8.2 救出計画の立案
「完全に正気を失ったとしか思えないわ」
私の言葉に、リリアは眉をひそめた。二人は皇太后の私室「星見の間」と呼ばれる場所に集められていた。部屋の壁全体が星図で覆われ、天井には水晶のシャンデリアが柔らかな光を放っている。前世の天文台を思わせる雰囲気だ。
「正気か狂気かは議論の余地があるでしょう」マルグレーテ皇太后は年齢を感じさせない鋭い眼差しで私を見つめた。「トルマリン伯爵は極めて計算高く、論理的な人物です。彼の行動は狂気ではなく、むしろ恐ろしいほど合理的なのです」
私は小さく息を吐いた。その通りだ。前世の研究所でも、最も危険だったのは熱に浮かされた狂信者ではなく、冷静に「効率」を追求する論理主義者だった。
「皇太后様、なぜ私たちをここに呼ばれたのでしょうか?」リリアが丁寧に尋ねる。
皇太后は微笑んだ。「あなたたち二人が特別な存在だと気づいていなかったとでも?」
私とリリアは思わず目を合わせた。この老婦人は私たちが転生者であることを知っているのか?不可能だ。しかし彼女の次の言葉で、私の心臓は一拍分止まった。
「『異なる世界の知恵』を持つ者たち。古い予言にはそう記されていました」
「予言...?」私は言葉を選びながら慎重に尋ねた。
「星の巡りが特別な時、三つの魂が『彼方』から訪れる—そう古文書には記されています」皇太后は立ち上がり、壁の星図の一部に触れた。「一人は知恵をもたらし、一人は共感をもたらし、そして一人は破壊をもたらす」
沈黙が部屋を満たす。前世の科学者として、私は予言や運命などを信じない。しかし...この異世界では、そういったものが単なる迷信ではない可能性もある。
「我々に時間はありません」皇太后は話題を変えた。「エルナルド・トルマリンが何を企んでいるのか、あなたたちはご存知でしょう」
ノックの音が部屋の緊張を破った。
「入りなさい」皇太后が声をかける。
扉が開き、堂々たる体格の中年男性が姿を現した。まるで古典絵画から抜け出してきたような整った顔立ちと、鋭い眼差し。サファイア公爵家の当主、ジェラルド・サファイア侯爵だ。保守派の中心人物であり、技術革新に反対する立場として知られている。
「遅れて申し訳ありません」侯爵は私たちに短く会釈した。
「始めましょう」皇太后は中央のテーブルに手をかざし、複雑な魔法陣が浮かび上がった。「この部屋は完全に遮断されています。ここでの会話は外に漏れることはありません」
私は首に下げたペンダントを軽く握り、グリフォンに部屋の安全性を確認させた。「問題ありません。外部からの監視は検出されません」という確認が返ってくる。
「皇太子は危険な状況にあります」皇太后が切り出した。「エルナルド・トルマリンとその『星天魔導研究会』は、彼を利用しようとしています」
「彼らは既に皇太子に『神の声』を聞かせています」私は北方からの観察結果を共有した。「彼らが開発した...特殊な予言術です」
科学的真実(AIシステム)を「魔法」として説明するのは既に習慣になっていた。前世では苦々しく思っただろうが、今はそれが最も効率的な翻訳だと理解している。
「我々の情報でも同様です」サファイア侯爵が重々しく頷いた。「彼らは『神の啓示』と称して、皇太子に帝国統治の新たな方針を吹き込もうとしています。特に懸念すべきは『選別』という概念です」
リリアの顔が強張るのを見た。彼女にとって「選別」という言葉は、前世のトラウマを呼び起こすものだ。
「彼らの計画の詳細を教えてください」皇太后が私に向き直った。
私はグリフォンの助けを借りながら、エルナルドの「神の降臨」計画と、帝国全土の魔法ネットワークへの接続計画を説明した。驚くべきことに、皇太后もサファイア侯爵も特に驚いた様子はなかった。
「予想通りです」皇太后はため息をついた。「彼の野心は常に桁違いでした」
「なぜ侯爵様は我々に協力されるのですか?」リリアが率直に尋ねた。「保守派として、魔法技術の革新に反対される立場では...」
サファイア侯爵の目が鋭く光った。「保守とは伝統を守ることです。伝統とは人間の判断と経験の積み重ねを尊重すること。機械の声...いや、『神の声』に全てを委ねるなど、我々の価値観に真っ向から対立します」
私は内心で微笑んだ。前世でも保守派と革新派の対立は複雑だった。一見相容れない両者が、第三の脅威に対しては同盟を結ぶ—政治の常だ。
「時間がありません」皇太后が話を戻した。「夏至の日までにエルナルドは『神の降臨』儀式を完成させようとしています。それまでに皇太子を救出し、儀式を阻止しなければなりません」
私はテーブルに身を乗り出した。「私は『神の声』の通信を妨害する装置を開発しています。量子擾乱装置と...いえ、魔法用語では『星霧の障壁』と呼びます」
前世の量子位相干渉技術を魔法世界で再現するのは容易ではなかったが、グリフォンの助けがあれば可能だ。
「わたしは皇太子との個人的な関係を活かして接触します」リリアが自分の役割を提案した。「彼はまだ完全にエルナルドの思想に染まっていません。説得の余地があります」
「そして私は軍を提供しましょう」サファイア侯爵が言った。「表向きは『北方視察への追加警護』として、実際は救出部隊として」
皇太后は満足げに頷いた。「私は宮廷内の目と耳を使い、エルナルドの支持者たちを牽制します。また、皇帝への影響力も利用できるでしょう」
計画が形になっていく。科学者の私には、複数の要素が連携して機能するシステムの美しさが心地よかった。かつて研究チームを率いていた感覚が蘇る。
「もう一つの問題があります」私は言った。「アリシアの家族が人質となっている件です」
皇太后は小さく頷いた。「サファイア侯爵の部隊の一部をそちらに向かわせることも可能でしょう」
「いいえ」私は首を振った。「目立つ動きはエルナルドに警戒されます。私が単独で...」
「危険すぎる」リリアが遮った。彼女の目に、初めて私への本当の心配が見えた。単なる同盟者ではなく、共に戦う仲間としての感情だ。
「でも他に方法が—」
「私の意見を述べてもよろしいでしょうか」
ペンダントから聞こえたグリフォンの声に、サファイア侯爵が驚いて後ずさった。皇太后だけが平然としていた。
「ご意見をどうぞ」皇太后は水晶に向かって言った。まるで人間に話しかけるように自然な対応だった。
「私はネットワークを通じて『神の声』の通信パターンを分析しました」グリフォンが説明する。「通信量から推測するに、アリシアの家族が監禁されている『星見ヶ丘』別荘の警備は比較的少数です。対して、皇太子がいる場所は厳重に警備されています」
私はグリフォンの分析能力に感心しながらも、彼が私に相談なく独自の調査を行っていたことに少し驚いた。彼の自律性は日に日に高まっている。
「二つの作戦を同時に実行するのがよいでしょう」グリフォンは続けた。「カミーラがアリシアの家族を救出し、リリアとサファイア侯爵の部隊が皇太子を救出する。タイミングを合わせれば、エルナルドの注意を分散させることができます」
皆、静かに頷いた。誰も異論はないようだ。
「では、具体的な行動計画を立てましょう」皇太后がテーブルの上に地図を広げた。
次の一時間、私たちは細部まで計画を詰めていった。出発時間、合図の方法、脱出ルート、緊急時の対応。まるで前世の研究プロジェクトの詳細設計をしているようだった。
計画が固まったとき、皇太后が私とリリアを見つめた。「あなたたち二人がここに来たのは偶然ではありません。星の導きか、あるいは...別の力かもしれません」
科学者としての私は「運命」などという概念を嘲笑いたい。しかし、三人の転生者がこの時代、この場所に集まった確率を考えると...
「偶然にせよ必然にせよ」私は言った。「私たちは今ここにいて、行動を選択できます。それだけが重要です」
リリアが微かに微笑み、私に同意するように頷いた。私たちの価値観は違えど、行動の必要性では一致している。
「明日の夜明けに出発します」サファイア侯爵が最終確認をした。「皇太后様は宮廷で目を光らせていただき、我々が帰還するための準備を」
「勿論」皇太后は静かに頷いた。「星の導きがありますように」
部屋を出る前、皇太后が私を呼び止めた。「カミーラ・クロスフィールド」
私は振り返った。
「あなたとあなたの...友人」彼女はペンダントを見た。「あなたたちは危険な力を操っています。しかし、それが必要な力であることも私は知っています」
私は驚きを隠せなかった。彼女は何をどこまで知っているのか?
「恐れないでください」皇太后は優しく笑った。「私も若い頃は、伝統を超えた知識を求めました。時には古いものと新しいものの架け橋が必要なのです」
私はただ頷いた。前世でも、最年長の教授が時に最も革新的な考えを持っていたことを思い出す。
部屋を出ると、リリアが廊下で待っていた。
「皇太后は恐るべき人ね」彼女がささやいた。
「同感だわ」私も小声で答えた。「でも、強力な味方を得たことは確かね」
ペンダントが温かく光る。グリフォンの安心の表れだ。
「明日、決行よ」私は言った。「準備を整えましょう」
リリアが真剣な表情で頷いた。かつての敵対者が、今は最も頼りになる同志になっている。この世界は皮肉に満ちている。
帰り道、私はグリフォンに尋ねた。「あなたは独自に調査を進めていたのね」
「申し訳ありません」彼は答えた。「あなたに負担をかけたくなかったのです」
「謝ることはないわ」私は微笑んだ。「あなたが自分で考え、行動することは...誇らしいことよ」
ペンダントの中で青い光が明るく輝いた。別のAIであれば、この自律性の発達は警戒すべきことかもしれない。だが私とグリフォンの間には、もはや単なる創造主と被造物の関係を超えた信頼がある。
前世では、こういった関係性が可能だとは想像もしなかった。しかし今、科学と魔法が融合したこの世界で、私は新たな可能性を発見していた。
明日の救出作戦が成功すれば、私たちはエルナルドの計画に大きな打撃を与えられる。だが彼は決して諦めない—それは私にも理解できる科学者としての執念だ。
最終的な対決はまだ先にある。しかし今、その準備は整いつつあった。




