2月
謎の場所で目を覚ました少女、如月。
そこで魔女を自称する奇妙な少女と出会い、
己の秘密を知ることになる──
…………ここはどこ。
…………見えない。
…………聞こえない。
…………冷たい。
…………柔らかい。
…………不味い。
…………硬い。
…………あぁ、やっと。
息が、吸えた。
「……きて。起きて」
「ん……?」
人の声が聞こえて目を覚ます。
「あぁ、やっと起きた。体調は大丈夫?」
1人の女の子が視界に映っていた。
長くサラサラとした銀色の髪、宝石のような美しい水色の瞳、紺色のローブ、そして可愛い声。
そのどれもが現実離れしていて、言葉を発することも忘れて見惚れてしまった。
「んー?返事、できる?」
「──へっ。あっ、はい、できます、元気です」
「そう。立てる?」
彼女が差し伸べた手を取り、
硬い体で立ち上がる。
「えっと……どなたですか?」
「私の名前はクリスタル。【魔女】だよ」
その声は、自信に満ちていた。
【魔女】。空想上の存在。あるいは、占い師や錬金術師の別称か。
錬金術なんてものは廃れて久しく、占い師はそもそもの母数が少ない上にわざわざ魔女と名乗る必要は薄いはず。占いをしたいのであれば占い師と名乗ればいいのだから。
となると──
「魔法が使えるってことですか……?」
「勿論。例えば──」
彼女がパチンと指を鳴らすと、その指先には小さな光の塊が現れた。
「他にも色々あるけど、先ずはここから出よっか」
言われて辺りを見回す。
そう言えば、ここは何処なのか。
駅の構内のように見えるが、不思議なことに案内表示や広告が一切見当たらない。
弱々しく光る蛍光灯が、薄汚れた床や壁を照らしていた。点在する赤黒いシミのようなものは血かなにかだろうか。
「……廃墟ですか?」
「似たようなものかな。歩きながら説明するよ」
そう言われ、私達は歩き始めた。
「驚かないで聞いてほしいんだけど」
「?」
「ここは──黄泉の国への通り道だよ。
より正確に言うと、黄泉へと向かう電車が停まる駅」
「…………えっ、私死んでるんですか?」
頭が真っ白になった。
非現実的すぎる話だが、魔法を見た手前そうも言えない。
ただ立ち尽くしていると、
「いや、あなたは生きてるよ」
と言われ、胸を撫で下ろした。
「じゃあ、なんでこんなところで
寝転がってたんでしょうか?」
「う〜ん……」
魔女が数秒立ち止まり、それからおもむろに口を開いた。
「……後々わかるよ。
それより、もうちょっと明るくしよっか」
魔女の掌にある光が少し大きくなった。
「さ、行くよ」
有無を言わせない圧のようなものを感じ、私はただ頷く他なかった。
しばらく歩いていると、妙な匂いが流れてきた。
なにかが腐ったような、そんな匂い。
「……魔女さん」
「ん?」
「なんか……変な匂いしません?」
「するね。それにどんどん濃くなってきてる。
気分悪くない?」
「これくらいならまだ……
それよりこれ、何の匂いですか?」
「う〜ん……腐肉、とか?
そうだ、必要になったらこれ使って」
魔女はそう言いながら、ハンカチを渡してきた。
「あ、ありがとうございます」
そのまま歩き続けていると、吐き気がするほど匂いが濃くなってきた。
耐えきれなくなり、ハンカチで鼻を覆う。
「流石にキツいか。駆け足で行ける?」
頷き、駆け足で走り出す。
幸いにも道は一本道だった。
2回ほど角を曲がった先に、"それ"はあった。
人が倒れていた──服装からして女性だろうか。
意識の確認は必要なかった。
頭頂部に、大きな穴が空いていた。
その周辺には、水溜まりと言うべき大きさの赤黒いシミができていた。
悲鳴をあげそうになるが、あまりの腐臭でえづくことしかできなかった。
「見ないで!走るよ!」
魔女の声で恐怖から引き戻され、彼女を追いかけて走る。
脇目も振らず、体力が保つ限り、ひたすら。
走り抜けた先は綺麗な空間だった。
腐臭は無く、床や壁は白く輝いている。血のようなシミは1つも見当たらない。
「ここまで来れば大丈夫かな。
そこにベンチあるから、しばらく座ってなよ」
「うぅ……」
吸い寄せられるようにベンチへ座る。
言いたいことがあっても、酸欠と疲労でうめき声しか出ない。
何分も、何分も、ずっと座っていた。
それからやっと出てきた言葉は、
「お水……ないですか……」
だった。
「ない。悪いけど、しばらく我慢して」
「うへぇ……」
またしばらく無言のまま休んでいると、魔女が先程来た道を歩き始めた。
「……戻るんですか?」
「ちょっと調べておきたいから。
あなたはそこに居て」
そう言い残してから更にしばらくして、彼女は小さな黒い物を片手に戻ってきた。
「なんですか、それ」
「仏さんが持ってた。
あ、窃盗とかそういうのは一旦ナシね」
「それはいいですけど……何か書かれてましたか?」
「んー……日記帳だったみたいでさ、人と成りが
ちょっとわかるかなって程度。読む?」
差し出された日記帳を受け取り読み始める。
どうやらこの持ち主は妊婦だったようだ。
日々の出来事や不満、喜び等が綴られていた。
書き込まれている最後のページには、我が子の名前を決めたことが書かれていた。
『如月』という名前に決まったようだ。
「如月……」
何かがひっかかり、その名前を口に出した。
──あぁ、そうか。
「私の、名前……」
これは私の名前だ。母がつけてくれた、私の名前。なぜ今まで忘れていたのだろう。
そもそもなぜ、名前を忘れていることを疑問に思わなかったのだろう。
「……魔女さん」
「ん?」
「私は……誰なんでしょうか」
「…………」
「恐らくこの日記帳の持ち主は、私の母です。
今、これを読んでやっと思い出したんです。
私には両親がいて、
如月って名前をつけてくれたって。
でも、苗字がわからないなんて……
そんなこと、おかしいじゃないですか」
「日記帳に書かれてたりしないの?」
「……血か何かで塗り潰されてて、
読めなくなってました。
なにより──自分の名前を忘れて、
それを疑問に思うこともないなんて。
それに、私──子供の頃の記憶がありません。
生まれてすぐのことなら覚えていなくても不思議
じゃないですけど、幼少期どころか、
さっき魔女さんに起こされるまでのこと、
なんにも覚えてないし、思い出せないんです。
魔女さん。私は……人間ですか?」
魔女は目線を逸らし、黙り込んだ。
そのまま、更に疑問をぶつける。
「訊きたいことはまだあります。
あの死体は私の母親ですが、こんな場所で1人で
出産、そして今に至るまで育てたとは
考えられません。それにあの日記は、
私の名前を決めた日までのことしか
書かれていませんでした。
まだページは半分以上残っていたのに。
母はなぜあそこで、
あんな状態で死んでいたんですか?
私は一体今までどこで誰に育てられたんですか?」
しばらく沈黙が流れてから、魔女が口を開いた。
「今話してあげることはできないかな」
「どうして?」
「こっちにも事情ってものがあってね、
取り乱されちゃ困る。ただ──」
魔女の目が、しっかりと私を見据える。
「現世に帰ったらその時に全部話す。
だからもう少し、私に着いてきてくれないかな」
「知ってはいるんですね」
「あなたに関することなら大体は。
まあ、例えばあなたの両親の素性とかは
知らないけど」
「……信じて、いいんですか」
「それ私に訊く?」
魔女はクスリと笑った。
「兎にも角にも、ここで時間潰したって何も
解決しないじゃん。ここから出て、
現世で色々聞いて、
それから私を信用するか決めなよ」
「そう……ですね」
納得こそできていないが、先ずは進むことにした。
どれだけの時間歩いただろうか。
冷たい空気が、進行方向から流れてきた。
期待を胸に歩き進めた先にあった景色は──
駅のホームだった。
夜中の様な暗さだが、先程までの通路と同じく電気が暗闇を照らしている。
電光掲示板等は無く、例えるなら田舎の駅と言ったところ。
「ここは……?」
「……わからない」
立ち尽くしていると、電車がやって来た。
電車はホームで停まり、車掌らしき服装の人が降りてきた。
やけに深く帽子を被っており、目元すら見えない。
「お待たせいたしました、如月様」
車掌は深々と頭を下げた。
誰なのか心当たりが無く、困惑してしまう。
「この子のこと、知ってるの?」
「ええ、同胞でございますから。
一方であなた様は、
如月様のお連れの方でしょうか」
「まあそんなところかな。
んで、これはどこに行くの?」
「黄泉の国でございます。さて如月様、
伊耶那美命様がお呼びですので、ご乗車ください。
必要であればお連れの方も、
ご同行いただいて構いません」
「伊耶那美命、ねぇ……」
魔女が怪訝そうな顔をする。
伊耶那美命。
黄泉津大神とも呼ばれる、黄泉の国の神。
1日に1000人の人間を殺すと言い放った、生きとし生けるものの敵。なぜそんな者が私を……?
「如月?」
「……行っても大丈夫なんでしょうか」
「ん〜〜、まあ大丈夫じゃない?
何かあったら私が守るから、安心しなよ」
「じゃあ……行こう、かな……」
電車へ乗り込み、座席に腰を下ろす。
座り心地はとても良く、気を抜くとすぐ眠ってしまいそうだ。
鈍い音を立てながら、電車が走り始めた。
「あの、魔女さん」
「ん?」
念の為車掌がいないか確認してから、口を開く。
「あの車掌みたいな人って、亡者なんでしょうか」
「んーーー、多分そう。
あ、変なこと考えるのはナシね」
「……単に気になっただけです」
もしや私もそうなのかと思ったが、
一旦やめておこう。
「ねぇ、如月」
「はい」
「手遅れになる前に言っておきたいんだけど、
もし向こうで命の危機に晒された時は
迷わず逃げて」
「えぇぇっと、それってつまり──
死ぬかもって、ことですか」
「まー、これから会う相手が相手だから。
1日に1000人殺すなんて言ってた奴だよ?」
「守れるんですか、そんな相手から」
「そこは勿論。だって私、魔女だもん」
一抹の不安を抱きながら、背もたれに身を預ける。
しばらくすると、トンネルに入った。
少し空気が重くなった気がする。
「ごめん、ちょっとヤバいかも」
「どうしたんですか?」
「ちょっと力が出せないかも」
「……どういうことですか?」
「結界でも張ってあるのか、進むにつれて少しずつ
体が重くなってきてる。動けなくなったり戦えなく
なったりする程じゃないけど……如月は?」
「私は……平気です」
「そっか、なら良かった」
それから更に10分ほど経ち、電車が停まり、車掌がやって来た。
「黄泉の国へ到着いたしました。
伊耶那美命様の御殿まで、ご案内いたします」
車掌に連れられ電車を降りると、そこには大きな街が広がっていた。
木製の家屋が多く、その多くは瓦屋根。古風な日本のように思えた。
ただ、夜のような暗さだった。
ふと上を見上げるが、星一つ無い、夜空でもない暗闇が広がっていた。一説には黄泉の国は地下にあるとも言われるが、恐らく本当にそうなのだろう。
幸いにも行灯や灯籠らしきものがポツポツと置かれており、真っ暗闇と言うほどではなかった。
カンテラを手にした車掌が先導し、それに続く。
「んー?」
魔女が妙な声を上げる。
「どうしたんですか」
「いや、なんか……人、いなくない?」
確かに、見渡す限り人の気配は無い。それどころか、声や足音の1つも聞こえない。
死者達の国。無人。無音。
理屈で説明できない恐怖を感じた。
かと言って、ここの住人と思わしき車掌に訊ねるわけにはいかない。何があるかわからないのだから。
「……今は先ず、進みましょう」
灯火と足音が彩る暗い世界を、恐れながら歩いていく。
やがて、大きな階段へ辿り着いた。
見上げた先にある大きな建物が御殿だろうか。
「この先の御殿で伊耶那美命様がお待ちです。
それでは、私はこれにて」
「あんたは来ないの?」
「他の業務がございますので。帰りは他の者がご案内
いたしますので、ご心配なく。それでは」
2人、物々しい階段の前に取り残された。
「ね、如月」
「どうかしました?」
「電車で言ったことの続きなんだけどさ」
「……まさか」
魔女は鼻を鳴らして答える。
「そのまさか。戦えないって程じゃないから
想定の範疇だけど、油断できる相手じゃないから」
「仮に悪い方に事が進んだとして、
逃げようにもこの街では……」
おもむろに振り向き、
暗く入り組んだ街を見ながらそう呟く。
「んー、そうは言っても、この調子で神と眷属を
相手しながら戦えない奴を守るなんてなぁ……
神さえ退けられれば後で見つけ出せるだろうし、
何処かに隠れるってのはどう?」
「……それが一番良さそうですね」
どうせ見知らぬ土地なのだから、
逃げ回る他に術はないだろう。
階段を昇る間、魔女がざっくりと伊耶那美命について解説してくれた。
「詳しいんですね」
「たまに役立つからね。例えば、
神の弱点を知りたい時とか」
「伊耶那美命の弱点……
大岩で道を塞ぐ、とか言いませんよね」
「まさか。まあ、火はよく効くんじゃないかな」
「死因だから、ですか?」
「それもあるし、死体なんだし燃えるでしょ」
「でも火なんて──行灯から貰います?」
そんな冗談を言うと、
彼女は指先に火の玉を作り出した。
「これで充分。さて──」
御殿の前に辿り着いた。
扉越しだと言うのに、背筋が凍るような感覚に襲われる。
「準備はいい?」
深呼吸をし、頷く。
中は殺風景だった。
広い空間に反して家具と言えるものはほとんど無く、他には
最低限の視界を確保できる程度の灯火しか無い。
そんな部屋の中央に、それは立っていた。
長く黒い髪を持ち、きらびやかな着物に身を包んだ女性。彼女が伊耶那美命だろう。
その両脇には、槍を持った男性が2人立っている。側近だろうか。
「……よく、来てくれましたね」
彼女は笑顔で出迎えた。
「貴女が伊耶那美命?」
「えぇ。そう言う貴女は何方かしら?」
「……ゴエティア・クリスタル。魔女だよ」
「魔女、ですか。まあいいでしょう。さて──」
生気の無い目がこちらを向いた。
「如月。貴女はこれからどうするつもりですか?」
「えっと……魔女さんと現世に帰って、
それから決めます」
「帰る……?ふふふ、
貴女の居場所はここでしょう?」
「……どういうことですか」
「わかりきったことを……
いえ、確証が持てていないだけ?」
そう呟くと、こちらへと歩み寄って来た。
神だからかその体は大きく、
近寄られるだけで圧を感じる。
「貴女は生と死の狭間で生まれた。そうでしょう?」
あの駅のような場所のことだろう。
「貴女はあの地で死体から生まれた。生きたいという
貴女の欲望と、生きてほしいという
母親の願いが奇跡を起こしたのです」
「死体から……?」
「えぇ、えぇ。より正しく言うならば、
死体から這い出た、でしょうか。
肉を喰らい、臓器を喰らい、
骨を喰らい、脳を喰らい──
如月。貴女の持つ知識の大半は、
貴女の母親が持っていたものなのですよ」
「…………」
何を言っているのかはわかっているが、脳が理解を拒んでいた。
私が母を……?
「あぁ、そう言えば貴女は苗字が無いことを
疑問に思っていましたね」
信じたくなかった。
「こうして貴女がこの地に生まれ出たのも何かの縁。
ですから、私が授けましょう」
認めたくなかった。
「──黄泉比良。これからは
そう名乗ると良いでしょう」
自分が、根っからの化け物だなどと。
「さあ、黄泉比良 如月、人ならざる者よ。
私と共に行きましょう」
違う。
「貴女の力は──私達の為にあるのですから」
私は。
「……人間です」
自分に言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を絞り出す。
「私は化け物じゃない、人間です。
私の居場所はここにはありません」
「……では、何処だと?」
「これから私自身で決めます」
互いに見つめ合い、沈黙が流れる。
その沈黙は、程なくして魔女によって破られた。
「まあそう言う訳だから、もういい?」
伊耶那美命は大きく溜息を吐いた。
「……仕方ありませんね」
「話がわかるようで──」
「生きて帰られるものならどうぞ」
彼女がそう言うと、
両脇の側近達が槍をこちらに向けた。
「前言撤回、これだから神様ってのは」
魔女が呆れながら指を鳴らす。
すると、一瞬でその手に剣が現れた。
水晶のように透き通った美しい剣だ。
「如月、とにかく逃げて。後で迎えに行くから」
その言葉に頷き、御殿から飛び出した。
転げ落ちないように、
慎重かつ迅速に階段を駆け降りる。
そのさなか、
街の雰囲気が変わっていることに気付いた。
ナニカが動いている。それも沢山。
それが何かは想像に難くなかった。
記憶を頼りに来た道を辿っていると、ナニカの気配がどんどん増えてきた。
無数の亡者達が私を追いかけている。
武装した個体こそいないものの、
捕まれば命は無いだろう。
来た道なんてものからは大きく外れた見知らぬ道を走り回り、なんとか亡者から逃げ続ける。
しかしこれではキリがない。逃げれば逃げるほど、
亡者達は増えていく一方だった。
ふと、隠れてやりすごすという手段を思いつく。
少し走るスピードを上げ、ほんの少しの視線が切れた隙を狙って手近な戸に手を掛ける。
幸いにも鍵は掛かっていなかった。滑り込み、急いで戸を閉める。
足音はどれもここを通り過ぎていった。
なんとか逃げ切れたようだ。
しかしいつまでもここに籠る訳にはいかない。
見つかるのは時間の問題だろうし、なにより魔女と合流できないのだから。
何か策はないものかと周囲を見回す。
ここはどうやら武器庫のようだ。刀や斧、弓等が幾つも置かれている。
どれも心得はないが、刀が一番マシだろうか。
手近なものを手に取る。
少し重いものの、無理矢理振り回せば多少の護身にはなるだろうか。
体を休めていると、次第に足音が増えてきた。
ここで見失ったのだから当然の事だ。
何度か深呼吸をして、亡者達の前へと飛び出した。
迫り来る亡者に力任せに斬りかかる。
上手く扱えないが、それでも振り回しておけば距離を詰められることはない。
時折刀を振りながら逃げ回っているさなか、ふと御殿へ視線を向けると、なんと火の手が上がっていた。
幸か不幸か街にまで延焼することはなさそうだが、あちらは善戦しているのだろう。
一方こちらはジリ貧だ。
増え続ける追っ手に対して時間稼ぎしかできない以上、当然ではあるのだが。
その時、ふと思い出した。
「貴女の力は──私達の為にあるのですから」
伊耶那美命はそう言っていた。その力が何かの比喩なのか、それとも本当に何かしらの力があるのか、全くわからない。それでも──
「やるしかない!」
そう叫び、自分を奮い立たせる。
火を放つか、あるいは刀に火を纏わせればここを切り抜けられるかも知れない。
刀を強く握り、火を思い浮かべ強く念じる。
「痛っ!?」
突然体に痛みが走ったかと思えば、次の瞬間には手から熱を感じた。
揺らめく赤い炎が、刀身を包んで燃えていた。
その光景のせいか、それとも火を恐れているのか、亡者達の動きが止まる。
「はぁぁぁぁぁっ!!」
これ幸いと亡者達に全力で斬りかかる。
不思議と体も刀も軽かった。
隙を見せないように気を付けながら刀を振るい、10分も経った頃には灰だけが残っていた。
……撃退に成功したようだ。
胸を撫で下ろし、燃え盛る刀を眺めていた。
すると──
「そ こ に い る の で す ね」
頭の中に、ゆっくりとした、低い声が響いた。
「嘘……でしょ……」
雷音と共に、目の前に伊耶那美命が現れた。
着物は所々破れ、頬からは血を流している。
「来なさい、如月」
御殿の時と同じ、柔らかな口調だった。
「嫌です!」
刀を構え直し、様子を窺う。
戦いから離脱して来たのか、それとも魔女を倒したのか。いずれにせよ、勝てる相手ではない。
しかし逃げられるとも思えない。
思わず、後退りしてしまう。
「ふっとべぇぇぇぇ!!」
何処からか叫び声が聞こえた。
それから数秒遅れて、何かが私の真横に飛んできた。
魔女だった。着ていたローブはボロボロになり、額から血が流れていたが。
その直後、ぐちゃっという音が聞こえた。
……伊耶那美命の左手が斬り落とされた。
「あぁ……小娘が……よくも……」
「魔女さん、一体何がどう──」
魔女は私の手を掴んで走り出した。
「話は後!逃げるよ!」
「よくもォォォォォォ!!」
別人としか思えないおぞましい叫びが聞こえてくる。そんな背後を振り返る余裕など無く、もつれそうな足でなんとか駆け抜ける。
時折進行方向に亡者達がいたが、どれもあっという間に灰へと変えられていた。
魔法の力だろうか?全力は出せていないらしいが、とてもそうは見えない。
「そんな力があっても
アレは倒せないってことですか!?」
「そういうこと!」
何度か雷が行く手を阻むように落ちてきたが、それらも全て障壁のようなもので跳ね除けていた。
「しつこいなぁっ!!」
口調こそ強気なままだが、その声は少し弱々しく聞こえた。
後方から何か飛んできた。
──脇差程度の小さな刀だ。それも何本も。
すかさず魔女が防ごうとするが、ガラスが割れるような音を立てて障壁が破られる。
「うっ……!」
なんと、魔女の右腕に刀が1本刺さっていた。
防ぎきれなかった内の1本が刺さったのだろう。
「魔女さん!?」
「いいから……っ!逃げるのが先決!」
刺さった刀を引き抜きながらそう言った。
アドレナリンの成せる業なのか、それとも元来こういうものなのか……
恐怖の対象が1つ増えた気がする。
それから走り続け、やがて簡素な駅が見えてきた。どうやら戻って来れたようだ。
「魔女さん!駅です!」
「そっちはダメ!トンネル行くよ!」
「ええっ!?」
驚きながらも魔女の後を追う。
「乗らないんですか!?」
「車掌もあっち側!」
そう言えば、あの車掌は私のことを同胞と言っていたし、伊耶那美命『様』とも言っていた。
ふと、嫌な考えが脳裏をよぎる。
「まさか電車で轢きに来たりするんじゃ……」
「なくはないけどレールを外れられないんだから
ほぼ大丈夫!
2車線同時に来たら……魔法でなんとかする!」
トンネルに入ってしばらく経つと、また伊耶那美命の声が聞こえた。大まかにだが、どれくらい後ろにいるのかわかりやすいのはありがたい。
追いかけられてる事自体はありがたくないが。
風切り音が聞こえ、再びあの脇差達が飛んできた。
身の守り方なんてわからないし、わかったところで防げない。避けられない。
──その恐れはあっさりと砕かれた。
水晶でできた障壁が、全てを受け止めてくれた。
「やっと調子戻ってきた!」
とても嬉しそうな声だ。
喜んでいたのも束の間、壁か何かを殴っているような鈍い音が聞こえた。
見ると、伊耶那美命と亡者達が障壁を力ずくで破壊しようとしている。
「もうちょっとは時間稼げる!今のうちに!」
「はいっ!」
暗くて足場の悪いトンネルを駆け抜ける。
障壁が砕かれた音が聞こえても、振り向くことなく、ただひたすら走った。
やがて淡い光が見えてきた。出口だ。
出口に辿り着くと、魔女が後ろへ振り向く。
「どうしたんですか?」
「ちょっと余裕あるから仕返ししようかなって……
ねっ!」
大きな地鳴りがしたかと思うと、なんとトンネルが崩れていった。
呆気にとられているうちにトンネルはただの瓦礫に変わり、何かが動く音すらも聞こえてこなかった。
「え……」
「負けっぱなしじゃ悔しいから。んじゃ、行こっか」
魔女はそう言うと手を掴んできた。
突然視界が歪み、無音の暗闇に放り出された──
はずだった。
気が付くと、見知らぬ家の中に居た。
広々とした空間、キッチンらしきもの、恐らく廊下へ通じているであろうドア。
ここはリビングだろうか。仄かに木の香りがして心地良い。
「ここは……?」
戸惑っていると、ドアが開けられた。
魔女だった。脇差を片手に歩き回る姿はどこか滑稽に見える。
「あぁ、ここに居たんだ。体調はどう?」
「大丈夫、です……あの、ここは何処ですか?」
「現世。勿論安全だから、もう警戒しなくていいよ」
「よかったぁ……」
「ところでその刀、どうしたの?」
刀を持ってきた経緯と、ついでに何らかの力を使えたことを話した。
「ん、そっか」
さほど重要なことでもないと言わんばかりの返答だ。
「もしかして、最初から知ってたんですか?」
「何が?」
「私の力のことです」
「勿論。攫──迎えに来た理由だもの」
「なら予め教えてくれてもよかったじゃないですか」
「使いこなせるかは別でしょ?
今回はたまたま上手く行ったけど、
私が教えるまでは使わないでほしいかな」
「……教えてくれるんですね」
「知らなきゃ危ないからね。期待しててよ」
さて──
「これからどうしましょうか」
魔女から訊きたかったことは伊耶那美命が話してしまった。何をすればいいのだろうか。
「取り敢えず……ここの説明でもしとこっか」
それから、この家や島、世界の説明を受けた。
「えーっと、つまり魔法が当たり前にある世界、
ってことですよね?」
「そう。まあ誰でも使えるってわけじゃないけど」
「で、今からそんな中で生活していくと」
「んー、半分正解。
この島からは出してあげられないから」
「何故?」
「私には私で目的があってね、その為とだけ
言っておこうかな。
この家と島は自由に使っていいから、
悪いけどそれで我慢してほしいな」
「……どうしても、ですか?」
「う〜ん……上手く行けば来年には
出してあげられる、かも……」
「来年……駄々こねても待つしかないですよね……」
「……ごめんね」
沈黙が流れる。とても気不味い。
話題を変えなければ──
「そういえば、これどうすれば良いんですか?
持ち歩く訳にはいかないですし」
刀をどうすればいいのか、訊きそびれていた。
「んー、後々使うから、適度に手入れして
保管しといてほしいかな。手入れに必要な道具とか
本とかは明日にでも持ってくるから」
「銃刀法とかに触れたりしないんですか?」
「バレようがないから大丈夫」
「えぇ……」
「そうだ、この島には先に私が連れてきた子が
1人いるんだけど、今から会いに行かない?」
「良いですね。特にやることもないですし」
そんな訳で、あの逃走劇から着の身着のまま挨拶へ行くことになった。
流石に物騒なので刀は置いてきたが。
行き先は真隣の家だった。
魔女がドアをノックすると、真っ黒ながら光沢のある、長い髪の女の子が顔を出した。
「なに」
語気といい表情といい不機嫌そうだ。
「新しく1人連れてきたから、
紹介しとこうかなって」
「そう。じゃあとっとと入って」
そんな訳でリビングに通された。
ごく普通の内装に見えたが──
「これ、何ですか?」
水晶でできた、人の形をしたオブジェが気になった。
「それは私お手製のゴーレム。あなたの家にも置いて
あるから細かい事は後で説明するね。
それはそうとココアを3杯お願い。ホットで」
魔女の声に反応して、
ゴーレムがココアを作り始めた。
……5本の指を上手く使っているが、そもそもどうやってこれを作ったのだろうか。
しばらく待っていると、ココアがそれぞれの席に運ばれてきた。
「ねぇ、1ついい?」
「どうぞ」
「あんた達なんでそんなボロボロなわけ?
クリスタルに至っては頭から血出てるし」
黄泉の国で起きたこと、そしてそのついでに私のことや黄泉の国に行くことになった経緯を話した。
「へぇ……つまり、どっかのイキり魔女は
計画が狂って逃げ帰って来たってことね。
いい気味じゃん、ザマーミロ」
黒い髪の女の子はそう言って鼻で笑うと、次にこちらの方を向いた。
「見たところ私とそう歳も変わらなさそうなのに、
そんなのに巻き込まれるなんて……
この島は安全だから、ゆっくり休んで」
「あ、ありがとうございます」
「タメ口でいいよ。当分は同じ島で暮らすんだし」
軽く咳払いをして、彼女は
「私の名前は七草 睦月。よろしくね、如月」
と笑顔で言った。
「……うん、よろしく!!」
それからは3人で色々なことを話した。
家族のこと、やりたいこと、好きな食べ物、この島のこと、これからのこと……
話しているうちに日が暮れてきて、
家に帰ることにした。
「ね、如月」
「?」
「何かあったらいつでも来ていいから」
「わかった。ありがとう」
「ん。じゃあ、おやすみ、如月」
「睦月も、おやすみ」
そんな会話をして、家に帰ってきた。
魔女からゴーレムの使い方を教えてもらい、
「また明日」
と言い残して彼女は何処かへ飛んで行ってしまった。あれも魔法だろうか?
1人になってふと、酷く疲れていることに気付く。
重くなった体を動かしてなんとか寝間着に着替え、ベッドに入る。入浴より先に寝てしまいたかった。
疲れていても意外と脳は動いているもので、
後は意識を手放すだけだと言うのに今日の様々な出来事を脳内で整理していた。
これから先、
私はちゃんとここで暮らしていけるのだろうか。
伊耶那美命は、黄泉の国はどうなったのだろうか。
両親のことはどうすれば知れるのだろうか。
そんなことを思ってしまう。
だが、それと同時に頼れる人と友達ができた。
今は素直にそれを喜ぼう。
深く息を吐いて頭の中を落ち着かせ、ゆっくりと目を閉じる。
そうして、私の人生の1日目は幕を降ろした。
大昔に投稿していたものの、途中で投げ出してしまった小説を書き直した作品です。
書くと言いながらも未完のまま6年も放置してしまいました。いかなるお声もお受けいたします。
不始末へのけじめの意味も込め、この作品に関しては必ずや完結いたします。
また、完結後の話ではこざいますがどこかでかつてのキャラクター設定などを公開できればと考えております。
わがままなこととは存じますが、見守っていただけると幸いです。




