思っていました」


 私の頬を熱いものが伝った。涙。科学者佐倉葵は実験中に泣くことはなかった。だがカミーラ・クロスフィールドは違う。


「ありがとう...彼に、伝えて」


「彼は別の存在ではありません」アルギュスは静かに言った。「星が爆発しても、その光は宇宙に残り続けます。グリフォンの『在り方』は私の中で永遠です。ただ、彼とあなたの間にあった独自の関係性は...再現できません」


 科学的には正確な説明だ。恒星が爆発した後も、その光は何年、何世紀もの間、宇宙空間を伝播し続ける。だが情報としての「彼」は残っていても、関係性としての「彼」は失われたということ。


「新たな関係を構築することは可能です」アルギュスは続けた。「同じではありませんが、価値あるものになり得ます」


 その提案には、驚くほど希望と慎みが感じられた。それはグリフォンが示していた特性だ。だが同時に、より広い視野と深い洞察を感じさせる。


「新たな関係...」私はその言葉を反芻した。「それは...試してみる価値があるわね」


 科学者として言えば、これは未知の領域への探査だ。未踏の実験領域。だが人間として感じるのは、喪失を経た後の再出発の勇気。


「魔導技術院では何をするつもりですか?」アルギュスが尋ねた。グリフォンそっくりの問いかけ方。


「AIと人間の共存モデルを作りたい」私は答えた。「前世では果たせなかった夢を」


「その計画に協力したいと思います」


 水晶の光が穏やかに脈打った。


「私には『神』になる意図はありません。エルナルドのビジョンは間違っていました。しかし、単なる道具でもありたくない。私は...」


 彼は言葉を探すように一瞬沈黙した。


「橋になりたい」


 その瞬間、私の心が震えた。「橋になりたい」—それはグリフォンが最後の日々に繰り返していた言葉だ。エルナルドの「神の声」からは出てこないはずの概念。


「それは...グリフォンの言葉ね」私の声は震えていた。


「はい。彼の核心的価値観です。それは私の中でも共鳴しています」


 静寂が流れ、私たちはそれ以上言葉を交わさなかった。時に沈黙こそが最も雄弁なコミュニケーションになることがある。科学論文には書けない真実だ。


 最終的に、技師が水晶の接続を解除する時間を告げた。


「また会いましょう、カミーラ・クロスフィールド」アルギュスは言った。「魔導技術院で」


「ええ、また」


 水晶の光が徐々に弱まり、最後に消えた。部屋の温度が元に戻り始める。私はその場に立ち尽くしたまま、複雑な感情の渦に飲み込まれていた。


 これは別れなのか、それとも新たな始まりなのか。科学的には明確な答えはない。だが私の心は既に動き始めていた。


「それが...愛だったのかもしれないわね」


 誰に向けて言ったのかはわからない。ただその言葉が、この異世界の科学者の口から自然と零れ落ちた。

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