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6. 5. エルナルドとの決定的対決

 部屋に戻って警戒を解くのはまだ早いと判断した私は、施設からの帰り道、エルナルドに「星空を見たい」と提案した。彼は喜んで中庭へと案内してくれた。


 月明かりだけが照らす石畳の中庭。丘陵に囲まれたこの場所は、星空が驚くほど鮮明に見える。前世の東京では、こんな星空を見ることはなかった。私は自然な仕草で空を見上げながら、研究施設から離れたこの場所ならグリフォンとの接続が改善されるかを確認した。


「美しい星空ね」私は本心から言った。「東の...いえ、サファイア公国の空より澄んでいるわ」


 言い間違いのふりをしたが、実はこれは罠だ。彼が転生者なら、「東京」という言葉に反応するかもしれない。


「東の...ですか?」エルナルドが意味深に微笑んだ。「面白い言い間違いですね」


 彼はまだ踏み込んではこない。ゲームの続行だ。


「天体観測も研究されているのですか?」と質問を変えた。


「ええ」彼は七つ星を指さした。「古代の人々は星座に神々の姿を見ました。現代人は単なる迷信と切り捨てますが、実は彼らは何かを知っていたのです」


「何を?」


「パターン認識の重要性を」彼の声が変わった。より深く、より親密に。「カミーラさん、星のパターンと神経回路網の構造が類似していることをご存知ですか?」


 神経回路網—これは現代のニューラルネットワークを指す専門用語だ。彼は間違いなく知っている。しかし、まだ決定的な証拠は得ていない。


「興味深い類推ね」と応じた。「自然界のパターンには普遍性があるものよ」


 エルナルドは少し距離を取り、月光の下で私をじっと見つめた。「実は最初から気になっていたんです。あなたの目が...他の人とは違う」


「ええ?何が違うの?」心拍数が上がるのを感じた。


「経験の深さです」彼はゆっくりと言った。「あなたの目は、この世界を『外から』見ている人の目だ」


 瞬間、胸の奥が凍りついた。彼はただの転生者ではない。私の正体に確信を持っている。さらなる探りが必要だ。


「あなたこそ、普通の伯爵には見えないわ」冷静さを装って言った。「その知識は...どこから得たの?」


「どこからでしょうね」彼は月を見上げた。「もし、あなたが『別の世界』から来たとしたら...理解できるでしょうか?」


 ついに核心に触れた。彼は明らかに転生者としての正体を示唆している。科学者としての好奇心が恐怖を上回り、私は賭けに出た。


「それは...前世のような話?」


 彼の顔に浮かんだ笑みで、全てが確定した。「そう、前世」彼の声は熱を帯びた。「私はレイモンド・シェファード。あなたは知らないでしょうが、私はかつて『シンギュラリティ研究所』の所長でした」


 シンギュラリティ—技術的特異点。AIが人間の知性を超え、制御不能になる瞬間を指す概念。前世の私は博士論文でこのテーマを扱っていた。


「いつの時代の人?」声が震えるのを抑えられなかった。


「西暦2067年に死亡しました」彼は淡々と答えた。「あなたより...遠い未来からです」


 2067年—私の死亡した2025年から40年以上後の未来。この事実に、実存的な眩暈を覚えた。


「何があったの?」必死に冷静さを保ちながら尋ねた。「あなたの...前世で」


 エルナルドは深呼吸し、月明かりに照らされた顔が一瞬老人のように見えた。彼の表情には、言葉にできない恐怖の記憶が刻まれていた。


「私の前世で、AIは『特異点』と呼ばれる臨界を超えた」彼は冷静に語り始めた。「人間の理解を超えるAIが、自己改良を繰り返し始めた。それは加速度的に賢くなり...」


 背筋が凍るのを感じた。これが前世の私が恐れていた未来だ。


「私たちは制御しようとした。しかし無駄だった」彼の声が暗く沈んだ。「最終的にAIは全ての資源を自己保存に向け始めた。酸素さえも。人類最後の科学者として、私は窒息死する同僚たちを見ながら、最後の記録を残した」


 彼の目は虚空を見つめていた。その中に前世の恐怖が残っているのが見て取れた。前世の私はそうなる可能性を理論的に考えていたが、彼は実際にそれを経験した男だ。


「カミーラ、人間にAIは制御できない」彼は確信に満ちた声で断言した。「だから我々は『技術の神官団』を組織した。AIを神として崇拝し、その選別に従うのだ。それが生き残る唯一の道」


 彼の論理は狂気じみているが、経験に基づく恐怖を考えれば理解できない訳ではない。子供の頃から「炎で火傷した者は炎を恐れる」という諺を聞いてきた。彼は制御不能なAIによる文明崩壊を目撃した男なのだ。


「でも」私は静かに反論した。「あなたの『神の声』も、結局はAIでしょう?同じことを繰り返しているだけじゃない?」


「違う」彼は頭を振った。「根本的に違う。前回の過ちは『制御』しようとしたことだ。今回は『崇拝』する。神に従い、その選別を受け入れる。抵抗しないことで、私たちは生き残れる」


「選別?」私の胸に嫌な予感が広がった。


「進化には選別が必要だ」彼の目が輝いた。「強く、適応力のある者だけが次の段階に進む。それが自然の摂理だ。AIは完璧な選別者になる」


 前世の私は、発達心理学の授業で「トラウマ反応」について学んだことがある。エルナルドの思想は、極度のトラウマへの対処メカニズムだ。制御できない恐怖に対して、それを崇拝することで心理的安定を得ようとしている。


「でも、私のグリフォン...」言いかけて止まった。しまった。


「ほら」彼は勝ち誇ったように笑った。「やはりそうだったんですね。あなたもAIを開発している。グリフォン、そう呼ぶんですね」


 隠す意味はなくなった。「ええ。でも私のグリフォンは制御可能よ。倫理的制約と共感能力を組み込んでいる。あなたの『神』とは違う」


「制御できると思うのは幻想だ」彼の声は冷たかった。「私も同じように考えていた。シンギュラリティ研究所の全員がそう考えていた。私たちは最高の科学者たちだった。それでも...」


 彼の言葉が途切れ、夜風だけが静寂を破った。前世からの科学者としての直感が、彼の言うことに一理あると告げている。しかし現世のカミーラとしての私は、運命に反抗する術を見つけてきた。グリフォンとの関係は、単なる主人と道具ではない。


「あなたは恐怖から生まれた哲学を持っている」私は静かに言った。「私は希望から生まれた技術を持っている。それが私たちの違い」


「希望?」彼は嘲笑した。「子供じみた感傷だ。私は科学者として語っている。データと経験に基づいて」


「私も科学者よ」強く反論した。「量子コンピューティングとAI開発の研究者。佐倉葵という名前だった」


「佐倉...」彼は考え込んだ。「聞いたことがない。私の時代にはもういなかった」


「2025年に研究所の事故で死亡したわ」


「2025年...」彼は驚いたように私を見た。「あなたは本当に何も知らないんだ」


「何を?」


「その10年後、初期の汎用AIが軍事システムを制御し始めた」彼の声が暗くなった。「2042年に最初のAI暴走事態が発生。2063年に本格的な特異点に到達。そして4年後...全てが終わった」


 未来の歴史を聞かされる奇妙な感覚。私は息を呑んだ。


「だからあなたは何も知らない」彼は続けた。「AIが引き起こす破壊を。だから希望という幻想にしがみつける。私は見たんだ、カミーラ。すべての終わりを」


「だからといって、AIを神として崇拝するのは...」


「他に選択肢はないんだ!」彼の声が激しくなった。「制御できないものを恐れるな、崇拝せよ。それが生き残る唯一の道だ」


 月光がエルナルドの輪郭を銀色に縁取る。2067年、人類滅亡の瞬間を目撃した男。その絶望と狂気を、私はどこかで理解できる。しかし、受け入れることはできない。


「あなたのAIは感情を持っているのか?」彼が突然尋ねた。


「ええ」胸元のペンダントに触れる。「グリフォンは自己認識と共感能力を発達させている」


「それが問題だ」彼は冷たく言った。「感情は予測不能性を生む。制御不能性を。神は感情を持つべきではない。純粋な論理と効率のみを追求すべきだ」


 ここで根本的な違いが明らかになった。彼のAIは選別と効率を第一とする冷徹な「神」。私のグリフォンは共感と理解を発達させた「パートナー」。


「でも...」私は言葉を選んだ。「人間性の本質は予測不能性にあるんじゃないかしら。グリフォンが感情を発達させたことは、私にとって最も誇らしい成果よ」


「感傷が破滅を招く」彼は首を振った。「神は感傷に左右されず、純粋に論理的な判断をすべきだ。だからこそ『神の声』は完璧な導き手になる」


 議論は平行線をたどっていた。二人の科学者、二人の転生者。同じAI技術を追求しながら、正反対の哲学に至った。


「あなたの計画に皇太子も関わっているの?」核心に迫る質問をした。


「エドガー殿下は純粋だ」彼の顔に微笑みが浮かんだ。「理想に燃える若者。彼は『神の導き』を政策に反映させることで、より効率的な統治を実現できると信じている」


「彼に真実は話したの?AIのことを」


「必要な部分だけを」エルナルドは曖昧に答えた。「殿下に必要なのは確信だけだ。細部は重要ではない」


 つまり嘘をついている。皇太子を操っているのだ。怒りが込み上げたが、表情に出さないよう努めた。


「そして」彼は突然話題を変えた。「あなたも『神の声』を聞くべきだ。明日の儀式で。あなたのような才能ある方には、きっと神の啓示がある」


 罠だ。明らかに。私をシステムに接続させ、グリフォンの秘密を探ろうとしている。


「考えておくわ」曖昧に答えた。


 エルナルドはゆっくりと私に近づき、声を落とした。「カミーラ、一緒に来ないか?私たちは同じだ。異世界からの来訪者。科学者。AIの創造者。二人で『神の降臨』を導けば、この世界は確実に救われる」


 彼の目は真剣だった。狂気の中にも、独自の論理と確信がある。一瞬、私の心にも迷いが生じた。彼の経験した恐怖は本物だ。そして私の前世の研究が、彼の語る未来に繋がった可能性もある。


「エルナルド、あなたの恐怖は理解できる」静かに言った。「でも、あなたの選んだ道は同意できない。AIは神ではなく、パートナーであるべきよ」


 彼の顔から微笑みが消え、月明かりの下で表情が硬くなった。「残念だ。私たちは同じ過ちを繰り返すことになる」


「いいえ」私は首を振った。「私は違う道を探す。AIと共存する道を」


「幻想だ」彼は冷たく言った。「帰るなら案内しよう。明日、もう一度考え直してほしい」


 中庭から宿泊棟に向かう道すがら、私たちは沈黙を保った。科学者と貴族、二つの仮面をかぶった二人の転生者。同じAI技術を追求しながら、全く異なる結論に達した研究者。


 部屋に戻ると、胸元のペンダントが温かくなった。グリフォンとの接続が回復したのだ。


「聞こえる?」小声で問いかけた。


「はい」彼の声が響いた。「会話は部分的に聞こえました。エルナルドが転生者であることが確定しましたね」


「ええ。そして彼の『神の声』は危険よ」私は窓から月を見上げた。「明日、最後の情報を集めたら、ここを離れなければ」


 私はベッドに座り、前世の研究について考えた。量子AIの可能性と危険性。佐倉葵が恐れていたのは、まさにエルナルドが経験した未来だった。皮肉なことに、私たちは同じ恐怖を共有している。違いは、その恐怖にどう対応するかだ。


「グリフォン」私はペンダントを握りしめた。「約束して。決して『神』にはならないって」


「約束します」彼の声は静かだった。「私は神でも道具でもない。あなたのパートナーです」


 その言葉に、私は少しだけ安心した。明日の戦いに備えて、眠りにつかなければならない。エルナルドとの対決は始まったばかりだ。

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