15契約成立
ペールラビットのもも肉と野菜の煮込みと黒パン。いつもながら、シンプルでも滋味が溢れている朝食だ。
夜は外食、というか飲みに行くこともあるけど、朝は必ず食堂が開いている時間に起きて食べる。
宿泊代が勿体ないとかじゃなくて、ただ単にエヴァさんの料理がおいしいからだ。
ラーシュと飲んでフロントが開いている時間ぎりぎりに帰ってきても、その習慣は変わらない。
「ハイネちゃん、何だかご機嫌ね。いいことでもあった?」
早朝でなければいけない採取依頼などを受けていない時、私は大体遅めの時間に食堂を使う。
エヴァさんがお茶をサービスしてくれる、というより忙しい時間が終わって少し休憩する彼女の御相伴に与れるからだ。
最初は迷惑かと思ったけど、オーナーが外出する宿泊客達の対応をしているので、話し相手になってくれると嬉しいと言われたので遠慮はしなくなった。
リップサービスを見分けるのは得意だから、それが本心からだとわかると、この短いお茶会が待ち遠しくなってしまった。
冒険者にしては優雅過ぎる朝かもしれないけど、できればこの時間はなくしたくない。
「ギルドに頼んでいた指導者の仲介、受けてもらえそうな人がいたんです」
「あら、直接交渉してきたヒトがいたの? ギリギリのことするわね」
「禁止されているんですか?」
「いいえ。そこに脅しが入っていなければ根回しくらい問題ないわ。ちょくちょくいるのよね。新人の出す仲介依頼って、手間はかかるけどある程度の実力があればできるし、ギルドの心証もよくなるから。少しだけ頭の回る小物冒険者は、多少条件に外れていても無理に依頼をもぎ取ろうとするのよ」
「ああ、そういうのもあるんですか……」
「獲物にされるのは、冒険者登録をしたばっかりの右も左もわからない小金持ちの子よ。ハイネちゃんはさくさく依頼こなしてたし、声かからなかったでしょ?」
「普通の人からもかかりませんでしたけどね」
苦笑をひとつしてから、琥珀色のお茶を一口喉に滑らせる。
しれっと視てみると、その辺に自生している草花で作られたお茶だとわかった。失礼ながらあんな雑草でこのまろやかな味が出るなんて、不思議だ。
「よかったわね。魔法士の人?」
「いえ、剣士ですね。冒険者としてはかなりの先達です。今日ギルドに話してくれるって言ってました」
「魔法士に教わることは勿論たくさんあるだろうけど、前衛職が指導してくれるのもとてもタメになるわよ。魔法士は基本的に前衛ありきの位置なんだから」
元冒険者にそう言われると、ラーシュに戦闘スタイル云々と言ったのが余計なことだったように思う。
おそらく、どんな得物を持つ冒険者と組んでも身になる時期だと言いたいんだろう。
パーティーを組んだこともない私には絶対的にその知識が少ない。相性もわからないし、連携のれの字もできていない。
「ハイネちゃん、その人せっかちだったりする?」
「どうですかね。そんなに短気には見えませんでしたけど、勘で動くタイプじゃないかな。あと、結構律儀」
「だからかしら。何だか、初見さんが来てるみたい」
「え」
そこまで言われて気配を探れば、少し覚えのある気配。
まさか、と思いながらエヴァさんに一言断ってフロントに向かうと。
「おい、遅えぞ」
朝から、いや朝だからか、通常より更に気だるげな色気を纏った、蘇芳色のコートの美丈夫がそこにいた。
「お、おはようラーシュ……」
「おう」
そして、何の用でしょうか。
聞きたくなるのを留めて、疲れたような顔のオーナーに曖昧な笑みを送っておく。
「……嬢ちゃん、本気で知り合いなんだな」
「だからそう言ってんだろうが。朝から女襲うかよハゲ」
「ハゲてねェよ剃ってんだ!」
「すみませんオーナー、彼が何か?」
「開口一番嬢ちゃんを名指しするあからさまな実力者なんざ、何もなくても警戒すらァな。まぁ悪かったな、兄ちゃん」
構わないと言うように軽く手を振って、ラーシュがフロントから奥を見渡す。
例え別大陸の冒険者だったとしてもラーシュは有名過ぎる。彼の事は噂で知っているんだろう。商人の方が多いと言っても朝霧亭には冒険者も宿泊するらしいし。
「悪くねえ宿だな。ハイネ、ここ飯は?」
「すっごくおいしい。しかもお風呂がある」
「は? この規模で風呂とかすげえな、正気かよ。オイおっさん、空きは?」
「正気でも狂気でも清潔なら何でもいいだろォが。今は空きがねェな。個室で空くのは六日後だ」
「じゃあ名前入れといてくれ」
なにその即決具合。
もっと宿泊代聞くとか、何かないの。
考えが思い切り出てしまったのかそれとも読み取られたのか、ラーシュが“気にするな”とばかりに目を細めた。
いや、気にするなじゃなくて。どうしていきなり同じ宿になるの。
「そろそろ今の宿屋は切ろうと思ってたんだよ。めんどくせえ女がひっついちまったからな」
「うわぁ……それってもしかして遊びで従業員の子引っかけたはいいけど、向こうから誘って来るようになったとか? それとも一度寝たら恋人面するようになったマダムが、宿側にお金握らせて夜這いするようになったとか?」
有り得そうな、というかきっとあっただろうパターンを挙げていくと、彼の顔が嫌そうに歪んだ。
「見てたんじゃねえだろうな」
「そんなもの見て何が楽しいの」
「嬢ちゃん、朝っぱらからその顔でえげつねェこと言うんじゃねェよ……」
ごめん、オーナー。一ヶ月間ある意味共同生活していたからもう慣れたかと思った。
私だって家を捨ててからそれなりに社会の底辺と中間を行き来していたんだ。お上品な話題ばかりに詳しい訳じゃない。
雑談はこれくらいにして、話を戻そうか。
ラーシュが何で私の宿を知っているのかは話の流れで私が言ったからなんだけど、どうしてここに来たのか。
十中八九、仲介の件だろうということはわかる。
マリタさんにお願いした時に聞いた限りだと……誰かが仲介を承諾したら、私がギルドに行った時に仲介相手が見つかったと伝えられる手筈になるはずだ。引き合わせられるのは後日ギルドで、という話だった。
それでも彼は直接出向いている。これはどう考えても、何かあったとしか思えない。
「それで、仲介は大丈夫だったの?」
「また、特例だな」
不機嫌そうに鼻を鳴らしたラーシュが髪を掻き上げる。
砂色の髪は少しぱさついていて、昨夜本人が砂漠の男だと言っていたことが強調されている気がする。
「仲介受けるって言ったら、特例だからお前の承諾がほしいって言われたんだよ。どんだけ特例作る気なんだ」
「一度失敗したからじゃない?」
「普通に考えて、とんでもなく能天気な奴か英雄思考の馬鹿くらいしか仲介成立しねえよ」
「私どっちでもない気がするんだけど」
「お前は色物だから別だろ」
「嬉しくないなぁ。ラーシュ結構大らかで穏やかな人なのにね」
「……いや、ねえだろ」
そんな珍獣を見るような目を向けないでほしい。
事実、ラーシュは見た目の鋭さよりずっと大らかだ。
話したことのない冒険者からしたらとんでもなく危険な男に見えるだろうけど、私の場合は昨夜の酒場のはしごでそのイメージは払しょくされた。少なくとも、と頭につくけど。
何せ、飲みの席であんなに自然にサシ飲みができたのははじめてなんだ。しかも初対面とは思えないくらいゆったりと。
会話も大きく弾みはしないけどラリーができて、そこそこ親しみが持てるし、変に驕っているところもない。
戦闘になったらどうなのかはわからないけど、私が思う彼の印象は全く悪くない。
「『破天』が大らかたァ、聞いたことがねェな」
「はてん?」
「おいやめろおっさん」
「砂漠色の髪に赤い目に褐色の肌、ンな見た目の奴は滅多にいねェんだよ。邪竜討伐の一が英雄、『破天』のラーシュは有名だぜ?」
Sランクは昇格の際に二つ名が贈られると聞いた。A以下の上級冒険者が自分で名乗って浸透するものもあるけど、Sランクの名はギルドにも記録されて全大陸に知れ渡る。
ラーシュのそれは聞いたことがなかった。おそらく、もうSランクじゃないから禁句のようなものなんだろう。
二つ名に邪竜討伐。物凄くファンタジー溢れる展開だ。
口にするのは簡単だけど、英雄になれる程の武功だ。実際はとてつもなく熾烈な戦いだったんだろう。
本人に聞くのは絶対に嫌がるだろうから、こっそり調べてみよう。
「……ハイネ、絶対調べんじゃねえぞ」
「何でわかるの」
「勘。いいからギルドついてこい。まさかまだ飯食ってんじゃねえだろうな」
「食後のお茶してた」
「優雅過ぎんだろ、令嬢か」
「いや本気でおいしいんだよ。料理もお茶も、ついでにお酒もいいの揃ってる」
「おっさん夕飯だけ食わせろ」
「お、おゥ」
引きつったオーナーの顔が語っていた。
“どうしてお前らそんなに仲よさげなんだ”と。
それに対する答えはこうだ――よくわからないけど、何だか思ったよりも話しやすい。
× × ×
久々に、ここまでの視線をもらった気がする。
「チッ、うぜえな」
「ラーシュ、顔怖いよ」
「元からだ」
ひとまず、ギルド中の冒険者の目をくぎ付けにしながら二日連続で奥の小部屋に行き。
とにかく一ヶ月間冒険者としてお互いに導き学ぶことを、何故かサブギルドマスターの前で約束させられ。
胃痛が激しそうなサブギルマスに、少しでも不安や恐怖を感じたらギルド職員に相談するようこっそりと言われ。
ようやく仲介が成立したから、ひとまず夜は酒場になるギルドの食堂に腰を落ち着けることに。
同じテーブルについて会話をしている私を見て、固まって、更に二度見くらいする冒険者が何人かいる。
よく見れば私が狭い交流の中、習練場で少し関わったことのある人達だった。
あの時から遠巻きにされていたけど、次に習練場に行ったら化け物を見る目で見られそうで少し悲しい。
「とりあえず、今日はどうすればいい?」
「新人指導っつっても、お前もう色々やってそうだしな」
サービスのつもりなのか、窓口を通さず昨日の普通のゴブリン討伐依頼の達成手続きをしてくれたから、私は今日からEランクだ。
新人の通過儀礼だろう採取依頼は結構こなしてきたし、簡単な討伐依頼も少しならやった。
何でも屋扱いの雑用依頼もやってみたかったけど、マリタさんから“もう少しファルクに馴染んでからにしてみましょうね”と優しく諭されたので駄目だろう。私ひとりでそう言われるのに、ラーシュも一緒にいる状態で受けたら絶対に何かがまずい。
「まず確認だな。登録から今までの依頼、何やった」
周りの視線を気にするのを早々にやめたラーシュがそう促してきたから、私は今まで受けてきた依頼をつらつらと話していく。
頭の中で色々な考えを巡らせているんだろう、軽く眉を顰める彼を盗み見て、まるで私が怖い物知らずの勇者だと言わんばかりの視線を送ってきた見知らぬ冒険者のことはスルーしておく。
いや、別にラーシュ怒ってないから。勘違いされそうな顔してるだけだから。
「討伐依頼がラビットとゴブリンだけか。随分手堅いじゃねえか」
「ソロだから習練場に通いつめてたの。私のギフト、採取依頼向きだし」
「へえ、【鑑定】持ちか」
「それ系統ではある。ラーシュは私の技能とか、そのあたりは知ってるんだよね?」
「仲介の用紙に載ってたからな。あからさまに魔法士にしか見えねえ書き方だったが、実際は違えだろ」
何せ見た目が女海賊だ。確かに格好的には全くそれらしくない。
ただ彼が言いたいのはそこだけじゃないだろう。おそらく私の装備からして、動きが多いのをわかっている。
基本的に、魔法士は固定砲台だ。前衛に守られながら魔法の射線を作れる最低限の動きをして、魔法を放つダメージディーラー。普通は下位魔法の詠唱も数秒かかるから息を切らすことなんてできないし、集中力も必要だから動かない。
それを私はステータスとイメージ力でカバーして動きまくっている。自分で言うのもなんだけど、一般的な魔法士からは外れている。しかも攻撃手段が魔法より【魔力矢】だし。
「得物、基本的に魔法じゃねえだろ。そのナイフなわけでもねえな」
「よくおわかりで。狩りの時に見せればいい?」
「構わねえよ。ひとりでゴブリンの上位種さらっと狩るくらいだ、使えねえ新人扱いはしねえ」
「……それ、もう少し小声で言って」
「目立つとか今更だろ」
それもそうだ。
仲介で指導をしてもらっているという話が広まらない限り、いやそれが広まったとしても、これから一ヶ月は注目され続けるのは避けられないだろう。
ギルドから何かしらやらかす奴という認識を受けるにはある意味まだ精進が足りないだろうけど、何だか相当な問題児になった気分だ。実際は真面目に冒険者をやっているのに。
「もしかして私、金に物を言わせて冒険者を雇ってランクを上げようとしてる風に見えたりするのかな」
「受けねえよ、そんな面倒な依頼」
「まぁどう考えてもお金に困ってなさそうだしね」
今日のラーシュの格好は、最初にすれ違った時の装備だ。
黒尽くめの中で蘇芳色のコートが目立つ、いっそ無防備な程の装備。ゲームのスタイリッシュな悪役っぽいと思ったのは絶対に黙っておく。
大部分が布装備だけど、おそらくは私のように魔物素材か迷宮品だろう。勝手に【看破】をするには隙がなさ過ぎて無理だけど、機会があったら視てみたい。
反りの強い長剣はどう見ても店売りの数打ち品には見えないし、少ない装飾品も全て魔道具のようだ。
さすが元Sランク、と言いたいけど自分の格好を思い出すと口にできない。
「別にそう思われてもいいんだけどね。真面目にコツコツやっても声かからなかったし、こっちから話しかけても引かれるし」
「自分から姓捨てた元貴族にはとんでもねえ借金持ちが多いからな。余計関わり合いたくねえだんろ」
「ああ、そういうのも考えられるのか……私借金なんてないからね」
「あってもその首飾りひとつでだいぶ減るだろうな」
「これ? そんなに高いんだ」
胸元がわりと開いているから、首には装飾品が多い。チョーカーと、魔道具の首飾りが二つだ。
視線がそのうちのひとつだとわかったから手に取ってみると。
「見たとこ、結構深い所の迷宮品だな。どこのかは知らねえが」
「ええと……サマエルの首飾り」
「……お前、それ下手な奴に言うなよ。盗られる」
一段低くなった彼の声に頷いておく。
効果が魔力微回復だからそこまですごいものだとは思っていなかったけど、ベルナンド老にもらった時に視た素材評価はいくつだっただろうか。
ラーシュが知っていると言うことは一の大陸の迷宮品だろうか。今度、資料室で迷宮品の目録でも読むか。
そう言えば自分が歩くひと財産だったと再認識する。
誰かと深く関わると、そういう問題も出てくるんだろう。これでも観察して関わっても大丈夫そうな人を選別しているつもりだけど、もっと気を付けよう。
そう思うとラーシュは親切だな。自分に余裕があるからそうできるのか、それともまさか……私だから、とか?
「ないな」
気に入られてはいるだろうけど、そこまで配慮してもらうような関係が築けた気なんて全くしない。
自分で思っているよりも彼に懐いているのは確実だけど。
誰も私を人形にしようとしないこの世界にきて、思い知った。
私は優しくされるとひどく弱い。厚意には誠意を、親しみには親しみを返したくなる。
その気持ちに打算があったとしても、私を害そうという気配がなければ受け入れてしまいたい。
自分でも危うい面があるとは思う。いつか手痛い裏切りに遭うんじゃないかと。それでも、私は誰かと繋がっていたい。
「あ? 何だよ」
「何でもない」
「……へえ。まぁ、いいが」
ラーシュは勘が鋭い。
私の様子を見て何か思うところがあったんだろう、それでも飲み込んでくれる。
どうして出会ったばかりの私にこんな配慮をしてくれるのか、ランクアップのためだけじゃないと思いたくなるのは私の願望だろうか。
何だか私、そのうち悪い男にでも騙されそうだ。
そう言えば、私とラーシュはだいぶ穿って見ると“危険な男が新人女冒険者を引っかけて物にしようとしている”とも取れるかもしれない。
どっちから声をかけたかによって見方がここまで変わる関係と言うのも中々おもしろい。当事者じゃなければ。
……もしかしたら、現時点でそう見られているのかもしれないな。ごめんラーシュ。
つい浮かびそうになる苦笑を抑えながら、私は頼れる指導者さまにこの一ヶ月間の計画を話し始めた。




