表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
M属性 ~嗚呼、あなたに踏まれたい~  作者: 高谷正弘
第一章 城郭都市マナスル
19/177

十九夜 門を啓きし者

 幻想のごとく現れたバジリスクが鎌首をもたげる。

 その巨体を四分の一も伸ばせば一八メートル、三階の屋根を優に超えていた。

『――突如方向が変わる可能性もあります!』

「そんな推測当たらなくとも……っ」

 自分の発言を苦々しく思い出す。

 鈍く光る巨大な牙に「何」かを引っかけている。それを「人」と認識するには、あまりにも「形」が違いすぎた。

 バジリスクはそれ(・・)を吐き捨てると、次の獲物を探すべく首を揺らす。

「食べるために殺しているのではない、殺すのが目的……?」

 赤い舌がチロチロとうごめく。蛇と同じならヤコブソン器官――匂いの微粒子、フェロモンを感知する行動。

 探しているのは「誰」を? 「何」を?

 バジリスクが疑問に答えてくれるはずもない。巨大クレーンのブームさながら、体ごと奥へスライドしていく。

 音もなく、視界から消えた。

「いっ……痛いところはない? 驚いたよねえ、ごめんね」

 抱っこしていた女の子は無事だ、びっくりしている。幸いぼくの影になっていてバジリスクも見えていない。

「危ないから、早く皆のところへ――…えっ!?」

 あらためて抱きしめ、笑って立ち上がろうとして……動けなかった。

 右足ふくらはぎが想像しうる方向に向いてなかったのだ。脳内麻薬が出てるのか痛みはない、全身がしびれて感覚が鈍っている。

 ただ、立てない。

 どうする――路地裏に痩身の、フードをかぶった女性の影が浮き出た。

 一瞬身構えたが「人」の形に安堵する。でもこのままでは通りすぎてしまう……瓦礫だらけのなかで、倒れているぼくらは見つけられない。

 だけど声を出せば、またバジリスクがくるか?


「――そこの方、どうかっ!」

 低い声で、絞るように叫んだ。

 フードの女性が気がついて振り向き、こちらに向かってくる。

「お願いします、この子を!」

「――、――っ! ――…!?」

 彼女は何か叫んでいたけど、ぼくの右足に気がつく。

 肩に手を回して起こそうとするけど無理ではないか。ぼくだけでも五〇キロ強、女の子をふくめれば八〇キロはある。

「っこの子を頼みます! どうかこの子だけでも、助けてください!」

 声は出ているのか? 伝わっているのか? 必死に頼んだ。

「家族のもとへ……どうか、お願いします!」

「――~…」

 ぼくがどんな表情をしていたのかわからない。

 ただ痩身のフードは何度か頷き、子供をあずかってくれる。

「あっありがとうございます!!」

 女の子が不安そうに見つめてきて、精いっぱい笑い返した。

 手が、離れる。

 慌てて逃げていたのか、フードの女性は裸足。けれど女の子を抱いて歩く背に、希望が持てた。

「大丈夫、あの子は助かる。ぼくはM属性だ、そんな予感(・・)がする!」

 今度も当たってくれ――。

 この騒動のなかで託せる方に出会えた、運がいいんだ。

 自分を励まし瓦礫の中から頑丈そうな棒を拾う。バジリスクの巨大な牙に比べ、なんて貧相な武器か。

 剣は倒れたときに革紐ごと千切れ、見回せる範囲には見当たらない。

「まあ剣があっても訓練していない素人(ぼく)では、役に立つとは言いにくいけど」

 いや魔獣(バジリスク)が相手では、軍隊でも厳しいかな。

 少しささくれていたので、持ち手部分に手袋を二枚ともはめる。船の(かい)みたいに漕いで体を引きずる、うまくいった。

 側溝にはまだお湯が流れている、今のうちに向こうへ渡っておきたい。

 熱を感知できるピット器官があっても、ごまかせるかもしれない。バジリスクの狙いがわからない以上、ぼくもターゲットだと仮定して行動すべき。

 石畳を這いつくばる……たった二メートルに、膨大な汗と体力を消耗した。


 ――影が、誘うように揺れる。


 貴族の屋敷と違い、平民の住居は木造建築である。レンガや石壁に漆喰(しっくい)を塗って強化し、一階部分だけ申し訳程度に暖房性を高めていた。

 いつしか日が傾き、夕日がぼくの影を石壁に映していたのだ。

影供(えいぐ)の丘……」

 一瞬我を忘れて見つめ、呟いてしまう。

「この影を通って……ぼくは、異世界(こちら)に来た」

 来てからまだ一ヵ月、現代の生活が鮮明によみがえった。


 ――影が、誘うように揺れる。


「……違うっ! 全身のダルさで、視界が混濁してるんだ!」

 考えろ思考を止めるな、急いで隠れなければならない。だが周囲の音が拾えず、頭を打ったのか耳鳴りがしていた。

 影を見ると心がざわつく、何かが繋がりそうな……思い出しそうな予感。

『アユムをアラヤシキへ、帰せるかも――』

 ナイショ話をする姉がささやく、かわいい方だと和んだ。

「そうだ向こうの世界(アラヤシキ)へ帰れば、魔獣なんかいない。パンだって手軽に買えるし、汗水たらして側溝を掘る必要も……常識違いに翻弄(ほんろう)されることもない!」

 ウールドが皮肉っぽく口角を上げ、子供たちが興味深そうに目を輝かせる。

 通りの皆さんが笑いながら手伝ってくれた。

「……っ国の命運なんか背負わず、好きな本を読んで暮らせるんだ!」

 空虚な日常だなんて苦笑したりもした、それがどれだけ平和な日々だったのか。

 どうにか側溝を渡って、喘ぐ肺が痛い。壁に射すぼくの影が目の前にあった……手を伸ばすだけで触れる距離。

 アカーシャが自分の口を押え、真っ青な顔をしている――。

「っ!」

 自分の影に、背をたたきつけた。

 弾かれたのはむしろぼくのほうで、軽く咳きこんでしまう。

「だけどゲホッ……ヴィーラ殿下に! 踏んでいただく世界が、我が御国っ!!」

 異世界(こちら)で生きると決めたのだ、ウールドをマネて口角を上げてみる。

 そうしたら本当に面白くなって、喉が震え少し笑えた。差し迫った状況も忘れて壁に頭をつける。

 自分の影に触れると、向こうの世界(アラヤシキ)を感じられたから。

 視界にいくつもの風景が重なる、どうせ視るなら知ってる場所――桜のつぼみがふくらむ学校に、「元図書委員長」がいた……ああもうすぐ卒業式か。

 一年半に渡る攻防戦(きずな)がフラッシュバックする。

 生徒の志向を調べるのだと息まいて、二人で校舎を歩きましたよね。バカにされたりからかわれたり、辛そうな横顔に何度止めようとしたか。

 だけどあなたの瞳は、それでもまっすぐに前を向いていたから……。

『当たり前でしょ、あんた図書委員じゃない!』

 ここにいてもいいのだと怒鳴ってくれた、一つ年上の先輩。

 図書室に桜が舞い散って光に溶け、いつからか繋いでいた手が離れる。ありえた未来? それとも、誰かの夢?

「ご卒業、おめでとうございます」

 ちゃんとお別れができた、嬉しい誤算だった。


「これも一種の、走馬燈なのかな……」

 独り言ちると、誰かが走ってくる振動を地面が伝える。

 逃げてる? バジリスクが来たか!? 身を伏せようとした矢先、フードを目深にかぶった影が路地から飛び出した。

 一瞬女の子を託した女性かと焦ったけど雰囲気が違う。

 体格は男性でボロボロに汚れたローブ姿。行商人には見えないのに、ひと抱えはする籠をタスキにかけ必死に抱いている。

 中には大きな……あれは、まさか卵?

「――っ!」

 男が飛び出してきた路地に振り向く、視線はかなり上空。

「バジリスクに狙われてる!?」

 聞こえない耳がもどかしい、だが状況から緊迫した空気が伝わった。

 側溝に伏せるよう忠告すべきか、助けようと右手を壁につき起きあがって――。

『――…っ』!

 男の口元に「タラーク」に酷似した文様が浮かび、淡く発光する。空気が歪んで波紋が体をたたき、色さえも息をひそめた。

 探究部屋でアカーシャがかけられた「綺人(きじん)」……この男は因果伯!?

「ぎゃあああああ――――…っっ!!」

 聞こえぬ耳が大気をとらえ、男の(・・)絶叫がこだまする。両目を押さえ膝をつくと、うめき声に呪詛が重なった。

 瞬間的に「力」が解け、世界は再び動きだす。

「なぜ……っなぜ『カルマ』を啓いた男のほうが倒れたんだ!?」

 度重なる疑問に叫んでも、答えてくれる者はいない。


 向かいの屋根からバジリスクが追いすがって現れる。

 何があったのか(あご)の下が深くえぐれ、巨大な牙が一本砕けていた。致命傷に見える傷を気にもしていない。

 左目の光がなく、感情の読めない右目で男を凝視していた。

 連動するウロコがぬらり(・・・)と光り、ぼくの半面を不規則に照らしだす。

 側溝に伏せる、瓦礫に身を隠す、生物なら火を怖がる。選択が脳内を巡っても、現れただけでわかっていた。

 全てを不可能だと知らしめる、圧倒的な存在。

 その絶対的な、死の告知――。

『――我のために生き! 我のために死ね!!』

 バジリスクの口内が淡く発光し、黒に近い緑の煙をくゆらせる。

 ゆっくりと血だらけの顎が開き、たゆたう煙が充満していた。

 タスキがけした男の籠から卵が転げ落ちる。

『――黒に近い緑のブレスを『引火性の危険『生死は不『っかい蛇だ』

 卵がぼくとバジリスクの真ん中に転げ落ちた。

 バジリスクはあきらかに動揺し、顎を開けたまま卵を見ている。

 すべてがコマ送りで流れていた。

『――炎の蛇『原因(もくへん)を……結果(ほのお)へ『アラヤシキから召喚『運命と呼びます』

『しかし唯一、拘束から返還にいたる道……』

 右手を壁につき、持っていた棒がぼくの影に触れている。

 我知らず呟く。

『カルマ』――。



 ――老人は困っていた。

 木を伐りにきたのに、手斧の柄を折ってしまったのだ。

 背負いには拾った細い薪が数本乗っているだけ。

 ヨレヨレの着物と履きつぶした草履は、惨めな気持ちをいっそう強めてしまう。

 ふと道端に淡い光を感じ、白い布が目に入る。

 何気なく雑草のなかから――白い手袋を二枚はめた、頑丈そうな棒を拾う。

 少しささくれていたが大変持ちやすかった。

 老人ははっと気がつき、折れた手斧の柄を外して代わりにつけてみる。

 具合がよかった。

 いやむしろ折れる前より、この白い手袋のおかげで使いやすい。

 老人は喜び、もう一度木を伐りに山に向かう。

 ……樫の木が切り倒される。

 若い男性は祖父が生前使っていた古い手斧をいたく気に入り、愛用していた。

 炭焼き小屋に薪の大きさになった樫が運ばれ、ならべられていく。

 木炭には一五〇〇度の高温を必要とする――。



 ――『門を啓きし者(カルマ)

 呟いたぼくの影に、一〇センチほどの見慣れない文様が浮かび、淡く発光する。

 識者ならば梵字の「キリーク」に酷似していたと、指摘しただろう。触れた棒が影に包まれ、棒の形を保ったまま崩れて消えた。

 文様から身を焼きつくす炎が召喚(・・)される。

 火炎放射となって噴出し、ブレスを吐こうとしたバジリスクに直撃。爆発が起き大気を焦がす炎が世界をおおう。

 いつしか感覚を失い、何かが焼ける匂いと微かに見える光景。

 炎に炙られてふ化が早まったのか。卵の上部が伸びて変形し、押し破って一匹の「魔獣」が産まれていた。

 逆光にも蛇に酷似しており、頭部には王冠に似た突起がある。

 小さな「魔獣」は、じっとぼくを見ていた。

 静かで、深い緑の瞳。


 爆炎をまき散らし、吹き飛んだバジリスクの頭部が再び屋根に落ちてくる。

 むしろ衝撃を受け止めた建物を褒めるべきか。振動が波打って絶え間なく続き、体を小刻みに揺する。

 そろり……と小さな「魔獣」が滑り寄り、ぼくのお腹に頬をすりつけた。

「シ――…」

 顔を傾け、訴えるような目を向けてくる。

 迷子になった女の子への気持ちが残っていたのか。ぼくはなぜだか「魔獣」を、優しく抱きしめた。

 バジリスクはそれを見たのだろうか、それともすでに事切れていたのか。

 その瞳が身動ぎしたように悶えると、建物が悲鳴をあげ倒壊した。

 ぼくの意識は、闇に落ちる……。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ