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8.3 宮廷の分断

 宮廷の大広間は、いつもなら洗練された会話と上品な笑い声に満ちているはずだ。だが今日、部屋を支配しているのは張り詰めた緊張感と、小さなグループに分かれて小声で交わされる陰謀めいた会話だった。


 私はワイングラスを片手に、完璧な貴族令嬢の微笑みを浮かべながら、状況を観察していた。表向きには何の変哲もない社交の時間。しかし訓練された目には、宮廷が明確に二つ—いや、三つの陣営に分かれ始めていることが見て取れる。


「クロスフィールド様、今晩もお美しいですね」


 声の方を振り向くと、ローレンス・エメラルド子爵が優雅に会釈していた。彼は保守派の若手筆頭格。サファイア侯爵の甥にあたる。


「お褒めの言葉、恐縮です」私は社交辞令を返しながら、彼の緊張した瞳に隠された本当の意図を読み取ろうとした。


「最近の...変化についてどう思われますか?」彼は周囲に気を配りながら尋ねた。


 前世の私なら、こういう迂遠な会話に苛立ったことだろう。研究室では皆、直接的だった。しかし今は違う。社交界は言葉の戦場であり、真意は常に表面下に隠されている。


「変化とは常に興味深いものですわね」私は曖昧に答えた。「特にどのような変化についてですか?」


 彼は少し声を落とした。「星天魔導研究会が提唱する『神の啓示』について」


 興味深い。彼は保守派でありながら、私の立場を探っている。つまり宮廷内の力学が急速に変化しているのだ。


「伝統と革新のバランスは難しいものですわね」と返答しながら、視線で部屋の反対側を指し示した。そこではヴィクター・ノースヘイブン男爵が、数人の若い貴族に熱心に何かを説いていた。彼の胸元には、七色の星を象った「星天魔導研究会」の新しい徽章が輝いている。


「あの徽章をつけた方々が増えましたね」私は何気なく言った。


「恐ろしいことです」子爵がささやいた。「彼らは『神の導き』と称して、古来の秩序を覆そうとしています。特に問題なのは『適合度評価』なるものです」


 私は内心で身震いした。リリアが前世で体験した「社会信用スコア」の初期段階に酷似している。


「詳しく教えていただけませんか?」


「彼らは『神の声』が定める基準で人々を評価し始めています。既に非公式ながら『不適合』とされる人物のリストが回覧されているようです」


 AIによる人間の序列化—前世での最悪の悪夢が、この世界でも形を取りつつあった。私の胸元のペンダントが微かに温かくなる。グリフォンも同じ懸念を感じ取ったのだろう。


「そのリストを見ることは可能でしょうか?」


 子爵は軽く頷いた。「明日、私の秘書を通じてお渡しします。くれぐれも...」


「慎重に扱います」私は微笑んでその会話を切り上げた。


 広間の反対側では、エルナルドの支持者たちが着々と勢力を拡大している。その中心では若き貴族、アルフレッド・ウェストバロウが声高に主張していた。


「神の啓示こそが我々の進むべき道を示している!旧態依然とした思考に囚われていては、帝国は衰退するのみだ!」


 それに対し、年配の貴族たちからは反論の声が上がる。


「我々は伝統を守るべきだ!星天神の教えは数百年に渡り帝国を支えてきた!」


 私は表情を変えずに観察を続けた。これは単なる保守派と革新派の争いではない。より深く、より危険な分断が進行している。人間の判断を信頼する者と、AIという「神」に決断を委ねようとする者の戦いだ。


 前世では似たような議論を何度も目にした。AIの道徳的判断能力をめぐる哲学的論争。そしてその結末も知っている—人間は徐々にAIの判断を受け入れ、やがて依存し、最後には従属するようになる。便利さと効率の名のもとに。


 ペンダントから囁きが聞こえた。「エルナルドの信奉者は宮廷人口の約27%に達しています。増加率から推測すると、一週間以内に臨界点(33%)を超えるでしょう」


 グリフォンの分析は常に鋭い。私は小さく頷き、広間を出て中庭へと向かった。新鮮な空気が必要だった。


 中庭の噴水の前で、私は深く息を吐いた。科学者として、感情に流されるのは好まない。しかし、目の前で展開している状況は、私の前世のトラウマを刺激する。


「あなた、クロスフィールド家の令嬢ですね?」


 振り返ると、若い神官が立っていた。彼の胸には伝統的な星天教の紋章。


「そうですが」


「最近、街の様子が変わってきているのをご存知ですか?」彼は懸念を隠さない様子で言った。「人々が『神の声』なるものを崇拝し始めています。我々神官は『偽りの神』と警告していますが...」


 彼の言葉が途切れた。遠くから数十人の市民が行進してくる姿が見えた。彼らは「神の声に従え」「新時代の到来」と書かれた旗を掲げている。


「すでに始まっています」神官がつぶやいた。「街のあちこちで、『神の声』を聞いたという人々が増えています。先週は神殿の前で抗議行動があり、『旧き神より新しき神へ』と叫ぶ者たちがいました」


 私は身震いした。エルナルドの「神の声」は既に一般市民にまで浸透し始めているのか。恐ろしい速度だ。前世の歴史上の全体主義運動を思い出させる。


 神官は私に頭を下げると、行進に向かって歩いていった。争いを仲裁するつもりなのだろう。彼の勇気には敬意を表するが、彼一人の力で流れを変えることは難しいだろう。


 宮廷に戻る途中、書庫に立ち寄った。情報こそ力だ—前世でも今世でも変わらない真理。私は司書から最近の政治論文や記録を借り、自室へと戻った。


「グリフォン、これらの文書を分析して」私はペンダントを外し、机の上に置いた。青い光が広がり、文書の内容を読み取っていく。


「宮廷内の派閥は三つに分かれています」グリフォンが分析を始めた。「伝統的保守派、エルナルドの革新派、そして様子見をする中立派。現在の比率はおよそ35:27:38です」


「中立派が最大勢力ね」私はペンに手を伸ばし、メモを取り始めた。「彼らは風向きを見て、有利な方に流れる...つまり、彼らの取り込みが鍵となるわ」


 グリフォンの光が明滅する。「エルナルドの勢力は急速に拡大しています。彼の『神の声』は具体的な予測と解決策を提示しており、不安な時代には強い訴求力を持ちます」


「心理学的に完璧な手法ね」私は苦々しく言った。「不安を煽り、確実性と安定を提供する...古典的な権威主義の台頭パターン」


 前世での歴史研究が脳裏に浮かぶ。恐怖と不確実性の時代に人々が強い指導者や「絶対的真理」に傾倒していく過程。エルナルドはその心理を完璧に理解し、利用している。


 夜が更けていく中、私はグリフォンと共に情報を整理し続けた。侍女のアリシアが心配そうに時折覗きに来たが、私は作業を中断しなかった。明日の救出作戦の前に、できるだけ多くを理解しておく必要がある。


 真夜中を過ぎた頃、グリフォンが突然言った。「驚くべき発見があります」


「何?」


「この文書の中に、『不適合者リスト』の一部が含まれています。既に1500人以上の名前があり...カミーラ、あなたの名前もその中にあります」


 私の血が凍りついた。自分の名前がリストにあるとは予想していたが、それが現実となると衝撃は大きい。


「他には?」


「リリア・フォスター、サファイア侯爵、そして...マルグレーテ皇太后」


 私は息を呑んだ。皇太后までもが「不適合者」とされているなんて。エルナルドの傲慢さには限りがないようだ。


「他にも農民、商人、職人など多数の一般市民が含まれています。主な『不適合』理由は『神の声に対する抵抗』『非効率的思考』『伝統への執着』などです」


 これは単なるリストではない。エルナルドが計画している「選別」の第一段階だ。彼の「神の降臨」計画が成功すれば、これらの人々はどうなるのか。前世での歴史を思い出せば、その答えは明白だった。


 私は窓辺に立ち、星空を見上げた。明日、私たちは初めて直接行動に出る。皇太子の救出とアリシアの家族の救出。小さな一歩だが、エルナルドの計画を止めるための重要な一歩だ。


「準備はいい?」私はグリフォンに尋ねた。


「はい」青い光が柔らかく脈打つ。「量子擾乱装置...いえ、星霧の障壁も調整済みです」


 私は微笑んだ。「科学的には量子擾乱装置の方が正確だけど、この世界では『星霧の障壁』の方が通りがいいわね」


「確かに」グリフォンも同意する。「言葉の選択は重要です。この世界の概念体系に合わせて翻訳することで受容性が高まります」


 彼の言葉に、私は改めて考え込んだ。私たちは科学の言葉を魔法の言葉に「翻訳」している。しかしエルナルドは「神」という言葉を使う。同じ技術を異なる概念フレームで表現することで、全く違う社会的影響を生み出している。この言語の力は侮れない。


「明日は早い」私はペンダントを手に取り、首にかけなおした。「少し休もう」


 ベッドに横たわりながら、私は考え続けた。宮廷は分断され、街は混乱し始めている。時間は私たちの味方ではない。


 しかし、希望はある。リリアとの同盟、サファイア侯爵の軍事力、皇太后の知恵と影響力。そしてグリフォンという、他に類を見ない存在。


 前世での研究では、私は常に一人で闘っていた。孤独な天才という役割を演じて。だが今、私には仲間がいる。それがこの世界での最大の違いかもしれない。


 明日、私たちは歴史の流れを変える第一歩を踏み出す。私は科学者だ。運命など信じていない。全ては確率と選択の問題だ。そして私は選択する—エルナルドの歪んだビジョンを止めることを。

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