九十五夜 乙女の水道
期せずしてパレードとなった翌日、ヴィーラ殿下が新王都へお帰りになられた。
駆けつけたステューパ卿はなに一つ自己主張せず、国政に急激な変化がなければまだウダカに滞在できたかもしれない。
しかしさらに増さるであろう貴族の拝謁願いに、頭を悩ませていたのも事実。
早朝出立すると報じられ、状況を見ればいたし方なしだろう。
「せめてお土産の、パウンドケーキ製作に精を出そう!」
ジャーラフは殿下の安全を考えついて行くと思ってたけど、姿を現さなかった。
殿下もこれといって気にされておられない。
「新王都に滞在されてる、姉のジャーレーさんも因果伯だってね。ノルブリンカと同じく姉妹で啓いたなんて凄いな、教えてくれてもよかったのに」
「……自慢する話でもない」
アマゾネスの襲撃を報せてくれたお礼もしたい。
でもその点はあまり触れて欲しくないのか、後に現れた時も壁を作っている。
「妙な違和感があるなあ、新王都に行きたくないのだろうか?」
一方でラクシュは御一緒する運びとなった。
「まあ新王都の王宮で「パシュチマ王国の王太子」などと叫べば、質疑の上複雑な問答も起こりそうだし……殿下と共に在るのが最善でしょう」
ラクシュは姉のローカァ伯爵夫人に貴族の身分を証明して貰い、ヴィーラ王国を自由気ままに旅してこられたのだ。
証文は顕在で無下に扱われはしないだろうけど、無用な混乱を招く必要もない。
ぼくも誘われたのだが、「ウダカを磨く」主命を果たしてからと固辞する。
「アユムとぶらつく方が、色々と面白いんだがなあ。ここにもうるさ型のジジイがいるだろうし、側溝の工事をスムーズに行えるよう領主に掛け合ってやろうか?」
「パシュチマ王国の評判が下がります、また強権の使い所を間違えてますよ」
ありがたいけど苦言で返したら、妙な所で頑固な奴だと笑われてしまった。
「まっここでお前を批判する奴はいないか。ではなアユム、新王都で会おう!」
「はい、新王都で!」
言い回しが少しばかり気になったけど、笑って手を差し出される。
握手――いつの間に覚えられたのか、嬉しくてただ応じた。出会ってまだ月日も経っていないのに、長年の友人を見送る雰囲気。
握り返す力と熱さが、彼らしさを物語る。
けれど2日の距離でありふいに不安がかすめ、安全を願って思わず見返す。
ライオンのたてがみを彷彿とさせる、茶色の髪が笑顔に揺れていた――。
そしてぼくはこの時の選択を、繰り返し後悔することとなる。
「乙女の水道より、寄贈金を献上いたします」
赤き乙女が恭しく頭を下げ、寡黙な執事が袋に入った硬貨を台ごと掲げる。
後ろにはさらに大きな袋を複数詰んだ輿が控え、4名の修道士が跪いていた。
魔女が相槌で頷き、手にした淡い輝きを放つ権杖に何事かを囁く。
ハミングバード学園の門前に集ったビハーラ嬢にソーマ卿、そして修道士の体が淡く光を放ちだす。
その声が聴こえた市民の体も淡く輝き、感嘆の声が波打って広がった。
幸運に恵まれた者は亡き親に抱かれたと興奮し、神に包まれたと涙を落とす。
乙女の水道への祈りがかなったのだと、感激して震え奇跡に手を組み合わせる。
シャンティ卿が今一度、見慣れない文様が浮かぶ権杖を掲げ奉謝を表す。
「ヴィーラ殿下に、我が忠誠と絶え間ない感謝を――」
その身が何処に在られても、領民が殿下のお姿を拝見することはまずない。
領地の巡回や狩猟をするに告知がある訳もなく、ましてお忍びで飛び回る殿下の行動は予測不可能だろう。
「今回の騒ぎを見れば、わざとそうされているのかもしれないけど……」
ウダカに現れた2匹の魔獣を討伐し、国のゆく末を祈られた水汲み場。
「乙女の水道」はヴィーラ殿下を崇敬する領民にとって、格好の聖地となる。
「1枚で再びこの地を訪れる、2枚で大切な方と一緒にいられる、3枚で配偶者と別れられる――」
当初は貴族のみが手を組み、同じように硬貨を投げ入れ一喜一憂していた。
しかし噂は日ごとに広まり他領にまで飛び火し、内側に入れない平民からかつてないほどの陳情が寄せられる。
「殿下が祈られた乙女の水道を、参詣させていただけませんか!?」
「ひと目なりとも、拝見させていただきたく……っ」
「どうかお願いします! 祈りを捧げさせてください――っ!」
数日かけて徒歩でウダカまでおもむき、身を整え期待に胸を膨らませ、目当ての聖地前で内側城壁に阻まれる……。
その落胆がどれほどか、想像にかたくない。
ウダカの領民にとって乙女の水道は、すでに巡礼地と化していたのだ。
内側城門の大混乱は攻城戦を思わせ、戦争経験のない領主は戦々恐々に陥る。
「このまま手を拱いては、所領の管理が滞り最悪の場合没収すら免れないのでは」
ウマー伯爵は有識者を招き検討するも……右に倣うべき、国史はなかった。
「領民の祈りは殿下の御心に届きたもう、その道を閉ざす者はこの地に至らず!」
その日ウダカの内側城門が、平民に大きく開け放たれる。お腹を震わせ拳を挙げ――ウダカ領領主による、寛大な宣言がなされたのだ。
光射す内側都市部の輝きに、絶叫と呼ぶべき大歓声が起こり空気が割れた。
ウマー伯爵の決断……城門の開放は、必ずしも賛同ばかりだった訳ではない。
むしろ後ろ盾となっていた有力貴族の、反対を押し切っての強行。
「殿下は集いし願いはただ一つとおっしゃったのだ。確かに前例なき行いですが、異議ある方がおられるとは思えませんな!」
殿下を「盾」に反対する貴族の主張を封鎖する。正論に乏しく詭弁に近い、賛同しがたいが……無粋な突っ込みは止しておこう。
ウマー伯爵は張りつけた笑顔と大汗で、この歴史的偉業をなし遂げたのだから。
「ラクシュの物言いではないけど……殿下は見事に「ウダカの常識」を、ぶち壊していかれたなあ」
とはいえ開放されたのは、乙女の水道に至る大通りのみ。
正午の鐘を合図に参拝が許可され城門はフリーとなるが、路地など勝手に立ち入らないよう衛兵が配置される。
ヴィーラ殿下が祈られた夕刻時は、貴族だけが参詣を許可されていた。
その辺りが反対する貴族との、妥協点だったのだろう。
「まあまずは一歩と、見るべきかな」
平民は始めて歩く内側都市部の豪華さに別世界を描き、本当に同じ街内なのかと目を疑い口を開ける。
さらに内側都市部には似つかわしくない屋台が道の端に建ち並び、そこかしこから甘い匂いが流れて巡礼者のお腹をくすぐった。
ぼくがローカァ伯爵家で作った、パウンドケーキを販売しているのだ。
殿下に目通り願う貴族に振る舞ったパウンドケーキはことの他好評で、すぐさまウマー伯爵の耳に留まる。
テリーヌ型で同質の料理を大量生産できる利点。数日の常温保存が利くと知り、お土産として販売許可を申し出てこられた。
「サーガラの名物と呼ばれる「サーガラフライ」の製作には、アユム卿の力添えがあったと聞きました。是非我がウダカにも、名物を教授していただけませんか!」
領主に伏して願われると拒み辛く……。
パウンドケーキ改め「ウダカケーキ」が誕生し、これが大当たりする。
ウダカまで巡礼の旅をし、乙女の水道に祈って硬貨を投げ入れ、参拝した証にとウダカケーキを買って帰路へつくのだ。
内外問わずパン屋は競ってウダカケーキを焼き、早期に質の向上が見込まれた。
「如才ないとはこのことか……さすがは大都市の領主と、言わざるを得ないなあ」
厨房スタッフに見られていたのかイチジクだけでなく、ルタとヨーギ用に焼いたラズベリーのパウンドケーキもお披露目された。
ウマー伯爵は笑いが止まらないだろう。
「サーガラでしか食べれないサーガラフライと違い、こちらはお土産としてどこにでも持ち運べるし調理もしやすい! 名物としてはウチが上だ!!」
カイゼル髭を逆立てて悔しがる姿が目に浮かぼうて――どうやらサンガ伯爵と、わざわざ船で書簡のやり取りをしているらしい。
「……お2人さん本当は、仲良いんじゃない?」
しかしなにより驚いたのは、乙女の水道に投じられた硬貨がハミングバード学園へ寄贈される運びとなっていた件だ。
ヴィーラ殿下の名の下、硬貨は一定期間奉納され願いを鎮める。
内側城門が開き参拝を待ち望む市民が最初に目にするのは、硬貨を大袋にまとめ輿に乗せ街を練り歩く……絢爛なパレードであった。
夕刻を表す赤きドレスの乙女は殿下を、寡黙な執事は握手を交わした王太子を、輿を担ぐ4名の修道士は4名の護衛をそれぞれ模している。
こちらも巡礼者が道の端で見守るほど、恒例行事となって受け入れられた。
だけどもこれらが決まるまで、関係者はずいぶんと頭を悩ませたのだ。なにしろ寄贈は殿下の下知である、あたら疎かに扱う訳にはいかない。
やっと殿下が辿った大通りを逆に巡り、物語として後世に残すべしと決定する。
しかし今度は複数の貴族令嬢から、「乙女」の地位を得たいと沙汰が殺到……。
「そりゃあ皆がやりたがるわよ! 殿下の命を受けて民衆を下に下にと別けて歩くなんて貴族だってできない、世の注目を一身に浴びる最っ高の気分ね!」
「……名誉なお役目であると、理解なさい」
協議が難航しまくった結果――この騒ぎが落ちつくまでは由緒ある旧家であり、因果伯のビハーラ嬢にお任せしてはとの経緯があったのだ。
「せっかく殿下の心遣いですし、どうせならウダカの市民が触れ合える催しにしたいと提案したんですけど……余計だったかなあ」
ルタが知れば、本当に記念日が好きなんだと頷かれそうだ。
ハミングバード学園に、硬貨を入れた大きな袋が山と運ばれた。本家のトレビの泉でも、願いを込め投じられたコインの半分が寄付されている。
☆
「学園の構想は資金の問題と危惧されておられたけど、でもそこだけだったわね」
硬貨の袋が多過ぎて置き場所に困る……シャンティ卿が肩をすくめ、人生で一度は言ってみたいセリフを呟く。
「殿下には随分と、叱責も受けましたけどね――あっ来ました来ました!」
「本当に毎回、ちゃんと帰って来るものねえ」
目印の赤い布を足に巻いた鳩が数羽、無事屋敷まで辿りつく。ニクトーに頼み、ローカァ伯爵家から放鳩して貰ったのだ。
ビハーラ嬢が伝書バトをいたく気に入り、飼育や練習方法など細かく訊かれた。
今では鳩屋敷と噂されるほど、大増築をされておられる。
「じゃあみんな、家に入ろうねえ……ピィ――――ッ!」
首から下げていた呼子笛を取り出し吹く。周囲で遊んでいた鳩まで落とし戸から鳩舎に入って行き、すかさず餌を与えた。
動物の調教に最適なのが「餌」である。
「この音が鳴れば餌が貰える」――その学習が整えば、入舎の手間はかからない。
「同じ笛を鍛冶屋に頼んでます。そうすれば「鳩使いの兄ちゃん」じゃなくても、ちゃんとお世話できるからね」
以前豚を追い立てていた子に笑うと、勝手につけたあだ名に照れ頬を染めた。
伝書バトの帰還訓練は、順調に進んでいる。学園の準備も屋敷外にはなるけど、城壁そばに新しい陶器と鍛冶用の窯も製造中。
現役を退くもまだまだ衰えぬ各職人に声をかけ、教師にと勧誘していた。
子供たちが立派に巣立てばモデルケースとして信頼を得、他領にも「学園事業」が拡大できるだろう。
その際「乙女の水道」の寄贈金は、多大な影響を持って後押ししてくれる。
予感もしていなかった潤沢な資金、それでこその設備投資と事業拡大。
「ハチドリのひとしずくが息吹をもたらし、大火を鎮め世に生命をもたらす」
ぼくがいくら策を弄しても、結局は殿下におんぶしてもらうことになるのだな。
それがこの上なく嬉しい……さすがです、ヴィーラ殿下。
我が主君の素晴らしさに、幾度か合わせた手をもう一度合わせ感謝した。
「あら気づいてるでしょうけど、殿下は全て御自分で判断して実行される方よ? いち事業とはいえ指摘するだけでアユムに託されるなんて、信用されてなきゃとうの昔に炎の鞭が舞ってるわ」
ウィンクと共に鞭を振るうマネをされ、是非打って欲しかったなと苦笑する。
「確かに決定し実行される方ですね。しかし自ら率先するのは控えて貰わないと、ステューパ卿ら近衛隊も大変でしょう」
「そう、殿下は自ら――…いえ、なんでもない!」
ぼくの軽口に、シャンティ卿は何事かに気がつき目を伏せる。
考えすぎだろう――その呟きに首を傾げるも、続く言葉は語られなかった。
「……シャンティ卿こいつは殿下の敵だ、信用されてるなど勘違いされては困る」
屋敷のホールに戻ると、ジャーラフが蝋板に数字を書きながら睨みつけてくる。
庭園で話していた声が、彼女にだけ聴こえていたのだ。
先日王道と伝書バトの件で、ヴィーラ殿下を困らせたのを根に持っていた。
「殿下も検討されるとおっしゃってたろう? きっとお役に立つさ」
「お前にゃあ! 調子に乗ってると痛い目にあうぞ!!」
「少なくともアユムは、婿は無理でも執事にはなれそう……ねえこれでいいかなあちゃんと読める?」
誤解が広がる言い回しは止めてください……。
ジャーラフの怒りが頂点に達する前、ビハーラ嬢が助け船に羊皮紙を突き出す。
「ああいいですね、これで続けてください」
「了解――あっジャーラフ上手いじゃない、その調子で練習しよう!」
「え、そう? 見ながらだと書けるんだけど……難しいなあ」
「ねえトランプって他にもゲームがあるんだよね、完成したら勝負しない?」
「いいけど……ビハーラ、勝負事に手加減はしないぞ?」
「フッフッそれはこっちのセリフ!」
笑いながら火花を散らす、なんだか河原で大の字に寝る喧嘩仲間の様相。
孤高で神秘的……ビハーラ嬢の想像とは違ったろうけど、気は合ったみたいだ。
今2人には、学園で使うトランプの複製を頼んでいた。
――この時代上流階級の貴族であれば、女性の方が識字率が高い。
武を中心と重んじる男子とは違い、女子は母親や女性縁者が先生となる。
屋敷の一室が教室となり、裁縫や刺繍を紡ぎ、薬草を育て音楽を奏でた。親元で教育をほどこす慣例があったのだ。
特別な日でもなければ屋敷から出ることなく、行儀見習いをして過ごす。
礼儀作法を身につけて良き妻となり、使用人を統率して家を仕切る――そのため知識を得る必要があったのだ。
それを義務ととらえるか権利ととらえるかは、三者三様だろうけど……。
教養として読み書きなども学び、優れた文学作品を残した女性も存在する。
「アマゾネスの家政婦長も、帳簿管理を一手に任されていたっけ」
そこでローカァ伯爵夫人に学園の教師役を願うと、赤いドレスで走り回りちっとも落ちつかない娘を薦められた。
さすがは元リグ公爵令嬢、奔放な娘に対してもきっちりと教育されておられる。
これ幸いと、ビハーラ嬢へお願いするに至った。
「あの……アユム、親方?」
仲良し2人に目を細めてると、バラダがクラトゥを連れ立ちすくんでいる。
バラダには城での調理の合間に、学園の給食を考えて貰っていた。大量の料理を一定の時間内に、一定のクオリティに仕上げられるプロの手腕。
何十人といる子供たちの食事は、プロの手際でなければ対処しきれないだろう。
ありがたいことに多様な現場を渡り歩いてきたバラダは、ぼくと違い亜人の食事も心得ていたのだ。
今まで料理を担当していたクラトゥに、皆の状況を聞いていたのかな。
「騒がしくてすみません、献立表が決まったんですか?」
声をかけるも、バラダの視線が羊皮紙のトランプに注がれていた。
「あっやばい、気がつかれた!?」
羊皮紙で一般的な厚さの本を製作するには、約15頭分の革が必要となる。
さらには加工、インクの製造、羽ペン、手作業による文字の写し等――材料費に人件費だけで、製本には異常に高額な出費がかかったのだ。
貴族に豪華な装飾本を販売すれば、職人の整備全てが賄えたと言われ……修道院ですら写本の一部しか持てないほど、高価な商品であった。
カード大とはいえ羊皮紙を数十枚と所持し、理解不能な記号と絵を描く暴挙。
貴族の道楽、無駄な散財と批判されても言い訳はできないだろう。
――実はこれらは全て、ぼくが自費で購入した品。
アマゾネスで使用人さんに目を疑われ一考していたのに、船で披露してしまった手前ガードが甘くなっていた。
気がつけば王族や貴族に囲まれる生活、彼らは羊皮紙の価格を知らない。
「例え知っていたとしても、伯爵や令嬢であればその値段を高額とは思わなかったかもしれないけど……」
バラダは文字を習った際、羊皮紙の高価さを見知ったのだろう。
今後は寄贈金で賄えるだろうけど、まず見本は必要だった。シャンティ卿が気をつかわれるかもしれない、黙っていてとウィンクしておく。
「アユム――お腹減った――~っ!」
「「きゃあ――あはははは!!」」
ヨーギが勢いよくホールに飛び込んでくる。背には何人も子供たちが張りつき、大はしゃぎで笑っていた。
学園内にケンタウロスの亜人はおらず、ヨーギは大変人気者である。
ケンタウロスは港でも見たけど文字通り馬並みの馬力があり、労働に適していて「口減らし」には合いにくいそうだ……良きにつけ悪しきにつけ。
「ああ皆泥だらけじゃないか……どうにか屋敷に、お風呂を設置できないかなあ」
ヨーギから引き離してもすぐに飛びつかれ、バネみたいな元気さに若干焦る。
「向こうの世界でも幼子の世話はしていたけど、どこも同じだな」
黄色に先っぽが黒の耳を持った子もいて、ぼくの顔を見ると笑顔を引っ込めた。
しかし逃げ隠れはせず、ヨーギに強くしがみつき視線を向けてくる。
おやカゥム、少しは慣れてくれたのかな。それだけでなんだか嬉しくなり、手を伸ばしたら避けられた。
「うん……まあ、気長にいこう」
ラクシュが新王都に発つ際、当然ヨーギもお供すると思っていた。しかしぼくと一緒に残ると言い出してひと騒動。
最終的にはラクシュが根負けし、認めてしまう。
ぼくとしては食事の好みや影響を逐一聞け、大荷物もあるし大変助かるのだけど――因果伯の立場を考えると手放しで喜べず、複雑な心境ではあった。
「我が屋敷も華やかになったわね、少しばかり騒々しいけど」
大騒ぎとなったホールに、シャンティ卿の満足気な笑い声が重なる。
「ああすみません! じゃあひと息ついてお茶にしましょう。ほらヨーギに皆も、サンドイッチを作るから手を洗おうな!」
「わ――いイタ――ダキマ――ス!」
「イターダキマァス!」
ヨーギが飛び跳ね、子供たちもマネして跳ねるのでさらに騒ぎが大きくなった。
「アユム親方、勉強させていただきます!」
「ぼっぼくも、お手伝いいたします!」
バラダがぼくの後方へ即座に張りつき、クラトゥもくっ付いてくる。
あれそういえば、なにか用事でもあったのかな?
「ここは見とくから、アユムはその砂の魔女の準備に取り掛かって――!」
「砂の……あははは、ありがとうビハーラ嬢――!」
「まるで子沢山の若夫婦みたいだねえ――!」
シャンティ卿妙なことを言わないでください、はいジャーラフも睨まないの。
魔女「あの娘もこれで、落ちつくかもしれないわね――妬ける?」
執事「……なんのことでしょう」
☆
――学園を作り数字や文字を教え、職業訓練をするもネックとなるのは時間。
13~14世紀の平均寿命は、30歳ほどである。
ヴィーラ殿下がおっしゃる通り、悠長に育つのを待っている余裕はない。即座に実践しなければならない事情が、学園の構想を遠ざけた要因の一つであろう。
多様性、可能性が閉ざされているのだ。
砂の魔女を作る手がふいに止まり、クラトゥが見上げるので笑って返す。
「食事の改善……学校給食で、どれほど是正できるのか」
ヴィーラ王国でのメリットは、なんといっても永世中立国。「戦争がない」――大地を豊かにし育成に力を注げる環境ほど、貴重なことはない。
ぼくはこの時代の農耕法、三圃制農業に変わる輪作法をあえて見過ごしてきた。
休耕地を置かず、4年周期の輪作によって生産量の増大が見込める四圃制農業。
――ノーフォーク農法である。
これにより自領地内での自給自足体制を縮小し、一部の生産品を専門で扱い他は輸入に頼る、近代の農業形態へと変革した。
18世紀末――産業革命と共に巻き起こる、農業革命である。
しかし農業技術により食料供給が向上すると、他国と軋轢を招く恐れがあった。
人口の増加にともない兵士の数に物を言わせた、他国侵略を唱える諸侯。肥沃な土地を求めた、隣国による侵犯行為。
この時代が「歴史」となっても、以後7世紀にもわたり繰り返される悲劇。
仲良く手に手を取っての発展など、21世紀でも夢物語と失笑されるだろう。
「歴史は螺旋のごとく繰り返す、逃れられぬ呪い……か」
「布は貴重品だから失敗はできないけど、蝋燭を浪費してたら同じかな?」
虫の音も遠い夜半、屋敷の一室で呟いた声が響く。
向こうの世界では夜の読書など当たり前だった、日暮れと共に行動範囲が極端に狭まる時代……薄明りでの作業に否が応でも異世界を感じる。
「マナスルで燕尾服を縫ったのを、思い出すなあ」
記憶を掘り起こし、転写用の木板に線を引き微調整を行う。蝋燭がもったいないと思いつつ、ついつい何事か始めてしまうのは現代病だろうか。
現在ぼくはローカァ伯爵家ではなく、シャンティ卿の屋敷に滞在している。
一体どんな経緯でねじ曲がったのか……大変名誉ではあるんだけど、ぼくが殿下の婿候補だと噂が流布してしまったのだ。
「そんな予感はしていたけど、今回ばかりは外れて欲しかった」
人の口に戸は立てられない。
まして新聞や広告もない時代、個別に誤解をといて回るしかなく……。
厨房にまで押しかける貴族らの執拗な誘い合戦に辟易し、シャンティ卿に頼んで逃げ込む形となった。
「殿下の苦悩が、今まさに我が身を襲う」
「シ――~?」
不敬と思いつつの愚痴にカレシーが答え、苦笑すると突如明かりが灯った。
「ええっ!?」
閃光と呼んでも差し支えない眩い光、思わず蛍光灯かと天井を見上げる。
そこには火の玉と呼ぶには大きすぎる、炎の塊りが浮かんでいた。
「鬼火……っ」
「あっごめん、驚かせちゃった!?」
ビハーラ嬢が、部屋のドア横に立って口を押えていた。
「ノックしたんだけど返事がないし、その割に笑い声が聞こえて怖……気になって照らしただけです!」
「ああすいません、集中していて気がつきませんでした」
煌々と部屋を照らす鬼火――「炎生」による、非常識な炎の明かり。
天にも地にも至れず現世を彷徨う魂が、まさしく漂っていた。
『カルマ』の炎に照らされ、ビハーラ嬢が若干赤くなりながら入ってくる。
妙にソワソワと部屋を見渡し、カレシーを見事に避け、机の上の線を引いた板と布地に眉をひそめた。
「またなにか妙な物を作ってるのね、本当奇天烈なんだから!」
まあこの段階では、妙な物でしょうね。
「こんな夜更けにいかがされました? この明かりも大変ありがたいのですが……名誉ある御業をひけらかすべきではないと、ソーマ卿ならおっしゃいそうですよ」
「うわあ、お説教する表情まで想像できちゃった!」
自分で振っておいて、本当に言いそうで思わず笑う。
赤いワンピースドレスと、亜麻色の髪をツインテールにし赤いリボンで留める。
丸い瞳と、意思の強さを感じる凛と上がった眉。『カルマ』から若さと健全さ、溢れる情熱が感じられた。
赤き乙女は少し言い淀み、意を決して言葉を紡ぐ。
「アユムに、教えて貰いたいことがあるの――っ!」
☆
「――此度ウダカへ赴いたのは、『カルマ』について其方に教えを乞うためだ」
王太女が新王都へ出立する前夜、密かな会合が行われていた。
ローカァ伯爵家の20畳程度の「小さい客間」に、蝋燭が灯っている。
その一室まで主君への献上品が積まれていたが、受け取る側は興味もなさそうにひとつ眺めると視線を外す。
「大層な騒ぎとなってしまいましたね」
「奴が出現するところ魔獣のごとしだ。それでいて己の貴重さを理解していない、今や「アラヤシキの少年」は他国にまで名が轟こうというのに」
少女が黄金色の髪を苛立たし気にかき上げると、光のオーブが弾けて散った。
「それは殿――っコホン」
それは殿下もです――喉まで出かかった突っ込みを、魔女は咳払いでごまかす。
魔獣バジリスクを討ち果たし、街を見事に磨き上げ、頬の落ちる料理を賄う。
少年の素性を探ろうと、マナスルでは表に諸侯が詰め掛け、裏に密偵が暗躍する騒動が勃発していた。
しかし他領の発展が徐々に囁かれ始め、少年はマナスルにいないのでは――いや宝くじや妙な窯こそが、滞在している証明だ――と噂が混迷する。
そのつど噂を重ね打ち消してきたが、いずれは移動経路が暴かれるだろう。
「ひと所に留まらないので煙幕となっていたが、旅先では防御が整うとは言えん」
「ウダカ城にも密偵が出没した可能性が高いですね。ジャーラフの他にも信頼ある護衛を、おつけになられてはいかがでしょう?」
「護衛か、それなら……いや」
ジャーラフから報告を受けていた魔獣、カレシーの存在。
場合によっては屠ろうと思ったが、アユムへ絶大な信頼を傾けている。おそらく危害をふくんで近寄った者を、その覇気だけで遠ざけていたのではないか。
どこまで計算しての行動かは分からないが、あれほど優れた護衛もおるまい。
「……まったく許可したとはいえ、ウロウロと見境なく徘徊しおって。我も最低限の供だけで出立しなければ、誰が後をつけ刺客となったやも知れんのだぞ!」
各領地から送られてくる報告は、アユムの名は伏せてあるがその手腕を絶賛し、是非今後ともご教示ご指導願いたいと〆てある。
主命を見事に果たしていると、褒めるべきなのか――。
「殿下がそのように御心を砕かれていると知れば、アユム卿も喜びましょう」
「っシャンティ卿、余計な詮索をいたすな!」
申し訳ございません――深々と頭を垂れる、年齢不詳の魔女の瞳が笑っている。
「しかし『カルマ』についてでしたら、マナスル伯爵が適任では? 私もそれほど詳しくは存じませんが……」
「ふんっ……それとなく問い質したのだがな、頭ごなしに怒鳴られてまったく取り合ってもくれなかった。M属性は妙な所で感が鋭くていかん」
悔しかったから奴から貰ったと見せびらかしていた、フォークを奪ってやった。
蝋燭のみの薄暗い部屋は人の心を開けやすくするのか、少女は頬を膨らませ分かりやすいほどに不満を表す。
しかし魔女には少女が怒鳴られるシーンが想像できず、さらに今のは軽口だったのかと反応に困っていた。
「すでに焼いておったなら、話は早かったのだがな」
「焼く」――それはマナスル伯爵が行う、「光恚」に対しての暗喩。
元々端的に意思表示をする少女だが、あえて固有名詞をはぐらかしている。
マナスル伯爵が我を忘れて拒絶するほどの『カルマ』……魔女が一つ思い立ち、背筋をただして慎重に言葉を選ぶ。
「それは……殿下がアユム卿との戦いで、使用を見越した「力」でしょうか?」
少女の炎の瞳に、我が意を得たりとばかりに覇気が溢れた。
「例え話をいくら集めても真偽は問えん。口伝――経験者から直接伝えられるか、目の当たりにすれば別だがな」
「シャンティ卿、其方は我を止めた。つまりアレがなにか知っておるのだ!」
黄金色の髪の少女が汗を落とす、しかしその顔には鬼気なる微笑が揺れている。
詳しく話せ――。
「外法……「ドゥルガーの生贄」の、全てだっ!!」




