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M属性 ~嗚呼、あなたに踏まれたい~  作者: 高谷正弘
第一章 城郭都市マナスル
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二十夜 蛇の王

「なんだ……コレ(・・)はいったい、なんだっ!?」

 当初その異変に気がついたのは、「彼女」だけだった。

 肌がざわつき逆立つ……異常きわまる事態に身震いが止まらない。彼女は状況が確認できる一番高き場所へ、マナスル城の主塔へと疾走する。

 城門前の壁を軽々と駆け上がり、跳ね橋の前に飛び出した。

「っなに!?」

 彼女は因果伯でありながら、外部にほとんど姿を現さない。

 門衛は疑問こそ発したが迷わず槍を突きこんだ。予告もなしに現れた不審者に、誰何(すいか)の必要はなかった。

 城門を守る兵士として当然の義務であり、称賛されるべき迅速さである。

 槍の切っ先が漆黒のマントをとらえ――たはずだった。

 必殺ではなくとも、疾走を止めるだけの力量と技量を兼ね備えた突き。

 しかし彼女は段差を飛び越えるリアクションすら必要とせず、二人の門衛が振り返るより先に城内に飛びこんだ。

「――え?」

 槍を突いた門衛も遅れをとった門衛も、我が目を疑うあっという間の出来事。

 鳥の影が走ったほどの薄い気配に、追い風すら残していかなかった。

「いっ今……今マント姿の影が……みっ見たよな!?」

「あっああ確かに! 確かに影が走ってきて……なっなんだよ今の――~っ!!」

 主塔内でも彼女を目撃できた者はいたのか。

 視線を避けまばたきする間に駆け抜け、全身をしならせ壁を蹴って跳ねる。音もなくらせん階段を駆け上がり、主塔の天守へさらに屋根の上へ――。

 慣れ親しんだ二段ベッドに飛びこむ手軽さで、易々と到達してみせた。

「はっはっ……はああ――――~…」

 三角錐の屋根に体をあずけ、さすがに肩で息をして天を見上げる。

 裸足が屋根瓦の冷たさを伝えていた。



 ――城門の衛兵が「得体のしれない影」に我が目を疑う少し前。

 東外側市壁の外衛兵は春の訪れを待ち望んで、白い息を吐いていた。二人一組で市壁上の歩廊を回る、慣れたルーチンワーク。

 盗賊討伐や小競りあいはあった。

 とはいえ国家間規模での「戦争」は、曽祖父世代から起きていない。吟遊詩人が悲哀に詩い、老人が繰り言に使い、行商人が持ちこむ「他国」の噂。

「小隊長くらいになれたらいいな」

 そう言えるほど、貴族や裕福な商人の次男坊が憧れる職業が「兵士」である。

 なにより食いっぱぐれない、しっかり稼げば嫁さんの機嫌もいい。永世中立国の状況がもたらした気楽さだった。


 ましてや「魔獣討伐」など、下っ端にはあずかり知らぬ話であり――。


「その日」も日常になるはずだった。

 演習のたびに出費がかさむ、訓練がきついよ、街を襲う盗賊なんかいないだろ、魔獣が現れるのは田舎だけさ。

 巡回のかたわら、相方とこぼす愚痴もお約束である。

 最近ではもっぱら、都市部にできた公衆浴場と屋台の話が中心となっていた。

「お湯につかってボ~っと天井見てるときがなあ、一番幸せだよ」

「隣のねーちゃんの声が色っぽくてねえ、何度顔を見ようと待ったか」

「いやおまえ、至高は唐揚げだろ!」

「いやいや、エール片手のお好みクレープは究極だぞ?」

 今日も回り道にはなるけど、ホットドッグでも買って――そんなたわいのない話をしていたら、片方の兵士が気がつく。

「……なんだありゃ?」

 ナディ川の上流、緩やかな流れの水面が妙に盛り上がっていたのだ。

 隣でまだ、豚と猪のミックスが――などと話している相方の肩をつつく。

「なあ、なあ変な波がきてるんだが……見たことあるか?」

「ん――~…? 田舎じゃよくあるよ、それより各屋台主の焼き方に――」

「田……」

 残念ながら屋台の改善案は最後まで語れなかった。

 水面がさらに盛り上がり、ついには限界がきて割れる。大量の水を乗せたまま、「それ」は伸び上がり続けた。

 市壁を超えてさらに天を突いて立ち上がり、都市全体を眼下に収める。

「舎ァあ――――~っっ!?」

「うわァ……わああああ――――っ!!」

 光るウロコから川の水が滝のごとく落ちて飛沫を打つ。

 二人の外衛兵は「それ」の射程に完全に入ったあと、草食動物さながら逃げた。



 バジリスクと呼ばれる「それ」の右目は、逃げる兵士を視界に収めている。

 それでいてどうでもよかった。

 この獲物は邪魔なだけで、妙に皮が固いし身も少ない。それよりも追わなければならなかったのだ。

 自尊心を傷つけた憎むべき敵と、強奪された大切な生命を――。



 ――兵士の驚愕した叫び声が、主塔の屋根に立つ「彼女」のマントをあおる。

 フードがまくれ、ウェーブのかかった黒髪が揺れて落ちた。

 たれていた猫の耳が(あら)わになって、窮屈さを打ち払う。少年を思わせる精悍な顔立ちと肢体は、女性の特徴以外をいっさいの無駄として省いている。フルテイルの尻尾が飛び出し、自由気ままに遊びだす。

 青い瞳が縦に一筋、ナイフの光を放っていた。

 ワーキャット。

 彼女は敬愛する殿下により、月の名を冠して「ジャーラフ」と呼ばれている。

アレ(・・)か……っ」

 ジャーラフは身震いの原因を突きとめ、眉間にシワを寄せた。

 東外側市壁の外衛兵たちは、十分健闘していたと評価すべきだ。市壁上の歩廊にマントレットをならべて盾とし、隙間からクロスボウを撃ちこむ。

 訓練された歩兵戦術と、一応の連携は取れていた。

 驚きと焦りのなか、ろくに狙いもしない矢は虚空へのまれていく。しかし周囲の混乱を見て、逆に冷静になる者もいる。

 幾人かの兵士は的確に矢を当ててさえいた。

「それ」は避けるそぶりもなく、小さな火花をちらしただけだったが……。

 のちに聞けば茶化せるかもしれないが、兵にも反論はあった。演習は盗賊相手の対人戦を模していて、町や村の守備訓練である。

 誰が「それ(こんなの)」を相手にする、戦いの想定なんぞするかと。

「矢は確かに当たったんだ! 甲冑でもつらぬく、クロスボウの矢がだぞ!?」

「ダメージもあたえられない……あんな大型の魔獣を、誰が倒せるってんだ!!」

「それ」は軽々と市壁を乗り越え、都市内に侵入した。

「マナスルは……終りだ……」


「ヴィーラ殿下との、お約束が……っ!」

 ジャーラフは三角錐の屋根をたたき、ざわつく精神を落ちつかせる。

 魔獣の接近を感知できず、監視対象(アユム)を逃がすにはもう遅すぎた。悩む暇はない、落ちゆく太陽を見て昇りくる月を睨む。

「――ちっ!」

 月の姿があまりに遠く儚すぎる光で落胆する。気を取りなおし深く呼吸すると、疾走で乱れた息を整えた。

 目を閉じ、意識を集中する。

 マナスルが王都だったころは五万人を超えていた市民も、今では行商人をふくめ三千人を切っていた。

「全市民の()を、とらえる……っ!」

「カルマ」はすべての生物に通じており、淡い光を発している。ジャーラフは煙となって淡く立ちのぼる光――「カルマ」が視えていた。

 逃げ惑い無秩序に動く小さな光にまじり、ひときわ太く立ちのぼる光。

 足元の主塔内に二本、街の中央部に三本視えるのは因果伯の五名。複数の発光を絡ませ、激しい光を放つ一本はマナスル伯爵。

「相変わらず妙な方だ」

 さらに北西のウッティ門から西に移動する、一般人ではない太さを持つ光。

「啓いているな……」

 だけど光を失いかけてもいた、無理をすれば早々に限界を迎える。

 いつの間にか「カルマ」を啓く職人もいる、気にはなったがそれより――細くはあるのだがとても強い、天と地を「繋ぎ」まっすぐ立ちのぼる光。

 アラヤシキから来た奇天烈な少年の、アユムの「カルマ」に目が引かれた。

「啓いているわけでもないのに……すでにボクらとは、発する光が違う」

 理由はわからないが今は魔獣に対応すべきと、気持ちを切り替える。

 ジャーラフはあらためて光に向きなおった。

風舌(ふうぜつ)』!

 前方に三〇センチほどの見慣れない文様が浮かび、淡く発光する。

 尻尾がしなやかな鞭となって円を描き、立ちのぼるすべての光を巻き取った。

「――――~…ぐうっ!!!」

 脳髄から全身にいきわたる嫌悪感、神経を逆なでする不快感に嘔吐をのみこむ。

 頭を振って殿下の記憶を呼び起こす。脅威が迫ったとき、なにを守りどのように対処すべきとおっしゃったか。

「たとえこの身が朽ち果てようと忘れるものか、我が……主君の御心っ!!」

 ヴィーラ殿下、御力をお貸しくださいっ!

 目を見開いて沈む太陽に――西の新王都に向かって吼える。

蒼玉の知恵(サファイアコール)』!!


『我はヴィーラ殿下の名代である! 皆の者心して聴け!』



 ☆



「――急ぎ城門を開き、市民の誘導と避難をおこないます!」

 ジャーラフから「風舌(ふうぜつ)」で報告を受けると、領主であるマナスル伯爵はただちに決断し命令を下していた。

 まだ市壁の外衛兵から報告はきていない。

 だがジャーラフを知る彼女には、緊迫感が切実に理解できたのだ。

 街の存続危機、ことは急を要する――。

「閣下、お待ちください! 先ほどの異様な声は……いえ殿下の名代と語る方を、むっ無下にするつもりはございませんが」

「そっそうです! まずは脅威とはなんなのか、真偽を確かめませんと……」

「っ市民に魔獣だと伝えれば、パニックになるでしょうが! ジャーラフがなんのためにボカしたか、理解できないの!?」

 マナスル伯爵は怒鳴りたい気持ちを抑えつけ、後ろについてくる宮中伯や指示を待つ家令に振り返る。

 皆の顔は血の気が引き、焦りと困惑に染められていた。

 西方の果てから、何十年と探究の旅をしてきた彼女とは違う。永世中立国で所領の安定だけを考えればよかった者たちにとって、争いは遠い世界の話である。

「カルマ」の存在すら、彼らには未知の理だった。

「彼らに命の選択を迫るのは酷だろうか……自分たちを護るために城門を閉じろ、と言わないだけマシなのでしょうね」

 ――ならばアラヤシキの少年、アユムは!?

 胸を締めつけられる動揺が彼女を襲う。

 今日も街中に出かけていたと、窓に駆け寄り城の周囲を見渡した。

「アラヤシキには只人しかいないって聞いた、魔獣は? 身は守れるの!?」

 スーリヤさまと手を振り、不思議な話をしては屈託なく笑う少年が浮かぶ。

『領主より、学者姿が似合いそうですね』

 私の本質をわかってくれる。

 美人だと言い寄ってくる無粋な奴らより、どれほどうれしかったか。

「因果伯の護衛がついてる! きっと無事に……すぐ城へ戻ってくる、大丈夫!」

 くり返し自分をなだめても、胸で合わせた手が震えていた。

「…――閣下?」

「閣下、いかがされました?」

 声をかけられて我に返ると、早足に執務室に向かい指示を飛ばす。

 ふと黄金色の髪の少女の、ヴィーラ殿下の顔が浮かんだ。

「……っ魔獣が現れたこの時期に、この場所に、アユムが召喚された!?」

 これは偶然なのか、それとも――。

 後頭部に光が満ちる感覚は、M属性の予感ではなかったか。



「おっと悪ィ! 気にせず城に向かいな――っ!」

 ウールドはイーシャ卿を、いわゆるお姫様抱っこして走っていた。

 道路を、ときには屋根の上を。

 北西にあるウッティ門の手前……バジリスクの真正面(・・・)に接触するまでの指示を、ジャーラフから受けている。

 いっさい迷わずに最短距離を疾走していたのだ。

 イーシャ卿が着る薄紫のコタルディが舞ってはためき、ウエディングドレス風に見えたかもしれない。

 花婿が盗賊みたいな姿のため、幸せに見えたか定かではないが。

 頭上を跳び越された市民は数舜顔を見合わせ、言葉もなく避難を再開する。

「へっ……このまま出てってくれりゃ、楽なのによ」

 ウールドが愚痴とため息をこぼす。

『意識が周囲に分散している、何かを探してるみたいだ――』

 世界を俯瞰(ふかん)で視るジャーラフも、アユムと同じ意見だと指示を受け理解した。

 バジリスクには、目的がある? とはいえわからない以上は倒さねばならない、後手に回れば被害は拡大する。

「魔獣が人の街まで出っ張って、いったいなんの探しもんだ……」

「……彼の少年はなぜ、あそこまで推測できるのでしょう」

 大人しくしていたイーシャ卿は、どうも思案に暮れていたらしい。

 お姫様抱っこされるにはちょっと年齢が――などと、絶対に聞こえない距離でも言うべきではない。

 さすがのウールドも言葉にはしなかった。

「アユムか? さあなあ……アラヤシキの『力』じゃねえの、知んねえけど」

 大人一人抱えているのに、息も乱していない。

 周囲に市民の姿がなくなり、走りやすくなったのでさらにスピードを上げる。

「理解力がありすぎます、いえ知識の深さがそうさせるのでしょうか」

 サーガラまでの距離を、なんなく計算してみせたときもそうだった。

 頭が切れるだけではない、徒歩や河船を例示して見通しを立てる。造詣の深さとすみやかに結論へ達する――思考の速さ。

 考える姿まで美人な花嫁は眉根を寄せる。

「召喚の間でアユム卿は、『M属性』だと予感されてはいなかったか。以前彼女(・・)に教えてもらったのだ。個人の心に、精神に作用する『カルマ』だと。

 戦いに不向きな属性、それゆえ警戒に値しないと盲信していた。

 早く淀みなく説明された貴重な情報……あれがアラヤシキの『力』であるなら、まだ納得はしやすい。

 こちらの世界になじんでもいないのに、恐ろしいまでの洞察力を持つ少年――」

「どこに降ろす――~?」

 イーシャ卿の思考が帰結にいたる前、軽いノリで問われ覚醒した。

 バジリスクとの交点につくのだ、意識を切り替えて心にSE(サウンドエフェクト)を流す。思案は生き残ったあとでいい、今は戦い(ライブ)に集中する。

「バジリスクの、目の前(アリーナ)に」

「ヒュ――ッ! イカスねえっ!」

 ウールドはイーシャ卿を抱きかかえたまま、大通りに飛び降りた。

「ひっ!?」

 建物の影に隠れてやりすごそうとしていたのか、ローブ姿の男が驚いて逃げる。

「……どっかの行商人か? まあ知らねえ『声』に、したがわねえ奴もいるか」

 逃げてくれてよかった、ここは今から戦場になる――。

 イーシャ卿は路上に降り立ち、錫杖も突かずにゆっくりと歩く。靴を蹴り脱ぎ、コタルディの裾を撒き縛った。

 スラリと伸びた太ももがあらわになるも気にしない。

綺人(きじん)』……!

 チューニングのようなささやき。

 錫杖の先端、輪になった部分に見慣れない文様が浮かび、淡く発光する。

 マイクスタンドらしく右手にぶら下げ、接触位置(ステージ)に向かう。振動が響いてきた、数舜もすれば通路の曲がり角からバジリスクが現れる。

 リハーサルはなし、常にぶっつけ本番。

 イーシャ卿のまぶたに淡い光が灯っていた。闇の奥にアユムから聞いた情報と、自分がとらえた魔獣の「カルマ」を重ねる。

 バジリスクはためらいもせず、曲がり角から巨体を表す。

 まったく同じ像が闇のなかに浮かび上がった――。

『止まれクソ蛇ィ――――っ!!』

 錫杖を石畳に突き刺し、あらんかぎりの雄たけび。

 声に驚いたのか「力」か、バジリスクがビクリと完全に停止(ブレイク)

ささやきに耳を傾けて(ストレプトカーパス)』……!

 ひと呼吸、一拍。

 タイトルに続き、錫杖の輪に固定した文様にシャウト。


 四肢をもがれた獣が身を滅ぼす 口を裂く欲望

 脳をつらぬき打ち砕く 血があふれるまで気がつかない

 生殺しの断末魔が体を腐らせる 残った舌が人をのむ

 てめえの体を支配する

 クソを撒き散らせ 俺の眼球を舐め廻せ


 淫らな内臓を披露しろ 満足するまでなぶってやる

 俺が息の根を止める 頭をかち割る靴底

 足元に奈落の門が啓く 杯中の影に怯える「ありがとう」

 慟哭が最後の抵抗

 鼻汁で涙を手繰れ 俺の体を引き千切れ


 頭を床にこすりつけろ 歯を神経ごと抜いてやる

 頭蓋骨が破壊され 灰吹きから焦げた肉片

 鎮守の沼に魂を絞りつくす 魚の耳に愛撫しろ

 止める奴はどこにもいない

 クソを撒き散らせ 俺の眼球を舐め廻せ

 鼻汁で涙を手繰れ 俺の体を引き千切れ

 ゲロの大海で跪け 俺のささやきを聴け


 両手両指を開き、体を「く」の字に曲げて挑みかかる。

 バジリスクが動こうと試みても、ことごとく「言葉(ちから)」でたたき落された。

 魔獣(オーディエンス)一匹の、絶叫ライブ。

「うへェ……相変わらず、おっかねえねーちゃん」

 顔をしかめたウールドも、ステージ横のスタッフではない。

 路地に積み上げられた木板を起点に、壁を蹴って三階の屋根にあがる。停止したバジリスクを眼下にとらえた。

 腰裏から短剣を二本とも引き抜き、両手に持つ。

邪土(じゃどう)』!

 左右に二つ(・・)。三〇センチほどの見慣れない文様が浮かび、淡く発光する。

 短剣の柄に埋めこまれた、白い鉱石が呼応し脈打った。

「さって……やるかァ『餓狼伝説(ホワイトファング)』っ!!」

 短剣を逆手に持ちなおし、両腕を開き文様に肩まで通す。

 通過する部分から妙な光沢を放つ鉄の装甲が張りついていく、一体成型ではなくよく見れば細かい鉄が幾重にも張り合わされていた。

 短剣を取りこみ固定した、肩まである鉄のガントレット。

「おお――――らあっっ!!!」

 ウールドは片足を上げ、無造作に三階の屋根から飛び降りる。

 咆哮とともに全体重をかけ腕から落下。鉄が相打つ衝撃が下の石畳まで貫通し、破裂音が周囲の建物を揺らす。

 逆手に持った短剣がバジリスクに突き刺さる――が、痕を残すだけだった。

「おいっ……なんつゥ硬さだ!」

 こんなの、どうやって倒す――?

 ウールドは困惑したままバジリスクの上に立つ。

 たたき潰すつもりの一撃がめりこんだだけで、内心びびっていた。

「こんの蛇公――っ!!」

 びびった己をごまかし、短剣が刺さったウロコを両手で殴りまくる。

 数発も殴ってやっとウロコにヒビが入った。周囲には鈍器で殴る狂ったリズムが響きわたり、イーシャ卿は眉をひそめる。

「餓狼とは、ジャムれない……」

「自信、なくすじゃねえか――っ!!」

 渾身の一撃がバジリスクのウロコを突き破り、体液を巻き散らす。

 その体液にすら酸性の性質があり、ガントレットがくすぶり刺激臭がしてきた。

「うおっと、やべェ!」

「力」を解除し、ガントレットを残したまま腕を引き抜く。

「……っ何頭も魔獣を掃討し(ボコっ)てきた、俺だからわかる! この蛇公ォ強え!!」

「んなこたあ言われんでもわかるわっ!」

 ウールドのボケ(コール)に、イーシャ卿のツッコミ(レスポンス)


 ――バジリスクは背に乗る面倒な(やから)を排除したかった。

 しかし体を震わすと眼前の輩が「動くな」と意思を向ける。瞬時にそうだったと納得し……そして気がつく(・・・・)、なぜ命令を聞いた?

 不快なくり返しに(はらわた)が煮えくり返る。

 けれどバジリスクはこの「力」を知っていた。追っている敵も使っていたのだ、つまり対処はできる。

 バジリスクは学習した。

 まずは(ここ)に逃げた敵を屠り、何よりも早く生命を取り返さねばならない。次いでこの輩どもも八つ裂きだ。

 命令に服従しながら体を探る――尻尾が動く、そこまで影響されていなかった。

『頭ァ下げろ害虫っ!』

 体を震わせて「力」を誘う。命令に屈服して頭を石畳にたたきつけたが、お返しに尻尾を使ってそばの建物を吹き飛ばす。

 うまくいったとほくそ笑む。

 勢いのまま背に乗った輩に鞭振るうと、鈍い痛みが走る。輩が尻尾に小さな牙を突き刺し、くらいついて離さない。

 頑丈で何度たたきつけても引き剥せず潰せない。

 不快、不快、不快。

 だが眼前の輩の視界がさえぎられ体の自由が戻った。幸いと舌を出し匂いを探る――いた、「向こう」に二匹逃げている。

 ブレスで一匹屠った、この二匹で終いだ。

 体を建物にぶつけて無理やり進む、これであの「力」は届きにくい。


「『福音(フック)』を()べて意識を繋ぎ止め、操作深度を限界まで深めてる! それなのにわずかな時間で拘束を解かれてしまう!」

綺人(きじん)」に防御の術はないのに、主導権を奪いあう綱引きに抵抗を感じる。

 なんて意思の強さだろう――。

 バジリスクの尻尾が三階建ての建物を軽々と吹き飛ばす。瓦礫が路上を埋めて、ウールドとバジリスクの「カルマ」をさえぎった。

 その瞬間イーシャ卿の「力」が解け、前座の終了(オープニングアクト)に息をのむ。

「っ餓狼――!!」

 イーシャ卿はO属性である。

 相対する生物の情報を認識し、声の届く距離が近いほど意識を操れる「綺人(きじん)」を得意としていた。

 因果伯は交渉官であり、各領地に派遣され巡回するのが使命。

 謀反をたくらむ諸侯や慮外者の監視には、得がたい資質とも言えよう。ところが失明により事前情報のない遭遇戦では、使用不可能となってしまう。

 人は情報の九〇パーセントを、視覚器官から得ているからである。

 それを補うため同属性である「風舌(ふうぜつ)」を使うさい、意識を集中して「カルマ」の光をとらえる方法を応用した。

 視力の代わりに、人の位置を知る術に成功したのだ。

 目元からあふれる淡い光が目立たぬよう、真珠色のピアスをつけている。しかしジャーラフほど得意ではないので、さえぎる物があると視えなく(・・・・)なるのだ。


 イーシャ卿はバジリスクの気配を探す。

 建物の破壊音が方向を変え西側に、「農民区」に向かうのを察知した。

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