四十三夜 港湾都市サーガラ
「アユム卿――っ!」
行商人のおじさんが手を振っていた、後ろにセツとバンダの姿も見える。
城門警備の詰所か、衛兵に押し止められながらも叫んでいた。情報が虚偽だった場合の対処として、状況的には当然の措置といえる。
とにかくこれで、ひと安心だ。
「我勝てり――っ!」
力つきそうな言葉を叫び、ぼくは心でフルマラソンのゴールテープを切った。
紀元前四九〇年マラトンの戦い――マラトンからアテナイまでの約四〇キロを、命がけで駆けた兵士の故事。
サーガラの城門前で誰も反応してくれないのは、少し寂しくもあったけど……。
夕暮れ近くとなり、街に入る過客が列をなしている。
見れば城門では、門衛が通過する領民を逐一チェックしていた。運んでいる荷の種類と量を確認し、嵩によっては門を通るさいの「通行税」が変わる。
荷馬車なら「車税」も追加されるのだ。
旅行や観光の概念が希薄な時代、過客は「よそ者」だった。市民権を得た証明か賤民ではない確認を求められる。
教会の鐘が鳴れば容赦なく閉門されるので、周囲はピリピリしていた。
サーガラは城壁外にも、住居が広がってるからまだいい。他方では盗賊や猛獣が閉め出された過客を狙い、餌食としたのだ。
「身なりや証文の有無で、列を別けるべきだろうなあ」
汗を拭いて燕尾服を整え、列にならんで笑う。スーパーで買い物をするときに、カードと現金でレジが別なら便利だと思っていた。
ジャーラフがなんだそれと小首をかしげる。
「背負子や荷馬車の行商人と、農民や巡礼者。貴族は騎馬してるから別としても、装いで列を別ければ確認も……しやすい、と?」
説明のため自分の証文を見せようと背中に手を回し、空を切る寂しい気配。
血の気が引いて鼓動が激しくなった。
「おじさんっ! セツかバンダを呼んでもらい――わあ! スーリヤさまが手渡してくれた貴族の証文なんかも、全部馬車の中だあ!」
荷物はすべておじさんの馬車に置いたまま。
当然バックパックも背負っていないので今さらながら焦った。盗賊の存在証明に手間取ったけど、召喚された存在証明なんてできるのか!?
すごく変な人だと疑われるのではないか。
「……よくわからんが、これくらいの城壁なら越えられるぞ?」
突如騒ぎだしたぼくを、列にならぶ過客が怪しんで盗み見ている。
ジャーラフが誰が聞いてもヤバイ発言をし、さらに周囲がざわついた。これ以上勘弁してください。
「なにやってんだ――~? こっちこっち――!」
悶えていたらノルブリンカが城門前にいて、手を振り呼んでいる。
ジャーラフと顔を合わせ、わからないまま列を越えて進む。引きつった門衛全員が直立不動となっていた。
「二人な――」
「はっっ!!」
城門の警備隊長まで、汗をにじませ視線を合わそうともしない。
荷のチェックもなく通されるので、いいのかなと一応会釈はする。周囲の過客が口を開けて注視していた。
「領主のご令嬢なら顔パスもわかります、でもなんだか異様に緊張してません? いえこの場は非常に助かりましたが……」
すれ違った軍隊の兵士も、やたらキッチリと挨拶していたっけ。
「サーガラに騎士学校あるの知ってるか? あたし臨時教官やってんだ」
「あっなんだかすべて繋がりました」
背の紅葉が鈍くうずき、これ以上詳しく聞いてはいけないと告げた。
それにしても、騎士学校かあ……。
ノルブリンカの後ろについて門をくぐる。見上げるサーガラの城門は大きな影となって迫り、荘厳さを伝えてくれた。
「わあ……外見に違わず、重厚な造りですね」
マナスルは内側と外側に二層の城壁があったのに、サーガラは一層のみ。これは都市の危険度に比例しているのだ、それでも壁の厚みは圧巻である。
十年単位の時間と資金と汗を重ね、歴史を誇りそびえ立つ巨大な盾。
「――ぐっ!?」
城門を珍しそうに見回しながら歩いていたら、ジャーラフに肘打ちをくらった。
不意打ちに息がつまり、脇腹を押さえつつ黒猫を見上げる。
「ちょっ……ジャーラフゥ!?」
「賊や追いはぎはそういった心の隙間を狙う、気をつけろ」
一番危ないときなのだと、おそらくは忠告をしてくれたのだ。
「ものすごく、理解できたよ……」
それが不器用で、ちょっとずれた優しさなのも。
それはそれとして、なにか反論できないかなと頭をひねっていたら――。
「アユム卿――っ!」
城門前におじさんの声が響いた。
――おじさんたちはサーガラに着いてから、城門の詰所で軟禁中だったらしい。
職人ギルドに身分の確認をし、マナスルでの経過や旅の状況など……同じ質疑をくり返し受け、馬車も徹底的に調べられる。
薪ボイラーの説明がやたら面倒だったと、セツとバンダがぼやいていた。
そうして身分が確認されても、監視つきで待機を命じられる。状況によっては、城館へ護送されていたかもしれない。
そこへ忘れようもない奇……燕尾服を着たぼくが、門をくぐって現れたのだ。
ノルブリンカが衛兵に身元を証明し、ひと言で解放となった。
「皆さん、無事でよかった――!」
四人全員の安全が確認でき、ぼくたちは肩を組んで笑いあう。
おじさんがジャーラフの存在に気がつき、帽子を取って挨拶。ジャーラフは頬をふくらませ横を向いてしまったが。
まああれから、何かとあったしねえ。
「ぼくの気持ちです、どうか受け取ってもらえませんか?」
「お気持ちならアユム卿の笑顔で十分です。職人ギルドの規定で、しっかり賃金が定められておりますから」
ぼくは迷惑をかけたお詫びに、別口で報酬を支払おうと持ちかける。
なのにおじさんもセツとバンダも、頑として受け取らない。むしろお金は大切にしなさいと諭してくれた。
「アユム卿……これは老人の繰り言と、お聞き流しください」
あなたは自分が子供だと、忘れていませんか? まだまだ大人に心配をかける、かけてもいい年齢なのです。
あなたを想い心配する方々の気持ちを、どうか心に留めておいてほしいのです。
神ならぬ身にでできることなどたがが知れています。目を開き耳を傾け、なにが大切かなにが最善か、常に心がけてください!
「――たいへん失礼いたしました、アユム卿」
そういって腰を曲げ、シワの寄った瞳で優しくほほえむ。
「いえ……いいえ! ありがとうございます!」
「早く一人前に、大人に見られたいのなら世帯を持つといい。お連れの女性も身分が高い方なのでしょう、体も丈夫そうだし多くの子を望めそうですよ」
ノルブリンカが注視され、一瞬の間のあと涙を流して大笑いされた。
「いい、ぜえっ! あたっしも未婚だしぃアユ、ム夫婦っになるかい!?」
咳きこみながらお腹を抱えて笑う……体が痙攣してますよ、伯爵令嬢。
そしてジャーラフも殺気を向けないでね、おじさんが驚くから。
行商人は危険と隣り合わせ、けっして楽な仕事ではない。
それでも盗賊に身をやつす人がいれば、おじさんみたいな人もいる。
「いやあウチのガキに、いい土産話ができたなあ!」
セツは妻子持ちであり、帰郷の喜びもひとしおに違いない。
「盗賊の撃退に関わったなんて、爺になっても語れるネタっス!」
バンダは独身で、あとで酒を傾けながら詳しく聞かせてほしいと頼まれた。
二人は終わったから言えるのか、大いに旅を楽しめたんだと笑う。彼らは今後も薪ボイラーの設置や鍛冶仕事とご厄介になる。
確執が残らなくてよかった。
薪ボイラーと機材は二人の仕事場を確認し、空きに運んでおく手はず。
おじさんの仕事はそれで終わり。
セツとバンダが馬車に乗って、バックパックを手渡してもらう。旅に連れそった馬をなでて感謝を伝えた。
「お世話になりました」
おじさんが御者席から帽子を振って笑い、ぼくも手を振って別れる。
馬車に揺られた長い旅に、命がけの初陣。いろいろありすぎたのに、それだけでいい旅だったと頬が緩む。
「あ――~あ、さってと! こっちも行くかい?」
ノルブリンカがまだ喉で笑い、涙を拭きながら提案した。
「アユムは――何をするにしても、まずは領主に会うんだろ?」
「あっはい! お願いできれば……」
あいよ~と気楽に御者に指示をする、まあ彼女にとっては父親か。
マナスルから流れてくる噂と、ジャーラフからあれこれ聞いたみたいだ。
二頭立ての貴族用馬車――領主の令嬢を歩かせてはと、門衛の方が早馬を飛ばし城館から迎えにこさせた――に乗りこむ。
馬車は人混みをゆっくりと進む、見慣れない街を眺めるのはやはり楽しい。
「だけどマナスルに比べて、街全体がかなり平坦な造りだ。側溝の整備には少し、手間取るかもなあ」
逸る気持ちを抑えられず、施工業者の目線で注視する。しかし平地が多いぶん、商店や屋台がケタ違いに出店していた。
目に映るだけでも種類が豊富で、他国との貿易が盛んだとわかる。
「港湾都市ならでは、外交の賜物で――あっ! ええっまさかドワーフ!?」
子供の背丈だが立派な髭をたくわえた男性。屈強な体格に偽りなく、大層な荷物を軽々と運んでいた。
只人とは明らかに違う様相の、亜人の姿もチラホラと見受けられる。
「そういやあ向こうには、只人しかいないんだっけ? あたしにはそっちのほうが妙だけどなあ――あっほら、あれはハーフリングじゃないか?」
「わ――っわ――っ! リアルファンタジーの光景だ――――~っ!!」
只人よりふた回りは小さくプックリした体格。馬車に乗る貴族に声をかけられ、飛びあがって驚いていた。
窓に張りつき一人で大騒ぎ、子供みたいに意味もなく手を振る。
馬車はやはり盛大に揺れていたけど、どうやら平気になっていた。
「空を飛ぶのに比べれば、地上を走ってくれる安全な乗り物だ」
ジャーラフは自分で言った心の隙間のレクチャーを忘れ、馬車の中を珍しそうに何度も見回している。
「もしかしたら『乗る』のは、初めてなのかな?」
そうだ突然くすぐったら、どんな顔をするだろう? 肘打ちへされた反論心を、必死に抑えこむ。
「あんたら見てると、飽きないねえ――~!」
ノルブリンカには大笑いされた。
「夕食には間にあうなあ、アユムさっき使ってたフォークってのまた貸してよ」
肉に刺してかぶりつくのが気に入ったようで、ぼくは苦笑して取り出す。
とはいえ国の重臣に、すごく優遇してもらってるような。
「あの、ノルブリンカ? マラソンにつき合ってくれたりとありがたいのですが、因果伯の立場的にいいのでしょうか?」
ジャーラフも意識を向けてきた、そういえばキミもでした。
「ん、そんなこと気にしてたのか。因果伯には一応交渉官って立場はあるけどな、派遣先の情報をヴィーラ殿下にご報告するのが一番重要なんだよ。だからある程度の自由裁量権は持ってる」
盗賊が出たのなら、それを確認するのも仕事なのだと肩をすくめる。
殿下も定期的な通達や、行商人の情報では足りないとご存じなのだ。
「今はそうだなあ……『奇天烈な少年がサーガラ領に現れたので監視してる』ってとこでどうだ?」
どうだと言われても、自分の説明が面白かったのか背もたれをたたきだす。
馬車が大揺れしてるのでその辺で。
「これも重要だろ――~?」
ツボにはまったのか大笑いし、ふとなにかに気がついてジャーラフを見る。
「監視といえばジャーラフはどうすんだ? ハスター伯爵に頼まれたのはアユムの旅の護衛だろ、マナスルに戻るか?」
「あ……っ!」
声と鼓動が重なり横を見ると、ジャーラフが不機嫌そうにしていた。
「……指示を受けた『旅』がどこまでを指すのかわからん。しばらくはこのバカの監視を続けるほかない、面倒な話だ」
ため息をつき微妙に言いなおしてぼくを睨む。
それでなんだか心底安堵し、ノルブリンカがうつったのか背をたたいてしまう。
「そう言うなよ――っ! ジャーラフがいてくれて本当に助かるんだからさあ! そっかあよかった、これからもよろしくな!」
「しばらくだってんだろ! 調子にのんなバカっ!」
嫌われてるのはわかってる、でも怒鳴られてうれしかった。
笑って謝っていたら、二人を見ていたノルブリンカが妙なことを言いだす。
「アユム……あんた鈍いって言われたこと、ないか?」
何人かいたけど……。
「ぼくとしてはけっこう、気が回るほうだと思っていますけど」
「んん――~…」
困った顔で下を向き、腕を組んでうなられた。
「じゃあまあいいや、あたしにも敬語なしでいこうよ。なんかそっちがいい!」
「えっとそれは、サンガ伯爵令嬢とうかがったあとでは難しいかと……」
貴族本人がどう主張していようと爵位は重要だ。イダム卿の町や衛兵の対応で、遅まきながらわかりました。
返答に不満げなノルブリンカに、なぜかジャーラフが勝ち誇って牙を光らせる。
「こうして周りも見えてるし、鈍くないよねえ?」
☆
サーガラにいわゆる「城」はない。
通常「城」とは国の政治的な象徴であり、軍事的には最終防衛施設である。
城内に「居館」――君主の住居を建て、常に有事に備えていた。平時には情報の一本化を図るための、参勤場所ともなっている。
サーガラの「城館」には、外堀すらなかった。
石壁と鉄柵の門――城と見紛う外見ではあるが、居住性のみで防衛機能はない。
イメージ的には豪華すぎる大邸宅といってもいい。欧州では火薬の発達により、城壁に守られた「城郭都市」の意義が薄れていく。
一五世紀には居住性を重視する、「城館」の建築が主流となるのだ。
時代の推移からいっても、サーガラは治政の安定が推察できる。
「ノッチだ……!」
岩の根元が波や生物の侵食でヘコみ、キノコ状になる現象。門を越えると下部が削り取られ、上部が平坦な大石が鎮座していた。
城館を建てるさい海岸部分を埋め立て、特徴のある大岩だけを残す。
大岩を取り囲んで生け垣迷路を造り、噴水を配置したのだ。城館の名物であり、一定時間ごとに水が噴き出すそうだ。
「これを見ようとサーガラまで巡礼する者もいるって。裏でなにやらしてるけど、アユムなら原理がわかるか?」
「噴水」自体は紀元前三〇〇〇年、古代メソポタミアでも遺跡が発掘されている。
水が吹き上がる現象は自然の摂理に反し、権力の誇示や宗教儀式に利用された。
「ポンプやモータ動力がないですから、おそらく――あっいえ、不思議ですねえ」
ノルブリンカが耳慣れない単語に目を丸くするので、ついごまかしてしまう。
おそらく――サイフォンの原理を応用した、「ヘロンの噴水」だ。
アレクサンドリアのヘロン――紀元前二世紀ごろに「ヘロンの蒸気機関」など、最古の蒸気機関を考案した物理学者。
蒸気エンジンの製作成功を願っているぼくとしては、縁のある方と言えよう。
大いなる偉人に手を合わせ、成功を祈る。
ご令嬢の突然の帰宅に、邸宅内は見えない慌ただしさを感じさせた。
「早朝に突然飛び出し、夕方に客を二人連れ帰宅する。使用人にはことのほか推測が難しいご令嬢だろうなあ」
だのに家令さんは謹んで挨拶をし、来客に快く応じる。
カレシーが騒がしさに顔を出そうと、ジャーラフが見れば裸足だろうと。
ノルブリンカが「気にすんな」と言おうと、誰に対してもしっかりと務めるのが使用人の矜持なのか。
マナスルではトップが本気で嫌がるので、かなり緩んではいた。
「あのう先触れを出していないのです、領主と目通りはかないますか?」
使用人に荷物を手渡しながら、ノルブリンカに訊いてみた。
一か月近く前に領主へ書状を頼んでいたけど、どうなったか確認しようがない。
――バジリスク騒動の前である。
それほど回り道をしている時間的な余裕はないのだ。
「会えるかどうかは運だなあ……親父もいい歳の癖に忙しい人でさ、馬車に乗って所領を西へ東へ飛び回ってんの」
ウチの街へは来たことないのにな――。
感心なさそうセリフに、少しだけ寂しげなぼやきが続く。
上流貴族なら血統はより重要なはず、親子仲はあまりよくないのかな。
「っ親父はなあ、サーガラの『顔』なんだよ!」
なにかを吹っ切った、複雑な笑み。
「覚悟しておいたほうがいいぞ」
サンガ伯爵――マナスルの謁見の間で見かけたさいの印象は、周囲に貴族が集い最大派閥の一角を担うといった面持ちだった。
厳格なイメージが横切り、ぼくはあらためて気を引き締める。
なので失礼にならない程度には、旅の垢を落とすべきと水を――できればお湯をもらえないか家令さんにお願いした。
マラソン後にタオルで拭いただけで人前に出るのは、どうにも落ちつかない。
「アユムって本当に、風呂が好きだよなあ」
ジャーラフが耳を反らし、しっぽを左右に激しく振っている。
言外に「あんなのどこがいいんだ」と、批判をこめているのだ。
「まあお風呂が好きな猫は、珍しいかもねえ」
気を使っていただいたのか、急遽お湯を沸かし水と桶を準備してもらう。
マナスルから「公衆浴場アラヤシキ」の噂は流れてきても、現物がない。過客の感想だけではどうも半信半疑のようだ。
職人とは違い、技術を確認したい気持ちがなければそうなるか。
ぼくはほとんど勝利を確信していた。
「アユム卿――! よくぞ参られた!!」
かっぷくのいい白髪のカイゼル髭が両手を広げ、声も高らかに訴える。
褐色の肌で身長と厚みのあるサンガ伯爵は、そこが舞台でもあるかのように手を大袈裟に振り感情を表現した。
「……なるほどイダム卿の源流は、サンガ伯爵だったのか」
運よくサンガ伯爵は滞在中で、華麗なホールでの晩餐に誘っていただく。
「私はアユム卿を――複雑な生い立ちはあるがそう、我が子ほどに思っておる! 我らの間に遠慮など必要はない!」
肩を抱き、どうかなと目を細めて笑う。
血統が重要な世にあって我が子発言に、場は騒然な熱気を帯びる。
「イメージとは違ったけど、見るからに頼りがいのある堂々とした方だなあ」
サンガ伯爵はサーガラ領を治める、三代にわたった名家である。経済が困窮した事例は少なく、市民に人気があった。
気さくそうだし、これなら話を進めやすい。
「あの、書状は読んでいただけ……あっええ、とてもすばらしいですね」
音楽が奏でり、道化師がジャグラーやアクロバットを決め、ダンスが催される。
「あの、蒸留水という……カレンデュラオイルを……」
領主の「我が子」にお近づきになろうと、領地の高官らしき方々や司教に貴族が次々と挨拶にこられた。
「あの、側溝……お風呂……」
「アユム卿はお若いながら、社交性に富んでおられますな! どうぞヴィーラ王国随一の都市、サーガラ領をゆっくりとご堪能なさってください!!」
――ちなみに北西にも、国を代表する港湾都市「ウダカ」がある。
ウダカ領は寂しくなった頭髪と、肥満で揺れるお腹のウマー伯爵が治めていた。
こちらも最大派閥の一角といってもいい。とはいえ同じ港湾都市でありながら、ウダカは経済的にサーガラより劣っている。
王都だったマナスルまでは距離があり、陸路では重量のある荷を運びにくい。
重要視されてこなかった背景があるのだ。だが新王都計画が西方中央への移転と決定し、状勢が一気に変わる。
サーガラ市民には、そして貴族には青天の霹靂だった。
随一の都市を誇る自尊心が傷つき、ゆえに「密約があったのでは?」と実しやかな噂まで広がってしまう。
ヴィーラ王国を二分する、両大諸侯の激突となったのだ。
謁見の間では犬猿の仲とばかりに皮肉合戦が発生し、サンガ伯爵とウマー伯爵の溝は大いに深まりをみせた――。
「一切をサーガラに、私におまかせくだされば! 万事ぬかりはありません!!」
ペルシア軍とアテネ軍の戦い――マラトンの戦い。
伝令のフィリッピデスが約四〇キロを急いだのは、アテネ内で抗戦派と降伏派が一触即発だったからだと言われている。
文字通り命をかけて、国の混乱を収めたのだ。
しかし伝令が走った故事は、実は創作ではないかと疑問視もされた。
ギリシャ時代の史書に明記はなく、ローマ時代の英雄伝になって表れるからだ。
「いつの時代も、人々は英雄譚を求めるのだなあ」
晩餐の光が揺れ、喝采と乾杯が幾度もくり返された――覚えがある。
大歓迎を受け、展望が開けた――気がする。
闇が訪れ豪華な客室に案内され、どうにか服を脱いでベッドに倒れ夢も見ず……気がついたら昼過ぎだった。
「おっ! お早うさん」
ノルブリンカが手を振って挨拶する。疲れてると寝かせておいてくれたのかな、ありがとうございます。
さっそくだけど気になっていたことを訊く。
「あのうぼくサンガ伯爵に、ご挨拶しましたっけ?」
どうにも記憶が曖昧だった。
「してたよ、一応」
苦笑して応える。
「書状も受け取ったと、うかがった気が……」
「うんうん」
何度もうなずいている。
「……蒸留水やオイル、側溝やお風呂の話も?」
大きくうなずいて肯定する。
では、やはりそうなのか。
サンガ伯爵はなにひとつ言質の取られる、「許可」をしなかったのだ。
「混乱を収めようと奮闘したフィリッピデスも、すべて創作だったらこんな気持ちになったのかな……」
なにも進展はせず――大歓迎された、それだけだった。




