四十二夜 ノルブリンカ
「これはまさしく、国の玄関ですね!」
サーガラはヴィーラ王国最大の港湾都市である。
漁港として栄え、水上方面と内陸を結ぶ交易市場として発展してきた。
都市の周囲には崖が多く、少ない砂浜に岩がゴロゴロしている。海岸線が複雑になり天然の良港となる岩石海岸だった。
海に面した部分を扇型に埋め立て城壁しており、守りやすく攻めにくい。
城壁はマナスルと遜色のない規模を誇る。
しかもプールヴァ帝国などの、目を光らせる国は近くに存在せず。城壁の外まで民家が連なり、オレンジの屋根が映えていた。
漁業が発展し食料があり、海洋の取引が盛んで、地形的に安全がある――。
マナスルが元王都となり商いが減った現在でも、市民は三万人を切らない。
「話にはうかがっていましたが、本当に壮観ですね……っ」
丘の上から見下ろしてとらえた光景に、ぼくは感嘆の声をもらす。
潮風が香る、それだけで気持ちが高ぶった。
ゆったりと日が落ちて、耳をすませばくり返すさざなみ。海風を受け見慣れない箱型風車が心地のいいリズムで回る。
海が真っ青に染まって波が光り、まさに絶景と呼ぶにふさわしい。
「へへ――~っだろう!」
「ぐ……っ!?」
褐色の女性は自分が褒められたみたいに喜ぶ。まではいいのだが、背をたたかれ息がつまり汗が光って飛んだ。
ぼくは上半身裸で、上着を腰で縛っている。
「季節に似合わぬ、立派な紅葉が咲いたかなあ」
見えない背中を想い、頬の発汗を感じてぽつりとこぼす。息が弾んでいるのは、イダム卿の町からフルマラソンしてきたからだ。
昨夜は盗賊で今日はマラソン、さすがに疲れた。
歯を見せて豪快に笑う女性――ノルブリンカ。
遅れてやってきた変身ヒーロー姿の彼女は、十七人の因果伯の一人である。
褐色の肌にベリーショートの白い髪、サンフラワー色の月桂冠。背はぼくとほぼ変わらないけど、肩から伸びる二の腕や発達した太もも、ふくらはぎは鍛えられたアスリートのそれだった。飾り気のないクリーム色の古代チュニックを膝上で着て腰で縛り、紐で編んだブーツがローマの拳闘士を彷彿とさせる。
――サンフラワー色のプレートアーマーが「はがれ」て現れた彼女に、イダム卿が慌てて駆け寄り挨拶をしていた。
「イダム卿の、知り合い?」
口にした瞬間脳のシナプスが繋がる。謁見の間に集っていた白髪のカイゼル髭、サンガ伯爵と面影が重なるのだ。
二人の会話から、やはり領主のご令嬢なのだと判明。
イダム卿はサンガ伯爵の分家であり、ご令嬢とは昔から交流があったようだ。
「サーガラからわざわざのお越し、ありがとうございます」
「アハハハッなんだよお出迎えか? 聞いた話と違ってけっこう余裕あんだな!」
褐色の女性が腰に手を当て、大口を開け笑っていた。
「ご令嬢――…いや伯爵のご息女であり、サンガ伯爵令嬢ですとも」
「えっおいマジか!? 盗賊は変態坊主が倒しちまったってのか!!」
振り向いて大股に近づくと肩を軽くたたかれ、体が水平にずれる。
汗は覚悟してても出てしまうのだと実感した。
「召喚の間では役に立たなそうなガキだと思ったのに、大したもんだな――っ!」
「あっりがとう、ございます……サンガ伯爵令嬢」
「おいよしてくれ、ノルブリンカでいいよ! 同じヴィーラ殿下の家臣だ、遠慮はよしとこうぜ坊主!」
そう言って、むしろ叫んで大笑いする。
「――同じ家臣なら坊主扱いはよせ、アユムも黙ってないで言い返せ!」
横でジャーラフが静かに怒っていた……なぜ?
ノルブリンカ嬢が「おやっ?」と二人を見比べ、なにも言わず頭をかく。
「ああそうだな、悪い悪い! よろしくなアユム!」
「よろっしく、お願いします……ノルブリンカ嬢」
笑顔で背をたたかれ、骨の軋む音が脳内に響いた。確実にS属性ですね、しかも常時肉体強化している印象だ。
気持ちはよくても、通り越して体が不安になるレベル。
「ノ・ル・ブ・リ・ン・カ! 坊主は真面目だな、おっとアユムな――~」
ジャーラフの睨みに気がついて訂正する、う――~ん。
いや、まずは確かめなければ。
「ノルブリンカじょ……この町の、盗賊の件はどこで?」
――おじさんは夜を徹して馬車を走らせようとした。
それをセツとバンダが説き伏せる、無理をしたらアユムさまが悲しむと。
「命令するのが嫌だって笑う方が、俺らに希望を託されたんスよ!」
「いっしょに一番いい方法を考えよう!」
いくら今から急いでも、どの道明日の開門まで待たないといけない。通常城門は日暮れと同時に閉門するからだ。
慌てて飛ばし馬か馬車になにかあったら、それこそ取り返しがつかない。
日中移動しかしないおじさんは失念していたのだ。なによりサーガラ出身である二人がいるのだと、やっと落ちつく。
そこでいつもとおり馬を休ませ、皆で話しあった。
セツとバンダが松明を持ち、アユムさまみたいに並走してはと告げる。この提案をおじさんが了承し、道を確かめながら無理をせず馬車を走らせた。
今日の早朝、無事サーガラにつく。
開門の鐘が鳴るなか駆けこみ、衛兵に状況を伝え――。
「今朝、領主の城館でつてから聞いてね。今から軍隊の準備に入って出発してちゃ遅いと、あたしが先に駆けてきたってわけ」
そういってイダム卿の背を何度もたたく。
「なにしろ無事でよかった! なっ!」
「はっはい、ありがっとうご、ざいます」
経験があるのかされるがままになっていた。
少しうらやましかったけど、痺れる肩と背がやめておけと反論する。
「握手の習慣を広めたほうがいいか……いや結局は、指の骨がやばくなるも」
聞けばフルマラソンの距離を一時間で走破し、息もあがってない。
サンフラワー色のプレートアーマーは「邪土」かな。ウールドの「力」とどっちがすごいのか、見ただけでは甲乙がつけにくい。
「皆は無事サーガラにつきましたか、なによりです」
心配ごとがひとつ減った、安堵するもやはりちゃんと報告はしたい。
「ああ――っお腹減った! 何か食わせてよ!」
座りこんでお腹をさするところも、ウールドと似ていますね。
「これから私の婚礼を主催します。町民に振る舞う昼餐会を準備していますから、お口に合うかわかりませんがぜひ召しあがってください」
「盗賊が襲ってきた翌日に結婚すんの? 驚いたな、あんたいつの間にそんな豪胆な性格になったんだ! 見直したわ――っ!!」
イダム卿が丁寧に頭を下げ誘うと、ノルブリンカが驚いた顔で感心していた。
「こりゃあ他領でも評判になるぞ、領主になると違うね――っ!」
イダム卿が申し訳なさそうにぼくを見たので、ウインクで目配せ。
「それではぼくはサーガラへ向かいます。道中に軍隊とすれ違ったら、復員してもいいと報告しましょうか? いや一介の騎士の指示を、受けるわけがないですね」
イダム卿に町は無事だと、証文を書いてもらおうかな。
立ち上がって装備を確かめていたら、とんでもない力で肩を組まれる。
「そう慌てんなって、メシにつき合えよ! マナスルを襲撃したって魔獣の話も、詳しく知りたいしさ!」
ガッチリと固定され、力に抗うのはすでにあきらめた。
「えっでも……軍隊が無駄に行軍を――」
軍隊を動かせば資金もかかるし、なによりも早く皆に会って……なんて通じず、ほぼ浮いた状態で町に連行される。
「演習だけじゃなく、たまには実戦だと緊張させりゃいいんだ。金なら気前のいい親父が景気よく払うさ!」
ぼくを軽い荷物扱いで小脇に抱え、ご令嬢が大声で笑う。
ジャーラフはなぜか怒気をまき散らし、黙ったままだし……。
ノルブリンカは「まず行動」の性格らしい。
☆
結婚式は教会の玄関前で開かれ、すでに町民が広場を埋めつくしている。
昨夜に若い領主の活躍を目の当たりにしていた。心からの祝福と、今後の期待が空気を満たしている。
楽人がハーディ・ガーディを鳴らし、待ちに待った婚礼の幕があがった。
イダム卿が領主の父と連れ立って歩いてくる。
本来は家令さんが変わりを勤める予定だった。若干足を引き顔色もよくないが、息子のハレの場に病気を押して現れたのだ。
支えるイダム卿がこれからの町に喚起され、町民も静かに見守っている。
「おお――――~!!」
歓声と羨望の視線を受け、花嫁が青色の豪華なドレスを身にまとい現れた。
丹念に編み上げた髪とヘッドドレスが華やかさを演出し、祝宴の広場にまさしく艶やかな花が咲く。
「とてもすばらしいけど、青色? あっそうか……純白のウエディングドレスは、一九世紀以降といわれてたっけ!」
ぼくはといえば色鮮やかな花嫁衣装に、違和感を覚えていた。培ったイメージはなかなかに離れがたいのだと、独り孤立してうなる。
イダム卿と花嫁がお互に指輪を交換し、町民から拍手がわきあがった。
花嫁の瞳に小さく光が生まれている。言葉を交わした間柄ではないけど、やはりお祝いの言葉が心をよぎり――。
「わあああ――~っっ!!」
笑い声の混じる今日一番の歓声。
花嫁がいきなりイダム卿を殴ったのだ。現代なら新婚の喧嘩だと慌てただろう、イダム卿も張り手をかえす。
盛大な拍手に包まれ二人とも笑顔だ、あっイダム卿鼻血出てるし。
花嫁が慌ててハンカチを当てている。「殴り合う」姿を持って、出席者の記憶に鮮明に残す婚礼の儀式。
誓いあった男女の両手に、神父が黄色い布を巻き祝福とした。
「まあ昨夜ジャーラフと語ってくだけたし、本音をぶつけるのはいいよね」
二人は教会に入り、婚礼の特別なミサがおこなわれる。
教会前広場に長机がならべられ、盛大な食事が振る舞われていた。
町民にとっては久々の、そして豪華な肉料理につめかけている。普段は飲めないワインも、大切な一品として味わっていた。
あるいはここぞとばかりにガッツキ、飲みまくっている。
「お酒好きにはたまらない魅力なんだろうなあ」
群衆の中に肉を取りあっているノルブリンカがいた。
きっと気のせいだな、うん。向こうの世界でも一本何十万の値段がつくワインがあったなと、見ないふりをする。
「なんだ遠慮せずに飲みなよ、ほれ」
ノルブリンカが山盛りの肉と、ワインの陶器製の壺を奪……もらってきていた。
ぼくのコップにそそごうと傾けるのを、丁寧に断る。
おいしそうにワインを飲んでいるノルブリンカや、酔って騒ぐ町民の笑い顔に、うらやましいと苦笑はしたけど。
「ぼくはこれから移動があるので、水分とエネルギー補給に徹しておきます」
一二世紀の欧州には、「イットリーヤ」と呼ばれるきしめんパスタがあった。
小麦を練り伸ばし茹であげる――手間がかかりパンの三倍の値がすると言われ、ハレの日などでしかお目にかかれない料理である。
調理されてる方がいて、鍋の周りに人だかりができていた。
バターやチーズをかけ、手づかみで下からすするのが正式な食べ方。深皿に入れてもらい、フォーク片手にしばし唖然と見つめる。
「何十分と茹でたのか、デロデロにのびまくった麺……」
いや確かこれがこの時代の、正式な茹で方。
「アルデ……うん、テ……いやうん」
茹ですぎたパスタは消化吸収が悪く、バターやチーズも塊で胃に優しくない。
いや言うまいと首を振り記憶を削除。
ぼくは昨夜の因果伯と気づかれないよう、コートをはおらず燕尾服姿だった。
佩刀が目立つせいか、周囲に人が寄らず目があうと避けられる。
「貴族って、怖がられてるんだなあ」
ノルブリンカは……まあチュニックを着た女性を、貴族とは思わないか。
サンガ伯爵の名代として、婚礼に参列している立場なのに――どこ吹く風と肉を平らげ腹をさすっていた。
エールを飲みながら、騒ぎに起きたカレシーとシャドーボクシングをしている。
「さらに周囲から、人が離れた気はする……」
「あっきたよきたよ――っ!」
「おお――しっかりやれよ――~!」
近くの宿屋や解放していた住居から、ひときわ大きな拍手と笑い声があがった。
多数の着飾った男女のカップルが移動していく。
婚礼は基本的に本人の意思に関係なく、領主や有力者の意向で決定される。
男性は職人ギルドに技能を認められねばならず、女性は十六歳までに結婚し子を産むのが当然とされていた。
そのためずいぶんと歳の差カップルになる場合が多い。
恋愛が入りこむ余地のない社会制度である。さらに多額の持参金が必要とされ、本日は免除されたが結婚許可税もあった。
しかし納得ずくではなくとも、心待ちにしたハレの場に変わりはない。
イダム卿のミサが終われば自分たちの番。婚礼が無事進むのを手を組んで祈り、感極まり泣いてる女性もいる。
「婚礼が延期されず、一番喜んでるのは彼らかもね」
ふいに昨夜の襲撃が想起され、町民の顔と重なった。
彼らの日常を知ってるわけではない。けれど幾人かは大騒ぎすることで、昨日の恐怖を吹っ切っているではないか。
生き残った幸せを噛みしめ、明日へ進む活力とする。
「早くサーガラへ向かいたかったけど、婚礼を体感できたのは何よりだ。本当に、皆無事でよかった」
「ええ――~…まずは水を汲み、半日でもよいので沈殿させ――…」
家令さんが蒸留水と、カレンデュラオイルの製造方法を発表していた。
ぼくの原稿を手にマナスルでの広まり方、効能や効果、そして重要性など。
「――おおっなんと! ヴィーラ殿下も、ご愛用されておられるそうです!」
「えっ? えっ今なんて!?」
「ちょっ……ちょっと待ってくれ、殿下が!?」
たったひと言で瞬時に皆が注目し、もう一度聴かせてくれと集まりだした。
すばらしきかな、ヴィーラ殿下。
「そうかあ……一年数か月後にはヴィーラ殿下も、花嫁となられるんだなあ」
どうもお酒は飲まず、雰囲気に酔ったみたいだ。
純白のウエディングドレスを仕立てたら、着ていただけるかなあ。謁見の間では白いワンピースドレスを着ておられたし、案外いけるかもしれない。
「豪華絢爛な、挙式になるだろうなあ――~…ねえジャーラ……」
感慨深い気持ちになり、ジャーラフに結婚式の感想を聞こうと振り向く。
人目が多くなったせいか、いつの間にか姿を消していた。
「ノルブリンカはなにかこう、女性として想うところがあったりします?」
「結婚にか? ん――~特にないねえ」
……そういえば殿下も、自分の婚礼を淡々と語っていたっけ。
ときには男性のほうが乙女っぽくなるのだな。
「場合によっちゃあたしがあいつの横に、立ってた可能性もあったんだよなあ」
教会に入ったイダム卿を見て目を細める。
「えっ……その、恋仲だったのですか?」
結婚式の話を振ったのは失言だったかと慌ててしまう。
ノルブリンカは何事かと目を瞬き、次いで吹き出して破顔した。
「違う違う! その気はないよ、単なるパイプ役――っ!」
本気で面白かったのか大笑いしている。
「あいつとはサンガ本家と分家の間柄でな。だからなんもなけりゃここに嫁いで、サーガラ領主の基盤を盤石にしてたんだな――ってな」
なるほど、「血のパイプ」か。
「婚礼は義務、現代人とはまったく違う感覚なんだ」
貴族社会では平民以上に、恋愛結婚は存在しない。
特に女性は身分が低く、血縁を繋ぐ縁故とするのは常套手段である。高位と縁を結ぶため、女官や侍女として送りこむ。
マナスル城で働く侍女が伯爵家の令嬢だと知って驚いた。
だが貞操観念もずいぶんと異なっていたのだ。
跡継ぎさえ産めば、あとは浮気も愛人も自由な風潮すらある。貴族に重要なのは何よりも家――「血統」であった。
ぼくを召喚した発端も王国の血統問題であり、高い重要性がうかがえる。
「啓いたのだから……もっと爵位が高い方でなければ、婚礼しないと?」
男爵相手ではなく……との理由か、慎重に言葉を選ぶ。
「へえ聞いてたとおり、頭が回るねえ」
ノルブリンカが挑むような目つきで返し、思わず顔を引っこめた。
「まあ当たらずとも遠からず……ってとこかねえ」
ジャグからエールを注ぎ、教会に向け声援の杯を掲げる。
「あんたとは縁がなかったが、幼なじみってのに変わりはない。幸せになんなよ」
ちっとばかしたくましくなったことだし――と笑った。
☆
「女性はその本質において劣等である」
一三~一四世紀の欧州において、聖職者の教義ではそう定まっている。
女性の身分は異様に低いのだ。
貧しく食料や病気、税金問題で選択があった場合など、まっさきに働けない子供や女性が社会から切り捨てられていく。
これは「生存戦略」という面から見れば正しい。
社会を構築し集団となったのは、餌の発見と狩りの効率向上、繁殖活動と子育ての環境を共有できる利点があった。
「希釈効果」――捕食リスクを分散するため、群れで飛ぶムクドリやスズメ。
老いや病気で動けない仲間をわざと孤立させ、犠牲にする動物も存在する。
強きが生き残り、弱きはすべてを奪われる。人も食料の生産率が向上してから、精神的向上が促進できた。
「衣食足りて礼節を知る」――まさに至言である。
あらためてイダム卿に挨拶し、ぼくたちはサーガラへと走っていた。
フルマラソンの平均タイムは約四時間。昼過ぎに町を出発しても、四〇キロ先のサーガラへは十分到着できる予定。
ただしマラソン選手ほど身軽ではなく、未整備の王道を走るしかないのだが。
「あんたもうちょっと鍛えなよ、生っ白い体して情けない!」
……途中遅れたぼくを見かねたノルブリンカに、装備を全部はぎ取られた。
笑いながらコートに包み、タスキにかけ余裕で走っていく。気を使っていただき本当にありがたい。
その発破にジャーラフが反応し、行ったり来たりの追いかけっこになる。
「なんだろうと盗賊を撃退したのはアユムだろ! もっと自信持てっ!」
はい……ごめんなさい。
怒られるぼくを見て、なぜかノルブリンカが大笑いしていた。
「女性が劣等だって? この女性陣を見てから言え――っ!」
しんどいので心で叫ぶ。
「ほ――らシーちゃん! こっちこっち――!」
「シ――シ――――~!」
カレシーが釣られ、走り回って遊んでいるのだけが心の癒しである。
幾度か休憩を挟み、水分の補給をしていてやっと気がついた。ノルブリンカから肉体強化をしめす、淡い光がのぼっていないのだ。
「素の体力で、これなの?」
「炎を吐くでっかい魔獣って噂だったけど、毒のブレスだったんだ。それにしてもやっぱウールドって強いんだなあ!」
バジリスクの話を聞き、ノルブリンカがしきりに感心していた。
――S属性は「羂索」により、肉体を強化し心を強靭にする。さらに「利剣」により、「炎生」や「邪土」で心を断つ。
さすがに汗は流れていた。
それでも往復フルマラソンをして笑えるだけ、体の活用に適した属性なのだ。
「気まぐれな狼だがな――おい物々しい集団がくる、このままだとかちあうぞ」
マナスルの情報を伝えていたジャーラフの口数が減る。O属性は「王の属性」と謡われる見事さだが、体力的には常人と変わらない。
短距離は自信があっても、長距離は苦手だと舌を出していた。
「もの……もの、しい……?」
「シ――…シ――…」
そしてM属性のぼくといえば……眠ったカレシーを首に巻きつけ、二人についていくのがやっとのていたらく。
日の光が妙に眩しく、すでに思考は途切れかけている。
四人で黙々と走っていたら、イダム卿の町に向かう軍隊と合流を果たす。
「――おい貴様ら止まれ! 商人には見えんな、素性を確認する!!」
一小隊三十数名――訓練された軍隊なら、農村の防衛が可能とされる兵数。
行商人の証言だけで盗賊の総数も事実確認もできない。それなのにサンガ伯爵の分家の町とはいえ、ありがたくも支援されたのだ。
甲冑はまだ着ておらずギャンベゾン姿。
だが実戦を前にし張りつめた気配は、ひと目で兵士だと判断させた。
「お疲れ様です、町の盗賊は無事撃退されました」
蛇を首に巻きつけた一介の騎士が主張しても、なんら証明にはならない。
確認のためどのみち、軍隊は町へ向かわなくてはならない。
「はっ! たったいへん失礼を――いえ、貴重な情報をありがたく存じます!!」
ところが高圧的だった指揮官の態度がひるがえり、すんんり認めてくれた。
重苦しかった兵士も、職員室に呼ばれた生徒みたいに起立し身動きもしない。
「そんなわけでお疲れさん、帰っていいぞ」
「はは――っ!!」
ノルブリンカを確認した途端の変貌、さすがはサンガ伯爵令嬢といえよう。
戦わずにすんだというのに、兵士からは安堵の歓声すらわかない。なんだか妙な違和感を感じはしたけど。
「……戦って、手柄がほしかったのかな?」
兵の物資を運ぶ荷馬車にあわせる必要はない、ぼくらはまたマラソンに戻る。
日の傾きから今は十六時ころか、軍隊は昼にサーガラを出発したそうだ。
「軍隊の行進速度は一日約二〇数キロで、商人の馬車ほど身軽には移動できない。四時間で約半分進んだとして、サーガラまであと一〇数キロかな」
約で、大雑把に、適当な計算でも、残りがわかればやる気もわく。
「しかしノルブリンカは、ぼくにつき合う必要はなかったのでは? ジャーラフは護衛なので仕方がないにしても」
それに気がついたのも、サーガラに着いてからだった。
「どうも本当に、疲れていたようだ……」




