表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!  作者: 秦江湖


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
37/65

第37話 深淵の観測者

■終わりのない退屈




魔界の深淵。光も音も届かない絶対的な虚無の空間に、悪魔王の玉座はある。


彼は、長い指で玉座の肘掛けを苛立たしげに叩いていた。




「……理解できん」




暗闇の中で、彼の低い呟きが響く。




彼の視線の先には、人間界の盤面が浮かび上がっていた。




帝都の大聖堂。そこで祈るエリアーナと、眠り続けるルシアンの姿。


そして、皇宮へと逃げ帰り、己の力に溺れようとしているアランの姿。


悪魔王は、その光景を観測しながら、不快感に顔を歪めていた。




憎悪の連鎖が帝国を焼き尽くす、極上の喜劇になるはずだった。




イザベラの嫉妬と劣等感を煽り、アランの狂気を引き出し、エリアーナを絶望の底に突き落とす。


それが、彼が描いた完璧な脚本だった。




それなのに、あの二人は「愛」などという不純物で結びつき、あろうことか憎悪を「制御」し始めている。




悪魔王にとって、「愛」や「許し」ほど退屈で、そして不可解なものはなかった。




彼には、始まりの記憶がない。




気づいた時から、彼はこの深淵に座し、人間界から流れ込んでくる「負の感情」を啜って生きていた。




嫉妬、絶望、怒り、そして――憎悪。




人間が互いを傷つけ合い、血の涙を流す時、その魂から発せられる黒いエネルギーこそが、彼の糧であり、唯一の娯楽だった。




彼は人間を「醜く、愚かで、底なしの欲望に溺れる生き物」だと定義づけていた。


そして、その定義が覆されたことは、長い永遠の中でただの一度しかなかった。










■過去の「イレギュラー」




それは、数百年も前のことだ。




ある小さな村が、隣国の軍隊によって焼き討ちに遭った。


村人たちは皆殺しにされ、生き残ったのは、両親を目の前で殺された一人の少女だけだった。




炎に包まれた村の中で、少女は両親の亡骸にすがりついて泣いていた。


その絶望の匂いは、深淵にいた悪魔王の鼻腔をくすぐった。




彼は、その極上の匂いに惹かれ、気まぐれに彼女の前に姿を現した。




『復讐の力をやろう。お前の魂と引き換えに、あの兵士どもを皆殺しにしてやる』




悪魔王は、いつものように契約を持ちかけた。




少女が憎悪に狂い、血みどろの復讐劇を繰り広げるのを期待して。


彼女の心は、すでに絶望で満たされていた。




あと一押しすれば、彼女は簡単に魂を差し出すだろう。


そう確信していた。




だが、少女は血まみれの顔を上げ、静かに首を振ったのだ。




『……いらない』




『何? 憎くないのか? お前の家族を奪った奴らが』




『憎いよ。殺してやりたいくらい、憎い』




少女の瞳には、確かに暗い炎が宿っていた。




だが、その炎は悪魔王が期待した「狂気」ではなく、不思議なほど静かで、澄んでいた。




『でも……私がここで悪魔に魂を売って、あいつらと同じ人殺しになったら……お父さんとお母さんが、天国で悲しむから』




少女はそう言って、泣きながら祈り始めた。




悪魔王は、その姿を見てひどく混乱した。




憎悪よりも「死者への愛」を優先する人間の精神構造が、全く理解できなかったのだ。




彼がどれほど言葉を尽くして誘惑しても、少女は決して首を縦に振らなかった。






結局、少女は復讐を拒み、その数日後に飢えと寒さで静かに息を引き取った。


悪魔王にとって、それは酷く「後味が悪い」結末だった。




人間は、醜く、愚かで、欲望に溺れる生き物であるはずだ。




それなのに、あの少女は最後まで「愛」という不可解な感情にすがり、死んでいった。


それは、悪魔王の存在意義を根底から揺るがすような出来事だった。




彼は、その記憶を深淵の奥底に封じ込めた。


二度と、あのような「イレギュラー」には出会うまいと誓いながら。






■エリアーナという「極上の餌」




「……あの時の小娘と、今のエリアーナが重なる」




悪魔王は、玉座で低く唸った。




エリアーナが処刑台で放った憎悪は、数百年に一度の「極上の餌」だった。




だからこそ、彼は自らの力の一部を割いてまで、彼女の時間を巻き戻したのだ。


彼女が世界を憎悪の炎で焼き尽くす様を見るために。




最初は順調だった。




エリアーナは冷酷な策士となり、アランとイザベラを確実に追い詰めていた。


彼女の心には、冷たい復讐の炎が燃え盛っていた。




だが、ルシアンと出会い、彼の傷に触れたことで、彼女の中の「憎悪」の純度が濁り始めてしまった。




(愛だと? 許しだと? くだらん)




悪魔王は、自らの内に湧き上がる感情を分析した。




これは「焦り」だ。




もし、エリアーナが完全に憎悪を捨て、愛の力でアランたちを打ち倒してしまったら。


それは、悪魔王が信じてきた「人間は醜い」という定義の、完全な敗北を意味する。




数百年前のあの少女の時のように、再び人間から「理解不能な力」を見せつけられることになる。


あの時の屈辱を、二度も味わうわけにはいかない。




「それだけは、許さん」




悪魔王の声が、深淵に響き渡る。




彼は、エリアーナの「愛」を粉々に打ち砕く決意を固めた。




彼女がどれほど愛を語ろうとも、その愛ごと、圧倒的な絶望で押し潰してやる。


彼女の心が完全に壊れ、再び深い憎悪に染まるその瞬間を、彼は渇望していた。






■盤面をひっくり返す手




悪魔王は、ゆっくりと立ち上がった。


玉座から立ち上がる彼の姿は、圧倒的な闇そのものだった。




「高みの見物は、もう終わりだ」




彼は、人間界への干渉を強めることを決意した。




イザベラを「聖女」として仕立て上げ、彼女の嫉妬と劣等感を極限まで引き出した。


だが、イザベラは敗れた。




彼女の心は脆く、エリアーナの冷徹な知略の前に崩れ去った。


しかし、それは問題ではない。




イザベラは所詮、前座に過ぎなかったのだから。




悪魔王の視線は、皇宮へと向けられた。




そこには、全てを失い、狂気に呑まれようとしているアランの姿があった。


アランの心は今、かつてないほどの憎悪で満たされている。




プライドを傷つけられ、愛した女を失い、世継ぎを失い、民心を失った。


その絶望と憎悪は、悪魔王にとって最高の「器」だった。




「……さあ、アランよ。お前の憎悪を解放しろ」




悪魔王は、アランの心に直接語りかけた。




彼の闇の力が、アランの魂に流れ込んでいく。




アランの憎悪が、悪魔王の力と共鳴し、巨大な黒い炎となって燃え上がる。


それは、帝国全土を巻き込む巨大な「憎悪の渦」の始まりだった。




「さあ、見せてみろエリアーナ。お前のその薄っぺらな愛が、どこまで私の憎悪に耐えられるかをな」




深淵の底で、悪魔王は美しくも残酷な笑みを浮かべた。




彼の赤い瞳が、帝都の大聖堂を、冷酷に見下ろしていた。




エリアーナとルシアンの「愛」が、アランの「憎悪」の前にどれほど無力であるか。


それを証明するための、最後の舞台の幕が上がろうとしていた。




悪魔王の笑い声が、深淵の闇の中にいつまでも響き渡っていた。






■深淵に刻まれた問い




だが、玉座に戻る前に、悪魔王はふと足を止めた。




深淵の闇の中で、あの少女の顔が、再び脳裏に浮かんだのだ。




血まみれの顔で、それでも静かに祈っていたあの少女。




憎悪よりも愛を選んだ、あの「イレギュラー」な人間。




彼女は、悪魔王が差し出した力を拒み、復讐の代わりに祈りを選んだ。


そして、誰にも知られることなく、静かに死んでいった。




(……あの小娘は、何を得たのだ)




悪魔王には、それが理解できなかった。




復讐を果たすことなく、憎悪を晴らすことなく、ただ愛を抱いたまま死んでいく。




それの何が「勝利」だというのか。


それの何が「意味」を持つというのか。




だが、その問いに答えを出せないまま、数百年が過ぎていた。




悪魔王は、その問いを封じ込めることで、自らの存在意義を守り続けてきた。




人間は醜い。愛など幻想だ。憎悪こそが真実だ。




そう繰り返すことで、あの少女の残した「問い」を、深淵の底に沈め続けてきた。






エリアーナは、その問いを再び掘り起こそうとしている。


それが、悪魔王の「焦り」の正体だった。




「……くだらん」




悪魔王は、低く呟いた。




その声には、かすかな苛立ちと、そして彼自身も気づいていない何かが混じっていた。


彼は、その感情を分析することを拒んだ。




分析すれば、自分が何を恐れているのかが、明らかになってしまうから。




「エリアーナ。お前は必ず、憎悪に呑まれる」




深淵の闇の中で、悪魔王は静かに呟いた。




その言葉は、エリアーナへの宣告であると同時に、自分自身への言い聞かせでもあった。


彼の赤い瞳が、再び帝都を見下ろす。




大聖堂の中で、エリアーナはルシアンの手を握りしめながら、静かに祈っていた。


その姿は、数百年前のあの少女と、ひどく重なって見えた。




悪魔王は、その光景から目を背けた。




玉座に深く腰を下ろし、長い指で肘掛けを叩く。




深淵の闇が、彼を包み込む。


終わりのない永遠の中で、悪魔王はただ一人、人間界の盤面を見つめ続けていた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ