二人の太陽 7
あまりの醜悪な姿に私は気が滅入ってしまった。
目の前の大ミミズ、悪魔に負けないような姿であると一目で分かった。
自分の体に戻る前に、私は私の体が今どの様な状態であるのか思い知った。
とても醜悪な、とても強大な自意識の塊。そうとしか思えない。私の体は巨大な頭部になっていた。
醜い豚の様に肥え太った頭部はあの大ミミズを口に咥え噛み砕いていた。食っていたのだろう。捕食だ。
私はその醜い頭部の化け物が自分だと確信していた。私には分かる。あれは私だ。
自分の精神が次第に化け物へと引き寄せられていく。とても戻りたくないが抗う術を私は持たなかった。
私は自分の中へと戻る途中に嫌な物を見た。薄暗い洞窟のような肉の壁に囲まれた気持ちの悪い場所。
こんなものが私の精神か。
新しい血が洞窟の奥へ奥へと道標の様に続いていたので辿ってみると最奥は行き止まりになっていた。
そこには糸の切れた操り人形の様に椅子の上に倒れこんで絶命している頭部のない紳士の姿。
凄まじい執念だ。
何がこの者にこれほどまでの活力を与えたのか。
私は男を椅子から引き摺り降ろすと席に座る。
こうするのが正しいと自分でもなぜ知っているのか分からない。
私の目には最後にこの紳士風の男が見たかった物が目に映った。
タイヨーである。
私は巨大な頭部の支配を開始しながらも男がそれほどまで見たかったタイヨーの姿を見つめた。
よく見知った顔。私の顔だ。少し違うな。
タイヨーは女として私の体を再現している。
この男は最後に自分の世界の姿を見れたのであろうか?
私に分かるはずもないが、この席まで辿り着くことが出来たのであればきっと頭部がなくても見ることが出来たのであろう。
それがどれだけ幸福な事であるのか私には見当もつかないが、私が母に会いたい気持ちと同じようなものなのだと考えることで方を付けた。
私の意識は次第に現実へと向かっていった。
嫌でも現状が理解できてた。
私は巨大な醜い頭部の化け物になり大ミミズを噛み砕いている。
とても悲しくなった。
私は既に生命を感じないミミズを口から離すと、目を四方に向けてみる。
怯える兵士たち、空には夥しい数の悪魔。私の部下の文武官も何人か生き残っていた。
彼らに今の私はどのように映っているのであろうか。
怪物たちの仲間か、それとも……。
私は空を見る。まずはこいつらを片づけなければ。どうするか。
地面を這いずる巨大な頭部に一体何が出来よう。
「戻ってきたか。サンよ。憐れだな、人間とは……」
私の目の隣まで飛んできたタイヨーの言葉が心を締め付ける。私は人間ではない。既に。
「お前はもう、私と共有する事は二度とない。意味がわかるか?お前はな。あの男が吾輩との認識の共有で気が狂わぬように、肉体を一度壊されたのだ。ただの肉に。そして魔物へと変貌するための仮初めの肉体へと変わった。それが今のお前の肉体だ。お前の本当の体はもうこの世にはない。吾輩のこのお前と同質の体も。本物のお前があってこそ再現出来たものだ。もう二度とお前は自分の体を取り戻すことは出来ぬのだ。この世ではな」
とても悲しくなった。私はあの男に誑かされて母に会えなかった挙句に母から貰った体まで失ってしまったのだ。
「しかし、吾輩の世に来れば肉体は新たになる。気にするな。いつかは失った物だ。時期が早まっただけだと諦めろ」
私は涙を流しているのか。
巨大な頭部の怪物になっても尚、私は人間の様に涙を流すことが出来たのか。
「泣くな。泣くな。今にその体の扱いにも慣れるて。仮初めの体は変幻自在だ。己の姿さえ忘れなければ何度でも蘇らせることが出来る。お主の精神はまだこの世の物だ。吾輩との契約を果たすまで何度でも仮初めの肉体を再生できるのはかえって都合が良いではないか。のう?」
その時の私にはタイヨーの言葉は届かなかった。
ただ自分の姿を思い浮かべ、再現しようと試みるものの頭にはあの憤怒の形相の男の怖ろしげな顔だけが思い浮かぶ。
あれは私ではない。
しかし、今はあの男の姿しか思い浮かばない。
私の醜悪な肉体は音を立てて崩れ去った。
腐った肉の様に剥がれ落ちていく肉片。
その中から生まれ出る新たな肉体。
「幻影の憤怒か……。奴がそんなに怖ろしかったのか?」
私は自分の肉体がさらに怖ろしい物に変貌していくのを止めることは出来なかった。
私の中に波の様に感情が流れ出す。先程の悲しみとは異なる質の感情、怒りが。
流れ来る感情の波、私の感情ではないそれに、私は気付いてしまった。
この姿とは溢れ出る怒りその物。あの世では感情が肉体を形作るのだと。
だから、先程は頭部を失った男の悲しみから巨大な頭部へと変貌したのだ。
であれば、私が私の肉体を、見た目だけでも取り戻すにはどうすればいいのだ?
私は今、私の感情ではなく、あの憤怒の男と同質の感情に侵されているのであろう。
まずはそれを取り除かなければ。
私の目には丁度いい物たちが映った。
未だに空を支配する悪魔たち。あの物たちは与えられた姿のままの仮初めの体に入っているのだと思った。何かの感情をその姿からは読み取れない。
そうか。
与えるのだ。
私自身にではなく、誰かに与えるように私の体を再現する。
感情を持ち込まず、ただ淡々と。
そうすればあのように見た目を操作出来る。そう確信した。
しかし、この場で変異することは出来ない。人の目がある。
私は肉体――幻影の憤怒と呼ばれた――を動かすと、空へと両手を掲げた。
怒りのままに。ただ感情に流されるように。
私の両手からは凄まじい業火が溢れ出し、空へと向かっていく。
ほんの一瞬の間に空は炎の天井に覆われてしまった。
空にいた悪魔たちは次々と焼け死ぬか地上に降りてくる。
私はすかさず降りてきた悪魔に視線を浴びせる。
悪魔の皮膚が泡立つ。
焼けているのだ。私の視線で。
悪魔は呼吸もままならぬ様になり、もがき苦しみながら地面をのた打ち回る。
私は心なしか愉快であった。怒りに任せて魔法を振りかざすことに優越感さえ覚えていた。
一頻り悪魔たちを焼却処分した後、私はタイヨーに促されるままに元バストヘイム要塞跡から飛び立つ。何処か人に見られぬ場所へと向かって。