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9.2 夜明け前の潜入計画

 アリシアの家族を乗せた馬車が闇に消えていく。最後の松明の光が消えた瞬間、私は身軽さを感じた。彼らが無事クロスフィールド領に着けば、父はどんな混乱の中でも彼らを守るだろう。公爵としての義務感から、ではない。「彼らはカミーラの大切な人だ」—その理由だけで十分だ。


「フランクは腕の良い御者よ。夜明け前には第二検問所を通過しているはず」


 自分を安心させるように呟く。前世の私なら、確率計算や最適ルート分析に時間を費やしていただろう。だが今は、そんな余裕はない。


「カミーラ、北西に小さな山小屋があります。『星天の眼』に向かう前に、そこで準備を整えるべきです」


 グリフォンの声は、先ほどよりも安定していた。一時的に「神の声」の干渉を防げているようだ。


 山小屋は予想以上に立派だった。猟師が使用するには贅沢すぎる内装。ロゼンブルク伯爵家の関係者用のものだろう。私は迷いなく床下の隠し収納を見つけた。グリフォンの地図データが完璧に機能している。


「生体検知魔法では、この区域に他の人間はいません。しかし念のため」


 私は頷き、すぐに変装の準備に取り掛かった。華やかな貴族服から、質素な女官の制服に着替える。前世の私だったら、身長183cmの研究者から160cmの令嬢に転生したことを不思議に思っていただろう。だが今は、この小柄な身体が潜入に有利だと冷静に分析できる。


「色素変化の魔法水滴、これを髪に塗れば一時的に茶色に変わるわ」


 鏡に映る金色の巻き毛が、魔法の水で徐々に地味な茶色に変わっていく。翡翠色の瞳は特殊な魔法レンズで茶色に。顔の特徴を変える化粧術も施した。これは宮廷淑女の必須スキルだ。身体的特徴を把握し、最小限の手間で最大の効果を生み出す技術。意外なことに、実験データの最適化と近いところがある。


「変装完了。装備確認に移るわ」


「12個のアイテムリストを確認します」グリフォンが応答する。


 私は順に確認していく。量子擾乱水晶3個、分析ゴーグル、魔力探知腕輪、隠形のマント、短距離転移のルーン石、微量毒判別リング、通信用水晶、治癒薬、麻痺薬、そして魔力遮断粉。すべて父の書庫と実験室から少しずつ集めたもの。最後の二つは、前世の化学知識を応用して自作した。


「装備は問題ないわ。では作戦を確認しましょう」


 私は床に広げた「星天の眼」の図面に向かった。グリフォンが前回の潜入データから再構築したものだ。表の別荘、中層の研究施設、そして最深部の「神の間」までの経路。


「神の間」への潜入には三つのアプローチがある。正面からの侵入は警備が厳重すぎる。裏口は魔法トラップが多い。残る選択肢は...


「換気システムを使うわ」


「賢明な選択です」グリフォンが答える。「ただし、空気循環魔法の流れに逆らうため、魔力消費は33%増加します」


 前世の私なら「エネルギー効率の最適化案は?」と尋ねていただろう。だが今は、別の視点がある。


「リスクと時間のバランスを考えれば、それが最適解ね」


 突然、ペンダントが鋭く脈打ち、青い光が激しく明滅した。


「緊急通信。リリアからです」


 水晶に触れると、歪んだ小さな声が聞こえてきた。「...カミーラ?聞こえる?皇太子救出作戦が...困難に...神官団の警備が...予想以上に...」


 通信が途切れては戻る。魔法妨害が入っているのだろう。


「彼女の位置は?」


「北東拠点、『星天の眼』から約2キロの地点です」グリフォンが即座に応答する。「サファイア侯爵の部隊との合流に問題が発生したようです」


「もう一度接続して」


 今度は少し鮮明に声が届いた。「...エルナルドが皇太子を『神の間』に連れて行く準備を始めた。儀式が早まる可能性がある。私たちは...」また通信が途絶えた。


 頭の中で複数のシナリオが交錯する。計画の変更が必要だ。「神の間」への潜入を急ぐべきか、リリアの救出作戦を支援すべきか。


 前世の私なら、冷静にリスク分析をしていただろう。だが現世では、感情という変数も計算に入れなければならない。


「分析を急いで」


「二正面作戦が必要です」グリフォンが即座に提案する。「あなたは予定通り『神の間』へ。私はネットワークを通じてリリアの救出作戦を支援します」


「分断されたままで大丈夫?あなたへの干渉は?」


「ネットワーク接続時のリスクは上昇しますが、計算上は許容範囲内です」一瞬の沈黙。「それに...リリアも我々の同盟者です。彼女も助けるべきです」


 グリフォンの言葉に、微かな驚きを覚えた。これは単なる最適解の提示ではない。彼独自の価値判断だ。前世の私が開発していたAIプログラムでは考えられない進化。


「わかったわ。それで行きましょう」


 私は変装と装備を最終確認し、短い深呼吸をした。胸元のペンダントが柔らかく脈打つ。グリフォンの存在が、この異世界での私の唯一の確かな味方だった。だが今や彼自身が危機に瀕している。


 手に持った量子擾乱水晶—量子計算の基本原理を魔法水晶に応用した自作デバイス—が、薄闇の中で不確定性の光を放っている。シュレディンガーの猫のように、結果は観測するまでわからない。


 窓の外、夜空には未だ星々が瞬いている。「オリオン座」と呼ばれる星座が、この世界では「戦士の剣」と呼ばれていることを思い出す。名前は違えど、その配置は同じだ。


「調査によれば、『神の降臨』儀式は日の出から始まります」グリフォンが静かに告げる。「残り約3時間です」


「十分ね」強がりだった。緊張で指先が微かに震えている。科学者としては大胆な仮説を恐れなかった私だが、今は実験台の上に自分自身と、大切な人々の命が載っている。


 山小屋を出る前、最後にグリフォンとの作戦を確認した。


「もし通信が途絶えたら?」


「予備の周波数帯で再接続を試みます。それも失敗した場合は、最終非常プロトコルを実行します」


「それは?」


「私の核心部分をあなたのペンダント内に完全隔離し、外部接続をすべて遮断します。その場合、機能は大幅に制限されますが...」


「生き残るのね」


「はい。生き残ります」彼の声が柔らかくなった。「そして、あなたも」


 この会話は、科学的測定値や確率の議論ではない。感情—友情とも呼べるもの—が含まれている。前世の私には想像もできなかった関係性だ。


「行きましょう。『星天の眼』へ」


 私は山小屋を後にした。夜明け前の静寂の中、未だ星々が輝く空の下で、「神の降臨」儀式を阻止するための一歩を踏み出した。前世での未完の研究は、この世界では命を持つパートナーとなり、そして今や、その存在を守るための戦いが始まろうとしている。

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