五夜 礎
光沢のある白いワンピースドレス。
裾が艶やかに広がって、文字通りおみ足に花を添えていた。胸元を赤いリボンで編みあげ、同じく数本が体を撒いている。
袖は幾重にも重なるフリルが広がっていた。
全体に華美なレースや刺繍が複雑に色をなしており、所々に赤い宝飾品が輝く。
王冠を模した煌びやかなヘッドドレスが、黄金色の髪をさらに引き立てている。
ドレスは時代的に妙だけど、今はどうでもいい。ぼくはヴィーラ殿下のお姿に、大輪の白バラを包む赤い棘を想い描いていた。
「嗚呼どうかそのトゲで、鞭打ってください……っ」
「16歳までに婚礼を行うのが、王族としての義務だ」
永世中立国を維持するための協定でもある――と、つけ足すのが矜持。
ヴィーラ殿下が剣の刃先をつまみ、弾いて視線を漂わせる。今にもその剣が振るわれるのではと、貴族たちは保身に身震いしていた。
「子を成し、血統を守り、国土を維持する。王族は義務を強要されねばならない」
それは国民の財産を継承し、経済を守り、飢えぬ国とする義務。
しかしと、双方の瞳に炎が揺れる。
「我が国の王族は、陛下と我だけとなった」
さらりと語られた重大事項に、ぼくが聞いていいのかなと居住まいをただす。
殿下はぼくが存在しないかのように、パンドラの箱を開け続けた。そこに希望が残っているのか、確かめるように――。
「我が兄弟、姉妹は12人が死産となり、5人が半年で死亡した。側妃は出産後に亡くなり、庶子も全員亡くなった。我が弟は――…」
「プラーナ様っ!」
スーリヤ様が声を荒げ言葉尻を噛む、殿下を「プラーナ様」と愛称で呼んだのも気がつかない狼狽ぶり。
「っよい、どうせ皆知っている」
視線をややそらし、一瞬駄々っ子が陰るがひと息でかき消す。
スーリヤ様も他の貴族を前に、これ以上の抑止はできないと言葉を呑む。
「……安定とはほど遠い惨状だ。だが王位継承権を持つ血統との争いがないのは、いっそ美しい散り際かもな」
それは憂いの色か、あるいは哀愁か――。
「父上は――…陛下はこの10年、子を授かろうとしなかった」
あるいは授かれなかったのか、そう自嘲するも結果は変わらない。
「それは真綿で首を絞め続けたのに、近くはないか……」
不運が重なったのかもしれないけど、ぼくは思わず独り言ちた。
王位継承権を持つ血統――「公爵」の不在は、一種異様だろう。政略結婚が常識である貴族社会において、子は「剣」であり「鎧」なのだから。
領地の継承や、政略結婚による地方管理の安定にも関係する。
10年の空白は致命的といえた。
謁見の間に連れ立った貴族たちには、当然承知の事実なのだろう。
衰弱した王を見捨て、上流貴族が手を組んで反乱する。廃位を目論んでもなんら不思議ではない状況――代替わりであれば特に。
策謀と権謀術数がこの時代の常であり、王にそこまでの統治能力はないのだ。
実質的な「力」が、なければだが……。
「どんなクズでも、死にぞこないの爺が相手でも構いはしない。婚礼をこそ王族の義務だと、思っていたのだがな」
抜き身の剣が少女の半面を映しだしていた。
震えるのは剣ではなくその頬、皮肉っぽく笑おうとして続かなかったのだ。
「我にはそれすら、残されていない――…」
その呟きにやっと笑えたのか、喉を鳴らす。
「幸い――フッ幸いにも、プールヴァ帝国とパシュチマ連合王国から打診が相次いでおり、相手には困らん。むろん婿として迎えるが……子が産まれたなら、横槍を入れてこぬ保証はない」
虚空に未来を予感しているのか、それを事実であるように語る。
押し黙ったままの貴族たちだが、むろん反論はしたかっただろう。
「必ずそうなる確証はありません!」
ゆえにこの場に立ち連なり、殿下の即位を祝っているのだと。
だが一端記録をひもとけば……王位の世襲で混乱と戦乱が起き、子世代によって簒奪される実例のなんと多いことか。
そうして版図が複雑怪奇に更新され続けるのが、「歴史」であった。
「向こうの世界の旧史で、それは証明されている……」
「血統が絶たれる」とは、それほど深く暗い亀裂を意味する。悲観的すぎる主張も我が身であれば、易々とは看過できない。
貴族たちは憮然と、そして悄然と押し黙る他なかった。
「霊山に守られた永世中立国だと、100年に渡り我が世の春を謳歌した代償だ」
ツケの清算をする時なのだ。
「覆滅の王朝にひれ伏すがいい! 我は『ヴィーラ王国』……最後の王となる!」
沈痛なスポットライトがヴィーラ殿下を照らす。
黄金色の髪にオーブを輝かせ、剣を天に掲げ言い放つ。けっして逃れられぬ予言が少女をより一層際立たせた。
この物語は悲劇か、あるいは――…。
☆
「聞いての通りだ、我が国に未来はない」
さて、とヴィーラ殿下が下目使いでぼくに一瞥をくれる。
あの騒動以降、初めて視界に入れたのではないだろうか。
「だが分かっておろうな、貴様をアラヤシキより招いたのは我だ」
どうとでもできるのだ――と、冷徹な笑みが暗に語っていた。
ぼくは跪いたままを返事とする。
「おおそうだっ! アラヤシキの少年がいる!」
思い出したように希望の声があがり、期待に満ちた視線がぼくに集中した。
にわかに沸き立ち、血色ばる貴族たち。
「不滅の世界といわれるアラヤシキのお力で、どうか我らをお救いください!」
「さすがは殿下、この事態を見越してお招きされたのですな!」
「下らんことを言うな」
ヴィーラ殿下が吐き捨てる勢いで呟く。
「でっ殿下!? どうにかできると、ご判断されての所要では!?」
「どうしようもない」
「ではなぜ、お招きなさったのですか!?」
「単なる悪あがき」
少女は事もなげに言い放った。
はい?
――してやったり!
胸を上下させての高笑いが、謁見の間に鳴り響く。
「そっ……その顔が見たかった!」
会心のいたずらが大成功した悪ガキの様相。お腹を抱え足を踏み鳴らし、本当に嬉しそうに大笑いする。
ヴィーラ殿下に、年相応の表情が表れていた。
いたずらされた貴族たちは趨向が整理できず、表情を失い顔を見合わせている。
「殿下! いたずらが過ぎますぞっ!」
ぼくもいささかながら唖然としていた。
そうあらためるよう忠告するか、諫言する貴族がいるのではと思ったのだ。
「ハッハハ……こっこれは殿下に、してやられましたなあ!」
「いやいや驚きました、殿下はまことにご冗談が上手うござる!」
だがここまでされても、追従するように頬を引きつらせて笑う貴族たち。
「封建制度の世とは言え……まるで殿下個人を、恐れているかのようだ」
畏怖をこめた複数の目が、肩で息をし息も絶えだえな少女をあおぎ見ていた。
「この国を……値踏みする両国に、着飾ってみせるのよ……っ。
亡国になろうと、民が消え失せるわけではない。
どうか私の伴侶にと……財産を吐き出しっ情婦に貢バカな貴族のように、下にも置かぬ国と思わせる。
せいぜい高く、売ってやろうではないかっ!」
光の反射でぼくを斬り、そのまま剣を突きつけひと息に吠えた。
「貴様は我が国の捨て石だ、帰れるなどと思うな!」
「アラヤシキで得た知識、経験 能力、存在、全てを捧げよ!」
「猶予は婚礼までの1年半! 身命を賭し、この国を磨きあげろ!」
1年半――中学校の、「元図書委員長」が脳裏を横切る。
「我のために生き! 我のために死ね!!」
死の告知が吹く。
突きつけていた剣が投擲され、風を切り警戒を招く耳障りな音が連呼した。
――眼前50センチ、大理石の床に剣の切っ先が突き立ったのだ。弦を爪弾く、神経質な旋律が空気を震わせる。
「不服があらば使うがいい、この場で決めよ!」
神託とも思える宣言と、ふんっと鼻を鳴らしての嘲笑。
「それとも痴れ者らしく、我に踏みつぶされ屍を晒すか!?」
ぬらりと刃が光り、召喚の間でぶつけたぼくのおでこを映しだす。
さすがに貴族たちも鼻白んでいた。氷水をぶっかけられ、背にかいた汗を不快と感じる間もない。
賞賛は与えぬ、帰るのも許さぬ、奴隷となり死ぬまで働け――。
そう強要されたのだ。
『無茶苦茶だ……』
貴族たちの顔に、不条理な言葉があふれていた。
「そんな命令誰が聞くかっ!」
思わず叫びたくなった貴族もいただろうが、命がけで呑みこむ。
不敬な疑惑の視線をヴィーラ殿下に向けれない。それは同情と不憫さが重なり、哀れみとなってぼくに向けられる。
「この少年は殿下の怒りを買うほどの、悪事を働いたのではないか?」
「あまりに不合理で、あまりにも残酷な仕打ちだが……」
「だが殿下の思し召しである……命が惜しければ跪いて忠誠を誓うしかなかろう、彼の少年にはその道しか残されていないのだから」
さっさとひれ伏せ、私たちを巻きこむな――。
咳すらためらう静寂のなか、ぼくは平然と反論する。
「次はぜひ、ハイヒールで踏んでくださいね」
――謁見の間に赤色巨星が顕現し、ギャラルホルンが鳴った。
「鞭を持てえっっ!!!」
ヴィーラ殿下の頬が真紅をまとい、絶叫と呼ぶべき怒号を放つ。
謁見の間を埋める炎が燃えあがり、少女の背後で魔獣を形作って咆哮をあげる。
「ひいいいい――っっ!?」
「まっ待て! 儂を置いて……あああっ!!」
巨大な椅子がけたたましい悲鳴をあげてズレ引いた。
周囲の貴族たちが我先にと避難する様は、ある意味滑稽なシーンにも思える。
「すっ少しは空気を読め――っ!」
ぼくの反論に対する貴族のもっともなツッコミは、銀の波により飲みこまれた。
5人のプレートメイルが白銀の盾となり、すでに抜き身の剣を向けている。
「素晴らしい!」
見事な働きに思わず拍手をしたくなった。
元巨漢フードがプレートメイル姿で素早くかしずく。差し出す手には1メートルに満たない、優美な革の鞘。
殿下が腕を振りかぶったかと思えば、すでに騎馬鞭がその手に握られている。
『炎生』!
殿下の叫びに、先端のフラップに埋めこまれた赤い鉱石が呼応し脈打った。
前方に30センチほどの見慣れない文様が浮かび、淡く発光する。識者ならば、梵字の「カーン」に酷似していたと指摘しただろう。
文様に向かいひと振りする間もあらば、通過する鞭から炎が生まれ伸びてゆく。
全身をしならせて、20メートはあろう炎の鞭が虚空より放たれた。大気を切り裂いた衝撃波が、窓ガラスに蜘蛛の巣を発現させて微塵に打ち砕く。
謁見の間が身を揺るがす大音響を奏で、都市部の市民もあおぎ見ただろう。
熱波が大気を焦がす渦となり、世界が炎に覆われる。
「炎の蛇……」
数人の貴族が立ちのぼる陽炎に息を呑む。少年がオレンジの閃光に飲みこまれ、黒い影となって踊り狂う。
あるいは両断された少年の姿を思い浮かべ、ためらいつつも盗み見た。
「これが、ヴィーラ殿下――…」
乾いた音を立て、剣の柄が弧を描き膝元に落ちる。
投擲でなければ到底達せない距離を物ともせず、眼前に突き立っていた剣を半ばから溶け砕いたのだ。
突き立った切っ先だけが、その存在を保持していた。
燕尾服が所々燻っている。少し長くなった前髪の焦げる匂いが、「蛇の残り香」となり周囲に散っていた。
大理石の床がぼくを中心に「ワ」の字に囲んで深く抉れ、残炎が爆ぜている。
少しでも避けていれば、炎によって体が焼け断たれていただろう。だけどぼくは跪いたまま、昂然と胸を張っていた。
動く必要も恐怖も感じない、持論は全て受け入れる。
「――さすれば私の忠誠は全て、ヴィーラ殿下にのみ捧げます!」
厳かに胸に手を当て、両膝で跪いたまま宣言した。
本望であると。
「ふんっ……M属性め」
ヴィーラ殿下が逃げ惑った貴族とぼくを比べ、称讃とも取れる呟きを落とす。
命令を承諾するしかないよう、あえて強要したのではないか。それは少女が見せた微かな憐愍だったのかもしれない。
まあ単に性格の気もするけど。
「「お……っおお――――~っっ!!」」
そして驚愕に身を凍らせた貴族たちを、興奮の炎が溶かしてゆく。
ある者は殿下のご威光と打ち震え。ある者はぼくに懐疑の目を隠そうともせず、しかしその豪胆さは認め。
またある者は珍獣を観るがごとく、口を開け放っていた。
希望としては頼りなさすぎで、悪あがきにしては疑問な少年の姿を――。
感嘆の声があがり、徐々に呼応し、さらに歓呼が沸き立ってゆく。ある種の開きなおりにも似た空気が、謁見の間を支配する。
「ギリシャ火薬……いや、火炎放射というより……魔法?」
そのなかで件のぼくは、冷静に状況を分析していた。
理解不能さに背筋が痺れ、頬が緩み高揚する。王族の強権だけではないと思っていたけど、それにも増して想像もしていなかった鋭きトゲ。
14世紀は火薬による武器が出始めた時代。
この存在を振りかざせば、畏怖の対象となるのも当然だ。まさしく業火の顕現、この方に逆らう者はいまい。
恐怖にかられた場合無関心は装えない、取るべき道は「抗う」か「従う」か。
だがぼくは迷わず「渇望」しよう。
「素晴らしきかな、ヴィーラ殿下――っ!!」
謁見の間で巻き起こった、やや芝居じみた珍騒動。後日伝え聞いた者はむろん、当日居合わせた者も完全には理解できていない。
この物語は悲劇か、あるいは……喜劇だったのか。
小惑星の王子が愛した星……自分の国。
1年半後に差し迫った婚礼、公爵の不在、隣国からの圧力――亡国の運命。
この国はバオバブの木によって、破裂を迎えようとしている。100年放置した根が世界を覆い尽くし、手遅れになっていたのだ。
赤きトゲを持つ大輪の白バラのためなら、ぼくは全てを食い尽くす羊となろう。
風が吹くならついたてを、寒いと言葉にする前に覆いガラスを、水を厳選して、毛虫を取り払おう。
ぼくはあなたの心を疑いはしない。
「この世界に咲く、たった一輪の美しき暴君にお育ちください!」
ぼくは正式に叙勲され、騎士の称号が与えられた。
相応しい叙任儀式だったのか。晴れて「卿」付けで呼ばれる身分になったけど、これには沈黙を返事とする。
今までは両膝をついてきた、だけどあらためて左膝を立てた。
神に祈るのではない、これよりは現実なのだと。溶け砕けた剣の柄を拾いあげ、少女の足の甲に見立て「隷属」のキスをする。
嗚呼ぼくは己の運命を、見つけたのだ――。
「ヴィーラ殿下の、礎となります!!」