九十二夜 王道
ウダカ城の城砦、三角形の急な屋根の上に、危なげなく男が立っている。
兵士には見えず、吹き飛んだ瓦の修復作業に来た職人にも見えない。
笑みを浮かべたその顔は、どこか盗賊を連想させた。
その日、多くの市民が恐々とウダカ城をあおぎ見ている。
昨夜の騒動は夢だったのか……いやこの目で見て、耳で聴いたのだ。
「深夜城に2匹の魔獣が現れ、窮した領主が「ウダカをお守りください!」と神にパンを捧げると、ヴィーラ殿下がバラと共に降臨され見事に討ち取られた!」
街角で語られる噂は色々突っ込みだらけだが、市民の誰もが「殿下なら……」と納得してしまった。
城に複数の石工職人が修理の算段に呼ばれ、吹聴に拍車をかけた側面もあろう。
「単なる噂ではない! それが証拠に、今内側の貴族の屋敷にお見えである!」
畏怖と敬畏、誇りと祈りが複雑に溶けた感情は偶像崇拝に近い。
平民を拒絶する内側城門に人が集まり、かつてないほど混雑を発生させていた。
「――っ!?」
城砦の屋根の上、市民の騒めきを風に聞いていた男が身動ぎする。
数舜の間息を止め、眉根を寄せていた。
「わっ分かった分かった「準備OK」だな、まったく感情のまま伝えないくれ!」
苦情と苦笑の入り混じった汗を振り払う、なにか意思の疎通が行われたのだ。
男は手にした藁で編んだバスケットを開き、優しく鳩を取り出す。背に括られた「フォーク」を確かめ、一度大きく深呼吸すると手を広げる。
快晴と呼ぶべき青空に、白き鳩をとき放った――。
「王道の管理が滞っているのは、我の怠慢と申すか!!」
「実に残念ながら、左様でございます殿下」
家畜小屋では動物が隅に固まって怯え、西洋菩提樹が嵐の報に騒めいて答える。
ヴィーラ殿下の燃える瞳に覇気がこもったが、ぼくは平然と反論した。
不備を発見し、秘書のように舞い鬼のように指摘する。
皆はぼくほど冷静ではなかったのだろう。殿下の右手が流麗に動き、「炎の蛇」が荒れ狂う様を想像したのかもしれない。
確かに謁見の間を思い出す雰囲気ではあった。
しかし今は殿下の婿へと名乗りを上げる、リグ公爵閣下がおられるのだ。
いかな殿下とて、軽々に『カルマ』を啓く訳にもいかない。状況的に戦闘訓練と称すにも無理がある。
「ならば、搦め手が必要かなあ……」
ぼくは心で舌なめずりして喜んだ。
それにしても件のラクシュは、すでに仲間とばかりに溶け込んでおられた。
あのソーマ卿とも、気さくに談笑している姿を幾度か目撃している。
船でもそうだった彼には「王族の垣根」がない。ぼくとしては接しやすいけど、この時代の常識では異質でなかろうか。
「だからこそ、殿下とお似合いに映るのかも」
この状況を作っておきながら、なんだか妙に可笑しくなって吹き出しかける。
バースデーケーキをお披露目し、次はプレゼント――とばかりにヴィーラ殿下と皆さんを、屋敷の庭にお誘いした。
門から邸宅に向けて石畳が舗装されており、何ヵ所か破損が記憶にあったのだ。
王道の現状とばかりに指摘し、脳内準備していた旅のご報告も行う。
「ぼくが通ってきた王道も御覧のように、経年劣化により荒れた惨状でした。あっバラダにニクトー、ありがとう!」
「とっとんでもございません……っ!」
「こっここちらで、よろしかったでしょうかあ!」
2人は平桶を前にスコップ片手で直立不動を取っていた。パウンドケーキを運ぶかたわら、公私混同だけど少しお願いしていたのだ。
まず破損している石畳の欠片を取り除き、砂利を敷いて踏み固めて貰う。
湿らせた砂にセメントを混ぜ、十分に攪拌したら水を合わせモルタルにする。
重い砂利を最後に加えて練り上げ――「生コンクリート」の完成。
「やはり攪拌は手慣れてますね、素晴らしい!」
セメントと砂の粒子を均一に混ぜるのは、身に覚えた感覚が必要となる。
ある意味料理に近く、でき栄えに賞賛したら頬がヒクついていた。
……ヴィーラ殿下に緊張してるのかな、さもあらん。
「そこでこの「コンクリート」を使い、王道整備の早期実地を提案します!」
「コンクー……なんだって?」
少し離れてラクシュが首を捻る、しかしその瞳は興味で輝いていた。
ぼくは私見を話ながら、平桶から生コンをすくい破損部をコテで成形していく。
「コンクリートです。通常石畳を舗装するには石切り場から砕石し、一定の大きさに整え修復場所へ運び、石を並べて転圧作業も必要です」
必要な施工の手順ですが、それら工事の手間がずいぶんと省けるのです。
さらに急使用の馬の飼育を充実させ、大都市の直通路に「宿駅」――サーガラへ向かう際にあった農村程度でいいんです。宿泊設備や替え馬用の中継を敷き、国を横断する交通網を構築します。
「王道要所の改善が整えば、現在4日かかっている「マナスル←→サーガラ」間を1日で駆け抜けることもできます」
「あの距離を……1日!?」
領地間の移動がメインの因果伯が、信じられないと顔を見合わせていた。さすがに大袈裟過ぎたかなと苦笑してしまう。
しかし決して不可能ではなく、以後の歴史においても街道の整備は重要だった。
15世紀には5日かかった200キロの距離を、16世紀後半では1日の距離に縮めるほど整備を行ったのだ。
情報と流通の重要性は、現代に至るまで変わらない。
「定期的な通達や伝令、行商人の情報では足りないと了承している。ならばこそ、因果伯を各地に派遣しているのだ!」
「殿下が各領地の迅速な連絡を求めておられるのは承知しております。危惧を持たれておられるのならなお、新たな対策を模索すべきです」
「――っ!」
即座の反論に、殿下が喉を詰まらせる。
「因果伯とて万能ではございません。得手不得手がありなにより――アマゾネスの大規模な盗賊の襲撃が、なぜ起こったかご存じでしょう?」
因果伯は諸刃の剣、その存在が争いを招くこともある。快活が信条である褐色の領主が……人目もはばからず肩を落としていたように。
手遅れとなっては、いくら後悔しても取り返しがつかないのだ。
詳細も聴いていたのだろう、殿下の頬に一筋汗が伝った。
「まずは王道の制定を、各領地にお任せください」
「なにっ……!?」
封建制度の世において、主従関係に基づく統治支配は絶対の理である。
国王は諸侯に領地を貸し与え、直轄地以外の経済活動や税収入を任せた。諸侯は対価として忠誠を誓い、軍役などの義務に奉仕する。
街道は通常、各領主が関税を課し整備も行なう。
ヴィーラ王国において「王道」とは、国家をして「血のパイプ」を意味した。
王道の制定まで託せば、権限を放棄し自ら廃位を叫ぶのに等しい。ぼくはそんな制度はぶち壊せと申告したのだ。
豪胆なヴィーラ殿下といえども息を呑むが、対策に懸念があったのも事実。
「サーガラで部分的な王道の整備を行いました。領民は道の整備が滞っていても、国家の管理だからと不便を了承するしかないのです」
現場の利用者が困窮しているのに手が出せない、これでは本末転倒である。
むろん殿下も管理部署へ整備の推進を通達されておられるだろう。
だが人材の確保、現場までの足、賃金の管理、それら全ての伝達度……羊皮紙による命令が行えればまだいい、下部になれば口頭となるのだ。
「殿下御独りの采配で細部まで目が届くはずございません。対策の遅れは容易に、施策の遅れに繋がりましょう」
「……続けろ」
「ありがとうございます、対処を各領地に委任するメリットは三つございます」
一つに領地に任せれば、国全体で工事が進行する点。整備の滞りが少なくなり、情報伝達の速度が上がって、危機管理の対応にも繋がります。
一つに領地の活性化に直結するため、率先して行うであろう点。行商人が移動しやすい王道は、インフラ――社会生活を支える重要な基盤です。
そしてもう一点。
「国庫に負担がかかりません! なによりめでたいではないですか――~っ!」
誰も反論しないのをいいことに、ぼくは指折り数えて発表する。コテを振り上げ満面の笑みでぶち上げたのだけど、遠くで潮騒が鳴っていた。
……すべったかな?
どうにも異世界に来てから、軽口が受けた試しがない……なぜだろう。
分権的封建制度による支配は、容易に中央集権国家へと移行する。
情報力の低下、下部組織の機能不全、非効率化による遅延、経済格差等。幾多の問題を、ヴィーラ王国はすでに抱え込んでいた。
ゆえに地方自治体に行政運営を委譲する、地方分権国家への転向が必須。
「もっと周りを頼りなさい、人は完璧じゃないから国を創ったの!」
我らが教師の、なんと卓越した見識か。
しかし謀叛に内通、背信行為が当然の時代。2人の国王に仕え、戦争の際は両国に武器を送った領主もいる。
これを戦略ととらえるか計略と誹るかは、諸説あるだろうが。
国家が国民が一枚岩となり、潤沢な経済力を背景にした強固な常備軍の組織も、また必要な案件ではあった――。
「さて、これでよし!」
コンクリートの加工が済み、完成とばかりに額を拭きコテを平桶に戻す。
乾いたら滑り止めに表面を軽く削り、2~3日はひび割れ防止に散水が必要。
「残った生コンがもったいないですね。他にも破損している部分がありましたし、同じように修復を頼んでもいいですか?」
セメントは説明用にしか持ってきていないけど、屋敷内の修復程度は持つ。
バラダとニクトーに振り向くと、むしろホッとした顔で了承される。平桶を抱え逃げるように離れ、遠巻きにしていた子供たちに声をかけていた。
「そこまで怖がらなくとも……殿下も罪な方ですねえ」
石畳の隙間に泥を詰めた様子を、シャンティ卿が怪しんで見ている。疑心暗鬼のまま許可はしたけど、これが石みたいに固まるとは思えないのだろう。
そしてなにより主君に対し、一方的に進言しまくる家臣への疑惑と混乱。
「――ふむ、これが例のコンクリートか」
しかしヴィーラ殿下は憤るでもなく、ぼくの横に座りコンクリートを撫でた。
工芸品を思わせる艶やかな指が灰色に染まり、なんだかもったいない気がする。
「マナスルの復興状況を視察しに赴いた折、城外に独立した城壁塔――「妙な窯」を建てておった。アレでは確かに、ジャーラフも説明しにくかったであろう」
「徳利窯! 無事着手しているのですね!」
皆の奮闘が目に浮かび胸が躍る。窯を建てた後はクリンカの精製と過程が続く、是非コンクリートまで達成して欲しい。
職人ギルドに飛脚制度があり、サーガラでは幾度か書簡のやり取りをしていた。
「宝くじは上手くいったかなあ、進展具合を聞きがてら手紙を送ってみようか」
独りで盛り上がっていると、横にいても聞こえにくいほどの微かな囁き。
「このように……因果が絡んでくるとは」
ヴィーラ殿下?
静かな「暴君」の声に驚くも、黄金色に輝く髪にその表情は見えなかった。
だがその口元には、笑みが浮かんでいたかもしれない……。
「あの奇天烈な塔は、誰であろうと注目してしまうであろうな!」
立ち上がり、マナスルを想ったのか東を睨む。
「アユム卿! 貴様の進言には一考の余地がある!」
「はっ!」
「確かにコンクリートの利用価値は高く、言わんとしていることも理解できよう。しかし国家には軽視できぬ権威があるのだ!」
視線をぼくに転じる。炎の瞳に覇気はこもっているが、どこか無機質な色合い。
「王道は国家の根幹をなす設備だ、権威を疎かにしては国が立ち行かん!」
周囲の皆もその通りだと頷き、心で膝を折っていた。
繰り返し「暴言」を浴びせる家臣に不遜だと立腹もせず、むしろ容認して見せた度量の大きさに……「我が主君」と改めて感服していたのだ。
ビハーラ嬢など胸で手を組み、ほとんど感涙している。
この世界に、この時代に生きる者にとっては当たり前の感性。どうしたって常識が違う、異質なのはぼくの方だ。
「殿下……ご自分が信じておられない大義名分など、心には届きません」
分かっているのに指摘してしまう。らしくない、ただ魂がそう予感させていた。
殿下が身震いしぼくを凝視する、小さな嘘を暴かれた子供の困惑。
「権威など、捨てておしまいなさい」
唐突に思い立ち発したセリフに、ぼくは自身で理解をしめす。
権威は催しが始まる前のスピーチに似ている。皆背筋を正して聴いているけど、それよりも重要なのは祭りの内容。
結果が即していなければ、人は容易に離れていく。
「君臨すれども統治せず」――立憲君主制の模範とされた理念である。この言葉は19世紀に君臨した、ヴィクトリア女王が有名だろう。
主権を持ちながらも国民の意志を尊重し、行動に自由と幅を持たせる。
領民を守る――それがヴィーラ殿下の望む未来ならば、王道楽土ではないのか。
王室のモデルといわれた一歩は、王道を領主に一任して始まるのかもしれない。
「ヴィクトリア女王も僅か18歳で即位し、好き嫌いが激しく主張の強い、中々に苛烈な性格だったと伝えられている」
そういえば白いウェディングドレスが広まったのは、ヴィクトリア女王の結婚式が由来とされていたっけ。
「もしかしたらどこかで、殿下とイメージが重なっていたのかなあ」
皆はヴィーラ殿下の手前声こそ上げないが、絶叫と呼べる表情で固まっていた。
もう辞めてと幽鬼に揺れており、さすがに申し訳なくここまでとする。
「インフラの整備は、早期に推し進めなければならない一手なんです」
だけどなぜか分からない……ぼくはどこかで、何者かの「力」を感じていた。
マナスルに徳利窯をと望んだのはぼくだ、それは確かなはずだ。これまでの旅でぼくが思考し、ぼくが望んだ結果であるはずなのに――。
『カルマ』? M属性の「予感」?
胸のざわつきは、正解を教えてはくれない。
「権威を、捨てる……っ」
その中にいてラクシュの瞳だけが、歓喜と狂気に輝いて見えた。
☆
「ではそろそろ、プレゼントをお渡しいたしますね」
平然な顔をして進行するぼくに、誰もが声に出さず呪っていた。
『じゃあ今までの地獄は、一体なんだったんだ――っ!?』
「嫌だなあぼくは殿下の忠実な家臣。主命である「国を磨き上げる」ための、いわば改善案でして――」
「よもや忘れてはおらんだろうな、貴様をアラヤシキより招いたのはこの我だ! こうまで煽っておいて、ぬけぬけとぬかすか!」
「――プレゼントは知識です」
「貴様などどうとでもできるのを――…」
腰の馬上鞭に伸びていた、ヴィーラ殿下の右手がピタリと止まる。
ニコリと笑うぼくの顔を見て、美しい左の眉が少しだけ上がった。
「っ知識、か……」
「はい、向こうの世界の知識でございます!」
ぼくと殿下の視線が交差する。
皆もそれぞれの姿と表情で怒っていたけど、意識が一変していた。
例え因果伯同士であっても、互いの『カルマ』を詮索したりはしない。作戦中に知ってしまうのは仕方ないが、情報漏洩を防ぐ不文律となっている。
昨夜の戦闘訓練の件……今朝厨房で調理するぼくに、入れ代わり立ち代わり何か訊きたそうな視線を送りに来ていた。
「アラヤシキ」に関してなど、秘中の秘なのだ――。
「そこで殿下、ジャーラフを呼んでいただけますか?」
自分で呼ぼうともしたけど、さすがに殿下の手前遠慮する。
「殿下へのプレゼントだと、チャンドラ卿にウダカ城で待機をお願いしたのです。位置を確認して貰い、「準備OK」と伝えていただけたらと思いまして」
「ふん……ジャーラフ!」
「おそばに」
殿下の右後ろ、片膝を立てた黒猫が突如出現する。
うん屋根じゃないと思ってたんだ、怒りの『カルマ』がずっと届いていたから。
顔は伏せてるけど全身の毛が逆立ってる、殿下に私見をぶつけまくったしねえ。
「その感情は、物凄く心に届いてるよ……」
ジャーラフは一旦ぼくを睨みつけると集中し、殿下に向き直る。
「確かにチャンドラ卿は、ウダカ城の屋根にいます。伝えてよろしいのですか?」
「……好きにさせよ。こうまで提言したのだ、最後まで謳わせてやる」
此奴の口車に乗るようで癪に障るが――歯ぎしりと共に了承した。
殿下とて興味が勝るのだろう。
「はっ!」
ジャーラフの前方に30センチほどの見慣れない文様が浮かび、淡く発光する。
「やっぱり「風舌」は、便利だなあ」
「――あっ来ました来ました!」
少しして上空を見上げると、黒い影が近づき白い影へと変わる。
無事屋敷の鳥小屋近くに降りた鳩を抱き上げ、背に括られた品を回収した。
「この鳩はたった今ウダカ城より飛んで来ました。このように小物も運べますが、脚に手紙等を巻き遠方より帰巣させます」
よかったら使ってください――シャンティ卿に「フォーク」を手渡す。
「鳩が、運んだ?」
魔女はフォークを両手の平で受け取ると、しばし恐々と固まる。
「殿下お誕生日おめでとうございます。訓練すれば「マナスル←→サーガラ」間の160キロを約3時間で飛ぶ、最速の通信手段――「伝書バト」です!」
首を傾げる鳩を、誇らしく掲げた。
伝書バトの記録は、紀元前5000年にまで遡るといわれている。
帰巣本能が強い鳩の性質を利用し、離れた場所から放して手紙を届けさせた。
時速50キロ以上、1日1000キロの距離、10時間近い継続飛行が可能。
軍事の情報伝達に、僻地には薬品を運び、アルプス山脈さえも越える。成功率は90%以上と言われていた。
向こうの世界でも軍用鳩は通信手段として、20世紀まで飼われている。
むろん帰巣訓練は必要で、1~2キロの距離から始めて週に数回の練習。徐々に距離を離し、確実に小屋に戻れるよう訓練するには根気も必要であった。
鳩が戻りたくなる居心地のいい小屋を建て、良質の食事を与える環境。
「道具」と見られがちだが、愛情なくしては育てられない――。
「ウダカ城まで1.5キロとして約2分……練習として見れば適した距離でしたね、子供たちがしっかり鳩のお世話をしていたお蔭です」
それもあるけど、ぼく自身伝書バトを扱ったことはない。ちゃんと帰ってくるのか実は少しばかり不安だったので、胸を撫でおろす。
ヴィーラ殿下が鳩を抱き、カラクリがあるのではとひっくり返し調べていた。
「けして特殊な鳩ではありません。そこの鳥小屋にいた鳩をチャンドラ卿に渡し、城から放して貰っただけですから」
「ただの鳩、それが手紙を!?」
「肉体強化で走れば――しかしチャンドラ卿は、まだウダカ城です!」
殿下の15歳を祝うプレゼントになにが相応しいか。
ファッションアイテム? 貴金属や化粧品? なんとなく案はあったのだけど、本日には間に合わなく断念。
殿下にとっての一番は国を磨くことだと、基本に立ち返ったのだ。
鳩をこれでもかと調べる殿下と、混乱するジャーラフ。最速の通信手段と聞き、誰もが声に出さず呪っていた。
『じゃあ今までの地獄は、一体なんだったんだ――っ!?』
「伝書バトはあくまで鳩の「帰巣」頼みだからです。訓練した鳩を伝令に持たせて整備した王道を走り、各領地で記録し放つ方がより効果的です」
両方が整えば、国内の情報をほぼ1日で入手することが可能。
情報を制する者は世界を制す。
「伝書バトでの伝達システムは、ヴィーラ王国にとっての革新となるでしょう!」
不思議だったのは……向こうの世界に酷似した世界でありながら、なぜ伝書バトだけが歴史から消えてしまったのか。
鳩がいない訳ではない。マナスルでサーガラで、シャンティ卿の屋敷でも食料として飼育されている。
異世界との明確な差異。
魔獣の存在から生まれた騎士学校とは逆。おそらく『カルマ』の存在に埋もれ、掻き消されてしまった技術。
「ウールドも言っていた、「風舌」は――『カルマ』は便利すぎるのだと」
文字が書ける者、情報が必要な者……それはいつの世も王侯貴族。
伝書バトが発達し識字率が高くなれば、誰もが国の内情を知ることができる。
各領地が求める品が即座に伝わり、独自の情報網を作り上げた商人が財をなす。
例え平民でも――それは彼らにとって、都合が悪かったのではないか。
「風舌」使いを確保した王侯貴族は、情報は自分らの特権と秘匿したかった。
『カルマ』を啓ける者はそう多くはない、それすら利用して。
むろん軍事への対処、国の情報が空を飛んで伝わる危険性の阻止もあったろう。
文節を記号に置き換える「コード」など、簡単な暗号を使うだけで長文すら送ることもできるのだから。
いつの時代にもヴィーラ殿下ほど先見の明があり、情報の重要性を強く認識する王侯貴族がいても不思議ではない。
鳩の習性を知る者や気づいた者を捕らえ、流布せぬよう処断。
お風呂がトマソンになるのと同じく、数十年で記憶の伝達が途切れる。そうして伝書バトは、歴史の闇に葬られていった……。
「いつか痕跡が発掘されるまでは、想像でしかないけど」
隠蔽されたのか存在しなかったのか――これも、ロストテクノロジーなのかな。
「鳩が運ぶ……空を飛んで、手紙が届く……っこれがあれば!」
よほど驚いたのか、ビハーラ嬢が鳩を凝視し打ち震えていた。
見れば殿下も、震える肩でぼくを凝視している。
「殿下――…嗚呼、殿下っ! 「分からない」のが悔しいのですね!?」
汗を落とす頬が、上がった眉が、燃える瞳がなんて愛おしい――~!!
知れば理解できる王道の改善案とは違う、想像もしなかった情報伝達の解決法。
鳩は王宮でも飼われているのだろう、思いつかなかった自分の……王族としての矜持が揺さぶられて覇気をまとう。
我慢なさらずともいいのです、心をとき放ってください。
怒りに任せ鞭を振るってください、その大理石ほど滑らかで光沢を放つ足で思う存分ぼくを踏みつけてください。
「ぼくは貴女の全てを、受け容れる用意がございますっ!!」
2人の視線が絡み合い、燃えて爆ぜ、世界は業火に包まれる。頬が熱く高揚し、背筋に落雷が落ちる快感に、流れる汗が止まらない。
両手を広げ体を差し出した。
「さあ殿下っ!! ご存分に――――~っっ!!!」
「――さて御2方、昨夜の戦闘訓練でお疲れでしょう。なぜだか私も妙に疲れてしまいまして……僭越ながらこの大火を、ハチドリの歌声で鎮めとうございます」
シャンティ卿が、ええ!? シャンティ卿が見つめ合う2人の間に割って入る。
ここまでお膳立てしたのにそれはあんまりだと悲しくなっているぼくに、なぜか「消火活動は任せて」とウィンクを返してきた。
ヴィーラ殿下も彼女には一定の敬意を払っており、二の足を踏んでいる。
「そっそんなぁ――~…っ!!」
ぼくの魂の祈りに、西洋菩提樹は答えてはくれなかった……。
『木口』!
シャンティ卿の権杖に「タラーク」に酷似した文様が浮かび、淡く発光する。
「シャンティ卿は、O属性!?」
ぼくは若干混乱し、むしろ冷静さを取り戻す。
若さを維持されているから、てっきり肉体強化――S属性だと思っていた。
分からない、謎の多い方だなあ。
『休息の場所』
暖かな闇が静かに灯る
このひとときが 永遠であればいいのに
今宵はあなたと共に
包み込む痛さも 消えそうな疼きも
重ねた唇さえ苦しい
夢を観ましょう 恋焦がれたステージ
丸めた背に紡がれた腕
眠りましょう争いのない世界で
幸せな光が弾けて回る
こんなにも 遠くに歩いてきたのに
血染めの剣と共に
激怒する鼓動も 嗚咽の記憶も
湧き上がる感情すら巻き上げて
絶望の華が舞う 亡者が踊るパレード
命が燃えて繰り返す想い
眠りましょう争いのない未来へ
愛しいあなたと共に唱おう
権杖をマイクに、ソロの賛美歌かオペラか。
一小節ごと因果伯や遠巻きにしていた子供から、畑のキャベツやキュウリから、草花に至るまで全ての生物から光が溢れた。
ぼくが召喚した濃霧のように……。
違いは暖かなお湯に優しくも包まれる、安らかな心地よさ。巨大な西洋菩提樹が淡い光に満たされ、輝くシャワーを天から散布する。
『カルマ』を知らぬ者が外から見れば、丸い光が卵に包む奇妙な屋敷。
この不思議な――「理解不能」な現象を見せられて、手出しはできないだろう。
「なるほど、見事な「教育」だなあ」
西洋菩提樹は鎮静効果があり、興奮を抑え安眠をもたらすと言われていた。
現代では子供のインフルエンザ等、流感対策にいいとされている。この屋敷に、これほど相応しい木もないだろう。
「ここの西洋菩提樹はね、ウチの庭から挿し木で増やしたんだって。私が生まれる前だけど、それがシャンティ卿の「力」でずっと大きく育ってる」
ビハーラ嬢が溢れる光を手で遊びながら話してくれた。
ローカァ伯爵夫人が静かに謡を聴き、頬に光が流れている。
2人は共にパシュチマ連合王国の出身となる。謡のタイトルを娘の名としたり、かつてなにかあったのだろう……。
無伴奏に笛の音が重なる、ルタがいつの間にかそばに寄り横笛を吹いていた。
同じく「タラーク」の文様を啓き「木口」を奏でている。他国の因果伯同士で、『カルマ』を見せてもいいのだろうか?
疑問は沸いたけど、それ以上に淡い光が重なり膨らむ波動。相乗効果か、まるで雲の世界にいる情景となった。
素晴らしさに感嘆し精神は癒されてるけど、またもやの「おあずけ」に呟く。
「誰かに、呪われてるんじゃないだろうか……」
O属性「木口」
『カルマ』は全ての動植物に――生物に通じている。
身体に対し複雑に影響を与える『カルマ』自体を活性化させ、十分な休息と睡眠をとったリラックスな状態に整える。
精神の疲労回復から、集中力の持続をほどこす効果を担っていた。
ヨーギにカター船長の「按手」を頼んだ際、重体から一命を取り留めれたのは、ルタが「木口」で支援してくれたお陰である。
あくまで『カルマ』の補助であり、直接体の傷を治すことはできない。
――とある屋敷の厨房。
「よう、マナスルからハンドミキサーが届いたんで持ってきた」
「おっ悪いなあ。そうだ点検しておいたから、今日は二番窯が調子いいぞ」
「すまんな。窯ごとに作りが違うから、城とは勝手が違ってなあ」
「いや領主に仕えてると羨ましい、伝手が多くて手に入るのがなにかと早い」
「色々と無茶を言う方だから面倒だがな、払いだけはいいから」
「おお、この小さな水車はやはり素晴らしい! 調理の幅が広がるな!」
「商人に聞いたのだが、どうやらこれを作ったのも……アユム親方らしい」
「親方が!?」
「ああ……製作者は奇天烈な服を着た、少年貴族との話だ」
「なっなるほど、そんな方はこの世に御1人しかおられないな」
「まあ我らが親方なら、これくらい当然ともいえるが……」
「そうだな親方だし、驚きに値しないな」
しばし厨房に、キコキコと金属がこすれ合う音が静かに鳴った。
「……領主は趣味が広すぎて困る方だそうだが、今となっちゃ平和な話だ」
「まったくだ、世界は広い……殿下に対し、意見する方がおられるのだ」
「それも笑いながらだ、俺は……未だ夢に見るぞ」
自称一番弟子と、パン職人の声がハモる。
「「アユム親方だけは――絶対怒らせないようにしようっ!」」




