↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
M属性 ~嗚呼、あなたに踏まれたい~  作者: 高谷正弘
第三章 新王都アムリタ
101/189

九十八夜 愚弟賢姉

「あれ……なに……?」

 私の小さな呟きは、自分の耳に届きやっと意味をなす。

 馬車はいつの間にか停まり、親方もユーパも黒く染まる空を見上げている。

 太陽が端から、削られて(・・・・)いく。

 余りに意味不明な事態に脳が働かず、ただ呆然と口を開けていた……。

「いっ……今の、今のなに――~っっ!?」

「たっ太陽は消えずに、ずっと回ってるんじゃないの!? ねっ姉様帰ろうよ! もうウダカに帰ろうよう――っ!!」

 恐怖が足元から這い上がって、今更ながら全身へと駆け巡る。泣き叫ぶユーパを抱きしめながら、どうにか起こったことを反芻した。

 世界が暗闇に包まれたのは、終わってみればほんの短い時間。

 見渡せば何事もなかったかのように、森はたたずみ遠くで鳥の声までしている。

 しかしなにも変わっていない(・・・・・・・・・・)など、在り得るのだろうか?

 親方は御者台から降りて暴れ出した馬をなだめていた。目が合ってなにか言葉にしたいけど、質問すら出てこない。

 ただ再び射した日が、当たり前に輝き天に座していた――。




「へ――凄いじゃない、町っていうよりもう小都市ね!」

 悪夢に思える事態からどうにか立ち直り、昼下がりに目的の町に到着する。

「不思議だけど本当なんだって、突然太陽が消えちまったんだ!」

「もう酔ってるのかよ、曇って影が射しただけだろ?」

「悪いことが起きなきゃいいけどねえ、ほい旦那ぁ買ってっておくれ!」

 すれ違う際に流れていく声……町民はそれよりもと、日常に埋没していく。

 私も経由地の村に比べれば、石垣を組んだ市壁と門に胸を撫でおろしていた。

「なんだか分かんないことより、盗賊の襲撃の方が身近に感じる危険……か」

 町の喧騒に心を揺らしながら、寝坊を取り戻すため即座に市場へ向かう。

 各商店に塩漬けイワシと香辛料を卸し、それぞれ証文を確認して精算――これで片道分の仕事が無事終了。

 ひと仕事終え、なんだか肩の荷が下りた気がして息を吐く。

「交渉や証文の提示なんかは親方任せだから、達成感は弱いかもしれないけどね」

 すでに当たりがつけてあったのか、親方が宿屋へと馬車を向ける。数百人規模の町には複数の立派な宿があった。

 通常は1階が倉庫で中庭に(うまや)、階段を上がり2階が酒場の入り口で3階が寝所。

「昨日の村には申し訳ないけど、これが冒険者として思い浮かべる「宿」だなあ」

 手続きして手荷物を降ろし、親方が空になった馬車を停めにいく。

 我慢できず小走りで大部屋に行き、吟遊詩人の詩を思い出し楽しくなってくる。

「さあ明日の朝市で木炭(たから)を仕入れ、ウダカに凱旋しよう!」

「ぼくも早く帰りたい……あんなこと(・・・・・)や、あと何回食事があるんだろう」

「うっ……」

 生まれ育ったウダカ領を一歩出ただけで、立て続けに起こった想像外。私以上に食べ物も合わず、ユーパはあからさまに暗くなっていた。

 まあ私も、夕食はまたライ麦パンかなと少々――いやかなり嫌気はさしている。

「気を取り直そう、冒険したかったんでしょ? あいにく新王都じゃないけど……そうだユーパが持ち帰りたい、宝物ってなに?」

「変わることのない日常」

 ……だめだこりゃ。

 空気を換えるため戸板を開く、絶景とまで言えないが町を一望できた。幸いにも夕日が赤く輝き、太陽は消えそうにない。

 この町は北東から南西に流れる川――聞けば霊山モルディブを水源とする川に、「A」の左線をくっつけた感じで広がっている。

 私たちは川に沿った左の街道、ウダカに至る道からやってきた。

 右の街道は方向から見て、新王都へ向かってるのではないだろうか。左右の道を横に繋ぐのは、商品を卸した市場の大通り。

「A」の先端には立派な石橋がかかり、渡って川沿いに2階建ての水車小屋。

 さらに奥には、領主の館が見える。

 建っている住居の数に比べ、町中にはずいぶんと領民が溢れていた。宿に泊まる過客も多く、周囲の村から商品が集いともに発展している町のようだ。

「活気があるなあ……立派な市門もあるし、これからもっと大きくなるのかも」

 ふと見ると、中庭で宿の娘さんが水を運んでいる。

 酒場での洗い物に家畜や馬車用など、水はいくらあっても足りないだろう。

「ホーイホ――ッ!」

 目が合って思わず手を振った。


「ええっ!? じゃあプレマが1人で、鳥小屋の世話もしてるの!?」

「はい、宿と畑で家族は手一杯ですから。でも卵が売れたら差額を貰えるんです、お金が貯まったら自分の鳥小屋を買います」

 宿屋の娘さん――プレマが、今後の計画を嬉しそうに話す。弟のユーパより幼く8歳ほどだろうか、なんとしっかりした娘さんだ。

 夕食には早いし、水汲みを手伝いがてら冒険譚用に町の話を聴いていた。

 水桶は私が持っても手に食い込む、水が入るとけっこう重たい。こんな仕事を、ずっとやってきてるんだ。

「私が8歳の頃って……刺繍するのが嫌でわめき、薬草で色水作ってた気が……」

 比べるとなんだか自分が、矮小な存在に思えてしまう。

 いやいやもっとなにか、私なりの崇高な目的があったはずで――。

「そう! 今は行商人見習いだけど、盗賊を退治して私の名を轟かせて見せる! きっと冒険者になって、素晴らしい宝物を手に入れるわ!!」

「宝物……ですか? 凄いですね、ビーラ様!」

 いつの日か見せてくださいね――目を輝かせて驚いてくれる。

 こんな妹が欲しかったなあと思ってたら、後ろについて来てた愚弟が叫ぶ。

「じゃあぼく……俺の剣を見せてやるよ、兄様からいただいた宝物なんだ!」

 ――こいつはなにをいってるんだ。

 ユーパは叫んだ後佩刀してるのは私だと思い出し、飛びついて暴れる。

「俺がラクシュミー兄様から貰った剣だよ! 返してよビーラ姉様!!」

「見習い補佐代理に剣は早すぎるでしょ、上司には逆らわない方がいいわよ!」

「代理なんてついてなかっただろ、ビーラ姉様ばっかりズルイ――っ!」

「うるさい、うるさ――いっ!!」

 突如始まった姉弟喧嘩に呆気にとられるも、プレマは花が咲いたように笑う。

「ありがとうございますユーパ様、お礼に私の宝物もお見せしますね」


 腰に下げた袋から、ライラックを象った陶芸品を大事そうに取り出す。

「わあ可愛い、プレマには花が似合うねえ」

「えへへ……新王都のお土産なんです、お父さんが大切にしなさいって」

 染まった頬が女の子っぽい、お母様が求める娘像だなあ。

 見ればお下がりだろう、ぶかぶかの上着(コット)は擦り切れ色褪せている。別にプレマが特別貧困な訳ではない、平民は誰も似たり寄ったりの姿だ。

「髪を整えてそのライラックを髪飾りにするの。丈の合ったコタルディを着れば、城の晩餐会にも上がれそうだよ」

「そっそんなとんでもない! でも、ありがとうございますビーラ様」

 夕日に照らされた笑顔は、思わずハッとさせるほど輝いて見えた。

 無邪気を絵にかいたプレマは、それだけで気持ちを明るくさせてくれる。

「さって夕食はまた、ライ麦パンかな」

 水桶を運びプレマと別れ、私たちは親方のいる宿へと足を向けた。

「それにしても旅の途中出会った可愛い宿の娘。これは物語の序盤に花を添える、重要なエッセンスよねえ!」

 太陽の件は取り敢えず保留にしておこう……。

 人が冒険譚で盛り上がってるのに、ユーパはため息をついている。

「……あのパンだってその内食べ慣れるわよ、それとも早くもホームシック?」

 茶化したんだけど反応がなく、どうやらかなり深刻みたいだ。

「大丈夫だよビーラ姉様……俺どんなことが起きても、慣れてみせるから」

 ビーラと呼ぶようになったのはいいけど、始終うるさい弟が文句も返さずでは、さすがに調子が狂うというか。

 人が気にしてあげてんのに、プレマが去った方を振り返りボ~ッとしてる。

「ユーパ様、だって……」

 うつむきがちにポツリと呟く。なんだかちょっと、頬が赤くなってない?

「俺、見つけた……宝物」


「――はあっ!?」



 ☆



「オイオイお嬢様、これっぽっちじゃあ足んねえなあ!」

 商人は木炭で煤けた黒い手を伸ばし、硬貨が入った袋を私から奪い取る。

 取り返そうにも肉厚な体格で、手を上げられては到底届かない。

「ちょ、ちょっと勝手に……適正な価格のはずよ、客には誠意を見せなさい!」

「いっぱしの口を利くんじゃねえ、売ってやるだけありがたく思いな!!」

 憎ったらしい顔で凄み、無精ひげだらけの口で吠える。周囲で木炭を運んでいた使用人も、合わせて下卑た笑い声を上げた。

 本気のマジで殺意が湧き、腰の剣に手が伸びそうになるのをグッとこらえる。

 今の私は行商人で、商売の話をしているんだから――。

「――っだ!?」

 いつの間にか背後に現れた親方が、無造作に商人の手首をつかみ上げた。

 ひょろい体をしてるくせに、どうやら動かせないほどの握力みたいだ。なによりその冷たい視線、商人は喉元にナイフを突きつけられたようにたじろぐ。

「いっいやこれは……これは調子に乗り過ぎやしたね。ここの木炭はウダカで飛ぶように買い手がつくと聞いてやして、へへっお嬢様申し訳ありやせん」

 商人は目に媚を浮かべ、引きつった笑みで袋を返してくる。

 汗を落としながらペラペラと言い訳を繰り返し、今後もご贔屓に――と〆た。



「……ビーラ、木炭を仕入れてみますか?」

「へ? あっはい――え、いいの!? わあっやりたい!!」

 翌朝馬車に乗り町外れの木炭小屋に向かう道すがら、親方が珍しくも提案する。

 内容が脳に届くのが遅れ、理解して反射的に頷き、初めての商談に会心の笑みで引き受けたまではよかった……。

 場を仕切ってる粗野な商人は、周囲に忙しく指示していてちっとも応じない。

 声を上げて木炭の購入を伝えても、胡散臭い顔で睨みつけてくる。巾着を開けて硬貨を見せ、ちゃんと支払う意思を伝えるとやっと前向きになった。

 実は硬貨での支払いは初めてで緊張していたのだ。

 いつもは屋敷に出入りする商人が勧めるのを目にするだけだし、支払いも請求書をやり取りする一括払い。

 硬貨の種類と数え方を勉強した甲斐があったと、張り切った結果の惨敗。

 貴族家に生まれ、眼中にない態度で接される……これも初めての経験。


 ――市場は朝の混雑を見せており、馬車は領民で溢れる町中をゆっくりと進む。

 目当ての木炭を購入し、ウダカに向け帰路につく準備が整う。

「宿に帰ってユーパを拾って、町をひと眺めする余裕くらいはありそうね」

 今度は寝坊してないし、夕方に経由地の村へつけばいいんだから――そんなことを呟きつつ、私は若干放心してた。

 気がつけば荷馬車に遅れ小走りとなり、気分を変えるため頬を挟んで叩く。

 無理矢理、精神を復帰させたのだ。

 ずいぶん痛い音が周囲に響いたけど……親方は突然過ぎる私の行動を気にせず、ただまっすぐ前を向き馬車を走らせる。

 今はその不愛想さがありがたい。

「うん分かった、私……なにも分かってないことが、よっく分かった」

 行商人は店を構えず、商品を市場などに運び販売活動を行う。各領地を巡回し、流通を担う小売業者である。

 生産業者の仕入れ値を踏まえ、販売用に適切な売り値を計算。

 流通情報を探り、職人ギルドで商品に見合う搬入ルートを交渉。旅の費用や税金などの諸経費を捻出し――かつ利益をださなければ、破綻する職。

 私は頭だけで、理解したつもりになっていたのではないか。

 昨夜とそして今朝の取引を思い出し、なんだかとても嫌な予感を覚えた。

「今回は卸売りだったけど、塩漬けイワシや香辛料を売ってる行商人が他にいて、品がダブって残ったら……買い手がつかなかったら?」

「品によっては破棄もありえます、大幅な赤字になるでしょうね」

 親方が当然のように答え、納得がさらなる不安を煽る。

 消費期限がある食料など致命的だ、不測の事態(ユーパ)があっても対処するしかない。

 木炭なら保管しておいて――荷台に目を移せば、半ば占領してる藁束。

 いやこんなかさばる物どこに置く? 管理の手間は? 腹は立つけど、少しでも儲けたい木炭商人の気持ちが分かってしまう。

「旅の合間に切り詰めるのだと食べた硬いライ麦パン。自分の感性に従った結果、あれですら手に入らないかもしれないんだね」

 ウマー伯爵は懇意にしてる行商人を褒め称えてたけど、彼らにしても船で世界を渡り命懸けで旅をした商品に、買い手がつかなかったら――ちょっと本気で怖い。

 喜んで購入してくれる領主の存在は、計り知れないだろう。

 そこに至るまで繰り返した取引と、得た信用あってこその――冒険。

「行商人って、冒険者って……ちゃんと帰ってくるから、冒険者になれるんだ」

 私の呟きに、親方が驚いた顔を返したのが印象的だった。


「つくづく、甘く見てたなあ」

 馬車に乗って旅をすれば、それで行商人になれると思ってた。

 私は駆け引きも言葉の裏を読むこともできない。見習いとしてつき従い、各地の情報を頭に叩き込み、経験を得ないといけないのだ。

「ローカァ伯爵令嬢」の肩書きを外せば、ましてや風貌が見目麗しい美少女では、「世間知らずの子供」扱いされるだけ。

 試しにと、大切な仕事だとおっしゃったお父様は……正しかった。

 人目もはばからず深いため息が出る、お母様のお説教が懐かしい。

「……叱って、欲しいですか?」

「なっ!? そんな訳――~…」

 カッとなり親方を睨みつけたが、内心気がついていた。バカな子供だと叱られ、深慮を持てと反省をうながして欲しかったのだ。

 そうすれば、叱って貰えれば……そこで話は終わる。

 責任の所在は親に移り、私は以後同じ失敗を繰り返さないよう努力するだけ。

 親の庇護の下でだけ許される、子供としての責任の取り方。

「――叱るって子供っぽくて嫌、お説教なら聴いてもいいわ!」

「ではお説教が子供に対する、大人の責任の取り方ですね」

「こっ心を読むな――っ!!」

 せめてもと言い返すけど、顔が真っ赤になってるのが分かる。顔の見えない親方が笑っているのではと悔しい。

 しかし気持ちとは裏腹に、心に小さな光が灯っていた。

「……求められる商品の価格と個数を、事前に話し合えないだろうか?」

 商品を売買するより先に、各地の「流通情報」を仕入れることができれば、手間をかけ旅した商品の値崩れが抑えられる。

 それは行商人にとっても、生産者にとっても望ましい工程に思えた。

「上流貴族間なら書簡の交流も行えるでしょうけど……そう近頃は職人ギルドが、脚力の優る亜人を雇って商人とやり取りをしているとか」

「飛脚制度ね聞いたことある! でも平民には高価で、資金繰りが難しいそうよ。もっと手軽に利用できて、早く伝える方法がないかな……?」

 どうせ全てが足りてないのだ、思いつく限りの手を講じてやる。

 なんにしても商人は文字が読めなきゃ話にならない。旅するのに地図は必須で、証文が読めないと取引に支障をきたす。

「お母様に頼んで、これからは嫌がらず学ぼう!」

 心の光が瞬き次第に大きくなって、経験から得た実感が身体を熱くさせる。

 親方が、他者がどんな風に思っていても気にならない。腹が立って、悔しくて、なにも分からないのに広がる世界。

 新たな地平が垣間見えた興奮と、私の成すべき未来が輝く気がしたから――。

「ユーパ! 屋敷に帰ったら、一緒に勉強するわよっ!」

 宿の前で停まった荷馬車を確認し、鼻息も荒く胸を張る。3階まで駆け上がって叫んだのに、見慣れた愚弟の顔はなかった。

 数人の過客が腰を下ろし雑談しており、限られたスペースに隠れる場所もない。

「……ユーパ?」



 ☆



「――大部屋に待たせてた子供? そういやあ見かけないね」

 テーブルの上を片づけていた、給仕のおばさんがそっけなく答える。

 ユーパは昨夜から様子がおかしかった。今朝もなぜか宿にいたいとゴネるので、疲れているのかと仕入れの間待機を命じる。

 市場は「A」の横線にあたる町の大通りで開かれていた。宿とは目と鼻の先で、すぐに戻ると思っていたのだ。

 木炭商人と、揉め事が起きなければ……。

「旅の食事に愚痴ってたから、こちらでなにか注文していませんでした?」

 おばさんは首を傾げ、厨房のおじさんと顔を見合わせるが見覚えはないようだ。

 2階の酒場は人の出入りが多い。だけど大人に雑ざって子供が食事していれば、記憶に残っていても不思議ではない。

「ガキなら町が珍しくてうろついてんだろ、そのうち帰ってくるさ」

 それが答えとばかりに、宿の関係者は仕事に戻る。

 宿を責める訳にはいかないだろう、階段を見張らない限りチェックはしにくい。

「だとしても、独りでどこへ……?」

 自分の発した言葉にザワリと暗雲が立ち込めた。それは親方も同じだったのか、珍しく能面が崩れている。

「10歳の男の子です! 貫頭衣を着ていましたが、行商人として宿に泊まるには不釣り合いに思えたはず――どなたか確認されていませんか!?」

 たった2日のつき合いだけど、初めて聞く焦った大声。

 酒場の客までなぜか(・・・)親方を注視してしまう、それほどの気配を発していた。

 裏手で作業していたおばさんまで何事かと顔を覗かせ、話に反応する。

「あら男の子ならウチのプレマとなにか話してたよ、さっきまで声が――」

「――ユーパ様!? あっビーラ様、ユーパ様は帰って来てませんか!?」

 プレマが真っ青になって酒場に駆け込み、私を確認し大きな瞳に涙を浮かべた。

「ユーパ様がどこにもいなくって、水桶を片づけに……帰って来ないんです!」

「プレマ! あんたお客さんに、仕事を手伝わせたのかい!?」

 おばさんはプレマの母親みたいだ、しきりに娘が申し訳ないと頭を下げている。

 しかし問題はそこではない。

「いいんです多分ユーパが格好をつけて、自分からやりたいと願ったのでしょう。それよりプレマ、その時の状況を詳しく教えてくれる?」

 頭一つ小さい娘に、私は身を屈め優しくうながす。

 プレマは息を整え顔を拭き、胸の前で手を組み記憶を探りながら話してくれた。

「今朝も水運びを、手伝っていただいたんです――」



「ユーパ様、運んでいただきありがとうございます」

「俺けっこう力あるから手伝わせてよ。親方とビーラ姉様が商談に出てて暇でさ、水汲みの他にも仕事があるんだろ?」

「そんな、お客様に頼ってばかりもいられません。なにもお礼できませんし……」

「じゃ、じゃあプレマ……町の案内とか頼めない? ほら行商人は町の特産物とか料理を知っておいた方がいいし……ダっダメならいいけど」

「それでしたら、喜んで!」

「そっそう!? じゃあ出かけよう、水桶置いてすぐくるから待ってて――っ!」

「……ユーパ、様!?」



「――ユーパ様が裏手に周るとなにか物音がして、変に思い見に行ったら水桶だけ転がっていたんです……探しても、どこにもおられなくて」

 消えてしまわれたんです――思い出したのか、最後は涙声になっていた。

 一緒にいた者が突如消える、自身の危険すら感じる恐怖に他ないだろう。

「それなのに探してくれてたんだね、ありがとうプレマ」

 私は思わず欲しかった妹を抱きしめる。

「だから他に興味が移って飛び出したんだって、ガキならやりそうだがなあ」

 厨房のおじさんが半笑いでまっぜ返し、周囲もそうだろうなと相槌が広まった。

 そうであってくれればとは思うけど、それはないと私は半ば確信している。

「ユーパは私と同じく、ウダカから外に出たことがない!」

 村でも不安で私の袖を離さなかったほど。そんな弟が、領民で混雑した見知らぬ町を独りでうろつく!?

 この異質な事態に、おぼろげな記憶が閃く。

『この頃は物騒になりまして、先日も貴族の使用人が――』

「ウダカで貴族に対する暴行や、誘拐事件(・・・・)が問題視されてはいなかった?」

 宿の2階は酒場だが人の出入りが激しく、3階の過客は日ごとに入れ替わる。

 ひと晩泊まっただけの、詳しく知らない子供が1人消えて……誰が気がつく!?

 改めて現場を観察すれば、誘拐に適した状況だと思わざるを得ない。

 暗雲が、世界を染め上げた。

「いえっ待って……だけど親方の言った通りよ! ユーパは行商人姿をしてたし、とても貴族には見えない!」

 お金も大して持っておらず、唯一資金といえる剣は私が預かっている。

 町の使用人かよくて徒弟、そんな子供を(さら)ってメリットがあるだろうか?

 つまり、宿での誘拐事件と匂わせておいて――。

「親方っ! これはさすがにやりすぎよ!!」

 私は振り返って、胡散臭い親方を睨み怒鳴りつけた。親方だけは私とユーパが、ローカァ伯爵家ゆかりの者と知っている。

 ローカァ伯爵家は侯爵に準ずる由緒ある旧家。

 同じ伯爵位であっても、私にすら媚びへつらってくる貴族は大勢いたのだ。

 親方の立場は分からないけど、今後を思えば己の地位を確たるものとするため、私をもてなし下にも置かぬ態度をとっても不思議ではない。

 それなのにことさら旅の辛さを印象づけ、食事の不満を味わわせ、行商人として資質不足だと重ねて経験させる。

 その狙いは一つ。

 親方は私の護衛……そして行商人を諦めさせるよう、お父様から言づかっていたのではないか!?

「でもユーパを(さら)い、身の危険をもって強要するのは筋違いだ!」

「確かに、宿に残した私の不手際です。申し訳ない!」

「……へっ?」

 私の仮説に、親方は元々白い肌をさらに白くし頭を下げる。

「なんとしても……私の命にかけても、ユーパ卿は必ずお救いする!」

 後悔か怒りか、肩すら震わせ青白い炎が全身から沸き立って見えた。

 これって、演技じゃ……ないわよね。

「ええっ? それじゃあ本当に――なのっ!?」

 親方の虚言だった方が、まだマシだったのに……。


 だとすれば――私は状況を反芻し、宿の扉を開け階段の手すりにしがみつく。

「ビーラ!?」

「親方は気にしなくていい、ユーパが勝手についてきたんだから!」

 親方は宿を出る前も、ユーパに動かないようきつく言いふくめていた。なにより私が一昨日の時点で叩き帰していれば……まさに後悔先に立たず。

 自分だけではないもっと慎重になるべきだった、ユーパが抱きついた腕を見る。

「お父様もお母様も、飛び出す私を見てこんな気持ちだったのかな……」

 他の貴族による怨恨は考えにくい、ユーパは本来町に来る予定ではなかった。

 理由は不明だけど連れ去った経緯から、追いはぎではなく誘拐目的と断定する。

 ならば犯人は……直接の関係者である私たちの行動を監視し、身代金を得るため接触を図らなければならない。

 どこか(・・・)へ帰られて交渉が頓挫すれば、何も得られず困るのは誘拐犯なのだ。

 宿前の通りは忙し気に歩く使用人、目当ての屋台を探す過客、大きな荷物を抱え運ぶ行商人、農民が数人雑談しながら通り過ぎる、町にあるごく普通の風景。

 その内に違和感は――路地から、こちらを窺う顔が覗いている。

 ふいに視線を向けると、目が合った(・・・・・)

「そこの男――~…ええっ!?」

 私が叫ぶより早く、親方が階段上から飛び降り音もなく駆けだす。

 ひょろい体に似合わず肉食獣みたいな瞬発力。覗いてた男も目を疑っただろう、草食動物よろしく一瞬硬直したあと路地に逃げ込んだ。

「今朝の怪力といい、やっぱりただの商人じゃなかったか……」

 私が路地に辿りつく前に、なにかが倒れぶつかる危険な喧騒が空気を響かせる。

 腰の剣を確かめつつ遅れて駆け込む。土が剥き出しの狭い路地で、覗いてた男が砂埃にまみれ足を投げ出していた。

 いつ用意したのか、男に妙な光沢を放つ鉄のチェーンが巻きつき、親方が隙なく抑え込んでいる。

「おうっいきなりなにしやがんだ! 俺にこんなことしてタダで済むと――」

 20代半ばだろう、まっとうに農業も商売もしていない風体。逃げ出したくせに開き直って粋がるが、ビクリと体を震わせ黙った。

 背中越しでも分かる、親方の冷たい視線――冷酷な気配が路地に漂う。


「子供をどうした」

 端的だが、意味の通じる者にはそれ以上必要のない問い。

 だが男は汗をにじませつつ、勝ち誇った笑みを浮かべる。

「……俺ら(・・)は商売をしているだけだ、誰も手を出さない類いのな」

「何人いても全員叩き潰す、子供にかすり傷すらないのをお前のために祈ってろ」

 親方の人が変わったとしか思えない、きつい言葉。

 ハッタリではないのを、身動きすら許さない力と突き刺す氷の瞳が知らせる。

「かっ金を払えば品物(・・)は渡すっ! お前も商人ならそれくらい――」

 グキリとどこかの骨が、軋みを上げた。

「おっ――俺らの後ろにはな、この町の領主が控えてるんだっ!!」

 男が慌てて、切り札ともいえるカードを切る。暴力でのし上がった者は、暴力の効果をよく知っているのだろう。

 額から脂汗を流し、どうにか虚勢を張り続けた。

「うっ嘘だと思うなら衛兵を呼べ! 捕縛されるのは、お前らの方だ!!」

 こちらもハッタリとは思えない、貴族の名を騙れば重い刑罰は免れない。

 領主と聞きさすがの親方も眉根を寄せ、伯爵令嬢である私の顔を見る。それは敵の巨大さとは別種の脅威、爵位が絡む「政治」に触れるのを意味した。

「今までも感づいた客はいたが、体の一部が売られる(・・・・)と利口にも口をつぐんだ! 分かっただろう、俺らには誰も手出しできない!!」


「騒ぎが大きくなれば、お嬢様の親(・・・・・)も困った立場になるんじゃないか……っ!?」


 私の中で、なにかが弾け飛んだ。

「早くこの鎖を外せっ! お前の責任で、貴族間に争いが起こるぞ!!」

 親方の肩が揺れ、力が緩まったのか男が暴れ出す。

「――親方、手を離すことはない。まだユーパの件が片づいてない」

「いけませんビーラ、表向きだけでもいい。誰もが納得する証拠を押さえねば……裁判でこちらが、不利な状況となりかねません!」

 ローカァ伯爵に、さらなるご迷惑をかけてしまう――。

 親方が苦渋の選択に汗を滲ませるのは当然だろう。貴族間の内実に関わるなど、私だってごめんこうむる。

 他家の話であれば、だが――。

悪狐(ルナール)……と呼ぶには雑魚すぎるな、せいぜい(イザングラン)の威を借る程度か」

 私の冒険に、勝手についてきた弟。

 邪魔ばかりして、うるさくて、わがままで、袖を引いて離れなかった、私の弟。

「歯ぁ食いしばれ――っ!」

 剣を抜き、おもむろに男の肩に振り下ろす。

 浅く斬るつもりが実戦に固くなっていたのか、耳が半ば落ち頬が深く抉れた。

 吹き出す血と苦痛に、男が悲鳴を上げる。

「ひぃやぁ――――っ!!?」

「ビっビーラっ!?」

「狐はそうして鳴くのが相応しい。平民や商人同士のやり取りならいざ知らず……貴族家の名の下に剣を抜くのなら、捨て置けない!」

 初めて人を斬った、剣先が震えているのが分かる。

 だけどそれ以上に、湧き上がる怒りを押し止めることができなかった。

「どちらかの家が絶えるまで、徹底的な潰し合いすら辞さんっ!」


「私はローカァ伯爵令嬢! ローカァ伯ビハーラ!!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。