04 黒服隊の訓練
※空き時間で書いたので、いつもよりも誤字脱字の多い可能性あり
黒服隊の朝は早い。
どれくらい早いかというと、日の出前から仕込み始めるパン屋と同じくらいだろう。
ユートリアを囲う壁の先の地平線がまだ星で輝いているころ、彼らは既に早朝の訓練の準備を済ませている。
駐屯所の訓練場で目覚まし代わりに軽く体を動かす。鳥も鳴く時間にはまだ早く、隊員の息つく音しか聞こえない。
「ついにこの日が来てしまった……」
第二班班長ロイクは訓練場で体操をしている部下たちを半目で見ると、眠気を払うように首を回してため息をついた。
「一体誰のせいだと思っているんですか……」
どうやら第三班班長のエタンは既に準備が終わっているようだった。動きやすい服装で長い銀髪を後ろに一つにまとめ、恨めしそうにロイクを睨んでいる。
「聞いたぜ? お前が原因なんだろ?」
エタンの後ろから第一班班長バジルも呆れた声を出す。
基本的に隊員たちは駐屯所の宿舎に住んでいるが、希望者は街中に部屋を借りることもある。バジルは隊内では珍しい既婚者だ。妻と子供たちと一緒に駐屯所近くの家を借りて住んでいる。バジルの普段の素行から訓練に遅刻しそうに思えるが、この隊で訓練に参加しないのは隊長ただ一人で、バジルも時間通りに訓練場に来ていた。
「げっ、バジルのおっさん!」
このおっさんに恨みを持たれたら今後いつどう仕掛けてくるか分かったものじゃない。
ロイクが逃げるように距離を置くと、その意味が分かったようで覚えていろよ、と捨て台詞を吐いて部下たちのところへ行ってしまった。覚えていろもなにも共犯だから同罪だ。誰が何と言おうと、ノエミを騙して罰を課されたのは自分たちなのだから。
いまだにロイクを睨んでいたエタンも同じように今日の訓練を楽しみにしていてください、とにっこり笑うと去っていった。顔立ちが整っているだけに光が舞いそうな綺麗な笑顔だが、あれは何か企んでいるに違いない。今日の訓練はいつも以上に大変そうだ、とため息がこぼれた。
定刻になると、皆一斉にユートリアを囲う城壁へと駆け上がった。城壁とだれもが読んでいるが、この都市には城と呼べる建物はなく、ただのそう呼ばれているだけだ。高さは中に立ち並ぶ建物よりも少し高いくらいで、戦時中の外交場としての名残か、守護のためにその作りは魔法兵器を設置できる程度には幅がある。
黒服隊隊員たちはその高さを軽々と駆け上がると、すでに壁の上で待っていたノエミの前に並んだ。この隊で一番年下とはいえ、地位は上から数えて二番目。トップである隊長が参加しないのならば当然仕切るのはノエミだ。
「みんな、おはよう」
ノエミが声をかけると、隊員たちは助走の準備を始めた。
あるものはクラウチングスタートのように手を地につけ、腰を高く上げる。あるものは目を閉じ、息を整えて手を構える。そしてあるものは何もせずに前を見つめていた。
「いくよっ!」
その声とともに一斉に全員が走り出した。彼らの表情は必死だ。
理由は簡単。誰だって後ろから魔法を放ちながら追ってくる班長達の近くにいたくないからだ。班長達は全力で走る隊員たちの後ろを軽い足取りで追いかけ、魔法を構える。ロイクたちの手元の魔法陣が光ると、そこから火球が飛び出し、近くの隊員たちに襲い掛かった。
「当たるもんか!」
「腕鈍ったんじゃないですかぁ?」
「へたくそー!」
さすがは脳筋集団。一般人ならば即殺の魔法を野次を飛ばしながらいとも簡単に躱す。魔法の扱いならば隊内でも有数のエタンの攻撃も彼らは軽々とよけていた。
―――だが、訓練が厳しくなるのは城壁を一周回ってからだ。
「一周目おーわりっ!」
先頭を走るノエミがそういうと、一気に速度を上げた。隊員たちもそれに続く。
すると後方の班長達の攻撃に切れが増した。先ほどは子供相手であったかのようで、速度と精度が一気に引き上げられる。だが、黒服隊も戦うことが仕事だ。難易度が引き上げられてもそれに応じて一つの攻撃も当たることもなく走り続ける。
これが回を重ねるごとに厳しくなっていく。ノエミの速度はどんどん上がり、班長達の攻撃も激化する。朝の訓練はこのフォーメーションで城壁を五周走り回り、次はノエミと班長達が攻撃を受け、残りの隊員たち十六名が一斉に魔法を放つ。これを五周し、黒服隊の訓練は終わる。
さて、一見簡単そうに聞こえるが、これがどれだけおかしいことであるか説明しよう。
まずは城壁一周の距離だ。この城壁は数十万人が暮らす街を覆っている。つまりは一周が一つの小さな山の周りをまわることと等しい。それを彼らはパンが焼きあがる間に十周すべて終わらせるのだ。その距離と速度は異常といっていいほどだろう。
早朝の訓練が終わると、ノエミ以外の隊員は息を切らせ、数人は塀の上に突っ伏していた。だが、三人の班長達は比較的余裕がありそうだった。それもそのはず、普段よりも体力を残して訓練参加していたからだ。もちろんこのあとのノエミとの特別訓練のためである。
先日、ノエミを騙した罰だが、任務が入ったせいで後回しになっていたのだ。城壁十五周の追加訓練。走り切るだけならば余裕でこなせるが、ノエミと一緒であることがそうはさせてくれない。見た目がどれだけ幼くとも、言動がどれだけ阿呆であろうとも、ノエミは最年少で黒服隊の副隊長に就任した世界最高峰の身体強化魔法の使い手だからだ。追いつかれないように走ることがいかに難しいことか。
「今日の訓練おーわり!」
ほとんどの隊員の息が整った頃、ノエミは手をパンッと叩いて終了を告げた。黒服隊は戦闘を極めた集団ゆえにそれぞれ自分たちなりの鍛え方がある。全員で行う訓練は毎朝の城壁マラソンと定期的に行う地形適応訓練のみだ。あとは個々でなんとかしろという放任主義である。各々で適宜訓練を行っている。
ノエミの終了の言葉を聞き、ロイクは耳を疑った。ノエミは意外と記憶力がよくて、懲罰訓練を忘れたことなど一度もなかったのだ。このあとすぐに三人班長で城壁を回ると言われると思ったのに、肩透かしを食らった気分だ。願わくば忘れたままであれ……! 三人班長たちの心の声が重なった。
「副隊長、今日の朝食は副隊長の好物だそうですよ」
「そうらしいな。早く食べに行こうぜ」
「ほら、隊長も呼びに行かないとだな」
エタンが話を逸らしたのに乗らない手はない。三人で早く行こうとノエミを急かすが、「なに言ってるの?」と振り返った。
「三人とも追加訓練があるでしょ?」
「やっぱり忘れてなかったかーーっ!!」
「忘れるわけないじゃん! さ、行くよ」
淡い希望を打ち砕かれ、項垂れるロイクは城壁前まで引きずられ、背中を押された。気分は落ち込んでいても身体の落下を放っておくわけにはいかない。軽やかに着地をし、そこで疑問に思った。訓練を忘れてないのならなぜ城壁から離れるのだろうか。
「副隊長、なんで下ろしたんだ?」
あとに続いて降りてきたノエミに尋ねると、なぜかキョトンと不思議そうな顔をされた。
「だって、シルヴァンが言ってたんだ」
「隊長の助言とか嫌な予感しかしないんだが……」
「いつもいつも懲罰訓練が城壁マラソンだと飽きちゃうでしょ? だから今日は組み手にすると良いって。なんだっけな、まんねりか防止? って言ってた気がする」
「やっぱりかぁあぁぁぁぁああぁっ!」
早朝ということも忘れてロイクは叫んだ。城壁マラソンと組み手ならば、前者の方が何倍もマシだからだ。バジルとエタンも現実を逃避するかのように遠くを見つめている。
「ちょ、ちょっと待て! 城壁一五周じゃなかったのか!?」
「なにいってるの、ロイク? だからまんねりか防止だって!」
「そんな意味も解ってない単語を使うために俺たちは……!」
うあああ、と咆哮を上げながら頭を抱えた。それに比べてノエミは新しい言葉を使えたと満足そうに笑っている。その表情と言ったら、素が美少女だけにこちらまでつられて笑ってしまいそうになる。だが待て待て待て。引きずられてはいけない。ここはなんとしても訓練内容を城壁マラソンに戻さなければ……、と意気込んだところに肩をポンとたたかれて振り返った。そこには生気のない瞳をしたバジルとエタンがいた。
「諦めろ、ロイク」
「そうですよ。隊長の言葉は覆せないと、いくらロイクさんでもそれくらいは分かるでしょう?」
「くそぉ!」
大声で悪態をついてはみたが、状況が変わるわけもなかった。ノエミは三人班長の言葉を信頼してよく騙されるが、それ以上に隊長であるシルヴァンの言ったことは一片たりとも疑うことをせず信じてしまう。もう五年近くの付き合いがあるが、一度もシルヴァンの言葉を覆せたことがない。ちなみに隊長がノエミに変なことを吹き込むときのほとんどがシルヴァンの班長及び隊員達に対する嫌がらせである。
「ちくしょう……」
これから起こることに涙を流しながらノエミに引きずられて駐屯所まで連れていかれたのだった。
「うげぇぇ……」
懲罰訓練が終わり、ロイクは朝食を食べる気力もなくそのまま近くの芝生に倒れこんだ。とはいっても、全身が軋むどころかどの部位も余すところなく痛みを抱えているため、努めてゆっくりと芝生に寝転んだ。
ノエミの組み手訓練は壮絶を極めた。最初に一対一にするか、三人まとめてにするか聞かれ、三人班長達は後者で即答したのだった。それから始まった組み手だが、あれでもノエミは最年少で黒服隊の副隊長に就任した世界最高峰の(以下略)である。三人を相手にしても余裕で対応していた。見た目は子供の体躯のノエミに手も足も出ず、どの攻撃も受け止められ流され、何倍ものカウンターが返ってきた。そのおかげで身体中が打撲で痛み、息をすることでさえも辛い。ノエミに誰か手加減というものを教えてやってくれ。
この痛みも魔法を使えば午後までには治るが、それでも痛いものは痛い。普段は大抵の怪我を魔法ですぐさま治してしまうので、久しぶりの痛みに吐きそうだ。
指先も動かす気力はないまま芝生で伸びていると、訓練の振り返りをノエミとしていたバジルがエタンを担いでやってきた。
「相変わらず副隊長の訓練はきついな」
「そうは見えねぇよ。いっ、ぁ、肋骨が……」
《痛っ! もっとゆっくり下ろしてくださいこの筋肉ダルマ!》
話している最中にヒビの入った肋骨辺りが悲鳴を上げる。言葉を発するだけで辛い。エタンはロイク以上にキツイようで口で会話することを諦め、黒服隊専用の秘匿通信を使っている。当の本人は死んでいるかのように微動だにしない。
「ったく、お前ら天下の黒服隊が一対三相手でこのザマとはとは情けねぇなぁ」
「うるせー、筋肉ダルマだけなくせに。って、俺の身体を頭をのせるな! うっ、ヒビが広がった……」
「鍛え方が違うんだよ」
せせら笑うバジルを一発殴りたいところだが、生憎身体を動かすことは出来ず、背中を枕代わりにされても抵抗ができない。きっと今回の懲罰訓練をすることになった原因だということで仕返しをしているのだ。こちらが身動きできないところを狙ってくるところがいやらしい。
《俺の背中の上で喋るな! 振動がいてーんだよ!》
秘匿通信でなんとかどかそうとするが、まるで聞こえなかったかのように反応がない。
「あー、今日も空が綺麗だ」
このおっさん、あとでぶん殴る。
―――そんなこんなで黒服隊の今日の訓練は終わったのだった。
黒服隊の夜は早い。
どれくらい早いかというと、陽が沈み始め、ほとんどの職業が店じまいや片付けを始める頃には酒屋の席に腰を下ろしている。周りには早く仕事が終わった客もいるので、実際はそうでもない。
「カンパーイ!」
ノエミと三人班長たちはジョッキを掲げた。
黒服隊の仕事といえば、四方國同盟に加盟する国の広大な土地に跋扈する危険な魔物の殲滅であるが、その任務は数日に一度程度だ。そのほかの日は身体を休め、次の任務に備えることが仕事である。だが、身体を休めるというのは傷を癒すという意味だけでない。お酒を飲んで娯楽に興じることだって立派な精神的な休息である。
組み手の反動で動けなかったロイクとエタンはすでに回復しており、四人で楽しく最近の任務や魔法について、そしてプライベートの話をしていた。
その中でエタンのとびっきり可愛い恋人の話になった。もうかれこれ二年交際しているというエタンの恋人は針子をしていて、ノエミの持っている私服の大半は彼女が作ったものだったりする。いつ結婚するのかと皆で見守っているのだが、エタンはタイミングを見計らって一緒になる気のようだ。
「早く結婚したいんだろ? お前の恋人可愛いもんな」
「ユンが可愛いのは当然です」
「くそっ、羨ましい限りだぜ」
そういうロイクも恋人を作ればいいのだが、いつもきれいな女の人をとっかえひっかえしてばかりでそんな気配は全くない。
ノエミはさらりと出てくるエタンの惚気話をきゃあきゃあ騒ぎながら聞いていたが、ふと、口を挟まずこちらを見ていたバジルと目があって、なぜか嫌な予感がした。その表情は何か面白いものを見つけたようだった。
「しっかし、副隊長がもう恋する年ごろとはなぁ」
ぷはぁ、と一気に半分のエールを飲み切ると、バジルはわざと大きな声でそう言った。口元はにやにやと笑っており、からかう気満々だった。
「来た頃はこーんな小さかったていうのに」
「そ、そんなに小さくないし!」
指先で豆粒をつまむような仕草をして小さい小さいというので否定する。さすがにそこまで小さくなかった。
「わたしだってあの時よりは成長してるんだから!」
「それはねぇな」
「それはない」
「それはないです」
三人班長たちが口をそろえてそう言った。だが、悲しいことにその通りで、ノエミが三人と知り合ったころから身体的な変化は一切ない。成長期とはなんぞや? と問いたくなるほど変わらないのだ。ノエミは胸が少しは成長しているはず、と信じ込んでいるが、幼女さながらの断崖絶壁を見れば誰だって察することができてしまう。大人の女性用下着の世話になるのはいつになることやら。
三人の全否定が悔しくって、ノエミはご飯ばかり食べていて進んでいなかったエールをぐびっと一気に飲み干した。
「ひ、ひどいよ……!」
二杯目を手にしたノエミは突然、今にも泣きだしそうな表情でわーん、と勢いよくテーブルに突っ伏した。
「確かに見た目は変わってないかもしれないけど、中身は成長してるし、胸だってちょっとはおっきくなってるし、もう十八歳なんだからねぇ! でも、ロイクがいつも遊んでるお姉さんたちみたいに背が高くないし、綺麗じゃないし、可愛い服よりも動きやすい服着ちゃうし、わーん、これじゃあリュシアルもわたしを好きになってくれないよぉ!」
まるで人が変わったかのようにノエミは早口で泣き言を言いだした。手に持っている酒だけが違和感を放ち、あとは見た目通りやだやだと駄々を捏ねる子供である。
そのノエミを指さしてバジルはガハハハッと笑い出した。
「これでこそ副隊長と飲みに来た気がするってもんだぜ」
「今回は泣き上戸ですか。まあ、面白いのでいいですが」
ノエミは酒に強いか弱いかといえば弱い。一杯目は平然としているが、一杯目を飲み干すと急にスイッチが入ったかのように人が変わる。陽気に笑いだしたり、隊員たちに絡みだしたり、面倒ではあるのだが、見ている分には楽しい。そして二杯目を飲み干すとまた酔い方が変わり、そして三杯目を飲み切ると糸が切れたかのように寝てしまい、起きたころには一切のことを覚えていない。バジルはそのノエミをからかうのももちろん酒のつまみとして大好物である。
こういう時、大抵苦労を被るのは隊内で二番目にノエミと付き合いの長いロイクである。
「ねぇ、どうやったらナイスバディになれるのぉ?」
「落ち着け、ノエミ。お前の体型でもいいって言ってくれるやつもきっといる」
「リュシアルはそうじゃないかもしれない……。そしたらどうしよう……」
すん、と鼻を鳴らした。泣いてはいないが、その表情は今にも涙腺崩壊のカウントダウンが始まりそうだ。
「ま、待て、アイツに直接聞いたわけじゃないんだろう?」
「そうだけど、でも……、ロイクはわたしと昨日歩いてたボンキュッボンの女の人、どっちが好みかって聞かれたらどうを答えるの…?」
「顔はノエミ方が美人だが、身体だったらキャシーちゃんだな」
「彼女はロイクさんがお好きな巨乳ですからね」
「ほらぁ!!!! 絶対リュシアルもおっぱい大きい人がいいんだぁ!」
自分の正直さが憎い。つい即答してしまった。だが、逆に見た目が幼いノエミだと答えるのもどうかと思う。もしバジルやエタンの前でノエミと答えたら、当分は幼女趣味扱いをされるに決まっている。ならば、どうしろっていうんだ! それよりもエタンは火に油を注ぐな!
喚くノエミ。頭を抱えるロイク。そしてその様子を茶々を淹れつつ楽しそうに眺めるバジルとエタン。酒場の一角は変な空気に包まれていた。
「まあ、医務官の好みはこの際置いておいて、副隊長はなんでその医務官を好きになったんだ?」
このまま見続けてもよかったが、展開がもう変わりそうになかったので新しい娯楽を得るべくバジルが話題転換をした。
「わたしが、リュシアルを好きになった理由?」
「そうだ。ぱっと見、背が高いだけのモサっとした奴だっただろ? 髪と眼鏡で顔もあんまり見えねぇし」
「か、かっこいいじゃん!」
いつの間にか二杯目のジョッキは空になっていて、どうやら酔い方が変わったらしい。なにかを思い出しながら照れたように笑っている。いつもよりも数段上機嫌だ。
「副隊長がそうおっしゃる医務官ならば一度僕もお会いしてみたいですね」
「うんっ! 調合が趣味って言ってたからエタンとも気が合うと思う!」
「このぉ、嬉しそうな顔をしおって。―――で、結局なんでなんだ?」
「えっ!?」
声が裏返ってしまった。三人を見ると、思いのほかじっと見つめられていて、恥ずかしくなる。少し考えて、言葉を迷いながら、視線を彷徨わせた。
「えーっと、その……、もしもの話だけど、もしわたしが崖から落ちそうになってたら、三人ならどうする?」
「なにもしねぇな」
「ノエミ一人で解決できるだろ」
「こちらが手を出したほうが迷惑になりそうですからね」
「だよねぇ」
当然の答えだった。ノエミはこれでも最年少で黒服隊の副隊長(以下略)だ。助けないで自分で解決することを見守るほうが一番いい結果になると誰だってわかる。だがしかし、だからこそ―――
「わたしね、魔物を初めて倒したのが五歳の時だった。周りから期待されてたし、それが当たり前だったから、助けられたことって一度もなかったんだ」
「どんな戦闘民族に生まれたんだよ」
「まあともかく、リュシアルはそんなわたしを初めて助けてくれたの! これだけで好きになるには十分じゃない?」
嬉しそうに頬を染めて語るノエミの姿は恋する乙女そのもの。普段は見た目ゆえに伺えない年齢相応の少し大人びた表情だった。
「ふーん、副隊長もちゃんと考えてるんだな」
「もー、聞いたのはバジルなんだから真面目に聞いてよ」
怒っているような言い方だが、上機嫌モードのお陰で言い方は柔らかかった。気が付くとノエミの持つお酒も終わりが近づいてきていた。
「でもなぁ、好きになって、好きで好きで仕方がないのにリュシアルの前に立つとどうやって伝えればいいのか分からなくなっちゃうんだよね」
「それは副隊長も難儀な状態に陥っていますね。ぜひ横で眺めていたいです。ね、ロイクさん?」
「俺に振るな! ノエミに好きなヤツができたってだけで複雑だっつーのに」
「兄貴分は大変ですね」
「うるせー」
やいのやいの言い合っているところに、バジルはなにか思いついたようで、嬉しそうにニヤリと笑った。
「なにも副隊長が伝えなくてもいいんじゃねぇか?」
「へ、どういうこと?」
「だから、医務官から好きって言わせればいいんだろ」
「そ、そんなこと、出来るわけないじゃん!」
「いいや、出来る。副隊長ならできると俺は確信している」
「ほ、ホント!?」
なにを考えてやがると、ロイクが睨んできたが、この際無視してバジルは口を止めなかった。どうせノエミは明日になれば忘れているのだから。
「副隊長が恋に落ちたなら、相手も落とせばいい」
「……っ! で、でも、どうやって!?」
「聞いて驚け。俺が知っている人を落とす方法の一つを教えてやろうじゃねぇか。それはな、首の後ろを手刀で一発トンッとす―—」
「わかった! それで落とせるんだね!」
バジルの言葉を遮ると、ノエミは勢いよく立ち上がった。意識を落とす方法が恋に落とす方法と同じだったなんて知らなかった。そんな簡単なら、早く試しておけばよかった!
残念なことに、ノエミの思考はお酒に酔って通常とは異なるものになっていた。加えて今は上機嫌である。どんな言葉も素直に嬉しそうに受け取ってしまう。
「ありがとう、バジル!」
ノエミはポーチから十分すぎるお金を出すと、それをテーブルに叩きつけて走り出した。三人がポカンと驚いているのにも気づかなかった。それよりも早くリュシアルを見つけなければ。
店を出て魔力探知を展開すると、リュシアルはすぐに見つかった。都市議会塔からの帰りのようで、人通りの少なくなった道を歩いている。ノエミは地面を蹴って屋根に降り立つと、ぴょんぴょんと飛んでそこまで向かう。ノエミの速さならすぐだった。
間もなくすると、白衣の後姿が見えた。相手は隙だらけ。これならば簡単に落とせる! タンっと、屋根から飛び降り、
「リュシアル、かくごぉぉぉ!」
ノエミの高速の手刀がリュシアルのうなじに振り下ろされた。
三人班長のその後。
ロ「ちょ、待っ、ノエミ! どこにいくんだ!?」
エ「あの様子だと医務官さんのところに行ったでしょうね」
ロ「バジルてめぇなにをしたかったんだよ!?」
バ「副隊長が出ていったのは意外だったが、面白れぇことになりそうじゃねぇか」
ロ「てめぇ、その男になにかあったらどうすんだ、馬鹿!」
バ「なにいってんだ。副隊長がそんなことできるわけねぇだろ。どうせ見つけた途端怖気づいてる。まあ、様子でも見に言ってやるか」
ロ「ノエミのことだから手加減をしてるだろうが。……て、手加減、してるよな?」
エ「なに心配で震え声になってるんですか。とりあえず行きますよ」