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四話・いびつな林檎

 ヴェンツェルは形の崩れたアップルパイをフォークでつついた。少し焼きすぎの感があるそれは、しかしとても美味しい。噛みしめる度にしっとり甘いコンポートからじゅわりとあふれた果汁と、厚めの生地が口の中で絡み合う。

「また、そんな汚いものを食べて」

 ブルマー侯爵夫人が次男に冷たい視線を向ける。否、型崩れをしたアップルパイへ。

「とても美味しいですよ、母上」

 ヴェンツェルは血の繋がらぬ美しい母へ、酷薄な笑みを浮かべた。

 ブルマー侯爵夫人ことクリスティーンと、ブルマー侯爵家の次男であるヴェンツェルは、血の繋がりはない。親戚ですらない。

 ヴェンツェルは、クリスティーンの長男、アーダルベルト・フォン・ブルマーの乳兄弟であるハーラルト・カウマンスの実弟だ。

 数代前は貴族であったというカウマンス家の妻は、食い扶持を稼ぐ為に産まれたばかりの長男を抱え、跡継ぎ誕生に沸くブルマー家の門を叩いた。乳兄弟であるハーラルトにアーダルベルトは信頼を寄せ、家督を継いだ際は家宰にすると公言していた。

 ヴェンツェルは実の兄とあまり話したことがない。

 実兄ではあるが、身分が違うのと、義理の兄や姉の世話で忙しそうにしているのを邪魔したくなかったのだ。

 しかしヴェンツェルが勉強をしている時に、たまには息抜きをしなさいとお菓子を持ってきてくれたり、義理の兄姉の様子を面白可笑しく話してくれるハーラルトが大好きだった。

 次男のヴェンツェルを産み落とした後、カウマンス夫妻は流行病で亡くなった。赤子のヴェンツェルを抱え、途方に暮れるハーラルトの後見人になったのは、ブルマー侯爵アルフレートだった。

 アルフレートは兄弟共に養子にしようと提案したが、ハーラルトは丁重に辞退した。そしてアーダルベルトとジークリットの世話役となった。

 ハーラルトはアーダルベルトの手足となるべくよく学び、それを見ていたジークリットはハーラルトの真似をして文武に励んだ。

 ジークリットが男であれば後継者争いが起きていたであろうという声もあったが、今となってはそれも空しい。

 ジークリットはブルマー家から消え、ハーラルトも消えた。

 義姉は精霊の子を貶めた罪により、国外追放となった。もはやブルマーの名は名乗れない。兄はお嬢様を一人にはさせられぬと着いて行ってしまった。ヴェンツェルを一人残して。

「僕は出て行ったりしませんので、ご安心を」

「っ、……ふん」

 クリスティーンは扇子を鳴らすと、優雅な足取りでヴェンツェルの前から姿を消した。


 ***


「兄上は何も言わなくてよかったのですか」

「むむむ、むー、む」

「確かにアップルパイ美味しいですけど。飲み込んでから喋ってください、行儀の悪い」

 ヴェンツェルは隣でひたすらアップルパイを口に運んでいた長兄をじっとり見つめた。いたのだ、ずっと。

 母が食堂に入って来てから、ヴェンツェルと会話をし、出ていく間も、ずっとパイを食べ続けていた。

「む、……んむ、んむ、んくっ。

 ヴェンツェルまでハーラルトみたいなこと言わないでくれ」

 栗鼠のようにほほ袋に詰め込んでいたアーダルベルトは、何とか飲み込むと唇を尖らせた。なお、ハーラルトと同い年の29歳である。

「私は口下手だからな。出来るのは、二人分のアップルパイを平らげることだけさ」

 最高級の林檎を使い、丁寧に仕込み、少しだけ焼き加減を間違えたアップルパイ。それはジークリットの好物だ。

 アーダルベルトは妹と良く似た、母譲りの切れ長の目を懐かしそうに細めた。

 子供に甘い父は、アーダルベルトもジークリットも、男女の別なく可愛がった。娘は格別に可愛いようであったが、贔屓をせずにアーダルベルトもジークリットも、望むだけの教育を受けさせてもらった。実に有難いことだ。

 頭を使った時は甘いもの、体を動かした後は甘いもの。休憩時間に食べさせてもらえるお菓子の中で、いつも冷静なジークリットの反応が一際大きかったのが、アップルパイだ。

 その時ばかりは淑女の教育も忘れ、大きな口でぱくりぱくりとパイを口に運ぶ。フォークなんて使わない。手掴みで四口だ。幸せそうに平らげると、しかし一転、空になった皿を悲しそうな目で見つめる。それが可哀想で、アーダルベルトはいつも半分残して、ジークリットに分けてやったものだ。

「僕だって口下手な方ですよ。兄上こそ、どこぞのご令嬢から山ほど手紙を頂いているでしょう」

 近衛を務めるアーダルベルトはちょっとした有名人だ。

 鍛えられた逞しい長身と、銅色に輝く髪と空を閉じ込めたかのような瞳に彩られた精悍な顔、レディの扱いも卒がない未婚の次期侯爵。誰が放っておくものか。

 増してや邪魔な妹は国外だ。

 今日もわんさとラブレターが届いている。

 しかしアーダルベルトは興味ないと一蹴した。

「なにもかも、ジークリットのことが片付いてからだ」

「あーあ、体のいい逃げ場に使って。王宮からの呼び出しに、父上が頭を抱えてましたよ」

「虎穴に入らずんば虎児を得ずと言うだろう」

「熊のねぐらに徒手空拳で飛び込む羽目にならなければよいのですが」

 弟の苦言に、アーダルベルトは獰猛な笑みを見せた。

 ヴェンツェルは小さくため息を吐く。ブルマー家の兄妹がこの表情を見せる時は、既に意志を固めている時だ。

 出立前の姉も、笑っていた。

「父上に会いにいかねばな」

「そのまま行かないでくださいね」

 口元に盛大な食べかすを付けたままの兄に対し、ヴェンツェルはそっと布巾を差し出した。

人の名前が一気に増えましたのでブルマー侯爵の説明。


お父さん:アルフレート

お母さん:クリスティーン

長男:アーダルベルト

長女:ジークリット(主人公)

次男(養子):ヴェンツェル


お付:ハーラルト・カウマンス(ヴェンツェルのお兄ちゃん)

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