箱庭にかけられた呪い――命令
琴依ちゃんから電話が掛かってきたのは十二時ジャストだった。
入学式を終えて物の数分だった。
既に数葉とは家でゲームをしてから別れ、俺は学校で待機していた。
待ち合わせ場所を決めて、人通りの少ない図書室の前にしてもらった。
他の生徒に見られたくはなかったから。
「……先輩、あれ、本当なんですか」
会って早々、神妙で、沈鬱な声。
エイプリルフールではないかという期待と、ありえないとわかっている絶望が綯い交ぜになっているのが手に取るようにわかった。
「あれじゃわからない。けれど去年と同じなら、本当だよ」
「そんな……」
指示語で成立する会話。
カラムサーバーにいるからこそ通じ合ってしまう嫌悪感。
残酷なルール設定。
「なんなんですか、なんなんですか。あれ。もうわけがわからないですよ。
他の高校もこうなんですか。どこの高校でもこんな、拘束具みたいな」
言いえて妙な例えだと思った。
気が高ぶった琴依ちゃんの頭を撫でて宥める。
今の二年生の代と違いがないか検分するために、琴依ちゃんから聞き出す。
「方位磁石がプロジェクターに出た?」
「出ました。くるくる赤い針が回転していました」
「声が聞こえた?」
「はい。幼稚園児みたいな、幼い感じがしました」
知っていることばかりだ。けどここまではどうでもいい。本題はこの後だ。
「命令についての説明を受けた?」
息を呑む音。
図書室の中は文学部の人間がいるかもしれないから、扉から横に一歩ずれた場所で会話する俺と琴依ちゃん。
後ろのサイドボードが小さく尖っていて地味に痛い。
こういうとき、さらりと女の子の背中に布でも差し込めば、好感度が上がりそうだ。次からそうしよう。
琴依ちゃんを見る。萎縮している原因が、俺が上級生だからじゃないことは明白だ。
今朝よりも、ずっとおびえる小動物のように体を震わせる。
「……はい。命令を破れば、退学だと」
同じだ。体育館の出来事を思い出す琴依ちゃんの声は、今にも泣きそうだった。
「一人に一つずつ。高校に通う間に破ってはいけない命令を、する。って、朝、先輩が言っていたのはこれだったんですよね?」
確認の念に、頷く。
予想通り、一年生は酷く怯えていた。
だから、ケアをしにきたのだ。
俺はそこに浸けこむ。
「去年、今の二年生のほぼ全員が発狂してたから」
俺が去年の現場で実際に見ていたのは一人だけだけど。
俺が見ていた一人は、悲鳴をあげていたことを克明に覚えている。
「退学はみんな嫌だからね。一年生に訳もわからないまま同じ轍を踏んで欲しくなかった」
本当でも嘘でもある。痛いことを突かれる前に話を進める。
「琴依ちゃんの命令の内容はなんだった?」
琴依ちゃんの顔が上がる。
目が見開かれ、呆然としていた。ややオーバーだけども、想像通りの反応だった。
「驚くってことは、命令の内容を他言してはいけないって説明もされたんだね?」
「はい。それも、退学の条件になると」
ほっとしたような琴依ちゃん。
頼まれたら断れない性質なのだろうか。
危ない。今のところ手を尽くしている一年生だ。リタイアされる前に釘を刺そうか。
いや、叱咤するような言葉は溝を作るかもしれない。でも彼女は今朝からのドジもある。即レッドカードなのだから、注意しておくことは大事だろう。
「そうだね。絶対に自分の命令は他言をしちゃいけない。示唆でも加減によってはゲームセットだ。
俺が一年生のとき、自分の命令を大声で叫んで、その場で消えた人がいたんだ」
去年は始業式のあと、教室に集められた。
一クラス百人が大学の講義室型の教室の席に着いたとき、個々人にしか見ることのできない脳内端末に赤い文字で命令が出された。
決して消されないように、自身ではサーチできないセキュリティのかかったログ。
命令がどこに保存されているのかもわからないが、その中身は数葉でさえ変更することは不可能だった。
俺の命令の内容を理解した瞬間。なんで俺に、って叫びたくなった。
実際には叫んだ。
――なんで僕が!
それは、俺の生き様から最も遠いといっても過言じゃなかったから。
困惑する教室の中で、禁止事項を説明された直後に机を蹴飛ばして命令を叫んだ金髪の男子。
「『一日に二度 同じ言葉を使うな』。だってよ! やっべーわ!」
あっさりだった。
彼が音もなく崩壊したのだ。
足先から、鏡がひび割れたように細かい粒となって。
そのモチーフが蝶だったのかシャボン玉だったのかはもう忘れてしまった。空色に輝きながら彼の体は分解されて消えていった。
ホログラムの文字が彼の居た場所を陣取って表示される。
『一日に二度 同じ言葉を使うな』
教壇に立つNPCは生徒が一人消えたことに一瞥もせず、命令の説明を続けていた。
「あなた方の命令は別個となります。
それぞれが必ず違う命令を神託されたことでしょう。従ってください。
その先に、あなたの卒業があります」
宗教だと思った。
洗脳のために縛り付ける条件。
誰も望まない退学を人質に、要求を呑めと命令の提示。
不平不満の矢は、圧倒的なまでの立場の差の前では無為に等しかった。
千人の若人は、泣き寝入りを強いられた。
今年の一年生もそうだったのだろう。記憶を聞かせると、琴依ちゃんは曖昧に頷いた。
「そうですね。神託、という言葉を使っていたかは覚えてませんが、一緒です。
消えた人も、いました」
「その人はどんな命令だった? 命令のサンプルを知りたいんだ」
焦らず、聞く。数葉にも後で教えなければ。
「……」逡巡する琴依ちゃん。何故黙るのか、それに気付く。
「大丈夫だよ。他人の命令の内容について喋っても。
本人に言ったらペナルティが課されるらしいけれど、他人同士の認識の共有くらいなら問題はないから。
さっきも、俺が言ってたでしょ」
そうですね、と舌をペロリと出す琴依ちゃん。小柄な子は、動作も細々している。
「――『嘘を隠せ』でした」
数字がないタイプだ。それに語尾が「せ」で終わるのは珍しい。
見た目の特徴も聞き出そうとしたが、琴依ちゃんが振り向いた時には、この世界から追い出された後だったらしく、見えたのは命令の文字だけらしい。
やっぱりパターンは掴めないか。
掴んだからといって行動に出るわけじゃない。が、不安の解消にはなるかもしれない。
その程度の話だ。
「そっか。ありがとう。琴依ちゃんの命令は守れそう?」
体が跳ねる。萎縮して震えていた体が石化魔法を受けたみたいだ。
これじゃまるでファンタジーだ。ゲームに引っ張られているぞ俺。
「もしかして、守れそうにない?」
もしそうならば、早々に見切りをつけることも大事だ。
箱庭にかけられた呪いは理不尽だ。
命令の内容によっては、どうしてもクリアが無理だから、と諦めて消える人間がいる。
『復讐をしろ』とか『意思疎通をするな』とかだ。
前者は当人が学級委員を進んで引き受けるほどの善人だったし、後者は図書室通いで一言も喋らなかった子だったが、ある日いなくなっていた。命令は又聞きで知ったものだ。
琴依ちゃんは首を横に振る。自信がないだけなのだろう。
「まあ、居なくなる人って多いわけじゃないから大丈夫だよ。
俺だってこうして、普通に残っていられるからね。大事なのは気を緩めないことだよ。『自炊したもの以外食べるな』って人が誤って買い食いして退学になったこともあるから」
あの《秋》は焦った。隙間風のような笑い声が聞こえた。
琴依ちゃんが少しだけ唇の端をあげている。
「ありがとうございます。わかりました、頑張ります。でも……」
言いよどんで俯く。不安で押し潰されそうなんだ。
琴依ちゃんの頭を撫でる。短い髪の毛はサラサラと滑って額まで滑り落ち、琴依ちゃんの目を隠してしまった。
少しだけ慌てたように琴依ちゃんの手が浮いた。
でも彼女は、その手を収めて、少しだけ上を向いた。
目が開いていたら上目遣い。引き込むようなお餅の肌。
その行為の意図する所はよくわかる。
図書室前の廊下。
人通りはない。
雰囲気も悪くない。
胸の内側でピンク色の炎が燻る。
少し、だけなら……。
――違うだろ。お前は何のためにこんなことしてるんだ。
欲情した頭の中の猿をはたく。
深呼吸をして、目を開いた。
「……埃、前髪にくっついてたよ。これ」
手を火打ち石みたいにぱっぱと払う。
目が開いた琴依ちゃんは気まずそうにはにかんでいた。勇気を、振り絞ったのかもしれない。悪いことをした。
「いえ、私こそ、ありがとうございます――それじゃあ……また」
一歩退いてお辞儀をしたかと思えば、俺が手を挙げる前に踵を返して足早に階段を降りていった。
残された俺一人。やるべきことはたくさんある。
きっと琴依ちゃんは寮に帰るだろうから、他の心細いであろう一年生を探しに行くか。
一年生の教室まで、俺は琴依ちゃんが通った階段を降りて向かった。
人が来ない四階と五階の踊り場。ミニスカギャル。
「えー、てかウチの命令超ヤバメなんだよねー。こんなん守れるかーって」
「いやいや、頑張れば守れる命令ばっかだから、きっと我島ちゃんのも大丈夫でしょ」
「でもでもー。ウチって、頑張るの苦手なんだよねー、えっとお……」
「冬森甲希。もう二度目だけど」
「ウチってー、人の名前覚えるの超苦手なんだよねー。もっとイケメンなら覚えるけど」
「ははは」
連絡先を渡しておく。あんまり期待はしないでおこう。
校舎裏。現実逃避していた女子二人。
「先輩の代もやっぱそうなんですか。二年生は、こんなんをもう一年も。知りませんでした」
「ねこーねこー」
「仕方ないよ。俺だってここに来るまで、まさか学校に通うためだけにあるV世界で、こんな問題が起きてるなんて知らなかったし考えもしなかったよ」
「今から他の世界に移ることって」
「難しいね。高校はランダム性だし、一度決まれば変更は効かない。
三年間はここに閉じ込められるしかない。退学しない限りはね」
「現実の、お母さんが起こしてくれたり!」
「ただ高校に通ってる子どもを無理矢理起こす人なんていないよ。
肉体は一律に集められたカプセルの中で集中凍結されて安全だから」
「抜けられないんですね……」
「一度だけ、今の三年生よりも上の代で抜けた人がいるらしいよ。親の死に目らしくてね。
でも現実に戻る前に命令に関する記憶にロックがかけられて、外にいる間は思い出すことができなかったらしい。
そしてこっちに帰ってきたら、また記憶を戻される」
「ねこーねこさんどこー……」
とりあえず双子ともに連絡先を渡しておいた。
学食テラス。それぞれの案を論じていた男子三人組。
「そんな命令もあるんですか。何か法則とかあるんですかね」
「性格を反対にさせるとか?」
「うっわ何ソレ。国が高校を義務教育制度にして、尚且つ仮想空間を使ったものにしたんだろ。それってつまり、国民を同じ性格にしようってことかよ」
「でも命令ってそれぞれ違うんですよね?」
「違うらしいね。少なくとも、同じ命令を持っている人を聞いたことはない。他言無用だけど、なんとなく察せるもんだよ」
「他人の命令については、わかっても言及しちゃいけないんでしたっけ?」
「うん。退学ほどじゃないけどペナルティを喰らうし、露呈された側はそれを絶対に正しいと認めちゃならない」
「なるほど。命令は精神に作用させたいのかもしれませんね」
「やっぱしそうだ! 三年後、起きたら俺の体はスーパーマンみたいな改造人間に」
「だったらお前の親は日朝ヒーローだな。それにスーパーマンは改造人間ってほどじゃないだろ、宇宙を救う巨大ロボットになってたみたいな劇的さがなきゃ」
「勝手に石油を主食にしてろよ。すいません冬森先輩」
「いいんだ。元気そうなら何よりだ」
連絡先を交換。
再び校舎裏。見慣れた背中。園芸部の四ツ木先輩。
「こんにちは四ツ木先輩。春休みぶりです」
「そうだね。ありがとう、植木の土換えなんて面倒なこと頼んじゃって。部に男手がいなくて」
「四ツ木先輩の頼みごとならいつだってなんだって手伝いますよ。部に入ると他の部を手伝えないので、そこだけは申し訳ないですけど」
「ううん。たまに手伝ってくれるだけで申し分ない働きだよ。今度お礼でもしようか」
「ならデートしてくださいよ四ツ木先輩」
「残念、お花をあげるから勘弁してね」
手刀を切った俺を真似する先輩、二人して笑い合う。
この人は脈があるのかないのかわからない。
体育館の裏手。蹲っていた少女。
「どこか痛いの? 保健室行く?」
「…………ぅ」
「えーと、じゃあ不安なのかな?」
「…………ぅ」
「じゃあ、じゃあ迷子とか」
「…………ぁ」
「そ、そっか! よかったやっと首肯が見られた! それで、どこに行きたいの? 学食?」
「…………ぅ」
その後三十分かけて、蹲っていた少女を女子寮まで送り届けた。
ルチアの使い方がうまくわからない人もいるのだ。機械音痴の人は少なくない。
それでも次第に慣れる。
連絡先も十分かけて交換した。
点としての星が空に輝いている。新入生に合わせたのだろうか、新月だった。
その日の成果を部屋で数える。
会話したのは総計二十七。女子十九、男子八。連絡先を交換できたのは女子十三、男子八だ。
上出来だった。
春の一日目。しかも新入生だけでこれだけの線を紡いだのだ。
細い糸だけど、これから太くしていけばいい。
問題は《春》の人選だ。
三年生のストックは少ない。二年生もイマイチ。
三ヶ月。俺の命令を叶えるためには短い期間だ。
少し絞ってでも重点的に攻めたほうがいいのかもしれない。
数葉に、琴依ちゃんから聞いた命令をメールで送信してから、俺はスリープモードに入った。




