六十九夜 リグ公爵
馬の発情期は春先から9月頃まで、ただしこれは牝馬の話。
その期間意外は牡馬か近づくのすら嫌がり、時に攻撃したりと完全に拒否する。
そこで「当て馬」を近寄らせ、動かなければ発情期中と確認していた。
牡馬に発情期はなく、誘われればオスは年中発情できる。
「――んじゃあ買ってくるから、ルタは肉抜きアラヤシキクレープだな?」
「は――い、お願いしまス」
ラクシュが自分はどうしようかと悩みながら、2人から離れる。ルタはヨーギに乗ったまま手を振って答えた。
中央広場の通りは今日も賑やかで、青年の姿は混雑のなかに消えていく。
「どんどん焼いてくよ――後ろの方は、道にはみ出さないでね――~!」
「へいお待たせしやした――次の方どうぞ――~!」
「すんませんねえ、でも待たせるだけの価値はありますから――~!」
約2ヵ月前にアマゾネスで行われた剣闘士競技会により、サーガラはかつてないほどの静けさに包まれた。
地元商人や個人商店にとっては、思い出したくもない悪夢だったろう……。
だがそれはより大きな実りとなって返ってくる。商人や屋台持ちたちが、修行によって「絶品3食」をさらに高めたのだ。
そして「サーガラフライ」なる名物まで生み出す。
通常は元王都のマナスルであっても、海の魚を食べるには干して燻製にするか、塩漬けにして運ばないといけない。
新鮮な魚貝類を使用するフライは、サーガラだけで食べられる料理だった。
誰かが名付けた城の「ノッチ噴水」に続き、自慢はいくらあっても嬉しいのだ。
次いで公衆浴場「アラヤシキ」の開店と側溝の設備。噂には聞いていたが、街が見違えるほど磨き上げられたと絶賛される。
特に女性はお風呂にはまり、アマゾネス製のシャンプーを我先にと購入した。
カレンデュラシャンプーを基本とし、炭シャンプーに塩シャンプー。どうしても値の張る蜂蜜シャンプーにすら手を伸ばす。
艶やかに流れる髪といい香りに、すれ違う男性は思わず目を奪われている。
行商人はアマゾネスまで幾度も往復し、嬉しい悲鳴を上げていた。
「ありがたいねえ。あんたがアマゾネスまで、買いに行かなくてもよくなったよ」
「ああ、そうだね……うん」
これらが領主であるサンガ伯爵の、息子の手腕によると広まる。時期領主の器と今後のサーガラ領の発展に、市民は沸きに沸く。
連日城館に、感謝の声が届けられていた。
ある褐色の少年がその噂は事実でないと止めたのだが、奇天烈な少年はその方がサーガラのためになるからと願い出る。
「未来は明るい、それだけで領民は安堵し歩めるのです」
その深い瞳に恐縮しつつ、震えて理解をしめす。
「嗚呼……あの方は賞賛など求めておられないのです。きっと誰にも想像できない神聖不可侵な世界を、心に描いておられるのでしょう――~…!」
心から跪いて崇拝し、羨望の眼差しを向けた。
もしアユムが内心を告白したら、その評価がどうなったか誰にも分らない……。
「ん……あれ亜人だろ、ポツンとなにしてんだ?」
「港で荷を下ろす、労働者って感じでもなさそうだしな」
「大道芸人じゃねえの、親方のお供をしてんだろ」
ラクシュを待っている2人の姿を、物珍しい視線が流れていく。マントをまといフードをかぶっていても、亜人であるのはひと目で分かるからだ。
ルタは目線を合わせないよううつむき、ヨーギは気にせず周囲を見渡している。
「あっプラム――!」
ちょうど混雑の切れ間、果物を扱っている個人商店が見えた。
ヨーギは喜び、蹄の音も高くそちらへ向かってしまう。
「ちょっ……待った待ったヨーギ? 1人でうろつくなって言われただロ!?」
突然の行動にルタがこけそうになり、焦ってヨーギの背にしがみつく。
問われたヨーギは、不思議そうにルタを見る。
「……いや違う、オイラがいるから1人じゃないとかじゃないノ!」
「ヨーギプラム欲しい」
「すぐにラクシュが戻ってくるから、そしたら――ヨーギ危なイっ!」
ルタは周囲の視線が自分たちの後方に向かったのと、迫る蹄の音を聴いて叫ぶ。
しかし草食動物の本能か、それより早くヨーギは体を横に振っている。
「きゃあ――っ!」
「うおっ! なんだなんだ?」
敏感すぎた反応に周囲の誰も対応できず、押し合いとなって場は騒然となった。
荷馬車の馬がヨーギのすぐ後ろで竿立っていななき、市民の悲鳴が重なる。
「なにやってんだ亜人っ!」
「「わああああ――――っっ」」
御者の行商人が批判するも、馬の興奮は収まらない。
逃げる市民がぶつかり合い、数人が将棋倒しとなって道の中央まで躍り出た。
「ルタ、ヨーギ! こっちだっ!!」
気がついたラクシュが市民を避けて駆け寄り、スペースを見つけ誘導する。
荒ぶる馬に話しかけながら、2人の間に割り込む。
「悪いなあ――あいつは俺の連れなんだ、そうだいい子だろう? でもお前さん、ちょいと早急すぎるぞ」
暴れ跳ねる馬に平然と、あるいは楽しそうに語り続けた。
意思の疎通がかなったのか、激しい息を吐き馬が落ちつきを取り戻す。
「よ――しお前もいい子だな。すまない、まあ気持ちは分かるがこらえてくれ」
「てめえその亜人の飼い主か!? この……っ!」
ラクシュは馬の首を軽く叩き、人に対するように謝罪する。
行商人が馬車から降りて文句を叫んだ。しかしフードを取った青年は、明らかに貴族といった様相で口を紡ぐ。
青年の会釈に会釈を返し、それ以上関わらないよう背を向け馬をなだめた。
「おお、どうやら大事はないようだ。ではケガをされた方や、手当てが必要な方は申し出なさい! なに領主に遠慮すると損をしますぞ!?」
貴族と見られる高らかな笑いに安堵の笑いが続き、騒ぎが急速に縮小していく。
混乱は最小限で食い止められたといえよう。
「ふう……あのなあお前ら、ウチと違うんだからもうちょい慎重に動けって!」
少し離れた場所で、ラクシュがため息まじりのお説教をする。
「申し訳ありませン……」
「ヨーギお腹減った――~!」
ルタが小さい背を見せるほどうな垂れ、ヨーギはマイペースに自己主張。
毎度なのかラクシュは苦笑し、購入したアラヤシキクレープをルタに渡す。
「今度からヨーギの果物を先に買おうな、とにかくここを離れ――…」
ラクシュはふと気配を感じ振り返る。
ヨーギが喜び跳ねるのをルタが止め、周囲のざわめきもスローに感じた。
騒ぎから離れた処に、4頭立ての豪華な貴族用馬車が停まっている。容姿端麗な少年が座っていて、こちらを見ているのが鮮明に映った。
なぜだろう、どこかが違っていたのだ。
「ラクシュ? 早く離れた方が……」
ルタが身動きすらせずに停止してしまった青年へ声をかける。だがそれすらも、ラクシュには遠く聞こえた。
艶やかに濡れる黒髪、見目麗しい少年と視線が合う。
そして理解する、見つけた――のだ。
一瞬の間に探し求めていた少年だと悟っていた、己の心を指し示すように呟く。
「――アユム卿だ」
☆
「もしやキミは アユム卿ではっ!? いや― 探しましたよ。」
貴族風の青年が手を挙げ、気さくに声をかけてくる。
ぼくは驚きと戸惑いを隠せずにいた。親友か宿敵か、真逆に感じた「予感」……さらに彼の素性にも。
ジャーラフがいつの間にか馬車の屋根から降り、礼を取りながら呟いたのだ。
「『パシュチマ連合王国』原初の連合――『パシュチマ王国』の王位継承第1位。ヴィーラ殿下の婿にと名乗りを上げている、リグ公爵閣下だ……」
「リグ……公爵閣下っ!?」
「プールヴァ帝国」と対をなす大国の王太子。
ファンタジー作品で定番中の定番、放浪する王子様。なぜそのような方が領民に雑ざり、しかもぼくに声をかけてくるのか。
見れば後ろには、先ほどもめていた亜人2人が控えている。
「こう言ってはなんだけど、ちょっと……護衛とは思えないんだけど」
いや啓いているのなら、話は別か。
立場ある方のお忍び旅なら、従者は少数の方が目立たない。小説でも護衛はごく少数ってのが、ストーリー上の醍醐味だよねと納得。
ケンタウロスの少女がお腹がすいたと不平をもらし、パーンが手で制していた。
「……護衛とは思えないんだけど」
「あれ、ジャーラフじゃないか! 久しぶりだなあ、見違えたよ!」
リグ公爵が今気がついたように視線を向け、楽しそうに挨拶する。
「閣下におかれましても、御壮健でなによりです」
ジャーラフがフードで顔を隠し、会釈した姿で微動だにせず返答した。
なんだか最初に会った頃を思い出す硬さだ。
「なんだよジャーラフ、俺としては昔のラフな物言いのままでいいんだが」
なあと頭をかき、苦笑しながらぼくに同意を求める。
「はっ……ええ、まあ」
そうは思いますが、気安く答えていいのだろうかと喉が詰まった。
ジャーラフは殿下につき従っていたそうだから、その時お会いしたのかな。
「そのような訳にはまいりません、御立場が違います」
横を見るもフードに遮られ、その表情は分からない。
「あの……先ほど、リグ公爵閣下……と?」
サンガ伯爵とサーランバ卿が、爵位と状況に困惑しながらたたずんでいた。
「やんごとなき御方が御来城くださったのだ! 本日の陳情や目通りは中止せよ、全衛兵を配して万全の警備を整えるのだ――っ!!」
「「はは――――っっ!!」」
路上ではなんだし、宿で話ができないかとリグ公爵に持ち掛けられる。
しかし城館に場を設けますと、サンガ伯爵が右手を胸に嘆願されたのだ。確かに他国の王位継承者に万一があれば、いち領主の責任問題では済まない。
場合によっては国家間の戦争に雪崩れ込んでも、なんら不思議ではないのだ。
しかもヴィーラ殿下の婿にと名乗りを上げている方である。領地を上げ歓迎し、けっしておろそかにはできない。
最大限のもてなしと貴賓室を用意されるが、リグ公爵が困った顔をする。
「そちらの立場も分かるし、強要する気はない。理解には努めるつもりだけど――多分こうなると思って、領主を訪ねなかったんだよなあ」
堅苦しいのは苦手なんだよと、煌びやかな室内を見回しため息をついた。
どうもぼくを探して約2ヵ月、サーガラ領内をウロウロしていたそうだ。確かに城館に来ればすぐに会えたか、情報を聴き出せただろう。
「ぼくが言うのもなんですが、もう少し御自身の安全を考えてください」
無謀な行動に妙な違和感を覚えつつ、両者を立てる代案を模索する。
「おお、これは素晴らしい! 水平線が存分に見渡せる!」
そこで何度か利用してた城館の3階、海に向けたバルコニーに誘う。リグ公爵が景色に喜んでいたので、サンガ伯爵もどうにか納得した。
ぼく1人で相対するのはと、サンガ伯爵を探すが警備の指示に走り回っている。
サーランバ卿は涙目で首を振り、ブリハスパティ卿は仕事があり、ノルブリンカは察して遁走し、ダーナ卿は修行に出ていて、プリンスは誘わなかった。
なんとかジャーラフだけ、羽交い絞めにして同席させる。
「面識があるんだろう? 頼むよ!」
「ううっ……仕方ない、だけどボクはなにも話さないからな!」
それでいいからとつき合ってもらう。
公爵――国家において王位を除く最上級の爵位であり、血によって繋がる王族。
立場的にはヴィーラ殿下と同じ、次期国王であり王太子。皆の気持ちも分かる、軽々に会話が楽しめる身分差ではないのだ――。
「ヨーギそれ俺のだ! 自分のは食べちゃっただろ!!」
「やだ――っ! ヨーギの――~!!」
「パイ生地が柔らかくて、全部食べられるなんて凄いでス!」
ぼくにできる最大のもてなしとして、晩餐用に製作していたカスタードクリーム入りラズベリーパイをお出しする。
15世紀前のパイ生地は小麦粉と脂身を使用し、焼くと大変固くなった。
そのため「容器」として扱われ、中身だけ食べるのが主流である。しかしぼくはパイ生地にバターを挟み、サクサクした食感をあたえた。
さらにラズベリーのすっぱさとクリームの甘さが、味覚を刺激し際立てる。
「あの、よかったらどうぞ」
ぼくの分を勧めると即座にフォークが3本突き刺さった。興味のあることは覚えるのも早い、皆見事にフォークを操っている。
『フォーク……? それを、俺に使えと?』
『熊手は農民が用いる道具でス。アユム卿、あまりにも失礼ではないでしょうカ』
『いっいや、それでこそだ! ぜひ使わせていただこう!』
リグ公爵の困惑の瞳に、パーンが眉をひそめ苦言を呈す。
他国の王族に勧めるのは気が引けたけど、気に入っていただけたならよかった。
「フォークの分だけ指先が伸びたみたいだ、使い慣れれば便利だな!」
そういった考え方もあるのか、テーブルの上に鉄の嵐が吹き荒れる。
……会話はまだない。
「スーリヤ様より食い意地の張っ――…」
どちらに対しても失礼な単語が脳を駆け巡ったので、「国によって常識は違う」と心に言い聞かせた。
まあ喜んでもらえて幸いだ。
後ろに控えたジャーラフの喉が鳴り、取り置きがあるよと目で知らせる。
「へえ……なんというか理性的な飲み物だな、うんうまい」
ひと騒ぎが収まり、リグ公爵がぼくの飲んでいたコーヒーに目をつける。
どうやら気に入られたようだ、甘いデザートのあとにはうってつけだろう。
「リグ公爵は異世界の、クレメンス8世になるのかもしれないなあ」
「悪魔の飲み物」であるコーヒーの香りと味に魅了された、16世紀の教皇。
なんだか同好の士がいて嬉しかったが、ジャーラフが露骨に嫌そうな顔をした。
「またアレを飲んでる……」
猫にカフェインは厳禁である。
しかしたんぽぽコーヒーは、コーヒーと違いカフェインは入っていない。
たんぽぽを主原料としたお茶、と言った方が近いだろう。そこで大丈夫だと思い勧めたのだが、どうもお腹を緩くしてしまったようだ。
以降目の敵にされ、視線が痛い。
「にんにくは大丈夫ぽかったのに……完全に猫と同じじゃ、ないんだろうな」
ケンタウロスの少女が床に座り込んで船を漕ぎだし、パーンは椅子の背もたれですでに寝息を立てていた。
リグ公爵がぼくの視線に気がつき苦笑する。
「ああ気にしないでくれ。こいつらの気安さには、ずいぶんと助けられてるんだ」
王太子としての立場、想像もできない重圧があるのだろう。
表情がごく自然で、堅苦しいのは苦手と話すのは本心に思えた。
「にしてもアユム卿の料理はうまいなあ、『絶品3食』も出自は卿なんだろう? その類い稀な英知は国家の宝と呼ぶに値するね」
お腹をさすり、気分良さげに海を眺める。
立場ある方に褒められると嬉しい。ヴィーラ殿下に拝謁する際にも製作したら、気に入っていただけるだろうか。
合わせて海を眺め、いずれ訪れる未来に想いを馳せた。
「しかしその割に名が轟かない……どうにも、冷遇されているように思えるが」
「ぼくが望んでいるのです。評価も賞賛も、全て職人の努力に与えられるべきと」
ぼくは道を指し示しただけですので――。
リグ公爵は軽い反論に批判や戸惑いも見せず、当然とばかりに口の端を上げる。
どうもそう返すのが、分かっていて問うた感じだ。
「だがその道が何処へ続くのか、導があってこそ高みへ至れるのではないか?」
「……この地より北西に、1人の領主が造り上げた女性だけの街があります。注目され評判となっていますが、同じ改革をする者が現れるでしょうか」
「ほう……?」
ぼくの挑むような問い返しに、リグ公爵と交差した視線が小さな火花を散らす。
「現れると思いますよ、なにしろ『女の細腕』で上手くいったんですから」
「ん"ん"っ……そ、そうか」
リグ公爵が軽く肘を滑らし、呆気に取られる。
「ですが整備されていない道に不安を覚え、川に立往生し、石に転んで座り込み、周囲の反対を理由に、『この道は間違ってる』と多くは利口になるでしょうね」
盲目の家庭教師が語っていた。
『どんなささやかな成功も、他人の目には触れない挫折や苦難の道を経ている』
例え頂が見えても、そこへ至るための困難と苦労を推し量ることはできない。
世には結果しか現れないのだから――。
失敗し辛酸をなめ、それでもあがいて、遥かな頂きを目指す者。
ノルブリンカ、サーランバ卿、セツとバンダ、職人の皆さん。誰もが霧のなかに足を踏み入れ、迷いながらも歩き続けた。
1歩ずつ……1歩ずつ……。
「彼らが踏み出し切り開いた道に比べれば、ぼくの知識など些細なことです」
ああそうだ……今だからこそはっきりと言える。歴史を紡ぐのは英雄じゃない、記録されない無名の彼らこそが築いたんだ。
心を満たしていく想い、旅で出会った笑顔が、光をまとい揺れていた――。
リグ公爵は一つ頷き、目を細める。
控えるジャーラフの緊張が伝わった、相手は隣国の王族だぞと。分かってるよ、しかしどうも誘導された気がするんだ。
どこまで計算してるのか分からないけど、ぼくを試してるのではないだろうか。
「なるほど、正解を与えるのではなく導く……己で歩む過程こそが必要なのだな」
得心がいった――と笑うその瞳に覇気をまとう。
ぼくは驚いて目を見張る、短い会話のなかで端的に要約してみせたのだ。物事を見定める視点が常人とは違う。
王族の気質か……雰囲気も口調も違うのに、黄金色の髪の少女が思い浮かぶ。
「アユム卿――のちの生涯を、俺と共に歩んでくれないか?」
突然我が意を得たりとばかりに、リグ公爵が前屈みに告げる。
「幸い因果伯ではないのだ、国を移住したとしても然したる問題はない。ましてや名も無き騎士を臣下とするのに、咎める者は少なかろう」
「たっ大変ありがたいお誘いですが、ぼくには大切な主命がございまして……」
「ふむ……」
リグ公爵が目を伏せ、コーヒーを淹れたゴブレットを軽く弾く。
澄んだ鈴の音が、波音に重なり世界を支配する。
「王太子たるこの俺が、頭を下げて頼んでいるのだぞ?」
突如リグ公爵の覇気が増大し、ライオンのたてがみがたなびく。
ヴィーラ殿下とはまた違う、肉食獣が恐怖によって獲物を捕らえる気配。
「俺はヴィーラ殿下の婿となる、ヴィーラ王国を世界に冠たる国とする。そのため――アユム、お前が欲しい!」
決定事項のごとく宣誓した。
決意と野心があふれる空気に絡め捕られ、彼の視線がそらせない。しかもけして大言雑言とは感じなかった。
この方ならあるいは――そう思わせるだけの「力」を、秘めているのだ。
そして根底にあるのは、これは……狂気!?
『彼とは生涯の友となるか……生涯を賭け、戦う敵となるだろう――』
中央広場で感じた予感が、危機感が全身を駆け巡る。
「ぼ、ぼくは――…」
「ア、アユムは殿下とのお約束があるんだ! お前にゃんかについてくもんか!」
ジャーラフが飛び出してテーブルを叩く。
その音で思考から覚醒できたけど、首筋に冷たい汗がにじんでいた。
「次は新王都に向かうんだよな!? こんな奴放っといて早く行こう!!」
腕を引っ張り立たせようとする、だけどさすがにそれはまずいだろう。
「ジャーラフ落ちついてくれ、ぼくも殿下とのお約束が大切なのは分かってる」
つかまれた手を軽く叩き頷いて苦笑する。ジャーラフが口調と態度に気がつき、小さく失礼しましたと呟き引く。
耳が下がりしっぽを体に巻きつける、苛立ち焦っていたのだ。
「っあはははは――! 許してくれジャーラフ、悪気はないんだ!」
リグ公爵は気にもせず、むしろ楽し気に笑う。
次いで居住まいをただし、一国の王太子が本当に頭を下げた。
「アユムの言動に興味があって試してしまった。この通りだ、すまない!」
「あ……あっいえいえ!」
なんとも、読めない方だ。
「また御人の悪い態度をなさって、アユム卿に嫌われてしまいますヨ! 第一婿となられるのなら、国の移住を勧める必要はないでしょウ」
そう言われればそうだ、勢いに飲まれてしまった。
いつの間に起きたのか、パーンが執事よろしく口を尖らせる。リグ公爵もお説教に幾分バツが悪かったのか、頭をかきながら話をそらす。
「約束といえば、1年半でヴィーラ王国を磨き上げろ――だってなあ、笑ったよ。まったく殿下も無茶をおっしゃるが、お蔭でアユムの手腕が拝見できた」
「――っえ!?」
因果伯すら知らなかった内情をさらりと暴露され、ジャーラフが驚く。
ぼくはその瞬間、まとっていた違和感の正体に気がついた。
「彼はぼくを探してたと言った、ならばなぜマナスルではなくサーガラなのだ?」
ヴィーラ殿下が広めている「魔獣を討伐したアラヤシキの少年」は、マナスルにおける英雄譚なのだ。
ぼくが旅に出た経緯を知る者は少ない。
ましてサーガラへ向かったなどは、国の有力者と極少数に限られる。他国の情報を得る手段を持っていると、手の内を明かしたのだ。
ぼくの「実情」も、どこまで把握しているのか……。
「怖い方ですね、リグ公爵閣下」
息の詰まりを感じ、思わず声に出た。
「俺の名はラクシュミー、ラクシュと呼んでくれ」
「公爵」を愛称で呼び捨てにせよと……瞳を真っ直ぐに見つめ、挑むように笑う。
だが確かに、身分が明らかとなる発言は控えるべきだろう。それでサンガ伯爵に素性を知られたのだから。
王太子として、立場を重んじる思慮深さが垣間見えた。
「やれ礼式だ王族の常識だのと縛りやがって、俺は人形じゃねえぞ……」
ブツブツと口を尖らせている、本気で嫌なだけだろうか。
「まあ急ぐ話でもない、時間をかけて口説かせてもらうよ」
コーヒーを飲み干し、口の端を上げる。
この主張の強さ、やはり殿下に似ているな……ジャーラフの反応は真逆だけど。
「そうだ新王都なら船でウダカに向かうのが速いぞ。サーガラに来る時よくしてくれた船長がいるんだ、乗せてもらえないか交渉してみよう。ルタ頼む――!」
「はいでス!」
話を振ると山羊の角が飛んで駆け出す。
立場的にも身分的にも断り辛くはあるが、ここは断固として拒否したい。
「なんだ遠慮などするな、俺とお前の仲だろう」
「大変ありがたい話ですが、お会いしたばかりの御方に――はい本心で……」
「いえ、本気で――」
――数日後、城館で出立の準備を整える。
すっかりお世話になった執事さん、料理長、使用人の方々にお礼をした。貴族が挨拶に来たのに驚き、次いでご無事でと笑顔を交わす。
セツはさっそく手押しポンプを製作しており、2本ほど購入させてもらう。
頑なに料金を受け取らなかったが、正当な報酬ですからと無理矢理渡す。領主に拝謁した噂が広まり、鍛冶職人を志す若い徒弟が詰め掛けているのだ。
鍛冶場を建て増しするなり、なにかと入用になるだろう。
「もう慣れちまいましたけど、そういうとこ本当に変わらないですねアユム様……ではありがたく、頂戴いたします」
「ぼくの方こそ、本当にありがとうございました!」
セツが照れながら鍛冶屋の魂を差し出すので、笑って握手する。
熱く応じたセツの背が揺れ、思わずも長いつき合いとなっていたのを感じた。
「アユム様についてきて……俺の世界が、変わりました……っ!」
因果伯の皆とは城館でお別れをする、密偵がいないとは言い切れないからだ。
「ああもう出立するのか、寂しくなるなあ」
「シ――~!」
シーちゃんも元気でな――ノルブリンカが背を叩き、カレシーの頬をなでる。
「マーラさんにもお世話になった、ご挨拶をしたかったのですが……」
アマゾネスの重要性は、サーガラの有力者もこぞって認めていた。
そのむねヴィーラ殿下に嘆願し、因果伯の派遣も希望される。なぜかマーラさんも熱望したので、滞在を延長していたのだ。
バンダも同様に音沙汰がなく、挨拶できなかったのが残念だった。
「あいつらは放っとけ――あんだけあたしに付きまとってた奴が、殴れって言って来なくなったんだ。邪魔したら馬に蹴られっちまうぞ」
はあ……と首を捻っていたら、また大笑いされる。
「アユムのお蔭で気がつけたと心底感謝してたよ、ありがとうな」
ブリハスパティ卿には、笑って達者でなと抱きしめられた。
「アユム卿はヴィーラ王国にとり大切な方だ、どうかご壮健で。そして兄として、どうにも奇天烈な弟が心配でなあ」
「じっ自重いたします……」
ダーナ卿はまだ修行から帰ってこない……定期的に連絡はあるそうだが、よほどあの戦いがこたえたようだ。
強さが信条の彼らしさに、異国を想い成果を願う。
「やあ親愛なる隣人アユム卿……君は一体、何者だ?」
プリンスがどこかで見ていたのか、右手を差し出す。反射的に握手に応じると、覆いかぶさって耳元でささやかれる。
口調は軽いのだが、目は笑っていなかった。
「――ぼくは壁裏歩夢、ごく普通の少年ですよ。ヴィーラ殿下の礎となるために、アラヤシキから来ました」
「出航――! 錨を揚げろ――っ!!」
1本マストのコグ船が、ゆるやかにサーガラの港を離れる。
風の関係で今日まで見送られていたのだ。
「まあ8月中には新王都につきたいし、最短距離の行路も知っておくべきだろう」
なんとか自分をごまかし、半分ジャーラフに抱えられる形で船の縁に立つ。
「ノルブリンカの件、いつまでもお待ちしておりますぞ――っ!!」
見送りに来ていただいたサンガ伯爵が手を振り叫ぶ。
やはり領主たるもの、あそこまで強引でこそなのだろうか。
「アユム卿――磨き上げられたサーガラを、ぜひ見に来てください!!」
サーランバ卿が両手を広げて叫ぶ。
波間の光を反射した瞳が、果てない未来を輝かせていた。
帆が風を受け、船がサーガラから離れていく。人影はすでに遠く見えなくなり、オレンジの屋根が青い海に浮かんでいる。
ふと遠くで、呼子笛の音が響いた気がした。
鉄道の気笛合図で、4秒吹く長緩吹きが5回。これは市民を招集する時に吹く。
「また……いたずらされたのかなあ」
シルフが帆をベッドに弾み、遊んでる気配を感じる。けっして聞こえる距離ではないのだ、でもぼくはあの山間の街を思い出した。
胸から下げていた呼子笛を取り出し、応じてみる。
かつての貧困と……現在の笑い声が覆う街に、谷間の風は変わらず吹く。
一路、ウダカを経由し新王都へ――。




