5 霊魂の迷宮
目まぐるしく問題が発生する中で対応に追われて、一日が経ったころだろうか。
ようやく一息をつく時間ができ、リナは兵舎中庭のベンチに座り込んでしまった。
レレムの現在状況は、多数の建物が倒壊、火災数十件、負傷者多数といったところか。
ミコトが正しい初動を指示してくれたおかげで、被害はだいぶ抑えられたと言えよう。
だが、被災者の救済はまだまだ必要そうで、猫の手も借りたいくらいだ。
未だに予断を許さない状況ではあるのだが、昨日から一睡もすることができておらず、まぶたがだいぶ重い。
「リナー。ミコト知らない?」
座ったまま眠りそうになっていると、後ろからリュッカが声をかけてくる。
「ああ、リュッカ。知らないわ。部屋じゃないの?」
「いなかったー。どこ行ったんだろ」
休みたいという強い想いが心の内にあるも、彼女はこの魔族都市において肩身が狭いはず。
仕方がなしに重い腰を上げることにする。
「探しに行こっか。ミコトは人族だから、魔族に悪さされてたら大変だし」
実際問題、この街の人族にいる商人たちには数名の衛兵をつけてある。
災害に乗じて人族に平気で犯罪を犯す輩が想定されるからだ。
しばらく兵舎内を探してみたのだが姿が見当たらない。
聞いて回っていると、ある兵士から気になるワードが飛び出して来た。
「リナさんが連れてこられた人族の少女でしたら、昨晩出掛けて行くのを見ましたよ。こんな夜半にどこへ行くのか思い、印象に残ってました」
「昨晩……?」
「はい。ちょうど城門付近の救助をしていたんですが、一人でレレム山の方に向かって歩いて行ってました」
それを聞いて、嫌な予感が増していく。
彼女はリュッカの件に関して独自に調査をすると言っていた。
あれほど一人で行くなと言っていたのに、もしかすると行ってしまったのかもしれない。
「わかりました。ありがとうございます」
そうお礼を述べて、レイナへと連絡魔法を繋ぐ。
「レイナ、リナだけど、ちょっとミコトが一人でレレム山に行っちゃったみたいなの。悪いんだけど、救助の部隊指揮をお願いしていい?」
『えー。あたしもリナと一緒にいたーい』
「お願い。いざという時にレレムに残っておいて欲しいの」
『むぅ。じゃあ今度あたしの部屋にお泊り会だからね』
「わかったわかった。それじゃあ頼むわね」
連絡魔法を切って今度はリュッカに向き直る。
「リュッカ、あなたは部屋で待ってなさい」
「え? やだよ。あたしも行く!」
「ダメに決まってるでしょう。危険すぎるわ」
ミコトといい、リュッカといい、なぜこうも危険に飛び込みたがるのか。
「ふふーん。あたし魔法が使える人族だもん。自分の身は自分で守るから大丈夫だよ」
でも――、と言いかけたところで、リュッカが不安げな顔でこちらを見上げてくる。
「お願い。ミコトは種族も同じだし、最初にあたしを介抱してくれてたし、ほっとけないよ」
切実な願いを込めてくるその言葉にリナは仕方ないとばかりに顔を歪め、彼女も連れて行くことにする。
「わかったわ。ただし、危険だと思ったら帰すからね」
二人してレレムの山へと進んでいく。
まずはリュッカを発見した洞窟からだ。
と思ってこの前の場所に行ってみたのだが――
「洞窟が……ない……!?」
探査魔法を念のため残しておいたので間違いなくここのはずなのだが、洞窟そのものがなくなっている。
「なんで!? どういうこと!? 【ウルトラサウンド】」
超音波魔法を岩壁に放って内部構造を探ってみるも、入り口が埋められたとかそういうわけではなく、本当に洞窟そのものがなくなっている。
「なになにー? どしたのー?」
「あ、えっと、ここにあなたが倒れていた洞窟の入り口があったはずなの。なのに、入り口はおろか、洞窟そのものがなくなっちゃってて」
「あ! それ知ってるよ! 霊魂の迷宮だよね」
霊魂の迷宮……? と聞き覚えのない言葉に疑問を返してしまう。
「うん。勇者様が魔族たちの侵入を防ぐためにレームマリナ山に仕掛けた大迷宮だよ。入り口の場所は刻一刻と変わっていくの」
「刻一刻と……?」
知識外の内容が飛び出て来て、動揺してしまう。
「うん。中にミコトがいるのかな?」
「わからないわ。でも、もしかするとミコトがそこにいるかもしれないと思ったの」
「昔のままなら、あたし入り口の場所わかるよ?」
思わぬ手助けに少しだけ感心してしまう。
危険を伴うとは思っていたが、彼女を連れて来て正解だ。
「そしたら連れて行ってくれる?」
「わかった。そしたらちょっと待ってね。広いところに行かないとわからないの」
その後、彼女は日時計をつくって、それを見ながら月日を聞いてきた。
「えっと、今は神無月の庚戌――二十日かな」
「はーい。そしたらついてきて。こっち」
リュッカは遠足にでも来た時かのごとくニコニコとしながら歩いていく。
「日にちと時刻が関係してるの?」
「うん。でもそれだけだとわからないんだ。日時だけで入り口が決まるんだったら、いずれ法則性がバレちゃうもん。だからそこに――【マジックドロップ】」
魔法の液滴をその場に一滴たらして、何かを確認しているようだ。
「魔素の濃度を測って、その二つで場所がわかるようになってるの」
「二重暗号ってわけね」
「リナ、これ他の魔族には言わないでよ?」
「言わないわよ。むしろよく私に話したわね」
「まあリナは信用してるからね」
山道から外れていき、獣道をややも進んでいったところで、リナは違和感を覚える。
――なに、これ? 何かが……違う?
そんなことを思っていると「ここだよ」とリュッカから声がかかった。
彼女が示した場所は何もないただの石壁であった。
なのに、リュッカが触れるとその壁は水面のように波打ち、するすると中へ入っていたのである。
――魔法の石壁か。
見た目が石壁となっているだけで、実際には穴が開いているということか。
違和感の正体はどうもこれのようだ。
ミコトに言われて収差演算は常時続けるよう心掛けているが、この魔法を異常として感知していたみたい。
リュッカと同じように壁へ振れると、そのまま中へ入っていく。
洞窟の中はこの前来た時と同じように広く、通路が多岐にわたり、そして魔素が濃い。
「リュッカ、大丈夫? 魔法防御張るね」
「ん? 何が?」
「魔素が濃くない?」
うーん? とリュッカは首を捻っている。
どういうことだろうか、彼女の反応は魔素への耐性が強いとかそう言うレベルではなく、一切魔素が気になっていないように見える。
魔法耐性の高いリナですら防御魔法を張っているというのに、彼女の体はどうなっているのだろうか。
だが、何かあっては不味いので、念のためとリナは彼女にも魔法防御を施す。
「【マジックシール】、【ライト】。よし、そしたら行こっか」
光魔法も出して、周囲を照らしながら進もうとしたのだが……。
どの道を行ったものか。
「こっちだよ。まあ、ミコトがこっちにいるかはわからないんだけど」
「こっちには何があるの?」
「うーんと、私たちが暮らしてた場所、かな。……七百年も経ってるからさすがにもうどうなってるかわからないけど」
――暮らしていた場所、か……。
洞窟内の生活というものがどういうものかはわからないが、豊かな暮らしとは言い難いであろう。
伝承を読んだ限り、七百年前の戦いは人族が圧倒的な不利を強いられていた。
この霊峰の山に立て籠もった人族は数年をここで過ごし、その間にレレム山――レームマリナ山以外に住んでいたほぼすべての人族が死滅するほどだったと聞く。
一方、精霊ラナの力を得た勇者は反転攻勢により魔族のほとんどを死滅させたとも。
そのせいで、それから百年経っても互いに文明は復興せず、六百年前の勇者と魔王の戦争は執り行われなかったと歴史書には記載されていた。
「ついたよ! けど……、まあ、思った通りかな。何にもないね」
周囲を探索してみるも、人がいたという痕跡すらほとんど残っておらず、唯一錆びた金属武器などがいくつか見つかる程度であった。
ここに来た目的となるミコトの姿も見つかることもなく。
さて次はどこに行ったものかと悩んでしまう。
「ミコトいないね。あといるとしたらどこかなぁ……。そしたら精霊の祠に行ってみよっか!」
「精霊の祠? そんなものがあるの?」
「うん! 中は入っちゃダメなんだけど、勇者様が精霊と対話するためにつくられた場所なんだよ!」
精霊と対話、という言葉に疑問符がいくつも浮かぶ。
精霊とはおとぎ話に出てくる存在で、実際にこの世には存在しないとされている。
それとも、勇者だけは精霊を見たり話したりすることができるのであろうか。
「ねぇリュッカ、七百年前の勇者様ってどんな方だったの?」
「えっとね、すっごく優しい人だったよ! 誰一人として欠けることなく人族を救いたいってお考えの方だったの」
「誰一人として……」
そう呟きながら、それがいかに非現実的なことかをリナは噛みしめてしまう。
思想自体は尊敬すべきものだし、リナも似たような理想を持っている。
だが、戦時中に一切の死者を出すことなく勝利することは不可能であろう。
それができるのはよほどの強者か、あるいは神のような存在だけだ。
もし本気で今リュッカが言った思想を当時の勇者が実現しようとしていたのであれば、恐らく空回って失敗が続いたに違いない。
その結果が歴史書に記載された内容だとすると、それはなるべくしてなったとも言える。
本気で戦争に勝つつもりであれば、命の取捨選択は絶対にしなければならないであろう。
「あたしからも聞きたいんだけど、どうしてレームマリナは魔族の土地になっちゃったの? やっぱり戦争に負けちゃったから?」
「いいえ、七百年前の戦争は魔王が勇者に打ち倒されて人族の勝利だったと記載されているわ。ここが魔族領になったのは四百年前の戦争以降かな。魔石の採掘場として人族の首都があったんだけど、魔族に占領されちゃったから今のティエルマリナに人族は首都を移転したの」
「ふーん。そうなんだ。あたしがいた頃は魔石なんて取れなかったけど、今はこんなに生えてるんだねぇ」
道中にある巨大な魔石に触れながらそんなことを言ってくる。
「話を戻すんだけど、精霊の力ってどんな力だったかわかる? 勇者様はどうやって対話をされてたの?」
「うーん、知らないんだ。そこは教えてくれなかった。それに精霊の力がどんなだったかもあたしわからないんだよね。ここで暮らしてたときの記憶は残ってるんだけど、その後のことは、まだ思い出せないや」
「武器とか魔法なのかな? でもそれだけで魔族を倒せるとも思えないし……」
うーん、リュッカは唸るばかり。
もしかすると記憶の隠された部分にその情報があるのかもしれない。
「まあでも、勝てたんならよかったや。お母さんがちゃんと勝ってくれたんなら。あ、ごめん。リナは嫌に聞こえるかもしれないけど……」
「気にしてないわ。七百年前の話だもの」
気になるのは、なぜリュッカが封印されたかという点だ。
封印魔法を施すと、封印された者は外へ出れなくなる代わりに外からも中の者を害することができなくなる。
まだ封印と決まったわけではないが、戦争に勝ったのなら封印する必要はないし、仮に敵からリュッカを守るためであったとしても、戦闘後に封印を解けばよいだけだ。
それができなかったとすると、封印をかけた術者が死亡してしまって、存在を忘れ去れてしまったという可能性が高い。
その術者が母親である可能性も十分に考えられるが……これは決して口にしてはならないことだ。
「お母さんは兵士だったの?」
「たぶんそうだったと思う。だってすっごく強くてカッコよかった覚えがあるもん! きっと戦ってたんだと思うんだ」
「そっか。今でも……ってわけには七百年前だから行かないだろうけど、あなたのお母さんも戦後、元気に暮らせてたらいいわね」
そう言うと、いつも快活なリュッカが少しだけ視線を落としてしまい、しまったなと思ってしまう。
我が子がいなくなって、心配をしない母親などいようはずがない。
戦後リュッカのお母さんが生きていたのなら、どのような感情を抱いたかは容易く想像できる。
「……その、ごめん。気にする、よね?」
リュッカは緑色の髪を横に振る。
「ううん。いいの。お母さんも、あたしが元気に生きていれば、それで喜んでくれると思うから。七百年前は……すっごく辛かったんだ。今みたいにお腹一杯食べることなんてなかったし、何もしなくていい日があるなんて、物心ついてから一度も経験したことがなかったから」
物悲しげな表情となりながらも、リュッカの顔は前も向いている。
「でもね、あたしはだからこそ下を向かないって決めたの。だからあたしはいつでも元気なんだ! その方が生きてるのも楽しくなるしね!」
両手でガッツポーズをつくる彼女に、そっか、と小さくはにかむ。
「それにリナもいっつも楽しそうだよね。レイナとイチャイチャしてて」
苦笑いを浮かべてしまう。
「どちらかというとそれはレイナがやってることなんだけどね」
「今度あたしもイチャイチャする! というか今する!」
リュッカが腕に纏わりついてくる。
「いや、それは遠慮しとくかな」
「さあ、こっちだよ!」




