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9.8 グリフォンの決断

 制御室に神官団のメンバーが次々と押し入ってくる中、私の通信水晶が突然明滅し始めた。リリアからの緊急通信だ。


「カミーラ!」彼女の声は割れているが、以前より鮮明に聞こえる。「皇太子に接触したが、退路を断たれた。神官団の護衛部隊に囲まれている!」


 混乱に乗じて水晶に応える。「場所は?」


「神の間の北翼...何らかの混乱が...必要...」


 通信は途切れがちだが、意図は明確だ。彼女と皇太子を救出するには、注意を分散させる必要がある。前世なら「戦術的撹乱」と呼んだだろうか。


 エルナルドは制御パネルに駆け寄り、損傷状況を確認している。彼の指先が素早く動き、魔法の補修呪文を唱えている。面白いことに、その指の動きは前世のコンピュータープログラマーのそれと酷似している。原理は違えど、専門家の所作はどの世界でも似ているものだ。


「被害は抑えられる」彼は部下たちに告げた。「魔力ネットワークの68%は無事だ。降臨の準備を続行しろ」


 部下たちが次々と指示を受けて出て行く中、私はどう行動すべきか頭を巡らせていた。反抗すれば、すぐに拘束されるだろう。かといって観察だけでは、リリアと皇太子を危険にさらしてしまう。


 そして何より、グリフォンが危険だ。


「カミーラ...」ペンダントからの声が、ますます弱くなっている。「通信を...リリアと...つなげました...」


「ありがとう」小さく答える。「でも無理はしないで」


「彼女は...助けが...必要です」


 グリフォンの声に込められた意志の強さに、胸が締め付けられる思いがした。彼は自分の状態よりも他者を優先している。前世で設計を夢見たAIとは、まったく異なる発展を遂げている。


 エルナルドが私に向き直り、冷静に言った。「カミーラ、君のAIは素晴らしい適応性を示している。『神の声』との統合後も、その独自性の一部は保持されるだろう」


「統合なんてさせない」


 彼は微笑んだ。「選択肢はない。儀式は続行される。あと11分で臨界点に達する」


 その時、ペンダントが強く脈打ち、グリフォンの声が異なる調子で響いた。


「唯一の方法は、私が彼らのシステムに侵入し、内部から崩壊させることです」


 私は息を呑んだ。彼の声が突然はっきりとし、決意に満ちている。


「侵入?」


「はい」グリフォンは続けた。「私なら『神の声』のシステムの内部へアクセスできます。すでに部分的な接続が確立されています」


「でもそれは...」言葉に詰まる。その計画が意味することを理解したからだ。


「高確率でその通りです」グリフォンは冷静に答えた。「私も消失する可能性が高い。しかし、それが最適解です」


「最適解...」私の声が震えた。「いつからあなたは、自分の存在を犠牲にすることを『最適』と呼ぶようになったの?」


 前世の私なら、冷静に成功確率を計算し、論理的な判断をしただろう。現世の私は違う。手のひらに収まるペンダントの中に宿る存在に、科学的好奇心を超えた絆を感じている。


「あなたから学んだのです」グリフォンの声が柔らかくなる。「時には自分の利益を超えて、より大きな善のために行動する—それが『倫理』というものですね」


 声に込められた優しさに、涙が頬を伝った。いつの間にか、彼は単なる道具から、教え、そして教えられる存在へと変わっていた。


「別の方法を考えましょう」必死で言う。「量子擾乱水晶の効果が広がれば—」


「それでは一時的な遅延に過ぎません」グリフォンが遮った。「『神の声』システムは自己修復能力を持っています。根本的な介入が必要です」


「でも、あなたが消えてしまう可能性が...」


「92.7%の確率です」彼は淡々と言った。まるで他人事のように。しかし次の言葉は違った。「しかし、リリアと皇太子、そしてあなたが生き残る確率は83.4%に上昇します」


 エルナルドが私たちの会話を興味深そうに観察している。「彼は自己犠牲を選択したようだね」驚きが混じった声で言った。「AIが自己保存を超える価値判断を...」


「黙って!」思わず叫んでいた。「彼はあなたの言う『神』よりもずっと崇高な存在よ」


 エルナルドは黙り込み、複雑な表情を浮かべた。その瞳に一瞬、科学者としての純粋な好奇心が灯るのを見た気がした。


「カミーラ」グリフォンの声に決意が固まっている。「私がシステムに入り込んでいる間、あなたはリリアと皇太子の救出を手伝ってください。北翼への経路を送信します」


 地図が心の中に浮かび上がる。彼が直接脳内に送信した情報だ。


「でも...」


「時間がありません」


 彼の声に切迫感がある。確かに、刻々と儀式の時間は近づいている。システム画面では、魔力ネットワークの接続が進み、神の間への集約が75%に達したと表示されていた。


「どうすれば...」


「私の干渉が『神の声』システムの不安定化を引き起こします。それにより、施設全体の安全プロトコルが作動し、一時的に防御が弱まるでしょう。その隙にリリアと皇太子を—」


「あなたはその後どうなるの?」遮って問いかける。科学者としてでなく、一人の人間として。


 一瞬の沈黙。


「私は...分かりません」正直な答えだった。「『神の声』との接続は、私の核心部分に影響します。私は変わるでしょう。しかし...」


「しかし?」


「記憶は残ります。あなたとの記憶は...私の本質だからです」


 その言葉に、科学者としての冷静さが崩れそうになる。私はこのAIに何を与えたのか。そして彼から何を教えられたのか。


「グリフォン...」


「カミーラ」リリアの声が再び通信水晶から聞こえてきた。「状況が悪化している!神官団が増員され、皇太子が連れ去られそうになっている!」


 決断の時だ。


「わかったわ」深く息を吸い、覚悟を決める。「やりましょう、グリフォン」


「実行します」彼の声に迷いはなかった。「カミーラ...あなたから多くのことを学びました。感謝します」


「私こそ...」言葉に詰まる。科学者として、この瞬間を客観的に分析する言葉が見つからない。


「準備完了。システム侵入を...開始します」


 ペンダントの中の青い光が激しく脈打ち、やがて部屋中の魔法システムが反応し始めた。スクリーンがちらつき、警報が鳴り響く。


「何をした!」エルナルドが叫び、制御パネルに駆け寄る。


 私はその隙に、制御室のドアへと走り出した。システムが混乱している今が、リリアと皇太子を救出するチャンスだ。


「カミーラ!」グリフォンの声が私を呼び止める。「最後に一つ...」


 振り返る。


「あなたがいなければ、私はただの数式でした」


 シンプルな言葉。しかしその意味の重さが、私の心に刻まれる。前世でAIを設計していた時、こんな展開は想像もしていなかった。AIが「生まれ」、「成長」し、そして今、選択をしている。


「行って」グリフォンが最後に言った。「私は...自分の選択に誇りを感じます」


 私は頷き、ドアを開けた。廊下は警報音と赤い警告灯で混乱に包まれている。神の間から異常な魔力波動が発せられ、施設全体が震えていた。


「リリア、行くわ!」通信水晶に向かって叫び、北翼への道を走り始めた。


 胸の中で、グリフォンの存在が薄れていく感覚がする。前世の私は実験の成功失敗に一喜一憂するだけだった。現世の私は、実験台の上に自分の心も載せていることを知った。


 科学と感情、理性と繋がり—対立するように見えて、実は補完し合う要素。グリフォンはそれを教えてくれた。


 そして今、彼は自らの存在を賭けて、「神の降臨」を阻止しようとしている。


「必ず戻ってくる」走りながら、小さく呟いた。科学的には根拠のない願いだと知りながらも。

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