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華の足元  作者: べべ
3/3

3.町娘は帰らない


「状況を整理しましょう」


公爵家長女・ルクレツィアは金の縁取りがされたティーカップを置くと、重々しくそう告げた。

一夜明けた祭りの翌日、公爵邸の中庭で優雅なお茶会と洒落込む二人の少女は、同じ顔を同じ様にしかめて同じようにため息を吐いた。

片方がダークブルー、片方がオレンジの鮮やかなデイドレスを着ており、色こそ違うものの仕立ては同じ服である。

この重苦しいお茶会を開くきっかけを作った公爵夫人が、ルクレツィアは明るい色のドレスを着てくれないから貴女に着せましようと笑って用意させた物だった。

昨夜リズに与えられた部屋も公爵夫人の趣味なのだろう、これぞまさしく貴族のお嬢様!といった風の天蓋付きベットにフリルとレースのカーテン、フランス窓に白い家具が並ぶ女の子らしい部屋だった。

ルクレツィアの部屋はきっと対照的にシンプルで上品にまとめられている気がした。


「お母様は昨日、収穫祭の式典にご出席なされたわ」

「その式典に公爵夫人に花束を渡す係りとして私が参加いたしてまして」

「貴女を一目見て気に入ったお母様が、この公爵邸まで拉致連行」

「連れて来られてすぐにルクレツィア様の誕生日プレゼントにされたのです」

「お母様…」


頭痛を堪えるように令嬢の白い手が額に当てられる。

リズの荒れて日焼けした手とは違い、一切の野良仕事をしたことがない令嬢の美しい手を見て、リズは初めて彼女と自分の違いを見つけたのだった。

リズ本人にもそういった細かな違いくらいでしか見分けがつかないほど、本当にそっくりなのだ。


「申し訳ありません…私もてっきり高貴な方のご冗談かと勘違いしてしまって。その後公爵夫人様に見惚れていたらついそのまま着いてきてしまいました」

「あら、それは仕方のないことよ。気になさらないで」

「え?」

「お母様は妖精の子供なの」


妖精の子供というのは、生まれながらにして魔力を帯びている人間を指す。

大抵の妖精の子供は一つの魔法に特化してそれを使いこなすものが常だが、中には本人にも制御不可能の性質を持つ者もいる。

公爵夫人はいついかなる時でもその美貌をいかんなく発揮する魔法を持っている。

夫人とは全く似ていない顔を苦笑に歪めて公爵家の長女はそう教えてくれた。


「はあぁ…すごいんですね。」

「そうね。身内ながらすごい方だと思うわ」


先程からマナーを気にしてお茶に手を付けていないリズに、ルクレツィアはカップケーキの載った皿を勧めた。

伺うように彼女を見るとにこっと笑ってくれたので、この場での無作法は許してもらえるのだろうと了解し、リズはオレンジピールの入ったカップケーキに手を伸ばした。

リズが食べ始めたのを見て、あらためて令嬢もティーカップを持ち上げる。


「あの、それで」

「なあに?」

「お給金はいかほど頂けるのでしょうか?」


リズの言葉にルクレツィアは吹き出しかけて、慌ててカップをソーサーに戻した。


「貴女、状況をわかってて?」

「公爵夫人様にヘッドハンティングされました」

「ヘッドハン…?いえ、そうではなく何故ここでお金の話が…」

「大事な事じゃありませんか!私だって公爵邸で働ける事が名誉な事だとはわかってますよ。けれど、実家の稼業をほったらかしてお仕事するんですから、お給金は必要です!むしろそれ以上の旨味がなくては!」


意味もなく胸をはって堂々と言い切ったリズは、呆気にとられているルクレツィアをよそにお茶のお代わりのためにティーポットを取ろうとした。

後ろに控えていた侍女が音もなく滑り寄ってきて、ティーポットを取るとリズのカップに注いでまた壁際に戻る。


「ありがとうございます」


笑顔で侍女に礼を言うリズには昨夜公爵邸で見せた、知らない場所に連れて来られて怯える猫のような面影がなかった。


「貴女度胸があるのね」


ルクレツィアは嫌味でも皮肉でもなく、心からそう言った。


「なんかだんだん慣れてきました」

「…順応性も高いのね」


リズは言った後から反応が怖くなって令嬢を伺い見る。

流石にマイペース過ぎて呆れられたかもしれない。

ルクレツィアは淑女らしく、淑やかにクスクスと笑うばかりだった。


「でも、貴女には本当に悪い事をしたと思っているわ。我が家の都合に振り回されたのだもの。ねえ、今からでも断ってもよくてよ。どんなにお金があったとしても家族や今までの生活には代えられないわ」


ルクレツィアの言葉には偽りようのないくらい優しさに溢れていた。

貴族の子女であるというのに、芯から町娘を心配するその様子に育ちのいい人の良さが垣間見える。

いい人じゃないか。リズの心は決まった。




「ルクレツィア様。おそれながら申し上げます」

「何でしょう」

「人の気持ちや思い出はお金では買えません」

「そうね」

「だが大概のものはお金で買える!!」

「…っつ!!」


右手の親指と人差し指で丸を作り、真剣な顔で身を乗り出したリズに令嬢の顔が一瞬わななく。

その表情を見て、しまったお嬢様にいらんこと教えちゃったとリズは慌てた。

しかし、震えていたルクレツィアは怒るのではなく肩を震わせて笑始めたのだった。


「貴女って…!ふふっ…!貴女って!」

「ルクレツィア様?」

「ご、ごめんなさい…!わたくし、私、一度ツボに入ってしまうと中々…あはははは!」


ジャッ!と扇を広げると口元が隠れたのが安心したのか、耐え切れないように大声で笑い出した。

淑女としてはマナー違反なのだろうが、その気持ちのいい笑っぷりにリズの頬も自然と緩む。

始まった頃とは打って変わって公爵邸の中庭に明るい笑い声が響く。


一頻り笑った後でリズは姿勢を正して質問した。

昨夜からずっと気になっていた事だ。


「ルクレツィア様は今、その身の危険に晒されていらっしゃるのですか?」

「…どうしてそう思ったのか、聞いても?」


瞬時に笑いを引っ込めたルクレツィアは、仄かな驚きを顔に浮かべてリズを見つめた。

令嬢の目に映る少女は真剣な顔をしながらも、どこか心配げに眉をひそめている。


「私は戦う力も教養もない平凡な町娘です。ただルクレツィア様に顔が似ていて面白いというだけで、公爵夫人が私を娘の傍仕えにしようと思うでしょうか。召使なら身元確かで有能な方が他にいくらでもいらっしゃるでしょう」

「そんな私がここに連れて来られたのは、おそらくルクレツィア様の影武者をさせるため、ではないですか?」

「続けて」


リズの顔を見つめて続きを促すルクレツィアはまるで椀子そばのおかわりを待つフードファイターのようだとリズは思った。

差し出されたお椀に何か盛れないかとリズも頭を絞って考える。


「えっと、いくら公爵家のお嬢様だからと言って、影武者が必要かは疑問です。私の偏見じゃなければ貴族の女性は基本お屋敷に篭っていて外出するにもお供の方がいらっしゃるはずですし、えーっとだから、その」

「遠慮はいらないわ、続けて。貴女は具体的に私にどんな危険が迫っていると思っているの?」


遠慮はいらないわと言われてもこれ以上は出て来ないのだ。

影武者なんて言ったのはただなんとなくそうじゃあないかなぁと思っただけであり言って見れば勘だ。

特段考えがあって切り出したわけではない。

そのぼんやりとした感覚を理論整然説明しろと言われても出て来ないのだ。


「えーっとですから、公の場ではない、けれど必ずルクレツィア様が行かなければならない場所に私を行かせて何かさせたいのかな…と。すみません、これ以上はわからないです」


教師の質問に満足に答えられないことを恥じる生徒の気持ちでリズは言葉を打ち切った。

ルクレツィアはそれでも嬉しそうに目を細めている。

その表情にリズはどこか既視感を覚えた。


「私のお母様は、本人に言わせると美貌だけではなく人を見る目もあると言ってはばからないの。ーー本当にそうだわ。貴女って普通の娘じゃないのね」

「いい意味ですか?」

「勿論。とっても素敵よ」


短い賛辞であったが、リズは頬が紅潮する程の幸せを味わった。

公爵令嬢の期待に応えて、質問というお椀にデカ盛りをしてやった気分だ。


「私の身に危険が迫っている事についてだけど…それもまた、お母様がらみなのよ…」





公爵家のご令嬢が語るにつまり。


初まりは二通の手紙だった。

ある二人の貴族が間も無く十三歳になるルクレツィアにお茶会の招待状を送った。

それは遠回しながらも婚約を算段に入れた交際ーーの為の顔合わせのようなもので。

二人の貴族は、公爵夫人を巡って対立したことすらある男性達である。

ルクレツィアが母と同じ美貌を持っていると考えている事が察せられる。

招待状には示し合わせたように同じ日付の同じ時刻が書かれていた。

男性たちの影響力的に断ることも出来ず、体調不良を理由に返事を引き伸ばしているうちに、続いてもう二通の手紙が届く。

どちらの手紙にも脅迫するような文面が踊っていた。


ーーあの男のお茶会に参加する気なら、相応の罰を受けてもらう。


どちらの誘いを受けても脅迫者はお気に召さないだろう。

二通の脅迫状にはそれぞれ別の貴族の名前が書かれていた。

片方に日時変更を願い出たとしても、二つのお茶会に悩んでいる事を知る術のある脅迫者にはわかってしまうだろう。

公爵令嬢は先に出席するお茶会の主催者を選んだのだと取られてはたまらない。

何とか上手く納めることはできないかと、頭を悩ませていた所に現れたのがそっくりの顔を持つリズだった。


「私、ちっともお母様に似ていないのに…お茶会なんて相手の方をがっかりさせてしまうだけだわ」

「本当すごいですね公爵夫人様って…」

「自慢のお母様ではあるんだけどね」


遠くから見ている分には麗しい夫人も、家族にそれも比べられる事の多い母親として関わると気苦労が絶えないに違いない。

リズは自分だったらやさぐれている所だと思った。


「そんな危ないお茶会に行くことになるかもしれなくてよ?」

「でも丸く納めるには私は都合がいいでしょう?」

「そうね…」


ふと、令嬢が顔を上げて言った。


「ねえリズ、貴女恋人がいるんじゃなくて?」

「へ?」

「貴女緊張すると胸元に手を置くわ。そこにネックレスか何かあるのでしょう?きっと大切な方から貰ったのかと思って」


令嬢の視線の先にあるリズの胸元には確かにケヴィンからの贈り物がぶら下がっていて、今もその花の形を手で触れていた。

自分でも気づかないうちに癖に触っていたなど、想像以上にリズはケヴィンを内心頼りにしていたのだ。

リズは目を伏せて不器用な少年を想う。

同性の友達は多いケヴィンだが、女子供には怖がられやすい彼は、今どうしているだろうか。


「帰ってもよくてよ?」

「…はい、いつか絶対。それまでに私はここで立派に役目を果たして、大金と公爵令嬢の傍仕えをしたという名誉を持って帰ります。今帰ったらルクレツィア様には二度とお目通り叶いませんが、ケヴィンには二度と会えない訳ではないのですから」


ルクレツィアを守って自分も自分も生き残るつもりだ、そう言外に匂わせるとルクレツィアは困ったように眉を八の字に寄せる。

ケヴィンの事は気にかかるし、弟や家族もどうしているのか心配ではある。

しかし、へんてこな記憶を持つリズすら鷹揚に受け入れた家族なのだから、呑気に帰ってくるのを待っているのではないだろうか。


「ご家族の方も、貴女がこんな事に巻き込まれるとわかっていれば、式典になんかださなかったでしょうね」

「うーん回避は不可能だったんじゃないですかね?だって、ジークフリート様がどうしてもって勧めたことでしたから」

「あら、貴女の好い人はケヴィンというお名前ではなくて?他の方からも想いを寄せられていたの?」


ルクレツィアは悪戯っぽく微笑んだ。

リズと同じ瞳にはリズと変わらない年相応の興味が溢れている。

聞くならケヴィンの事を聞いて欲しかった。

と言ってもケヴィンの事になると恥ずかしくて上手く話せなかったとは思うが。


「いやいやとんでもない!ジークフリート様とは何でもないですよ!」

「そう言わずに詳しく聞かせて頂戴よ」


確かに言い寄られてはいたが、それは春に猫が恋する様な熱病のようなもので、リズは全く相手にしていなかった。

そう説明しても、ルクレツィアはからかうように笑うだけで渋々リズはあのわからんちんな少年について説明した。


「…ジークフリート様っていう、町の顔役のご子息がいたんですけど、こっちの話を全く聞かない方で」

「まあ」

「どんなに邪険にしてもご自分の都合のいい方に変換してしまうんです。へーとかふーんとか、気のない返事をしてもめげなくて!」

「大変だったわね」

「だから私、どれだけ話聞いてないのか確かめる為に適当な返事をしたことがあるんですよ」




〝僕のリズ、今日も綺麗だね。君の前ではどんな花も色褪せて見えるよ〟

〝あらよっと!〟

〝僕の家でお茶しないかい?こんなにいい天気なんだもの〟

〝ソイヤ!ソイヤ!〟

〝この服?新しくお父様が買って下さったんだ。君と並ぶと花の妖精と騎士様みたいだろう?ああ、僕たちってなんて似合いの二人なんだ!〟

〝はあーどっこい!〟



「ぶはっ!ははははっ!あはははははっ!!!」

「だからジークフリート様とは何でもないんです」


リズがあの日の会話を思い出して頭痛を抑えて語ると、令嬢は再び爆笑した。

今度は痙攣しそうなくらい笑っている。


「ルクレツィア様…そんなに笑わなくとも」

「ごめん遊ばせ…リズって私のツボみたい…ふふっ」


扇子で隠す余裕もなく、令嬢は笑い続けていた。

その笑顔を惚けて見つめていたリズは、先程から感じていた既視感の理由に思い当たった。

令嬢の笑った顔は驚く程その母親にそっくりだったのだ。


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