節分の日の妖怪達編
今日も今日とて平穏な〈紅魔館〉での朝食の時間は、一般的な人間のそれと比べれば少し遅い時間帯であるのは、主人である吸血鬼少女のレミリア・スカーレットに合わせて動いているためである。
そのレミリア家の朝の食卓では、紫がかった髪にピンク色のナイトキャップを被った屋敷の主が不機嫌そうな顔で目の前の朝食を睨んでいる。
「……って、レミリア家とか日本語おかしいわよっ!?」
唐突に声を上げたレミリアに、背後に控えるメイド長の十六夜咲夜が「……いきなり何を……?」と怪訝な顔になり、同席しているパチュリー・ノーレッジはまたかとでもい痛そうな顔で小さく息を吐いた。
レミリアの妹であるフランドール・スカーレットの姿がないのは、昨夜も昨夜で遅くまで……と、言うか朝方までネット・ゲームをしていたので今はまだベッドで熟睡中だろう。
「…………じゃなくて! 咲夜、これはどういう嫌がらせなわけ?」
「はい?」
朝食のおかずである大豆の煮物を差したレミリアに咲夜は意味が分からずにきょとんとなった、この大豆の煮物に白いご飯と大根と豆腐の味噌汁という和食なメニューは主人の健康を気遣ってのものであり、今更に文句を言われる事でもないはずだった。
「……咲夜、今日が何の日か言ってみなさい」
とぼけているわけではなく本当に分かっていなさそうな天然ボケメイドに盛大に呆れながら言う、彼女は有能でありそれなりに頭もきれるはずなのだがどうして偶に頭のねじが緩んでいるかのようなボケをやらかすのかを本気で知りたいレミリアである。
「はぁ……二月三日、節分の日ですが……?」
「はい、正解よ。 で、私は何者?」
「……は?」
この問いに咲夜はしばし考え込んでから「ああ!」と閃いた顔になりポンと手を叩いた。
「そうでしたね、お嬢様はツッコミの鬼……これは大変な失礼を致しましたわ」
「そうよ咲夜、その鬼の私に対して節分の日に大豆の……って!! 誰がツッコミの鬼くぁぁぁあああああああああっ私は吸血鬼よぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!!!!」
いつもの事ながら盛大に響くレミリアの叫び声を聞きながらも、すっかり慣れた事という涼しい顔で紅茶を啜るパチュリーは、本当にこの二人は仲が良いコンビねと思った。
〈妖怪の山〉の山頂にある〈守矢神社〉の境内では、この神社の巫女である東風谷早苗が神で作られた鬼のお面を被った二人の少女に「とてもよく似合っていますよ」と微笑みかけていた。
「そんな風に言われても嬉しくはないがな……」
その早苗に、赤いリボンで結んだ白い長髪を掻きながら不機嫌そうな声で返すのは藤原妹紅。 《蓬莱の薬》で不老不死の身体を持ち人間との交流を避けるように人里を離れた〈迷いの竹林〉で暮らす彼女が、今日ここにいるのは友人である上白沢慧音の依頼だからである。
いかにバイト料が出るとはいえ、そうでなければ節分の豆まきで〈人里〉の子供達相手に鬼の役をやってくれなど引き受けはしない。
「まったくですね……」
もう一人の鬼役である犬走椛もあまりやる気もなさそうな様子で妹紅に同意する。 椛がこの場にいるのは、〈守矢神社〉に祀られる神である八坂神奈子が大天狗に暇そうな天狗を一人貸してほしいと頼んだという経緯があり、その大天狗から指令を受けたのであれば鬼役をやるのはやぶさかではないし、最近は〈妖怪の山〉も平和そのもので河城にとりらと将棋を打つ時間が増えているとは自覚はしてはいても、暇人扱いされるのは複雑な心境な椛。
「……だいたい、〈幻想郷〉には本物の鬼がいるんだから、あいつらに頼めばいいだろうに……」
「妹紅さん、流石にそれはちょっと……」
本物の鬼とはもちろん伊吹萃香や星熊勇儀の事であるが、炒った豆が苦手である彼女らに鬼役をやってくれというのは流石に無理があるのはもちろん承知してはいるので早苗がこういう反応を返してくるのは当然である。
「まあいい……とにかく私らは適度に逃げ回ってから神社を退散すればいいんだろう?」
「はい、よろしくお願いしますね妹紅さん。 それに椛さんも」
「はいはい……分かってますよ」
にっこりと笑顔で一礼する早苗に、妹紅と椛はやれやれという風に互いに顔を合わせて苦笑いを浮かべあった。
ちょうど同じ頃に伊吹萃香はちゃぶ台に向かい合って座る友人の八雲紫に「……てな事を〈守矢神社〉ではやっているんだぞ?」と言いながら瓢箪の中の酒を呷っていた。 間違いなく不機嫌になっているそんな友人の気持ちは理解しながらも「まあ、人間には人間の風俗習慣があるのよ」と答えた。
「何だよ紫~、お前も人間の肩を持つのか~?」
「そういうわけじゃないわよ萃香、人間にとって分かりやすい悪の形のひとつが鬼というだけであって別に萃香を悪と思っているわけじゃないって事よ」
「…………????」
善と悪に明確な基準は確かにない。 が、それゆえに簡単に善悪が決められてしまうのもまた事実である、故に自分達が善であろうとするためには自分達と違うものを悪とするのがもっとも簡単で分かりやすい方法であろう。
つまりは人間を善とするために御伽噺なので悪役に選ばれたのが鬼というだけであり、別に萃香ら本当の鬼が悪というわけではないのだからいちいち気にするなという事であると紫は説明する。
「……また難しい事を言うな、お前は……」
「別に難しくはないわよ? ひどく簡単な理屈、人間なんてその簡単な理屈で動け、時には平気でヒトを殺せる単純な存在なのよ?」
例えばテストで百点を取る者と二十点を取る者は間違いなく前者が優秀であると言えるが、別に”優秀とは百点を取る者である”という基準はない。 つまり二十点を取った者が優秀でありたいと思えば、自分よりもっと下の点数を取った者を見下し自分はそれよりは”優秀”だと思えばいいのである。
そして、すべてではないにせよいじめだの迫害だのの根底にあるのはそんな理屈で、弱者を創ることで自分が普通あるいは強者だと思うのである。 無論、こうやって言葉で言う程に簡単な問題でもないが。
「要するにね、正しくあろうとするのではなく悪を作って自分を善とする。 上を目指して努力するのではなく下を見る事で自分が高い場所にいると思う……その方が楽だから、人間なんて偉そうにしてせてるけどそんな単純な生き物なのよ」
冷淡な口調で言う友人に、萃香はまた彼女が〈外界〉で嫌なものでも見てきたのだろうかと思ったが、それを聞く気にはなれない。
「……私にはそんな難しい事は分からん……が、私は別に人間を嫌いではない」
「うふふふふ、あなたらしい言いようね?」
そう言って笑い合う二人が襖の勢い良く開く音にそちらを見やると、そこには恐ろしい程に黒いオーラを纏い、すさまじい殺気を漲らせて黒い髪を逆立てた博麗霊夢が立っていた。
「人が買い物に行ってる間に何を勝手に上がりこんでるかぁぁぁああああああああああああああああっっっ!!!!!!!」
まさに鬼神の如き霊夢の怒声が〈博麗神社〉を文字通りに震わせたのであった。
〈人里〉にある貸本屋の〈鈴奈庵〉では「鬼は~外~、鬼は~外~」と店の入り口の所で豆まきをする本居鈴奈の声が響いていた、そんな光景に「ほう、今日は節分じゃったか」と思い出すのは人間に化けた二ッ岩マミゾウだ。
「……あ! いらっしゃいませ、今日は何かお探しですか?」
そのマミゾウに気が付いた小鈴が笑顔で愛想よく歓迎する、店の常連であり《妖魔本》や妖怪絡みの事で何度も相談にのってもらっているので小鈴のマミゾウに対する信頼は霊夢へのそれより上である。
「ん? ああ、今日は里をふらりと散歩しておっただけでな」
「ああ、そうですかぁ……」
流石に少し残念そうな顔をするが、すぐに人懐っこい小動物の様な笑顔に戻った。
日もすっかり暮れて暗くなった時刻、紫が自宅に戻ると玄関に炒り豆がいくつか転がっているのが目に留まって、おそらくは藍と橙で節分の豆まきをしたのだろうと分かる。
紫自身はあえて節分の豆まきをしようとは思わないが、橙がやりたいと言っていれば止めろという気もない。
「……あ、お帰りなさいませ紫様。 すぐに夕餉の用意を致します」
「ん? ああ、夕食は萃香と食べてきたからいいわ」
あの後に烈火のごとく怒りまくった霊夢に〈博麗神社〉を追い出された二人は〈人里〉にあるラーメン屋〈万里のピラミッド〉に行ってきたのである。 それを聞いた藍が少し残念そうな顔で「……承知しました」と言えば悪い事をしたかなとも思う。
そのまま奥へ戻ろうとした藍が何かを思い出したように足を止めて振り返った。
「あ……そういえば紫様の正確なお歳はおいくつなのでしょう?」
「…………はぁ?」
式神のいきなりの質問に思わず素っ頓狂な声を返してしまう、紫には質問の意図が分からない。
「一応はそれなりの数の豆を買ってはあるのですが、足りなければすぐに買出しに行かねばなりませんので」
「……豆って……?……あ!」
節分で年の数だけ豆を食べる習慣の事ねと思い至り、「そんなもの適当でいいわよ」と答えた。 紫自身も永く生きてきた自分の正確な年齢など分からないし、幽々子じゃあるまいし夕食の後で何千個という豆など食べれるはずもない。
そんな事を考えると節分とは本当に妖怪向けの行事ではないと思う、萃香の話を思い出して〈守矢神社〉の豆まきのイベントでは子供達はともかく鬼役の二人や祀られる神らはどうしたのだろうかしらねと考えてみる。
あの緑の髪の巫女が用意した大量の炒り豆を前に困惑している不死の少女や神二人の姿を想像するとついクスリと笑ってしまっていた。
「紫様……?」
その笑いの意味が分からず怪訝な顔をする藍に「うふふふ、何でもないわよ」と意味ありげに微笑んでみせる紫だった……。




