九十七夜 行商人見習い(仮)
「海の端っこは滝になってるって聞いたよ、船に乗ってて落ちないの?」
「ちょっユーパ!」
子供が発した不安気な疑問に、周囲の貴族たちが大笑いをする。
なぜ笑われたのかキョトンとしている弟に、私は赤面して頭を下げさせた。
「ビハーラ嬢お気になさらず、ユーパ卿はとてもいい質問をなさる。そうですね、大地は球体なのです。ですから端など気にせず、船旅ができるのですよ」
「ええっ!? 丸かったらやっぱり……端っこにいる人は落ちちゃうんじゃ」
テーブルにあるリンゴを見て怖そうに呟く。
行商人は真面目に答えてくれたのだが、弟の疑問がさらに笑いを生む。
「昔の学者も世界は平面だと考えてました。ですが船で旅をすると大地は丸く空に浮かび……「地球」の周りを、太陽や星がグルグルと動いてるのが分かるのです」
「あっ朝に太陽が昇るよ! 消えずにずっと回ってるんだね!」
「もういいから、ユーパは引っ込んでなさい! あの、海賊とは戦いました!? 大陸にはブレムミュアエって、頭のない怪物がいるそうなんですけど――」
これは勇ましい御令嬢だ――さらなる爆笑に、お父様は頭を抱えてた。
水平線の彼方へ船を漕ぎだし、命懸けで何ヵ月も旅をする行商人。
ウダカの領主が懇意にしており、此度も大陸で色々な商品を買い入れ寄港したと市民の噂になっていた。
私はウダカ城の晩餐会で、冒険譚を聴くのが楽しみで仕方がなかったのだ。
「なんでも言うこと聞くから、大人しくしてるからいいでしょう? ねっねっ!」
ローカァ伯爵である父にねだり、どうにか同行を許して貰う。
それなのにウマー伯爵の長ったらしい自慢がいつまでも続くし、なにより声が壁に響いて煩いったらない、アレ自分では平気なんだろうか。
しばらくしてやっと行商人の話が始まると思ったら、珍しい食器や野菜を高額で手に入れたなんてちっとも面白くない。
「あ――あっ未開の地で宝を目撃したとか、海で魔獣と死闘を繰り広げたとか……血沸き肉躍る大活劇が聴きたかったのにさあ!」
「なるほど陛下のご意向といたしまして――そうですまだ年若うござる殿下が――この頃は物騒になりまして、先日も貴族の使用人が――亜人との確執も――…」
しまいには新王都との関係がどうの、経済がどうのと政治の話になる。
一切興味がなくふて腐れてワインを深酒し、翌朝に地獄を見た。
「ビハーラ……あなたはもう12歳なんですよ。戦いだ冒険だと男子が好む英雄譚にうつつを抜かすのではなく、令嬢としての立ち振る舞いを身につけるべきです」
ベッドで溶けている私に、お母様の容赦ないお説教が続く。
「物語を好むにしても、せめて情緒あふれるラブロマンスならいいのですけど……読み聴かせる母様だって、その方が楽しいんですよ?」
「うじうじうだうだと面倒事は嫌……お母様だって盗賊退治を趣味にしてたって、以前シャンティ卿から……」
「――――~…っ!? ちっ違いますわ! 私のは趣味などという低俗なレベルで語られるべきではなく、まさしく崇高な――~…もうっカルディアったら!!」
「――~っ!?」
お母様が珍しく声を荒げ、色々な意味で脳に響き頭を抱える。しばらく外出禁止を告げられ、待ち望んでいた晩餐会は最悪の結末を迎えた。
思えば弟のユーパまでついて来るし、最初から嫌な予感はしていたのだ。
「うう、頭痛――~…い」
――13世紀末まで、ほとんどの商人は各地を旅して直接商品を売買していた。
これは口頭での値段交渉が必須だったためである。
王道や街道の整備が滞り物資の搬入が難しく、保険や為替手形などの制度もなく荷が無事届くか分からない。
信頼を得た行商人は、大変重宝されたのだ。
12~14世紀に、「ファブリオ」と呼ばれる説話が人気を博した。
欧州の日常生活を笑いと皮肉を織り交ぜて喜劇よろしく語り、行商人を主人公とした話も多く存在する。
金儲けや利益第一のガメつい守銭奴とする一方、安穏と平和をむさぼり領地から出ない貴族や金持ちへの揶揄対象としても描かれた。
行商人は長き旅をするので、当然身を守る術が必要である。
共通の目的を持った数人がパーティを組み、時には隊商にまで膨らみ武装した。
危険な旅に出かけ、領民が望む品――「宝物」を持ち帰る。行商人はまさしく、この時代の冒険者だった。
しかし識字率が向上し、他領の業者と手紙での商売が盛んとなる時代へと移行。
街中には現代に近い定住商人が増え、行商人は姿を消していく。
「いつしか船を駆り、帆に世界の風を受け旅をする」
いつ頃からか芽生えた熱い気持ち。吟遊詩人の詩や物語に見果てぬ思いを馳せ、いつも私の心をざわつかせる。
それなのに屋敷にこもって裁縫だ行儀見習いだと、習い事ばかりが優先の生活。
西洋菩提樹が葉を揺らす、爽やかだが代わり映えのない風景……ウダカの壁と、この屋敷だけが世界の全てだった。
このまま屋敷にこもりどこかの貴族に嫁ぎ、子を産んでさらに屋敷にこもる!?
「そんな人生、喜劇にもなりゃしない!」
我慢できなくなったのは、2歳下のユーパだけが佩刀し訓練を許されてる点だ。
子馬を貰い乗馬を習うだけでは飽き足らず、あろうことか家庭教師まで招き剣の修行や宮廷作法を身につけるときた。
嫡男だからってのは分かるけど、それを差し引けば私の方が強いのだ。
「私の方が足は速いし、私の方がずっと力もあるのに……なんでよっ!」
ローカァ伯爵家の当主には、私の方が絶対向いてる!
「ユーパは男の子ですからね、すぐビハーラより強くなりますよ」
「姉よりすぐれた弟なぞ存在しない!!」
たまに訪れるラクシュミー兄様は、私の数少ない理解者であり憧れの存在。
立場ある身ながら従者1人だけ連れて諸国漫遊し、土産話をしに訪れてくれる。
時にはナイショだと笑いながら、剣の手ほどきまでしてくれた。
「ビハーラは俺より筋がいい、続ければひとかどの剣士になれるだろう」
「女でも、強くなれる!?」
「もちろんだ、世には魔獣が束になってもかなわない女性がいるそうだ」
「そんな方がいるの!? うわぁ……是非お会いしたいっ!!」
俺も嘘か真実か、この目で確かめたいのさ――。
それが後に主君となるヴィーラ殿下のこととは、その時の私には知る由もない。
「――分かったビハーラ。それでは試しに、商品の運搬をお願いしよう」
「本当ですかお父様!? 嬉しい――っ!!」
思わず抱きついて感謝を述べる。
「あくまで見習いとしてだ、本来なら……愛娘を旅になぞ出したくはない。しかしこうでもしないと、無茶なお前は飛び出して帰ってきそうにないからな」
「あら冒険者は宝を持って必ず帰ってきます、私の冒険譚をお聴かせしますね!」
根負けしたお父様が額を押さえ、お母様も深いため息をついてらした。
まあ実際、幾度も飛び立つチャレンジはしていたのだ。
明け方に布を丸めベッドで寝ている姿を見せ、こっそり部屋を抜け出して屋敷に食材を運んでくる馬車に隠れる。
内側城門を抜け、外側城門を越え、街から外へ飛び出すのだ――!
けれど荷台に潜り込んだ段階でいつも見つかり、屋敷に連れ戻されてしまう。
「……誰かに、監視されてるんじゃないでしょうねえ」
通達があったのか、今では内側城門に行くだけで門衛が目を光らせる。完全に、要注意人物にされてしまった。
「しかしまだ道はある、屋敷の裏から山を越え……どうにか城壁を避ければ!」
そんな計画を立てていた矢先の朗報、喜ばないはずはない。
私は天にも昇らんばかりの気持ちで、ずっと準備していた荷を検める。
長い髪をカールアップし、帽子に詰め込むと首筋が涼しい。簡素な貫頭衣を着て首にケープを巻く、憧れの行商人風衣装に思わず一回転。
部屋の中で剣を振り回し、掲げて騎士をマネた。
「やあやあ――! 遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ! 我こそはローカァ伯爵令嬢なり! 腕に覚えの者よ手合わせ願うぞ――っ!!」
胸の高鳴りが止められず、西洋菩提樹に歓喜の名乗りが木霊する。
「そんなの聞いてない――っ!」
商人の準備があると待たされた数日後、玄関に疑惑の叫びが木霊する。
ウキウキとお母様に出立のご挨拶に向かうと、笑顔で剣を没収された。
「ま……まあ、敵の武器を奪えばいいか!」
幸先の悪さにもなんとか気を取り直し屋敷を出る。
荷を積んだ2頭引きの荷馬車――コートに胸躍らすも、その横に同じ行商人姿で陰湿そうな男が立っていて嫌な予感。
「商品の運搬と話しただろう、商店に配達する卸売りも大切な仕事だよ。こちらの旅慣れた方を親方とあおぎ、マジメに勤めなさい」
「私は冒険がしたい……商品を買いつけて市場を巡回する行商人になりたいの! これじゃあ体のいい使用人か、子供のお使いじゃない!!」
「約束が守れないのなら見習い失格だ、屋敷に戻り大人しくしていなさい!」
「――――~…っ!? お父様の、バカ――――っ!!!」
私の魂から発した罵倒は、朝焼けの空に吸い込まれていった。
☆
ウダカから北東に向かい村を経由し、2日の距離にある町が目的地。
商店に塩漬けイワシと香辛料を卸し、ウダカで販売する木炭を仕入れて帰る。
ウダカは海上貿易をしており、経済や人手はそちらが優先。製作に手間と時間がかかる木炭は、他方から購入した方がむしろ安いのだ。
「地方の原料を中央へ運び、技術を要する生産品を地方へ――地方で必要とされる商品を詳しく知るには、幾度も交流しなければならないだろうなあ」
職人ギルドが流通ルートを管理し厳しく定めているのは、商人から各地の情報を得て国の循環を助けるいち翼も担っているからだ。
ウダカで必要とされてる商品は分かってるし、帰りの馬車は空にせずに済む。
中間過程にある卸売り業は、領地間の流通に携わる大切な職……なのは認める。
「確かに行商人には近いんだけどさ、自分の感性で売買ができないんだよねえ」
そこが肝心なんだけどな――なんだか、ブツブツと独り言が増えた。
ゆっくり進む馬車に並んで歩きながら、チラリと盗み見る。
「親方」は黙々と馬車を走らせるだけで、話もしないのだ。お父様と証文の確認をしていたし、利けないのではなく無口なのだろうけど。
「はあ……すぐ婚礼の話をする癖になにかあったら子供扱い、本当嫌になる!」
最初はため息と愚痴がもれ、気分は最悪だった。
けれど街を離れ小波が遠くなり、潮風が薄れ空気が変わる。広大な森林が世界を包みだすと、いつしか気分も晴れ渡った。
「あっそうだ旅するんだから、ラクシュミー兄様みたいに偽名をつけなきゃ!」
ラクシュミーだからラクシュ、じゃあ私はビハー……なんだか座りが悪い。
いくつか候補も上げてみる。
「ビハシュ……ビハミー……ビーラ――ビーラ!? あっビーラがいい!」
「女性の名前に洞窟……それはいかがかと」
親方が初めて口を利いた、あら結構素敵な声じゃない。
「ビーラが女の名前でなにが悪いのよ! 私はビーラよ、親方も今からビーラって呼んでね!!」
善処しますと呟く親方に、左ストレートを顔面にお見舞いする勢いで言い放つ。
「どこかで聞いたことがある語呂だけど、響きがとても美しいし気に入ったわ!」
「その語呂だからです……」
「どうせなら新王都も見たかったけど、そっちはこれからも機会がありそうだし」
色々制約つきではあるけど初めての旅、再び盛り上がって想像を掻き立てた。
空に向かって手を伸ばす、大冒険が起こりそう――!
「えっ? 新王都に行くんじゃないの!?」
「――はあっ!?」
馬車の荷台で布がまくれ、ヒョッコリと見慣れた顔が現れた。
「ユーパ――っ!? あんたいつの間に……なんでついて来てんのよ!」
「姉様ばっかりズルイぼくも冒険する! 新王都でエルフを見かけたって噂だよ、ねえ新王都に行こうよ!」
「無茶いうな――――~…っ!!」
使用人に事づけはしたと威張るユーパを、取り敢えず一発小突いておく。すでにウダカは見えず、引き返していたら経由する村まで今日中につかない。
運んでるのが保存食とはいえ、1日の遅れが致命的となる場合もあるのだ。
なにより取引上、商店との信用問題に関わってくる。頭を抱えて親方を見ると、首を振ってそのまま馬車を走らせていた。
うん、その辺真面目そうだもんなあ。
「はぁ私の言うことちゃんと聞くのよ? あんた行商人見習いの補佐なんだから、それと姉様じゃなくてビーラ!」
「……行商人ではなく、卸売りですよ」
「キッチリ突っ込まないでよ親方、そうだって自分に言い聞かせてんだから!」
「偽名つけるの? じゃあぼくはねえ――」
「ユーパはそのまんまでいいの、覚えるのが面倒でしょ!」
「なんでだよ、姉様ばっかりズルイ――っ!」
「もう、うるさいうるさ――いっ!!」
ユーパは行商人風の衣装まで用意していた。まったく子供の癖に、なんでも首を突っ込みたがるんだから……。
ちゃっかり剣も持ち込んでおり、笑顔で没収したら少しは気分も晴れた。
石畳で舗装された王道と違い、街道はせいぜい砂利が敷いてある程度。
ほとんど土が剥き出しで、所々に轍の跡や水溜りがあって走りにくい。そのつど無事通れるか、荷が傾き問題が発生しないか気を配る。
「これなら歩きの方が早い気がする……ってユーパ、御者台に勝手に座らない! 親方も教えなくっていいから!」
遊びでやってんじゃないんだよ――っ!!
道の分岐点では必ず止まり、地図を広げて確認。
間違って村落道に迷い込めばどこに出るか分からない、気づいて引き返そうにもすでに手遅れの場合があるのだ。
地図は親方から受け継がれ、世代を経て書き込まれる家宝といえた。
「ユーパ違う、それだと文字が反対だから地図の向きが逆で……だよねえ親方!」
冒険者に移動はつきもの、むしろ旅にはなにが必要か勉強になる。
「ねえ親方、その不愛想で口下手を治した方が、商売上手くいくんじゃない?」
「うおいっユーパ――っ!」
まあ正直私も、思ってはいたけど。
どうにも慣れないのが、食事の酷さだ。
休憩に適した路肩に馬車を止め、馬の世話をした後やっと人の昼食になった。
渡された黒く丸いライ麦パン――いつも食べてる小麦の白パンと違い、実は少しばかり憧れてもいたのだ。
なんだか旅人っぽく、ドキドキしながらひと口。
「……硬っ!」
思わずパンを持って、歯型を凝視してしまうほど。
「行商人だからって、美味しい料理を食べちゃいけないって法はないわよね?」
「食べないのではなく、切り詰めているんです。どんな問題が起きるか分からない仕事ですからね、出費はできる限り抑えるべきです」
「うっ……」
荷を運ぶにも、馬車に乗るにも、道を通るにも出費――税金が掛かる。
農民が畑を耕し家畜を育て、漁師が魚を捕り港で加工し、商人が街を拠点に仕事をするのとは、発生する租税が全く違う。
地元に根ざした商店も増えたけど、行商人が必要な職であるのに変わりはない。
税金の優遇措置や数々の恩恵はあったが、けして楽とは言えないのだ。なにより旅は、常に危険と隣り合わせなのだから。
硬いパンにエールを掛けてふやかし、ひと欠けらのチーズをかじった。
ユーパは歯型つきのライ麦パンを見つめ、身動きすらしない。
「気持ちは……分かる」
気分とは異なり馬車は順調に進み、夕方経由地の村に到着。
森林を切り開き沢にへばりつく、藁ぶき屋根の農家が街道沿いに固まっていた。
村の門は……これを門と呼ぶのなら、腰丈の石垣と隙間だらけの木柵だけ。
ウダカの天を見上げそびえる城壁しか知らない私にとって、どうすればいいのか形容しがたい不安にかられてしまう。
「こんなの盗賊がその気なら、すぐ倒されそう……」
「ヴィー……ゴホン、ビーラ怖いですか?」
心を読んだように、親方が声をかけてくる。
「こっ怖い訳ないでしょ! ただ有事に備えるのが、冒険者なの!」
普段は相槌もしないのに、こんな時ばかり声をかけるので語尾がきつくなった。
しかし不愛想な顔に一瞬だけ目を細め、変わらず馬車を走らせる。
「言い返されて文句もなしか、一応は親方なのにね」
ユーパも口を半開きのまま、呆然と門を眺めていた。
村に入ってきた馬車を、子供たちが期待を込め遠巻きに眺めている。
その瞳が吟遊詩人を待ち望んだ自分の姿と重なり、子供はどこも同じだと思うと少しばかり安堵した気持ちになった。
「ごめんね配達用の商品で、ここでは販売できないんだ」
「ええ――~…」
ガッカリと肩を落とし、目を伏せる姿が寂しい。
少しぐらい売っても……なんて思うけど。職人ギルドが定期市などでの販売しか認めておらず、勝手な取引は許されない。
私にはまだ分からないけど、商売上の駆け引きがあるのだろう。
馬車を農家の裏手に止め手荷物だけ持って降りる。親方は馬車の見張りで残り、私たちはありがたくも宿に泊まっていいとのお達しだ。
農家の一軒を宿に開放しており、数人の過客が荷を降ろしひと息ついていた。
「宿といっても個室なんかあるはずもなし、大部屋での雑魚寝だろうな」
戸板の窓から覗くと居間は土剥き出しで、石を積み上げた炉に火が爆ぜていた。
農家は簡素な木造建築で暖炉はない。部屋の中央に炉を組んで暖房と調理を兼用するので、煙が天井に壁に煤をこびりつける。
隅に寝間のスペースか、いつから敷いてあるのか分からない藁の残骸……。
「雨風避けの屋根と壁、足を伸ばせるスペースがあるだけマシってとこかな」
これは想定していた通りだったので、佩刀した剣を確認がてら一つ叩く。
明日の出立に向け早めの夕食か、過客が鍋を囲みエールを片手に談笑していた。
「お酒の匂いがきついなあ……禁酒中だし、しばらくは嗅ぎたくないんだけど」
居間はアルコールが充満している。酔った男たちが遠目で私達を見て村の子供と思ったのだろう、すぐに話の輪に戻った。
商売はもちろん街道の様子や狼の出現、近隣で起こった盗賊の噂。
情報代をケチってはならない、命を左右するのだから。そして荷を持っている者は手元から離さず、即座に運べるようまとめてある。
隣で笑っていた者が突如牙をむく……「有事」は、常に想定済みなのだろう。
「野宿では獣に気を張り、宿では人に注意する。旅の危険は場所と相手を選ばない――ってちょっとユーパ、腕痛い!」
やけに大人しいと思ったら、ウダカの内側都市部では見られない情景が続き怖くなったのだろう、思いっきり抱きついていた。
「ほら御覧なさい、勝手について来るからよ!」
「うう、姉様ぁ……」
ふふっ……普段なら面倒くさいけど、まあ頼られるのは悪い気がしない。
「貴族の出入り商人には、香辛料を切り崩して旅をする者もいるそうよ」
「コウシーリョウ?」
「お料理に使ったりするの、とっても美味しくなるのよ!」
地方は余剰生産物での交換が主流で、硬貨はまだ珍しく使えない場合もある。
重い硬貨と違い香辛料なら日常で使えるし残ることもない、これも長き旅をする行商人の知恵なのだろう。
寝間に寝床を確保するため、離れの家畜小屋から新しい藁を貰う。
年齢が近く話しかけやすいのか、歩くと子供が集まってきた。吟遊詩人よろしく商店やウダカ城の話などをしてあげる。
「へ――ウダカじゃあ、そんな料理があるんだ」
「ねえねえお姉ちゃん、お城の貴族さまはどんな料理を食べてるの?」
「そりゃあもう机の上いっぱいにパンやお肉があふれて、目移りするわよ――!」
「わ――っ凄――~い!!」
いや美少女とお近づきになりたい、ませた子もいるだろうな……ふっふっふっ。
「せっかくだし村の案内を頼みたいけど、さして見て周る場所もないか」
しかし周囲に広がる耕地と放牧地、収穫祭など催しを行う広場、木々の合間からもれる夕日は、生まれ育った者にとって大切な故郷だろう。
その割にはと、目端に映る木柵に漠然とした不安を覚えた。
「せめて空堀だけでもあれば、もう少し防御が整うのに――ん?」
フイに視線を感じ、周囲を見渡す。
通りの向こうには今晩泊まる宿。夕方になり家路を急ぐ農民は多いが、違和感を感じる流れはない。
子供たちも急に立ち止まった私に、どうしたのかと顔を見合わせている。
「ってことは――~…」
「姉様?」
持てるだけ持った藁から手足を生やし、ユーパが振り返る。その上に藁を重ね、私は突如走り出した。
「ちょっ……ちょっと、ビハーラ姉様!?」
「見習い補佐の初仕事よ、宿まで運んで! あとビーラだってば!!」
ユーパがなにやら騒いでるのを無視し全力疾走、息を乱して農家の裏手に止めてあった馬車に取りつく。
荷を整えていたのか、親方が振り返って首を傾げる。
「はあはあ……ああ、いえ別に――用事とかは、ないんだけど」
親方は一つ頷くと、また荷を検めだす。
「えっと――さっき通りにいたでショ、なにしてたのかナ~と思って」
「……なんのことでしょう」
カマをかけたけど引っかからなかった。
お父様は「旅慣れた方」とおっしゃってた。それにしては道の分岐点で止まり、地図を広げて毎度確認していたのだ。
冒険者と違い定まったルートを往復する、卸売り業をしていたとは思えない。
見れば20代半ばで、ストレートの銀髪にボロい貫頭衣。一見それらしいけど、醸し出す雰囲気はけっして商人のそれではない。
「私たちの立場もあって安全を重視してたともとれるけど……お父様のことだから「護衛」を雇ったんだと思ってた」
藁を貰った小屋から宿までは一本道。さして複雑に入り組んでない小さな村で、極秘に私たちを監視してたなら路地裏を走り回る必要がある。
親方は息も上がってない、佩刀もしてないし護衛にしちゃあひょろ過ぎるか。
「さっきの妙な気配は、気のせいだったのかなあ」
疑惑の目を赤き夕日に向けるも、答えてはくれなかった。
「ウダカを離れて初めての夜、珍しいバロメッツが食べたいとか望まないけど……せめてお腹に溜まる食事がしたいと思うのは、贅沢なんだろうか」
夕食はポリッジと呼ばれる雑穀のおかゆで――なにも、食べた気がしない。
親方をジト目で睨んだが、これが当然とばかりに素知らぬ顔。
宿ではやはり過客に囲まれての雑魚寝となった。寝間に運んだ藁を寝台代わりに敷き、マントを掛け布団に夜を明かす。
「うわあ……馬にも乗らず、一日歩き続けたのって初めてじゃない?」
思い出したように脚がほてり、鈍い痺れが湧き上がってくる感覚。
見習い扱いや胡散臭い親方、毎度の食事に煤だらけの部屋、とても安全とは思えない隙間だらけの木柵と門。
数々の不満はあれど、なんだか冒険者ぽくってカッコイイ!
「……のラッキーナンバー」
不満の一つであるユーパがなにやら寝言を発していた。不安なのか宿でもずっと袖を引き、子供みたいに同じマントに包まっている。
弟と寝るのは何年ぶりだろう、暖かな体温が眠気を催す。
気分が高揚して寝れるか心配していたけど、小さなあくびが出てまどろむ。
剣を確認するとさらに安心できて、深い闇が降りた……。
「――旅に疲れてると寝かせてくれたのは、ありがとうございます」
目的の町に向かうため、翌朝早くに村を出立する予定だったのに問題が発生。
グッスリと、寝過ごしてしまったのだ……。
すでに日は登っており、同じ宿に泊まった過客は早々に出立している。徒歩なら余計に、日が高いうち距離を稼ぎたいだろう。
歩きながら朝食を済ませなさいと、またもやライ麦パンを渡され……しかもこれドングリ混ぜてない!?
「いえ不作時には混ぜ物もするそうだけど、切り詰めるためここまでする!?」
しかし無様に寝こけてた見習いが、文句など叫べようはずもない。
ユーパは脚が痛いとグズッたので荷台に乗せた。ひ弱だとからかっていたけど、冷めたポリッジを前に口数が減り……さすがの私も突っ込みにくい。
いつか宝を見つけて立派な料理人を雇って、美味しい料理を毎日食べてやる!
私にとっての宝物って、もしかしたらご馳走なんだろうか。
「食い物の恨みは、根深いんだぞ――――~っ!!」
私の魂から発した罵倒は、馬車の音を掻き消し空に吸い込まれていった。