第10話
人生の中で
俺はどうしても欲しいなんてものはなかった。
わがまま放題な可愛い妹に、何でも譲ってあげたし
苦労かける息子でないように、両親に何か求めたこともないし、勤勉であることを心掛けて
余計な心配をかけないように努めたし、反抗期だってなかった。
仕事なんて出来れば何でもよかったも同然だし
お金なんてそこそこあれば問題ない。
彼氏がほしいと思ったこともないし・・・彼女がいても何かを望んだことなんてない。
結婚して将来子供が欲しいとも思わないし
独りでのたれ死んでも別に構わない。
俺がほしいのは理人だけ。
この世でたった一人だけ。
煮えたぎるような激情が、自分の中で膨れ上がって
別れを告げたあの日を思い出しては、涙が次々頬を伝う。
帰らないで、と卯月さんを呼び止めたのは、かつて去って行く理人の背中に
飲みこんで飲みこんで、それでも伝えたかったことだった。
「・・・・すみません・・・・」
鼻水をすすりながら俯くと、卯月さんは自分のハンカチで俺の涙を拭いた。
死んでもいいくらい理人が好きで
殺したいくらい好きで
どうして手に入らないのかわからなくて
苛立ってしょうがないから、毎日虚無になりながら惰性で生きてる。
少しもらえる連絡に舞い上がって、会いたいとも伝えられなくて
いっそのこと、俺とずっと一緒にいてくれなきゃ死ぬから、とでも言って脅せば
理人は了承して側に居てくれるだろうか。
きっとそうすると思う。理人は優しくて、俺のこと大好きだから。
俺をそこまで追い詰めたんだと、責任を感じるだろうから。
「・・・・はぁ・・・。グス・・・・卯月さん、帰っていいですよ。」
彼にハンカチを返しながら言うと、まだ潤んで確かじゃない視界の中、彼はまたじっと俺を見つめた。
「帰らないよ。」
「・・・・・・・・え?なんで?」
「一人でいたら、灯は今より苦しくならない?」
平然と言う彼は、同情や責任を感じているわけではなさそうで、純粋で冷静な目は、心配してくれているのかもしれないけど
そんなクリアな感情を受け止められるメンタルでもなかった。
「・・・・さぁ・・・・どうでもいいですそんなこと・・・」
「好きな人が・・・自分の推し量れない気持ちで胸が一杯になって、ボロボロ泣いてるのに、放って帰る程馬鹿じゃないよ。」
「・・・じゃあ理性に打ち勝てるんですね。」
「もちろん。」
尚も見つめ返すと、真剣な眼差しが向けられて、また優しい笑みをこぼすもんだから
自分が思っているより、卯月さんが真面目に言ってるんだと気づいて、何だか気まずささえ覚えた。
しばらくその温かい手で、俺の頭を撫でていた彼は、それ以上軽率に触れることすら躊躇しているようだった。
感情を出し切った涙はとっくに止まって、彼の胸にそっと頭を預けてみた。
好きだよ、なんて言葉はきっかけでしかなくて
堪えていた気持ちが決壊してしまったのは、自業自得だった。
彼の言った通り、非情になることも、惰性で生きることも、まだまだ若い俺には限界があった。
愛されたいや認められたいを、表に出さずにはいられないんだ。
卯月さんはやっと腕を回して抱きしめてくれて、そっと優しい声を落とした。
「何て言ってあげればいいのか・・・思い浮かばない・・・」
「・・・・卯月さんは・・・」
「ん?」
「・・・どうしても欲しいものが手に入らないなら、どうするべきだと思いますか?」
「ん~・・・・一生をかけてでも手に入れたいなら、手に入れられる自分になれるように頑張るかなぁ。」
「・・・じゃあそれに心折られて、どうでもよくなる瞬間が多々あったら?」
「・・・・それ程必要じゃないのかな?って思うかも。」
「・・・俺も・・・いつかは必要じゃなくなる日が、来ると思いますか?」
顔を上げて、彼の瞳を覗くと、真っすぐな目が、俺の下らない質問に真剣に答えようとしているのだと分かる。
「手に入らないなら、一人で生きて死のうなんて・・・そんな悲しいこと言うくらいなら、一緒に居たいって言ったでしょ?・・・何も考えずに、軽い気持ちで側にいてほしいよ。俺が灯の好きな人になれるかわからないし、そもそもそんなことは烏滸がましいし、自分の存在が俺にとって悪影響だとかも考えなくていいよ。」
「代わりになるのは屈辱なんじゃないですか?」
「そうだね、でも・・・その人を想って泣きたくなる程、真剣な気持ちなんだってわかったから・・・そんな風に思ってもらえる人の代わりなら、それは俺が本命になる日がくるかもってことでしょ?チャンスが今しかなくて、灯の思い通りにならなきゃ今後連絡もくれないなら・・・」
卯月さんは落ち込むように目を伏せた。
「・・・普通の人はそんな立場嫌がりますよ。」
「嫌がったんじゃなくて、何を言えばいいのか言葉を考えてたんだよ。・・・・・その・・・・せ・・・そういう関係になったら・・・灯は俺を好きになってくれる可能性・・・あがる?」
「・・・無理強いは嫌いなのでしません・・・。」
「いや!無理強いとかじゃなくて・・・もちろん好きだから俺はしたいんだよ。でも・・・ほら・・・男性としたことなくて・・・。不慣れだと・・・嫌われそうで・・・」
あれ・・・・・・俺なんか勝手に卯月さんをもう完全攻略してたのかな・・・
「なるほど。イケメンを自分好みに調教出来るってわけですか。」
「ん?急に元気になったね?」
「俄然やる気湧いてきました。」
「く・・・ははは!」
屈託ない笑顔を見て、何だか妙に安堵している自分がいる。
「卯月さん」
「ん?」
「付き合う付き合わないとか・・・あんまり考えてなくて・・・」
「うん」
「・・・何か・・・卯月さんといると調子を崩されてばっかりで・・・。でももう苦しくはないから・・・帰る帰らないは好きにしてください。後、今度飲みに行きましょう。」
卯月さんはまた、心底幸せそうに微笑んで、返事を渡すようにキスしてくれた。




