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箱壊しの玄武  作者: ゆまち春
三章 亀と鳥と脳
20/27

亀の選択


「えー。先輩、また日曜日予定あるんですか。最近ツキアイ悪くないです?」


 一年生の子が、俺の教室の前で刑事のように張っていた。


 用件は休日に買い物に付き合って欲しいとのこと。


 すげなく俺は断った。


 女の子は不平不服に不満タラタラ。


 けれどもどうすることはできない。


 俺の時間割は彼女に管理されているのだから。


「誠に申しわけなく思っておりますマダム。埋め合わせは後日、きっとするから」


「本当ですか。そういって美波のカラオケも断ったとか」


「誠心誠意尽くす所存で……てか、休日に俺の予定が埋まってるの知ってたのか。じゃあなんで誘ったんだよ」


 二度手間をわざわざ踏んだ彼女は、頭のネジが抜けているような女子じゃなかったはずだ。

 入学初日あたりは視えないネコを追っていたけれども。


「先輩がですね、もしも美波のお誘いを断っておいて私の誘いを受けるようなら、乙女心をたぶらしかした罪で天誅を加えようかと」


「天誅って物騒な。具体的には?」


 両手を一方通行の筒にして、言伝を運ぶペリカンのように肩に頭を乗せた。


「志穂ちゃんを猛烈にイタイやり方でフッたことを、美波含む一年生女子にバラします」


 《春》の出来事。

 どうやら志穂ちゃんは内々に話したらしい。


 この子のひそひそするような話し方からして、おそらく内密にだけ打ち明けたことなのだろうけど。


 志穂ちゃんがどのように俺の言葉を受け取ったのがよくわかった。


「今週は無理でも、なんとか都合をつけて美波さんとカラオケに行くよ」


「それから?」


「……志穂ちゃんには、何もしない」


「よろしい。安易に優しい言葉でもかけようものなら私の猫パンチでサーバーから追い出してましたよ。あ、私の荷物持ちもコンドよろしくです」


 体を斜めにして敬礼する。

 敬う気なんて欠片もないことがありありと伝わる。


 尊敬されるような先輩じゃないことは自分が一番わかっているけど。


 去った一年生の彼女。


 そろそろ教室に戻ろうか。休み時間の暇を潰してくれた彼女に胸中でお礼を言いながら、踵を返して、教室の中に入った。



 ――トン



「へいらっしゃい。お酒は私の分しかないよ」


「……は?」


「だんまりとはノリが悪いのお」


 教室に足を踏み入れた、はずだった。


 俺はこの場所を見たことがあった。


 二ヶ月前。琴依ちゃんが号泣した際に、一時的な保留地として呼ばれた――教頭先生の私室だ。


 ピンク色のツインテールがお酒を持って傾いている。


「兎も角。急じゃが、面談じゃ」


 大判で埋まった本棚とサロンのようなふんわかソファ。

 その一つに鎮座しながら、彼女は俺の心境のど真ん中を射抜いた。


「お前さんの頑張りを、無駄にしたくはないじゃろう」


「どうして、それを……」


 努力。


 その言葉を、昔の俺――僕は蔑んでいた。

 嫌っていたとも言い換えることができるだろう。


 多くの大人が夢を叶えられずに子どもに愚痴を垂らすネットの世界を見て、努力が人を裏切ることを知ったから。運動部が大会で勝つことを目的としてないのに汗水垂らす行為に共感が持てなかったから。


 子どもにだってそれが必要じゃないことを、傍目で見ていてわかるのだ。


 なのに大人は推奨する。

 説こうとする。


 努力の恩恵を語らず、努力の素晴らしさを熱に浮かれて話すのだ。


 自己満足の術を他人に押しつける輪の中に、僕は居たくなかった。


 でも――


「でも、なんじゃ」


「……人の心を勝手に読むな、いでください」


「読まれたくなかったらさっさと結論を言わんかい」


「もういいよ。てか、なんで思考を読めるんですか」


 至極当然に話が繋がっているが、おかしい。


 なんだかもう、桃色とかいうありえない髪色のせいでおかしいが鉄棒の上ででんぐり返ししている。


「? あの女から話は通っていないのか?」


「あの女」


 小首を傾げた教頭。ここがアノ女のハウスね?


「そんなこと思ってないわ……そうか、喋ってないのか。ああ、ああ。なるほど、そんな風に。情動的だと、そう」


 一人で勝手に納得した彼女は、竹馬をするような足取りで俺の元に近づき、手を奪ってそこいらのソファに座らせる。


 体が預けたソファに沈んだ。


「まああんな祭女はどうでもいい。とかく、さっきの話のつづきじゃ」


「さっきって、俺はさっきまで一年生の子と会話していましたよ」


 会話が終わって、休み時間も終わりそうだからと教室に入った。


 そうしたら、ここにいた。


 教室と廊下はシームレスに繋がっているようで、垣根となる扉にはゲートとしての役割がある。


 だから扉の表と裏では別の空間に繋げなおすことができる。


 俺は、導かれたのだろう。


「努力の話じゃ。お前も無碍にはしたくないじゃろ。

 だから面談じゃ。

 心を豊かにだなんてそんな心理じゃないぞ。理解を深めて、私がお前を理解したフリをして、たたき台の答えを導いてやる。そのための教育者じゃ」


 ソファに深く尻をうずくめた酒瓶持ちの少女は、勝手極まることを言う。


「さて、面談の前に質問はあるか?」


「ない」


「そうか。じゃあ質問タイムは終了じゃ」


「待って。ある」


「……どっち」


 嫌な顔が少女の全面に押し出されている。けれど、確認しなければならないことがあった。


「これって授業時間内なの?」


「真面目か。んなことどうでもいいじゃろ!」


 どうでもよくはないだろ。あんた前の発言で自分が教育者だと格好良くきめていたくせに。


 勢い余って立ち上がった幼子は、また座りなおした。


「授業はとっくに始まっておる。じゃが安心せい。十月いっぱいの振り替え授業も含めて、冬休み返上でお主には特別にやってやる。今日はそれを伝えようと思って呼んだのじゃ」


 嬉しくない。嬉しくないけれど、勉強についていけないよりかはいいだろう。


「いやよくないよ。

 冬休み前にテストがあるのに。十二月の第三週は丸々テスト週間なのに。そのタイミングより前に振り替えをしてよ」


「文句垂れるな馬鹿が。ここで言う馬鹿は、才ではなく現状認識についてじゃ。そもそも停学になってもおかしくないお前を、わざわざ現実の頭の固い科学者やら教育委員会やらだまくらかして在校させてやっとるのにだ。恩人に対する私に一言ないのか、あぁん」


 野太い声はヤンキーみたいだ。教頭はキャラぶれぶれだな。


「ブレとらんわ――兎角兎角。お主にそのようなことを伝えたくてそのうち呼ぼうと思って眺めておったら、存外に面倒でややこしそうな渦の中に棒立ちしておったからの。ちょっとお前さんを救い上げたわけじゃ」


 少女の、念じるような瞳の動き。人がルチアを見ているのとは違うのだろう。


 目の前のテーブルに水槽があらわれた。

 水面には小さな波が立っている。


 空の酒瓶を水に浮かべてから、腕まくりをして水槽の中に手を突っ込んだ女の子は、底で不動だった一匹の亀を引き揚げた。


 その亀を砂の陸地には乗せずに、酒瓶に乗せた。


 酒瓶は波に揺られ、ころころと回転している。


 亀はつらそうだ。


「陸地に揚げましょうよ」


「ワシが手助けするのは、海の中で泳ぐことができない亀を救い上げることまでじゃ。陸地までは手助けできん」


「……どんなデータベースを持ってるか知らないけれど、亀は海の中を泳げるからな」


「現実の亀ならば、泳げるじゃろうな。甲希よ」


 息継ぎをするように笑った教師と俺の間には、水槽が置かれている。


 中には亀と砂の陸地とたくさんの水。

 それと差し伸べられた酒瓶だ。


「この亀は泳げないんですか? 尚更さっさと砂浜に移動をさせてあげましょうよ」


 生きている亀じゃないからといって、目の前でクリエイトされた死の呼吸なんて見るに耐えない。


 けれど少女は嗜虐癖があるのかもしれない。


 酒瓶の亀をうっとり、ねっとりとした情熱の持った瞳で見据えていた。


 少女は酒瓶に触れず、口だけを動かす。


「そうやって、亀の潜在的な、もしくは身につけるかもしれない未来の力を試すことも信じることもせずに、安楽を与えるのがお前の考えか?」


「泳げない亀に手を差し伸べることは悪いことじゃないでしょう」


「助けてと亀に請われたのか?」


 亀が喋るわけないだろ。


「喋ることだけが請うことではなかろう。行動や仕草の一つをとっても、お前の周りの人間は救いを求めていた――いや、求めている」


 あやとりでもするかの様に、手をくねくねと動かす。


「助けだなんて……」


 琴依ちゃんを助けることができなかった俺に、何を誰が求めるというんだ。


「そりゃな」


「俺には、無理なんですよ」


「そうか。それはどう思うがお前の勝手だ。本題じゃない」


「俺の冬休みを補修に変身させるのが本題だったのでは?」


「最初に言ったじゃろ。面談じゃ」


 酒瓶は浮力で浮いている。


 口の開いた酒瓶は水面の境でくるくると回転し、亀はひたすらにもがいている。


 少女が自らの手を水槽の中に突っ込む。


 何をするのかとおもえば、渦を生み出す前準備のように水面をかき乱し始めた。


「……そういうの、なんていうんでしたっけね」

「屋台の金魚すくいで迷惑な客ナンバーワンの悪ガキ的行為」


 そういうことじゃない。いや、確かに水槽に手を突っ込むだなんて金魚からしても迷惑だろうけど。


 少女は見通したように、渦を生み出す手をやめない。


「バタフライエフェクトじゃ」


 バタフライエフェクト。

 どこかで羽ばたいた蝶がキッカケとなって、竜巻が起こるという話。


「蝶が羽ばたいたぐらいの風圧で竜巻が起こるなら、プテラノドンが生きていた時代には竜巻大家族なんて珍しくもなかったでしょうね」


「プテラノドンだろうがドラゴンだろうが千年竜だろうが、結果は一緒じゃよ。

 因果がどこかにあった。蝶が起こした些細なつむじ風が、他人と摩擦して強大となった。

 バタフライエフェクトとは、何事にも始まりがあるという話じゃ」


 少女が水槽から手を引く。


 糸をひくように手を追っていた水の流れは、やがて、波紋へと姿を変え、水面から姿を消した。


「今、私がしたことを、この亀もできる」


 水面から顔をあげない僕に、彼女はそんなことを言う。


「何故だかわかるか」


「それが、バタフライエフェクトだからでしょう」


 静かに首肯する。


 一波万波に揉まれる酒瓶に縋るように、亀の足が前すら見ずにもがく。


 その波を起こしたのが自分だと知りもせず。


 小学生の頃、体を動かすことが得意じゃない妹が、泳ぎを習得するためにビート板を使ったことを思い出す。

 浮き輪よりも泳ぎの練習に特化したビート板を選んだことを褒めた覚えがある。

 俺が手を取って教えると言ったら、恥ずかしいと言われて傷ついたこともひどく覚えている。


 この亀にとっての酒瓶も、同じなのだろう。


 努力の助けとなる。


 地球が自転するように、亀は必死に世間にくらいつこうとする。


「この亀はどうするんじゃろうな」


 少女は現状維持の亀を見ながら、ぽつりと呟いた。


 それは少女からすれば、財布を弄っていたら一円玉を落とした程度の小言だったのだろうけれど、俺には強く響いた。


「どうするっていうのは、どういう意味ですか」


 そんなことを尋ねることしかできなくなるくらいに。


 女の子はソファから投げうっていた足を引き戻し、胡坐(あぐら)を掻いた。


「仮定の話じゃ。亀は泳ぎを覚えたいのじゃろうか」


「……そりゃ、そうでしょ」


 妹について考えていたからかもしれない。


 泳ぎを覚えたくないという選択肢の意味について、深く考えることができなかった。


「そうじゃろうか。亀が生きる手段は他にもあるじゃろう。

 エラ呼吸を覚えることは突拍子もないが選択肢の一つじゃ。まあそんな手段は夢物語なのじゃがの。努力せずにハーレムを築けると過信するぐらい思い込みが強くなければそんな発想は浮かびもせん」


 細い瞳が、一瞬だけ、僕を覗いた気がした。


「だから、亀の選択肢はどちらかひとつ。

 泳ぎを覚えて陸にたどり着く。もしくは。大きく息を吸って、また海の底に沈むかじゃ」


 海の底。


 亀一匹だけの水槽は、そこまで大きくない。


 底には光が射している。


 沈んでしまえば、再びまどろむような死に様を、亀は演じることができるだろう。


 俺の口は、自然と動いていた。


「後者は選択肢じゃなくて、諦めでしょう」


 外の世界を傍観して生きること。


 それは努力と呼ばない。


「海の底に戻ってしまったら、やすやすと、死んでいるだけです」


 少女が再び虚ろな目つきをしたら、水槽の音が止んだ。


「面談は終了ですか?」


「もうちょいじゃな。進路希望に抽象的なことを書かれたら教師は困るものじゃ。

 だからお主の具体案を聞きだしておかなければいかん」


「そんなことしなくても、心の声を読めばいいじゃないですか――読めるんでしょ?」


「ワシはそれでいいじゃろう。納得するじゃろう。

 けれど人間は違う。誰も、心の内側を読み取ることはできん」


 どんなに相手のことを考えても。


「おぬしが言葉を欲しているのと同様に、他人も言葉を欲している。頬をつねるたびにでも思い出せ」


 そう言って、教頭は動いていないのに、頬がじんわりとつねられたように痛くなった。


「ではでは、聞こうか。先ず、悩みを説明してもらおうか」


 胡坐を掻いたまま、女の子はソファの上でやんわりすずらぐ。


 ゆっくりと、深呼吸をした。


 いつかの屋台では邪魔をされたが、今度は違った。

 教頭は俺の言葉を待っていた。


「俺は、努力をしてきました。高校に入ってから、自分を磨いてきました」


 内向的な性格を変えようと、外見から変えた。

 周りとまともに喋れるように練習した。

 男らしく振舞う術を身につけた。


 俺は努力をしてきたと胸を張れる。


 そのキッカケがV世界にやってきてからの命令だったとしても、頑張ったのは俺だ。


「けれども、数葉――あ」


「いい、その名でわかる。続けろ」


「――やっていることは……」


 季節の女を用意する。


 俺の努力を無碍にする行為。他ならぬ数葉のために始めた努力を、本人に無駄だといわれているようだ。


「許せなくはないです。あいつなりの優しさなんだって、わかってます。でも、やっぱし……」


「どうしたいのかな?」


 どうしたいのかな。


 俺が、努力の価値と称して、この手でつかみ取れる最上限。


 それはやっぱり、努力を続けることだった。


 自力で、どうにかしようとするんだ。


「赤寝さんと、会話をします」


 俺が近づいた理由は命令だと邪推されているはずだ。


 でも違うんだ。そう伝えたい。

 好きだと本心が言えなくても。


 赤寝さんに、謝ろうか、告白しようか、どうしたいかはわからない。


 けれど、疎遠になるのだけは嫌だった。


「そうか。では愛しき迷い子よ、半分が過ぎたお前の高校生活とやらの意義を見せられるように、精一杯足掻くがよい」


 水槽の亀が、酒瓶から手を離して手ヒレを動かそうとしていた。


 閃光。


 宇宙を股にかけるギャングを地球から落とせそうな高熱ビームくらいに眩い光で瞼は強制的に閉じられた。


 視界が戻ったとき、俺は教室の外にいた。


 廊下に人気はない。


 時間を見れば、授業中だった。


 誰も俺に呼びかけない。


 巡回するしか暇潰しの手段がない教頭には今会ってきた。


 俺は赤寝さんと会うことを決めた。


 そしてもう一つ、やらなければいけないことがあった。


 窓に身を寄せる。

 空は雲のない快晴だった。太陽の光が目に染みる。


 ルチアを開く。


 九月の最後の日に届いたメールは、未読メールの最下層にあった。


 もう、迷いはなかった。


 琴依ちゃんの最後のメールをひらいた。



『甲希先輩へ 私を嫌いにならないで』



 短かった。


 廊下には、胸の痛い等身大の男子の喘ぎが木霊した。


 憑き物が取れたんじゃない。


 もうひとつ、重い荷物を背負う一歩への意気込みだ。




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