第39話 告白と新たな誓い
■ルシアンの「回復」
ルシアンが目覚めてから、丸一日が経過した。
彼はまだベッドから起き上がれる状態ではなかったが、大神官の治療と私の「生命力」を移す儀式のおかげで、驚異的な回復を見せていた。
彼を蝕んでいた右腕の禍々しい黒ずみも、今ではすっかり薄らいでいる。
「……もう、泣き止んだか」
大聖堂の静かな医務室。ベッドの上に上体を起こしたルシアンが、私を見てからかうように言った。
その声はまだ少し掠れていたが、金色の瞳にはいつもの不敵な光が戻っていた。
「……もう! 誰のせいで泣いたと思っているのですか!」
私は少し顔を熱くしながら、彼のために用意したスープを匙で冷ましつつ言い返した。
私が子供のように泣きじゃくった姿を、彼は目を覚ましてからずっとからかっているのだ。
「ふん……だが、礼を言う」
ルシアンの表情が、ふっと真面目なものに変わった。
「え?」
「大神官から聞いた。儀式のことだ」
ルシアンが真っ直ぐに私を見つめる。
その視線の強さに、私は思わずスープの匙を止めた。
「お前が、自らの命を賭けて俺を救ったと」
「……べ、別に。あなたという『共犯者』が死んでしまったら、わたくしが困るだけですわ。それに、あなたがわたくしを庇ったから……」
私は照れ隠しにそっぽを向き、言い訳を並べた。
自分の「愛」が彼を救ったのだと面と向かって言われるのは、あまりにも気恥ずかしかったからだ。
「エリアーナ」
彼が、低く落ち着いた声で私の名前を呼ぶ。
「なあ、お前は……」
「……」
「一体、何者なんだ?」
その問いは、私が北のヴァレリウス領で刺客に襲われたあの夜に、彼が私に向けたのと同じ問いだった。
あの時、私は「少し先の未来を予測できるだけ」と嘘をついた。
彼を復讐の道具として利用するため、自分の本当の正体を隠し通したのだ。
(でも……)
(今は、違う)
彼に命を救われ、私も彼のために命を賭けた。
もう、彼に嘘をつき続けることはできない。
■エリアーナの「告白」
私はスープの入った器を静かにサイドテーブルに置き、彼のベッドの横に座り直した。
膝の上で両手を強く握りしめ、深く息を吸い込む。
「ルシアン……あの夜、わたくしはあなたに嘘をつきました」
「……知っていた」
「え?」
「お前の『知識』は、ただの『経験』や『分析』だけで説明がつくレベルではなかった。アランの動きも、イザベラの策も、まるで答えを知っているかのように先回りしていたからな」
彼は、やはり気づいていたのだ。
私が普通の令嬢ではないことに。
「それでも、わたくしを信じてくれていたの?」
「ああ。お前がアランを憎んでいるという『覚悟』だけは、本物だったからな。俺の復讐の共犯者として、それだけで十分だった」
ルシアンは淡々と答えた。
「……だが、今度は本当のことを話せ」
ルシアンの金色の瞳は、私の心の奥底まで全てを見透かすようだった。
私は覚悟を決めた。
この人に、私の抱える全ての罪と真実を打ち明けようと。
「信じられないかもしれませんが……」
私は、ゆっくりと語り始めた。
「わたくしは、一度死んでいるのです」
「なに!」
ルシアンの瞳が、わずかに見開かれた。
私は、彼から目を逸らさずに全てを話した。
1周目の人生で、アランとイザベラに裏切られ、濡れ衣を着せられて処刑台で死んだこと。
私の強烈な「憎悪」に悪魔王が目をつけ、その気まぐれによって処刑の三年前の夜に回帰させられたこと。
悪魔王が私の「支援者」を装いながら、裏ではイザベラにも力を与えていたこと。
そして今、イザベラを失った悪魔王が、アランを新たな「駒」として乗り移ろうとしていること。
「わたくしが、回帰ってきたせいで……わたくしが、復讐のために歴史を変えてしまったせいで」
言葉にするたびに、自分の罪の重さが胸にのしかかってくる。
「イザベラは死に、あなたは傷つき、アランは悪魔になろうとしている。わたくしが、この全ての混乱の元凶なのです」
私は、彼に裁かれるのを待つ罪人のように、深く俯いた。
彼が私を恐れても、憎んでも、仕方がない。
私は悪魔と契約し、この帝国に災厄をもたらした魔女なのだから。
■ルシアンの「答え」
長い、長い沈黙が流れた。
医務室の中には、微かな風の音しか聞こえない。やがて、ルシアンが重い口を開いた。
「……そうか」
「……」
「なるほどな」
「……ルシアン?」
恐る恐る顔を上げると、彼は怒るでも驚くでもなく、ただ深く頷いていた。
「合点がいった」
「え……?」
「お前がなぜ、あれほどアランの思考を正確に読めたのか。なぜ、あれほど自分の死を恐れず、無謀な策に出られたのか。そして……」
ルシアンは、少しだけ目を細めた。
「なぜ、あれほどイザベラの死に躊躇ったのか」
「……!」
「全て、お前が一度死んだ『復讐者』であり……同時に、悪魔に怯えるただの『女』だったからか」
(わたくしのこと……)
(全部、お見通しだったの?)
私の強さも、脆さも、彼はずっと側で見て、理解してくれていたのだ。
「信じて、くれるの……? わたくしが、悪魔と契約した人間だと知っても……?」
「信じるさ」ルシアンはベッドから傷ついた腕を伸ばし、私の頭を乱暴に撫でた。
「馬鹿め」
「!」
「そんな重荷を、ずっと一人で抱え込みやがって」
彼の大きな手が、私の髪をくしゃくしゃにする。
その乱暴な手つきが、たまらなく優しくて、温かかった。
「だって……」
「お前が悪魔と契約した魔女だろうが、そんなことは関係ない」
彼は私の目を真っ直ぐに見つめ、力強く言い切った。
「俺は、お前を選んだんだ」
■新たなる「誓い」
「ルシアン……」
「お前がこの混乱を招いたと言うのなら」
彼は私の頭から手を離し、今度は私の手をしっかりと握りしめた。
「二人で始末をつければいいだろう」
「!」
「アランが悪魔になっただと? 上等だ」
ルシアンは、その金色の瞳に激しい闘志をみなぎらせた。
「俺の両親の仇である皇室の血だ。悪魔になろうがなるまいが、俺が討つことに変わりはない」
「……」
「そして、エリアーナ。お前を縛り付けるその『悪魔王』とやらも……」
彼は私の手をさらに強く握り、低い声で誓うように言った。
「俺が、お前ごと奪い返してやる」
「!」
(ああ……)
(この人は、私が回帰したことも、悪魔のことも、私の罪も、全て受け入れた上で……)
(私と共に戦うと、言ってくれている)
私は、涙が溢れそうになるのを必死でこらえ、彼の手を強く握り返した。
「ええ……ええ!」
私の胸の中から、かつてのようなどす黒い憎悪は消え去っていた。
あるのはただ、この人を守りたい、共に生きたいという強い想いだけだ。
「わたくしの復讐は、もう終わったわ」
イザベラは倒れ、アランはすでに人の道を外れた。
私が過去に囚われて彼らを憎む理由は、もうどこにもない。
「これからは……わたくしたちの『未来』のために、戦うわ」
「ああ。誓おう」
悪魔王が私に結ばせた「憎悪」の契約は、今、この瞬間に完全に破られた。
私とルシアンの、本当の「愛」の誓いによって。
二人の手が、固く結ばれる。
窓から差し込む朝の光が、これからの過酷な戦いを前にした私たちを、優しく照らし出していた。
■残された課題
しばらくの間、私たちは黙ったまま手を繋いでいた。
言葉は要らなかった。ただ、互いの体温を感じているだけで、十分だった。やがて、ルシアンが静かに口を開いた。
「……アランは、今どこにいる」
「皇宮に閉じこもっているはずです。大聖堂の広場には、まだ五万の正規軍が立ち往生しているわ」
「大神官は?」
「アランの廃位を決議するため、帝国の貴族たちを集める準備を進めています。アランが軍を捨てて逃げた今が、好機だと」
ルシアンは少し考えるように目を細めた。
「だが、悪魔王がアランに乗り移ったとすれば……廃位の議会を開く前に、アランが動く可能性がある」
「……ええ。わたくしも、そこが心配です」
私は窓の外に目をやった。
大聖堂の高い尖塔の向こうに、帝都の街並みが広がっている。
あの街のどこかで、今もアランは悪魔王の力を体に取り込みながら、次の一手を考えているはずだ。
「ルシアン、あなたはまだ動けません。傷が癒えるまでは、絶対に無理をしないでください」
「……わかっている」
珍しく素直に頷いたルシアンを見て、私は少し驚いた。
彼が私の言葉をこれほど素直に聞くのは、初めてかもしれない。
「お前も、無茶をするなよ」
逆に彼からそう言われ、私は思わず苦笑した。
「わたくしが無茶をするのは、いつもあなたのためですわ」
「……そうか」
ルシアンは短く答え、また私の手を握りしめた。
その手は、まだ少し冷たかったが、確かに力強かった。
(必ず、二人で生き残る)
私は心の中で誓った。
悪魔王がどれほどの力をアランに与えようとも、私たちには互いへの「愛」がある。
それが、あの儀式で証明された。
憎悪よりも、愛の方が強い。
悪魔王は、それを永遠に理解できないだろう。
「……大神官を呼んできます。あなたの回復具合を診てもらわなければ」
私は立ち上がり、ルシアンの手を名残惜しく離した。
「ああ。それと、エリアーナ」
「なんですか?」
「……スープ、冷めているぞ」
私は彼の言葉に思わず吹き出し、温め直してくることを告げて医務室を後にした。
廊下に出た途端、張り詰めていた緊張が解け、胸の奥から温かいものが込み上げてきた。
(ルシアン)
(わたくし、あなたと共に戦えて、よかった)
これからの戦いは、きっと今まで以上に過酷なものになるだろう。
だが、もう一人ではない。
私には、共に戦う誓いを立てた人がいる。
その事実だけで、私はどんな困難にも立ち向かえる気がした。




