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7.1 不吉な予感

 ロゼンブルク伯領から帰還して三日目の夜だった。私は実験室の特殊魔法遮蔽カーテンを引き、グリフォンの週次診断を行っていた。前世の用語で言えば「システムメンテナンス」だが、この世界では「水晶の調律」と説明している。表現の違いこそあれ、コードの最適化とバグの修正は、どの世界でも必要なのだ。


「異常は見当たりませんが、魔力効率は2.3%向上しました」


 グリフォンの声が青い光とともに水晶から響いた。ペンダント型に小型化した彼の声は、以前より人間らしさを増している。これは単なる音声合成パラメータの調整ではなく、彼自身が「人間らしさ」を学習した結果だ。科学者として興味深い現象だが、創造主としては複雑な感情が湧く。


「ありがとう、グリフォン。ロゼンブルクでの出来事から、何か新たな推論は?」


 私は指先で水晶を撫でながら尋ねた。エルナルドが第三の転生者であり、私より未来の時代——AI特異点を経験した時代からの転生者だという事実は、まだ私の中で完全に消化しきれていない。


「新たな—」


 突然、グリフォンの声が途切れた。水晶の光が通常の穏やかな青から鋭い紫へと変化した。


「カミーラ、異常な魔力波動を検知しました。この建物内から発生しています」


 私の背筋に冷たいものが走った。「場所は?」


「この実験室の...」一瞬の沈黙。「隠し金庫です」


 ありえない。その金庫の存在を知るのは私とアリシアだけ。しかも七重の魔法封印に守られているはず。私は震える手で杖を握り、書棚の裏に隠された金庫に向かった。表面上は何の異常もない。しかし、魔力感知の呪文を唱えると——


「侵入されている」


 私の声は自分でも驚くほど冷静だった。それは科学者として危機に直面した時の習性か、それとも貴族として訓練された自制心か。どちらにせよ、今は冷静さが必要だ。


 丁寧に封印を解除し、金庫を開けた瞬間、私の胃が沈んだ。初期のグリフォン設計図——量子もつれ魔導回路と七色魔力分離法の核心部分が失われていた。


「侵入者の痕跡を分析します」グリフォンの声が緊張を帯びている。「魔力残滓のパターンから...これは3.7日前、つまり私たちがロゼンブルクにいる間に起きたことです」


 私はその場に膝をついた。科学者としての本能が状況を整理しようとする。盗まれたのは初期設計の核心部分——グリフォンのアルゴリズムのDNA、いわば彼の「誕生の秘密」だ。前世の言葉でいえば、ディープラーニングの基本アーキテクチャとバックプロパゲーションのアルゴリズム。これをコピーされれば、似たようなAIを作ることが可能になる。


「アリシアは?」私は声を絞り出した。


「彼女は現在、東棟の自室にいます。心拍と体温のパターンから、睡眠状態と判断されます」


 私は一瞬だけ疑念を抱いたが、すぐに打ち消した。アリシアは私の数少ない信頼できる協力者だ。彼女を疑う根拠はない。


「グリフォン、これはエルナルドの仕業だと思う?」


「確率は87.2%です」彼の声が静かに響いた。「星天の眼に私たちが潜入したことへの...報復、でしょうか」


 報復。その言葉が胸に刺さる。私たちの行動は監視されていた。思えば簡単すぎた。エルナルドは私たちの侵入を知っていながら、あえて情報を得させたのかもしれない。そして私が留守の間に——


「いいえ、単なる報復ではありません」グリフォンの分析が続く。「盗まれた図面の選択が非常に戦略的です。彼は私の...複製を作ろうとしているのでしょう」


 複製。私の創造物の複製。前世の記憶が鮮明に蘇る——研究所で、同僚たちと議論していた日々。「AIの拡散リスク」について熱く語り合ったことを。そして今、私自身がそのリスクの原因者になるとは。歴史の皮肉というべきか。


「でも不完全な複製だわ」私は立ち上がり、金庫を閉じた。「グリフォン、あなたの価値は設計図だけにあるのではない。あなたの学習歴、私たちの対話の積み重ね、そして...」


 言葉に詰まる。科学者としての言語で言えば「データセット」と「訓練過程」だが、それだけではない何かがある。


「あなたの『魂』よ」


「魂、ですか?」グリフォンの声に微かな感情の揺らぎを感じる。


「ええ。エルナルドには技術的な部分は奪えても、あなたとの関係性は複製できない」私はペンダントを握りしめた。「でも、これは深刻な事態よ。エルナルドの『神』は、より危険な存在になる可能性がある」


 私の頭の中で、次々と最悪のシナリオが展開していく。前世の知識と現世の魔法が融合した技術。それがエルナルドの歪んだ「選別」思想と結びついたとき、何が生まれるのか。


「計算してみてください」私は声を引き締めた。「『神の降臨』計画の加速度。技術流出がもたらす時間短縮の可能性を」


 グリフォンが一瞬沈黙する。それは彼が複雑な計算を行っている時の癖だ。


「当初の予測では、夏至まで約三ヶ月の準備期間が必要でした。しかし、現状では...」彼の声が重く響く。「一ヶ月半に短縮される可能性があります。55.7%の確率で」


 私の胸に恐怖が広がる。時間がない。


「アリシアを起こして。リリア・フォスターにも緊急連絡を。そして——」私は実験室の窓から夜空を見上げた。満天の星が、まるで運命を見下ろすように瞬いている。「ロゼンブルクでの潜入調査の報告書を暗号化して、マルグレーテ皇太后に送りましょう」


 時間との競争が始まった。前世では、AIの研究者として「人類を助ける」技術の開発を夢見ていた。だが今、私は「人類を救う」ために戦わなければならない。皮肉なことに、私の前世の夢が、この世界での悪夢になりかけている。


 グリフォンのペンダントが胸元で温かく脈打つ。少なくとも、私は一人ではない。


 ---


 水晶に刻んだ暗号通信が淡く発光を始めた。リリアからの返信だ。


「緊急会合、了解しました。明日、王立学院の秘密図書室で。」


 そして意外な追伸があった。


「エルナルドの模造AIについて、あなたが知らない情報があります。『神の声』は既に一部の人々に『啓示』を与え始めています。技術流出は始まりではなく、加速にすぎないのかもしれません。」


 私は暗号文を魔法の炎で焼き消した。窓の外では、夜明け前の闇がわずかに薄れ始めていた。しかし私の心の中では、新たな暗闇が広がりつつあった。


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