恋
俺が決めた未来に沿うための壁とは何か。
赤寝さんとまたご飯を食べたり定時報告をしたりする緩慢な時間を手に入れるために必要なこと。
決まっていた。
数葉に、俺のことを好きになるよう女子に仕向けさせるのをやめるのだ。
二種類の方法があった。
数葉に直裁に言うか、女の子との縁をひとりずつ断る方法だ。
どちらか迷って、前者にした。
「というわけで、もうやめてくれ」
「……まあ、なんとなしの話はわかったよ。でもそれは両立できるよね?」
「両立?」
「要するに、甲希は赤寝との時間をスケジュールに組み込みたいってことでしょ。
でもそれは誰か一人ぶんの女の子を切り捨てればできることだよ。米澤さんなんかどうかな。彼女はあんまし甲希になびいてないようだから、縁を切っても問題ない人だよ」
俺のベットに我が物顔で座る数葉の顔にも声にも、一切の冗談のニュアンスがなかった。
「数葉。もう俺のマネージャーにはならなくていいから。どうしても助けが必要なら求める。けれど、それ以外で手助けはいらない。
それより、友達のことを切り捨てるとか縁を切るとか言うな。相手にどれだけ失礼なことを言ってるか、わからないわけじゃないだろ」
たぶん、数葉にとっては友達じゃないんだと思う。
純粋に、俺の命令の成就のためだけに人選した女の子。
一方的にか恩を売って縁を結び、俺が素晴らしき人間であるかのように過度に吹聴した女の子たち。
数葉がどんな風に見られているか、いつも初回は数葉が付随して仲介役を買ってくれていたからわかる。
数葉は頼られていた。
必要とされていた。
博愛とまではいかずとも、迫害されることなんてなかった。
できることなら、数葉の身の回りにいて欲しい。
だから無理に縁を切って、数葉との仲までこじらせてしまうのは躊躇した。
そう思った進言は、思いのほか、数葉を刺激した。
「同じくらい表面上のツキアイしかしていない甲希にそんなことを諭されたくないよ。
第一、男友達の一人もいないじゃないか。クラスでは嫌われているし、女の子に話しかけられても修学旅行は誰も誘えなかったし」
まくし立てるように事実を突き立ててくる。
「バレンタインだってチョコをもらった数は多かったけれど告白してくれたのは一人だけだったし、断ったくせにホワイトデーにお返しをして張り手されるし」
「それは本当につらい記憶だからやめてください。学んだよ? 俺にだって余計な優しさがあることくらい学んだよ? 死体に鞭打つような行為も感心できないな」
事実の刃が、予想のはるか、研ぎ澄まされていたけれど。
日々鬱憤が溜まっていたんじゃと思うぐらいに出てくるわ出てくるわ。
「大体甲希だって目的のためだけに一年生の男子ともアドレスを交換していただろう。それと私の行為の差とはなんだい。私の言葉遣いが乱暴だというけれども、表層部分を限定的に指示されたからといって――そうでなくとも、甲希の前でしか言っていない。
その人たちの前ではしっかりお友達として振舞っている。そこに問題が生じる可能性はない」
とんでもなく自信家の彼女は、最後に胸を張って締め括りを迎えたらしい。
「それにだね」
迎えてなかった。
「わかった。オーライ。アイシー。もういいです」
「いいや、話そう。甲希は琴依ちゃんのときにも言ったけれど、愛だの恋だの抽象的な気持ちで現実的な問題の何を解決できると勘違いしてるんだ。
所詮、人の想いなんてマンションのようなものだよ。個々人で階層分けをされている中で、好かれているなんて情報は、上の階層にいるかいないかという事でしかない。人の本質的な価値は他人がいないと成立しないが、他人に決められるようなものじゃない。
だというのに、だというのに!
甲希はずっとそんなことばっか気にして前とどんどん変わって!」
教頭は、言葉にしないとわからない、と言っていた。
そのとおりだ。
数葉がこんな浪漫的な例えを用いるなんて。
数葉が俺に対してどう思っているのかを、必要以上に考えてこなかった。
「……そうか、そんなこと、思ってたのか」
俺は、数葉のために頑張ってきた。
聡いこいつは、それにだって気付いている。
「努力する前の俺が好きだったのか?」
目に見えて、それは本当に珍しいことに、数葉の視線が宙を彷徨った。
迷った数葉は、挙句、その口から聞いたことがない言葉を発した。
「わからない」
「……なんて?」
恥ずかしさや照れるように身を抱いた数葉の顔には、未知という不安に脅える少女の様が写っていた。
「わからないんだ。私は、どっちのあなたが好きなの……?」
浅い息遣いが、行き来する。
ずっと見てきた数葉だから悶える葛藤。
ずっと見てきた数葉しか結論の出せない問いかけ。
だから、俺が伝えてあげられるのは浅はかな本心だけだ。
「俺には好きな人がいる」
「……知ってるよ」
うっすらと、どこか湿った笑い。
「その人の良いところは正直わからない。アノ人なにもできないから。
でも、できるだけ一緒にいたいと思う。
心に触れたいと思う。壊さないように、繊細に扱うことも難しい。もしも壊れたなら、痛みを分かち合いたいとさえ思う」
そのくらい、俺は彼女を好きだ。
……好きって言葉を胸の内で使っても罰がくだらない。神の緩和政策だろうか。
支持率は上がらないだろうけれど、こっそり拍手を送ろうかな。
「俺にとっての好意は、相手に優しくするだけじゃない。優しく接するよ? 壊れそうだから。透明なシャボン玉みたいに綺麗なガラスの靴を履いたお姫様みたいに。
でもそれだけじゃ相手を好きってことにならないと思う」
汚したいだなんて劣情の話じゃない。
もっと、愚直な、情熱の問題だ。
「ライオンが子どもを谷底に突き落としたり、巣から落ちた雛を親鳥は木の上から見守るだけだったり。苦境を用意する。強くするために」
誰かが僕にそうしたように。
僕の皮が剥けて俺になったように。
「相手を好きってことは、相手の背中を押してあげられる関係になりたいってことだと思う」
だから俺は数葉の背中も押してあげたい。
友達の大切さなんて説くことはできないけれど、優位性や有用性だけで語るものじゃないと諭すくらいのことはできる、だろう。
「数葉にとって、今の俺がどんな存在なのかはわからない。言ってくれなきゃ、わざわざ言葉で教えてくれないと、数葉みたいに察したり考えたりなんてできない。
けれども今の関係性はわかる。俺と数葉は付き合っているから」
だから――そう続けようとした言葉は、風よりもちょっと強いくらいの拳が止めた。
目の前にある拳に隠れて、数葉の顔は見えなかった。
「……。よく言うよ。眼前で他の人が好きだなんて言う男が。
やめだ、婚約解消だ。
そこまで言うならスケジュール管理もやめてやろう。もう構ってなんかやるもんか」
数葉が、ベッドに飛び込んで毛布にくるまった。
不貞寝する数葉を一度くらい撫でてもバチは当たらないだろう。
どんな報復をされるかわからないけれど。
けれどおままごとに終止符は打った。
数葉に冠した初めての彼女というレッテルとはお別れだ。。
本命の赤寝さんが残っているというのは気が重いけれど、俺には出来る気がした。
―― ―― ――
次の日からすぐさま、数葉が用意した季節の女の子たちの誘いを断りにかかる、というのは自分勝手な都合だ。
だから、赤寝さんとは挨拶にとどめることにした。
お昼ご飯を白雪さんと食べるために向かった動物園のような騒々しい数葉のクラスで、冬眠しているかのように孤独で慎ましく……スンデュブ、だっけ。
湯気が立つ石釜の自分を痛めつけてるのかってぐらい辛そうなスープを飲んでいた赤寝さんに話しかける。
「久しぶり、です」
「……うん」
話しかけた。
俺は話しかけた。
《秋》になって初めてだ。
でも、赤寝さんがスンデュブの器から目を離してくれない。
「あ、えっと、お水いる? 辛そうだし」
「いらない」
即答。返し刀の切れ味は抜群だった。
そりゃそうだよな。
いままでは命令が露見することはなかった。
けれどそれが相手側の女子に知られたら、こんな風に、嫌われるのが当たり前なんだ。
人を弄ぶ命令と、それに従ってきた男子。
俺はもっと考えるべきなのだ。
人の機微がわからないなんて言い訳は、人の輪のなかに飛び込んでからは言える立場じゃなくなった。
だから必死に、どう思っているのか考えて、何を欲しているのか理解して、最善を尽くす。
頭を下げた。
「ごめんなさい」
赤寝さんからの返答は聞こえなかった。
毎日が前夜祭のような教室の騒々しさに掻き消されてしまったのかと思った。
でもそんなことはなく、ぽつりと、直接頭の中に届いたみたいに、鮮明に聞こえた。
「そう」
「……へ?」
顔を上げると、赤寝さんがつんとした顔をしていた。
「何を謝っているのかわからない。
だって謝られることがたくさんあるから。
けれど、いいよ。
全部、もう私には関係ないんでしょ。
新しく出来たお友達と、数葉と三人でご飯を食べるといいよ」
もしも赤寝さんが魔法使いだったら、鬱憤を晴らすために山を割って火山を噴火させ、恐竜の骨を巻き戻して街の中に放していたかもしれない。
「怒るよね。でも理由があって……」
ずっと、教室で俺たちを見ていたのだろう。
俺と、数葉と、季節の女の子。
もしも俺の目の前で赤寝さんと琴依ちゃんだけで楽しそうにご飯を食べていて、しかも俺以外の男がその場にいたら、どれだけ胸が苦しかっただろう。悲しかっただろう。
いらないと、言われても諦めがつかず、その場に泣き崩れてしまいそうだ。
「俺は赤寝さんと一緒にいたい」
「へ」
豆腐が喉に詰まったような声が聞こえた。赤寝さんの口が呆けるように半開きになる。
「だから、ごめんなさい」
「……」
再び頭を下げたから、赤寝さんの顔は見ることができない。
顔を上げたときに張り手の一発は――いや、例え何発であっても覚悟して受け止めようと重いながら、俺は姿勢を正した。
赤寝さんは、スンデュブの石釜を鍋つかみで持ち上げてスープを飲んでいた。
豪快な飲みっぷりだった。これが酒樽なら海賊の女船長でも務まるんじゃないかってぐらいに豪気だ。
カレーやラーメンを完飲する姿は見てきたが、まさかこんな辛いスープでさえその腹に収まるとは、と感心していたのも束の間、
「あっつい!」
と、流石に耐え切れなかったようで石釜を机に置いた。自前の冷水を煽る赤寝さん。
顎へと垂れた水滴が服に落ちたけど、シミにならず消えた。
「それで、なんだっけ?」
何事もなかったかのように、赤寝さんは首を傾げた。本当に、この人は愛らしい。
命令の内容を言及しない程度に、本音を告げようと決めた。
「俺の、命令を、琴依ちゃんに聞いたでしょ」
「聞いたよ」
にべもなく、そんなことを言う。
俺の決心や命令なんて、まるで大したことじゃないように。
「それが?」
「それが、って。俺は、赤寝さんを騙していたようなものだよ」
他人を欺くは肥料となる。蒔いても咲かない花の種に、ふりかける。
それでも人は嘘をつく。
赤寝さんの黒い髪が、幽霊に弾かれたように揺れた。
「私もたくさん嘘をつくよ。しょうもない嘘だってよく言われた。詐欺とまではいかないけれど、周りの人が迷惑を被るくらいの嘘を何百回でついた。
でも皆許してくれた」
朗らかな陽気をその顔に浮かべる。無邪気な笑みだった。
「だから私も大人に一歩近づくために、あなたの嘘を許すよ」
そして、今度はスプーンで救い上げながら、スープを飲み込んでいた。
「おいし」
そう口ずさみながら。
幸せそうな顔を見て、俺は満足してしまった。
だから、生温い感傷に囚われていた俺は、赤寝さんの懐疑的な示唆に気付くことができなかった。




