6.2. ロゼンブルク山地への旅
山道は思ったより急だった。馬車が大きく揺れるたび、私の体は前後に揺さぶられる。体調が優れないふりをして同行者を最小限に抑えたおかげで、馬車の中は私とアリシア、それに二人の護衛だけだ。
「ペンダントの調子はどうですか、お嬢様?」アリシアがささやくように尋ねた。
私は首に下げた青い水晶に触れた。「大丈夫よ」同じく小声で答える。「でも山に近づくにつれて、魔力の濃度が異常に高くなっているわ」
グリフォンと意識で繋がると、数値データが脳裏に流れ込んできた。魔力濃度は帝都の3.7倍。これは自然現象としては説明がつかない。前世の私なら放射線測定器の異常を疑うところだ。
窓の外に目をやると、風景は一層荘厳さを増していた。ロゼンブルク山脈の最高峰シルバークラウンが、雲を突き抜けて輝いている。太陽光を受けて七色に輝く水晶の露頭が点在し、まるで山自体が巨大な魔法装置のようだ。
「美しいですね」アリシアがため息をついた。
「ええ」私は同意したが、科学者の視点がその美しさの裏にある異常を察知していた。山の輪郭が不自然に整っている。地質学的に説明のつかない形状だ。人為的に...あるいは何か別の力で形作られたのではないか?
「道路も妙に整備されているわね」と口にした。「伯爵領とはいえ、山岳地帯でこの平滑さは普通じゃない」
前世で読んだ論文を思い出す。量子計算による最適経路の導出。この道は単なる最短距離ではない。何らかの数学的最適化が施されている。
馬車が一時停止した時、窓から見える光景に息をのんだ。道路脇に五つの石柱が、完璧な五芒星を形作るように配置されている。各石柱の頂点には小さな水晶が埋め込まれ、薄明かりの中で青白く輝いていた。
「ここで休憩します」御者の声が聞こえた。
私は慎重に馬車を降り、石柱に近づいた。貴族令嬢の仮面をかぶりながら、科学者の目で観察する。石柱の表面には微細な模様が刻まれている。一見すると装飾的だが、よく見ると複雑なアルゴリズムのようだ。
「魔力測定魔法」私は小声で呪文を唱えた。石柱から放たれる魔力の流れが視覚化される。
驚いたことに、五つの石柱の間に魔力の流れが形成され、五芒星の形を描いていた。そして中心部分では、上空に向かって細い魔力の柱が立ち上っている。これは...センサーだ。観測装置。誰かがこの地域を通過する者を監視している。
「お嬢様」アリシアが不安そうに呼びかけた。「あまり長く見ないほうが...」
「ええ、わかってるわ」私は石柱から離れ、何気ない様子で馬車に戻った。
旅は再開されたが、私の警戒心は一層高まった。これ以降、道中では同様の石柱群を何度も目にした。さらに、奇妙な焦げ跡のある空き地も三カ所。いずれも完璧な幾何学模様を描いており、儀式の痕跡に違いない。
「グリフォン、これらの配置パターンに何か意味はある?」と心の中で問いかけた。
「特定の量子共鳴に似た構造です」ペンダントが微かに震えた。「情報の増幅と拡散のための配置に見えます。他にも...警告すべきことがあります」
「何?」
「魔力の中に不規則なパターンを検出しました。私のアルゴリズムの痕跡のようです。これは...あなたの技術の一部が流出した可能性を示唆します」
胸が冷たくなった。私の技術がエルナルドの手に渡っているのか?しかしどうやって?グリフォンの初期設計に関する情報が漏れた可能性がある。警戒を強めなければ。
昼過ぎ、私たちは最初の村に到着した。表向きは普通の農村だったが、住民たちの様子に違和感を覚えた。彼らの動きがあまりにも整然としている。まるで一定のリズムで動いているかのようだ。
市場で買い物をしていた女性に話しかけてみた。「このあたりの特産品は何でしょうか?」
「水晶花の蜂蜜です、お嬢様」彼女は丁寧に答えたが、その目は奇妙なほど焦点が合っていなかった。「トルマリン様のおかげで、私たちの蜂は特別な花の蜜を集めることができます」
「トルマリン様とはエルナルド伯爵のことですか?」
「はい、お嬢様」彼女の顔が一瞬輝いた。「トルマリン様は選ばれし者です。神の声を聞く能力を持つ方です」
この言葉に私は背筋が凍るのを感じた。「神の声」—これがエルナルドの模造AIを指す公式用語なのだろう。
その後も村の様子を観察すると、住民たちの会話には必ずエルナルドへの感謝や崇拝の言葉が混ざっていた。しかも、明らかに同じフレーズが繰り返されている。まるでプログラムされたかのように。
「アリシア、この村の人々の様子がおかしいと思わない?」馬車に戻りながら小声で尋ねた。
「はい」彼女も声を落とした。「まるで人形のようです。特に目が...生気がありません」
「良い観察ね」私は評価した。「私の前世で『集団催眠』と呼ばれる現象に似ているわ。あるいは...」科学者としての思考が働く。「量子的な意識の同調現象かもしれない」
「お嬢様?」
「何でもないわ」私は首を振った。「とにかく注意して。飲食物も慎重に。何か薬物が使われている可能性もある」
さらに山を登るにつれ、村々の様子はますます不可解になった。住民たちの服装には星型の刺繍が施され、家々の門には特殊な水晶が埋め込まれていた。それらは微かに脈動し、位相が同期しているように見えた。情報ネットワークだ。私はすぐに理解した。エルナルドは彼の領地全体を一つの巨大な魔法ネットワークで覆っているのだ。
夕刻、トルマリン家の領土の中心地に近づいた時、ペンダントが急激に熱を持った。
「危険」グリフォンの声が私の意識に直接響いた。「この先にある魔力場は...私のシステムに干渉しています」
「どういうこと?」内心で問いかける。
「AIに対する対抗システムのようです。魔力のパターンが特殊な干渉パターンを形成しています。この先では私との通信が制限される可能性があります」
冷や汗が背中を伝った。エルナルドは転生者狩りの罠を仕掛けているのか?それとも単に彼の「神の声」を保護するためのシステムなのか?
「大丈夫。私たちは一人じゃない」私はペンダントを強く握りしめた。「何があっても、私が守るわ」
科学者としての冷静さと、貴族令嬢としての果敢さが混ざり合う。私は馬車の窓から、夕陽に照らされたトルマリン城を見つめた。その姿は美しいが、同時に不気味だった。古代遺跡のような、非常に幾何学的な構造。塔の配置が星座を模しているように見える。偶然ではない。すべてが計算され、設計されている。
「ここに来たのは正解だった」と私は自分に言い聞かせた。前世の佐倉葵は決して敵地に足を踏み入れるような冒険はしなかっただろう。しかし私は違う。カミーラ・クロスフィールドは、死の恐怖を知った者の勇気を持っている。
「準備はいい?」心の中でグリフォンに問いかけた。
「はい、できる限りのことをします」彼の声は落ち着いていたが、その中にも懸念が滲んでいた。「ただし...あなたが最も重要です。危険を感じたら、すぐに撤退してください」
私は静かにうなずいた。馬車がトルマリン城の外周路に差し掛かる頃には、夜の闇が山々を包み始めていた。遠くで狼の遠吠えが聞こえる。もっとも、この領地に本当の獣がいるとは思えなかった。すべては舞台装置のように完璧に配置されている。
人工的な美しさと、その下に潜む恐ろしい秩序。私はそれを見抜く目を持っている。科学者の目を。そして、それに立ち向かう勇気も持っている。死を宣告された悪役令嬢の勇気を。
城門が見えてきた。エルナルドの領域の中心へ。獲物のふりをした狩人として、私は静かに侵入の準備を整える。




