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そわそわしながら授業を終えて、クレアに挨拶をすると私は急いで教室を飛び出した。アドレアン様が行きそうな場所を探して向かう。
アドレアン様はまだ来ていなかった。急ぎすぎてアドレアン様より早く来てしまったみたいだ。樹の根元に腰を下ろし、アドレアン様が来るのを待つ。頬を撫でるそよ風が気持ちいい。アドレアン様がいつもしているように、太い幹にもたれて目を閉じた。
こうしていると様々な音が聞こえる。木々の隙間を風が通り抜ける音。草がそよぐ音。放課後の雑踏。
アドレアン様はいつもこんな音の中で過ごしていたのか。初めて知ったことに気分が高揚した。そのまま目を閉じていると自然と一体になったような気持ちになる。アドレアン様は普段何を考えてこんな風に過ごしていたのだろう。目を閉じたままぼんやりした意識のままでぼーっと考えていると、違う音が聞こえてきた。
皮靴が草を踏みしめる音を耳が捉える。こちらに近づいてきているようだ。目を閉じたままそれを聞く。どうやら近くで立ち止まったようだった。
アドレアン様は何も言わずに私の隣に腰を下ろした。私も何も言わない。目を閉じたままそのままでいる。
なにも言葉はなくとも、この時間はとても心地よかった。穏やかで落ち着ける時間。アドレアン様と過ごす無言は苦にならない。2人の間をそよ風が抜けていく。世界中に2人しかいないような、そんな心地になった。
私達はしばらく、何も言わないまま過ごした。私は一度も目をあけていないので、アドレアン様がどんな表情をして、どんな風に私を見ているのかはわからない。時折衣擦れの音がするから起きてはいるのだろうが、じっと座ったままでいるらしい。このまま時間が止まってしまえばいいのに、そう思っていた。
風が少し冷たくなってきたころ、私はとうとう目をあけた。ちょっと眩しい。目元をこすりながらアドレアン様の方を見る。
アドレアン様は私の隣でぼうっと揺れる草を眺めていた。
「アドレアン様。」
呼ぶ声が少しかすれた。なんだよ、そんな声が聞こえてくる。
「なんでもありません。」
「なんでだよ。」
どこか呆れたように返してくる。
「だって本当になんでもないから。」
「そうかよ。」
「アドレアン様。」
「なんだよ。」
「手紙、書いてきました。」
そう言ってアドレアン様と手紙の交換をする。落ち着く。アドレアン様とのこういう穏やかな時間は、思わず眠ってしまいそうなほど心地いい。アドレアン様があくびをしている。なんだか妙にアドレアン様が愛おしくなった。
「アドレアン様。」
「んー?」
「風が気持ちいいです。」
「そうだな。」
「帰りたくないです。」
「なんでだよ。帰れよ。」
「アドレアン様は帰らないんですか?」
「関係ないだろ。放っとけよ。」
「嫌です。帰っちゃダメです。」
「は?」
「このまま。もうちょっとだけ。」
「お前、今日ちょっと変だぞ。」
アドレアン様はちょっと変とは言うが、何かあったのかとは聞かない。アドレアン様は何も聞いてこない。だから私も気負わずにいられる。
アドレアン様はレイナルド殿下とは違う。レイナルド殿下だったら絶対に何があったのか聞いてくれただろう。そういうレイナルド殿下の優しさは純粋に嬉しい。だが今の私にはアドレアン様の何も聞かない優しさが嬉しかった。
アドレアン様はやさしい。けれどその優しさはレイナルド殿下とは違うものだ。その違いが今の私には過ごしやすかった。アドレアン様と一緒にいると、レイナルド殿下のことを考えすぎないで済む。
もう少しだけでいいから一緒にいてほしい。そう思った。
「そうだ、今度持って来いよ。」
「?何を、ですか?」
唐突な言葉に私はいぶかし気に首をかしげる。
「ローストビーフサンド。うまいんだろ?」
「ああ、はい。絶品です。料理長意外じゃあの味にならないんですよね。領地から来てくれて本当によかったです。」
「そんなにうまいんなら俺も食ってみたい。だから今度持ってこい。」
「わかりました。料理長に頼んでおきます。学園でピクニックですね。アドレアン様と一緒にピクニック、久しぶりです。」
「前のはピクニックじゃなくてただのお茶会だろ?お前が焼き菓子持ってただけで。」
「私がアドレアン様探しの建前であるお庭散策が趣味であると知れ渡っていたので、主催者の夫人達が用意してくれてたんです!」
「なんだよ、アドレアン様探しの建前って。」
「だって本当にアドレアン様探しの建前ですから。誰にも見つからずにアドレアン様に会いに行くために、お庭散策が趣味ってことにしていたんです。」
「お前そんなことしてたのか?暇だな。」
「暇なのはアドレアン様じゃないですか。お茶会サボって寝てたんですから。」
「俺はいいんだよ。」
「そんなわけないじゃないですか。横暴です。」
その後は相変わらずアドレアン様と2人でにぎやかに過ごした。やっぱりアドレアン様と過ごすのは楽しい。クレアと過ごすのとはまた違った楽しさだ。何というか楽しいのに癒される。だから私はアドレアン様が大好きだ。
その日はもうレイナルド殿下のことは思い出さなかった。