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【短編】トントントン、と音がして  作者: 弐刀堕楽


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1.廃屋のノック音

 いまから十五年ほど前の話だ。

 当時二十代だったオレは、芸人を夢見て地方から上京。都心から少し離れた某区(芸人が多く住む街だ)の安アパートを借りて、そこで下積み生活を送っていた。


 まあ下積みといっても、実際は酒を飲んでばかりだったけど。芸人仲間の友だちと毎晩のように飲みに行って、若さと金をムダ使い。

 で、生活費が足りなくなったら、バイトやら借金やらで補填して、そのうち気が向いたら舞台に立つ。だが当然のごとくスベるので、落ちこんで、また酒を飲んで……のくり返し。ろくでもない毎日を過ごしていた。


 そんなある日のことだ。深夜、いつものように仲間と飲んだあと、オレはひとりで自宅へと向かっていた。

 ほろ酔いと千鳥足の中間。ちょうどいい酔っぱらい具合で、気持ちよく自転車をこいでいると、自宅のアパートの手前、五十メートルくらいの地点で「トン、トン、トン」と、なにかをたたくような音が聞こえてきた。

 奇しくも、オレはその音に聞き覚えがあった。というのも、夜更けにこの道を通ると、これと同じ音に遭遇することがけっこうあったからだ。まあ、たぶんどこかの家の生活音なんだろうなぁ~、と思って普段はスルーしていたんだけど……。


 でも、その日はどういうわけか……。

 オレはこの物音が妙に気になってしまった。


 自転車を止めて、辺りを見回す。たしか、こっちのほうから聞こえてきたような……。そう思って、左手を見る。するとブロック塀の向こう側に、古びた家が立っているのが目についた。

 それは二階建ての一軒家だった。パッと見は、廃屋って感じの建物だ。家の外壁はツタまみれで、屋根も一部が崩壊しかけている。とてもだれかが住んでいるようには見えない。というか、そもそも――


「うちの近所に、こんな家あったっけ?」


 オレがそうつぶやいて、首をひねっていると、また「トン、トン、トン」。ふたたび同じ音が聞こえてきた。まちがいない。やはり音の出どころは、この廃屋であっていたようである。


 さて、音の発生源がわかったところで……。

 これからどうしようか?


 時刻は午前0時をとうに過ぎていた。辺りは真っ暗で、近くに街灯はなし。ときおり雲間からのぞく月明かりだけが、かろうじてその建物を照らしている状況……。

 そして、オレ自身は汗だくだった。風の通らない通路で、真夏の熱気に蒸し焼きにされている。

 背中にペタンと張りつくシャツが気持ち悪い。ここはどう考えても、まっすぐ家に帰るのが正解だ。シャワーを浴びてさっさと寝る。それが最善の選択だと思えるが……。


 でもやっぱり……音の正体が気になる!

 このまま家に帰っても、悶々として眠れないことは確実だった。


 というわけで、オレはさっそく行動に移った。ブロック塀の開けているところから、家の敷地内に潜入する。玄関のわきに自転車を止めて、廃屋の壁に手をつき、腰を落として姿勢を低くした。

 オレはその姿勢を保ったまま、玄関のドアに近づいた。ドアは古ぼけた木製の引き戸で、縦に格子が入っているタイプ。格子と格子のあいだには、表面がザラザラに加工された、すりガラスがはめてあった。

 オレはその引き戸の前でひざをつくと、家の中に向けて、注意深く耳をすませた。


 すると、つぎの瞬間――

 オレの目の前に、白いものがズイッと飛び出してきた。


 いや、目の前といっても、正確にはガラスの向こう側だ。その白い物体は、玄関のドアのすりガラス越しに近づくと、「トン、トン、トン」と三回ほど小さな音を立てて、ガラスにぶつかってきた。

 あまりにとつぜんの出来事に、オレは思わずギョッとして後ずさった。だが、よくよく見てみると、どうやらその白い物体は『ヒトの手』であるとすぐに理解できた。実際ドアの向こうには、だれかが立っていたのだ。

 ドアの向こうに立つ人物は――はっきり言って、よく見えなかった。うす汚れたすりガラス越しだったので、その姿はぼやけている。というか、ガラスの加工のせいで輪郭がグニャグニャしていて――時間帯のことも加味すると――正直かなり気味が悪かった。

 でも人間のシルエットだ。着ている服装もなんとなくわかる。白い服をまとった、色白の人物。その人が玄関の向こう側に立って、『家の中から外に向かって』ドアをノックしつづけていた。


 ……え? 家の中から……? なんで!?

 と一瞬、頭が混乱する。


 どう考えても異常なシチュエーションである。

 だって普通、玄関のドアは、訪問する側が外からたたく(あるいはチャイムを押す)ものだろう? それなのに……これじゃあ、まったくのアベコベじゃないか!

 となると、この人影はオバケ? それとも異常者か? いずれにしろ、まともな相手じゃないことは確実だ。関わらないほうが身のためだと思った。


 だけど悲しいかな。オレは臆病者である以前に、腐っても芸人の端くれなのである。

 芸人とは、すなわち――少々頭のネジがぶっ飛んだファニーガイ。面白い出来事やハプニングが三度の飯より大好きな、特殊な人種の集まりのことを指す。

 ゆえにオレたち芸人は、このような異常事態に遭遇すると「これは美味しいぞ。もしかしたら、エピソードトークのネタに使えるかも?」とつい考えてしまう性質を持っていた。


 この芸人としての性《さが》が、オレをその場に踏みとどまらせた。湧き上がる恐怖心を、この上ない好奇心で上書きして、自分をあざむく。

 最悪、この引き戸の向こうにいるヤツがオバケでもいい。怪談話を売りにする芸人だって数多くいるんだ。この体験は、将来オレにとって必ず武器になる。だから逃げるなよ、オレ? さあ、目の前の相手をしっかりと観察するんだ!


 だが、ドアの向こうに立つ人影は動かなかった。

 べつにこちらを襲ってくるような素振りもなく、拍子抜けするほどに微動だにしない。

 その人がつぎに取った行動は「トン、トン、トン」。まるでオレがいることに気づかないみたいに、機械的にドアをたたきつづけるのみだった。


 正直、少しでもビビった自分がバカみたいに思える。

 オレは、いつの間にか構えていたファイティングポーズを解除すると、その人影をじっと見つめて、無い頭で思考を巡らせた。

 「この人、もしかして口が利けないのかな?」「痴呆老人が夜中に荒ぶってるだけかも」「いや、やっぱりオバケの可能性が高いんじゃ……」――などといろいろ考えてみたが、はっきりとした答えは出てこなかった。

 そのことを相手に問いかけようにも、いったいなんて言葉をかければいいのか。低学歴&アルコールという絶望的なコンボをたたきこまれたオレのよわよわ脳ミソでは、なかなか良い案が思いつかなかった。


 なので、とりあえず……。

 オレは相手の行動をマネすることにした。

 同じように三回、ドアをノックしてみたのだ。


 すると、相手の手の動きがピタリと止まった。

 その人影はドアをたたくのをやめると、べつの方向に手を伸ばした。二枚の引き戸が重なる中央部分。そこにあるカギをカチリと解錠したのだ。

 ……え? ドアのカギを開けた? ってことは、こいつ外に出てくるのか? いきなり刃物で切りつけてきたりしないよね?――と一抹の不安が頭をよぎり、オレは玄関を注視したまま、後ろに何歩か引き下がった。

 だが引き戸の向こうに立つ人物は、オレを驚かすようなマネはしなかった。その人はくるりと踵を返すと、玄関の土間の段差を上がって(すりガラス越しの動作だがハッキリとわかった)、家の奥に引っこんでしまった。


「いや、カギ開けといて、ドアは開けてくれないんかーい」


 あきれて思わず、小声でツッコミを入れる。

 もちろん返事はない。


 オレはどうすればいいのかわからず、しばらくその場で突っ立っていた。

 すると、家の奥でパッと明かりが点くのが見えた。どうやら電気は通っているらしい。つまり、あの人はここで普通に生活を送っているということか。

 それを知って、少しほっとする。半分オバケかと疑っていたが、あれは生身の人間だ。おそらく、この家の主だろう。きっと玄関を開けなかったのにも理由があるにちがいない。もしかしたら家の中から、なにかを持ってくるつもりなのかもしれない。

 オレになにか見せたいものでもあるのかな? 貴重な骨董品のコレクションとか? いや、でも……違法な薬物とかだったらどうしよう。じつは玄関をノックするのが取引の合図だったりして……。うーん、その場合は……酔っぱらいのフリをしてやり過ごすしかないだろうな……。


 なんてことを考えながら、五分ほど家の外で待っていたが、事態は一向に進展しなかった。

 相手は迎えにこない。ってことは、勝手に入れって感じか? 正直こんな夜更けに、わけのわかんない理由で、知らない人の家に乗りこむのは少々気が引けるんだけど……。

 でもこの時点で、オレは後戻りができない状態になっていた。なんの事情があってドアをたたいていたのか。その答えを知るまでは意地でも帰りたくない。それにここで逃げたら芸人の恥という気持ちもあった。

 だって、そうだろ? こんな美味しいネタを逃すようなヤツは、今後一生売れねえっての! それに、もしこれが若手芸人を試すためのドッキリ番組だとしたら? そこを考え出すと、この危険な橋はどうしても渡らないわけにはいかなかった。


 オレは両手で頬をピシャッとたたいて気合いを入れ直すと、勇気を出して玄関のドアに手をかけた。

 それから深夜の静寂を傷つけないよう、できるだけそーっと、引き戸を横にスライドさせた。


「えーっと……。ごめんくださーい……」

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